新撰組
会津藩の御預となった壬生浪士組は、文久3年8月18日、会津藩の命により御所へ出動し、尊攘派の公卿7人と長州藩を京都から追放とするという朝廷内のクーデター「八・一八の政変」において活躍する。その直後、壬生浪士組は、会津藩より武家伝奏に伝えられ、「新選組」と命名され、あわせて京都市中警護を命じられた。
 翌年には、池田屋事件で新選組は一躍有名となる。新選組は、鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争に参戦するも、敗北を繰り返し、1868年、近藤勇は斬首になる。
 旧幕府軍の敗色が濃厚な中、1869年、土方歳三は箱館戦争で戦死。「新選組」は武士の時代とともに終焉を迎える。
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