■ 退耕庵 (たいこうあん)  1月24日放送

東福寺の塔頭・退耕庵は約660年前に創建されました。応仁の乱で焼かれたこの寺を再建したのは戦国時代の僧・安国寺恵瓊です。
織田信長、豊臣秀吉の使節として重用された彼が建てた書院には歴史の証人ともいうべき茶室・作夢軒があります。そこは秀吉死後、石田光成、宇喜田秀家ら秀吉恩顧の大名により徳川家討伐すなわち関が原合戦への謀議が行われたと伝えられています。茶室に隣接している警護の侍が控えたという「伏侍(ふせざむらい)の間」や「忍び天井」がその名残を偲ばせます。
書院に面した真隠庭(しんにんてい)は寺を創建した住職が修行した中国の地を模して作ったといわれる全面、苔で覆われた珍しいものです。
地蔵堂に祀られている玉章地蔵(たまずさじぞう)は、今は無き小町寺にあったという高さ3メートルあまりの大きな地蔵。小野小町宛ての恋文が納められたといい良縁をもたらすといわれています。



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今から六百五十年ほど前に創建された禅寺、退耕庵。
応仁の乱で焼かれ戦国時代に再建されたこの寺が今、十年ぶりに公開されています。


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本尊の千手観世音菩薩は寺にまつわる諸行無常を見つめてきた仏様です。


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ここを舞台に歴史が動いたのは戦国時代。
豊臣方の諸大名はこの茶室で徳川家討伐を計画。
それこそが関が原の戦いの発端となったのです。


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警護の武士らが控えた間は未だに空気が張り詰めているかのようです。

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書院の南側に広がる枯山水の真隠庭は当時と変わらず苔むすばかり。


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地蔵堂に祀られているのは縁あってこの寺に移された身の丈3メートルもの玉章(たまずさ)地蔵。
胎内には恋多き女性、小野小町へ宛てたあまたの恋文が納められていたといい、縁結びのご利益があると言われています。


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数々の秘話が息づく退耕庵です。


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山門をくぐってすぐ脇に建つ地蔵堂に祀られている玉章地蔵(たまずさじぞう)は又の名を「ふみはり地蔵」といい、その体には一面に仏様が描かれた紙が貼られています。この地蔵像は江戸時代にあった小町寺という寺に祀られていたといわれ、胎内に小野小町に宛てられた恋文が納められていたといいます。ところが良からぬ輩がその文を盗み出したといわれ、その行方、真実は藪の中とのことです。
寺にはかつての小町寺の様子など洛中の霊場の描かれた掛け軸が伝わっており、本堂で特別公開されています。


「 絃歌幻想 」
作曲者:加古 隆
演奏者:姜 建華