展覧会の構成

本展では油彩、デッサン、写真資料を通して、タマラ・ド・レンピッカの生涯を辿ります。さらにレンピッカの友人だった画家ルパップやブーテ・ド・モンヴェル、彫刻家シャーナ・オルロフなどの傑作を彼女の作品と比較展示することで、レンピッカの作品を1920年代、30年代の芸術の流れの中に位置づけなおします。

プロローグ「ルーツと修業」

ロシア革命を逃れフランスに亡命したレンピッカは、1921年頃パリのグランド・ショーミエール美術学校でアンドレ・ロートの指導の下、絵画の修行を始めました。ロートは彼女にキュビスムから派生してさまざまなテクニックを教えます。イタリアのマニエリスム、フランス新古典主義の巨匠アングルの描線、そして装飾的キュビスムを総合しながら、レンピッカはすぐに独自の技法を生み出しました。とりわけ肖像画の分野でたいへんユニークなスタイルを創り出します。彼女の描く肖像画は一見すると冷ややかで排他的に見えながらも、実際には官能性に満ち溢れています。

第1部「狂乱の時代」

レンピッカのモデルになったのは、アフリト侯爵やエリストフ伯爵といった国際的な貴族やブルジョワでした。また「狂乱の時代」のスターでレンピッカの大親友だったキャバレー歌手、シュジー・ソリドールや、アングルが描いた傑作《グランド・オダリスク》を髣髴とさせるマルジョリー・フェリーなど、彼女が描いた女性たちは女性の自由な生き方のお手本となり、その解放のシンボルとなりました。金髪、肉感的な唇、ものうげなまなざし。レンピッカの女性肖像画には一貫した美学が見られます。

さらにこの時代には、新たな表現方法が誕生しました。映画では「宿命の女」(ファム・ファタール)がもてはやされ、広告にはファッションモデルが繰り返し使われました。レンピッカの《サン・モリッツ》で描かれたスキーをする美女の姿は、当時のポスター芸術に触発されたものです。一方、素晴らしい少女時代の表現ともいうべき、一人娘キゼットの肖像画シリーズも同じように魅力的で、そこにはレンピッカ芸術特有の微妙なニュアンスがうかがえます。

第2部「危機の時代」

1935年頃、レンピッカは現代生活を描くことをやめます。この頃彼女は鬱病に苦しめられ、絵のテーマも重々しいものに変化しました。宗教的なテーマの《修道院長》や《母と子》、政治的なテーマの《難民》や《移民の母(逃亡)》が描かれます。これらの作品には作者の悩みと猜疑心が反映されています。

第3部「新大陸」

第二次世界大戦を逃れ、アメリカに渡ったレンピッカはさらにスタイルを変えます。それまで排他的だった彼女の芸術は、《帽子を被った女》に見られるように優雅なスタイルへと変貌します。《メキシコ女》や《椅子の上の水差し》などの田園的な雰囲気に包まれた作品は、1920年代や30年代の、凍りついたような印象の作品とは一線を画しています。
しかしながら1960年代に入ると、アート・シーンは抽象画やポップアート、コンセプトアートなどにとって代わられ、彼女の作品は人々の記憶から忘れ去られます。

エピローグ

レンピッカの作品に再び光があたるようになったのは1972年、パリの画廊主アラン・ブロンデル氏が開催した回顧展がきっかけでした。晩年彼女は、友人たちの依頼に応じて1920年代、30年代に自身が描いた名作のレプリカを大量に制作しました。視力が衰え、手が震えるようになっても、彼女は死ぬまで絵筆を離しませんでした。

本展では時代に翻弄されながらも激しく情熱的に制作活動を続けたレンピッカの作風の変化を辿りながら、彼女の作品の全貌を明らかにします。
この他20点あまりの見事な素描作品、そして彼女が有名デザイナーの服を身にまとい、当時の最も偉大な写真家に撮らせたポートレート写真も展示します。これらはセルフ・プロデュースに長けていた「スター、レンピッカ」を鮮やかに甦らせます。さらに大建築家マレ=ステヴァンスが設計したパリの彼女のアトリエの写真や、そこで制作をする姿をとらえた貴重なニュース映画も上映する予定です。