ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画

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ごあいさつ

2008年12月03日(水)

これぞルーヴル、これぞヨーロッパ絵画の王道

日本テレビと読売新聞社では、2005年に「ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画」、2006年には「古代ギリシア芸術・神々の遺産」と題し、過去2度のルーヴル美術館展を開催して参りました。そして2009年、国立西洋美術館開館50周年記念事業・日本テレビ開局55年記念事業として満を持してお届けするのが、ルーヴル美術館展第3弾「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」です。

オランダ、スペイン、フランスなどの美術史を通じて「黄金の世紀」と呼ばれる17世紀ヨーロッパは、レンブラント、ベラスケス、フェルメール、ルーベンス、プッサン、ラ・トゥールといった、綺羅星のごとき画家を数多く輩出しました。本展ではこれらの画家の作品をはじめ、ルーヴル美術館が誇る17世紀絵画の傑作の数々を展示いたします。まさに「これぞルーヴル」、「これぞヨーロッパ絵画の王道」といえる作品群です。

17世紀はまた、貧困や飢餓といった陰の部分、大航海時代、科学革命と富裕な市民階級の台頭、かつてないほどの高まりをみせた聖人信仰など実に多様な側面をもっています。それらは画家たちの傑出した才能と結びつき、数々の名作を生みました。本展は17世紀の絵画を通じて、様々な顔をもつこの時代のヨーロッパの姿を浮かび上がらせようという意欲的な試みでもあります。しかも、フェルメールの《レースを編む女》をはじめ出品される71点のうち、およそ60点が日本初公開。さらに30点あまりは初めてルーヴル美術館を出る名品です。
世界に名だたるルーヴル美術館のコレクションから17世紀のヨーロッパ文化を解き明かす本展にどうぞご期待ください。

【東京展】 2009年2月28日(土) − 6月14日(日) 国立西洋美術館
【京都展】 2009年6月30日(火) − 9月27日(日) 京都市美術館


主催者

メッセージ

2008年12月03日(水)

ルーヴル美術館 アンリ・ロワレット館長からのメッセージ

過去数十年間にわたり、日本とルーヴル美術館の間には、強く特別な関係が築かれました。《ミロのヴィーナス》や《モナリザ》をはじめとする多くの名作が貸し出され、常に変わらぬ感激と賞賛が寄せられました。時を経て、またいくつかの企画展を通じて、ルーヴルのコレクションは日本の人々から一層親しまれるようになりました。

このたび国立西洋美術館、日本テレビ放送網、読売新聞東京本社、京都市美術館、読売テレビ、読売新聞大阪本社と本展を開催する運びとなりました。

ヨーロッパで「黄金の世紀」と形容される17世紀の実態は、はたしてどのようなものだったのでしょうか。繁栄と発展の17世紀は、多くの民衆が宗教戦争や飢餓に苦しめられた時代でもありました。また科学の進歩とともに、大航海によって様々な新奇の物がヨーロッパ大陸にもたらされるなど、多様な面を示しています。本展では、この世紀の多様性が絵画作品を通して見事に紹介されます。ヨーロッパ文化とその社会背景、宗教観や精神などを知る上で絶好の機会となることでしょう。

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© Rondeau
© Musée du Louvre / Ieoh Ming Pei / Etienne Revault

ここに注目1

2008年12月03日(水)

これぞルーヴル! これぞヨーロッパ絵画の王道!
出展作品71点中およそ60点が日本初公開、
ルーヴルを初めて出る作品も約30点!

17世紀のヨーロッパ絵画といえば、誰もが思い浮かべるのがレンブラント、ベラスケス、フェルメール、ルーベンス、プッサン、ラ・トゥールらの巨匠たち・・・。本展ではこれら、美術史だけでなく世界史においても名を残した画家たちの作品の魅力を一堂にご紹介します。しかも世界最大規模、35万点におよぶルーヴル美術館の所蔵品から選りすぐった出展作品71点のうち、フェルメールの《レースを編む女》、ルーベンスの《ユノに欺かれるイクシオン》など、およそ60点が日本初公開。また、レンブラントの《縁なし帽をかぶり、金の鎖をつけた自画像》、シモン・ヴーエ《エスランの聖母》などルーヴルを初めて出る作品もおよそ30点です。
まさに「これぞルーヴル」、「これぞヨーロッパ絵画の王道」ともいえる作品群です。

ここに注目2

2008年12月03日(水)

あのフェルメールの《レースを編む女》が初来日

一瞬の光をとらえて永遠の印象をそこにとどめた自然かつ幻想的な絵を描く達人・・・。ヨハネス・フェルメールは、17世紀に活躍したオランダ画家のなかで最も評価の高い巨匠の1人です。しかし何世紀にもわたり彼の存在は謎に包まれてきました。寡作だったフェルメールが実際に描いたのは、「50点ほどではないか」と言われる中で、現在残っているのは30数点に過ぎず、それらのすべてを鑑賞しようと、世界の美術館を訪れる熱烈なファンもいるほどです。
もちろん、ルーヴル美術館も例外ではありません。ルーヴル美術館は、フェルメールの晩年の作品2点を所蔵しており、それらを目当てに足を運ぶ人も少なくありません。今回、初来日する《レースを編む女》は、フェルメール作品のなかでも小さな作品で、晩年の傑作の1枚です。2009年2月から9月の間にこの1枚を観るなら、パリではなく、東京または京都へ。

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ヨハネス・フェルメール
《レースを編む女》
© RMN / © Gérard Blot / distributed by DNPartcom

ここに注目3

2008年12月03日(水)

“レンブラント”はファーストネーム

光と影によるドラマティックな絵画で名を馳せるオランダの巨匠レンブラントは、その生涯に驚くほど多くの自画像を描きました。画家としてデビューした20歳の頃から、名声を博し豪邸に住んだ壮年期、多額の借金を抱え、破産した熟年期、そして63歳で亡くなるまで、波乱の生涯の間に描かれた自画像は数十点にのぼり、その時々の彼の内面の変化まで伝えています。
本展に出品される自画像は画家が27歳のときのものです。前年に代表作の1つとなる《ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義》(1632年・マウリッツハイス美術館蔵)で大成功を収め画家として明るい未来が開けた頃で、自信に満ちた、一際“目力”が印象的な作品です。
この作品には、自身のファーストネーム、“レンブラント”という署名が入っています。彼のフルネームは“レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン”。ルネサンスの大巨匠、ラファエロやミケランジェロ、そしてティツィアーノにあやかって、ファーストネームだけで署名することで、自らもこれらの巨匠に近づこうとしたのだといわれています。

ここに注目4

2008年12月03日(水)

風俗画像にみる「教訓」

風俗画は、ありふれた庶民の生活を描いたもので、17世紀オランダでさかんに描かれました。そこには様々なメッセージが隠されています。
フェルメールの《レースを編む女》。レース編みはとても厄介な手仕事で、時間がかかる上に細心の注意を要します。このため家庭の主婦や結婚前の娘が編み物をするのは、俗世間の誘惑から身を守るためだったと言われています。この作品は堅実な家庭の理想を描くもので、彼女のそばにある聖書と思われる書物もその意味を補強しています。
これに対してハルスの《リュートを持つ道化師》は陽気で、やや卑俗に描かれています。当時は飲酒や喫煙、喧嘩をする庶民の姿がさかんに描かれました。本展に出品されるオスターデの《窓辺の酒飲み》、17世紀ローマ派の《食卓を囲む陽気な集い》などがそうですが、これらは反面教師としての側面ももっていました。
身近な生活を生き生きと描いた風俗画に道徳的な意味合いを探すのも楽しみ方の一つです。

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フランス・ハルス
《リュートを持つ道化師》
© RMN / © Franck Raux / distributed by DNPartcom

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17世紀ローマ派
《食卓を囲む陽気な集い》
© RMN / © Hervé Lewandowski / distributed by DNPartcom

ここに注目5

2008年12月03日(水)

偶然が味方したコレクション

美術館のコレクションには、偶然が大きく左右します。本展でも、ルーヴルが危うく買い損ねそうになったり、偶然入手できた作品があります。
クロード・ロランの《クリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス》。ときのフランス国王ルイ14世がリシュリュー公爵とスポーツで賭けをし、勝って手に入れたものです。王室コレクションに入ったのちに、フランス革命政府が没収し、ルーヴル美術館の所蔵となりました。
フェルメールの名作《レースを編む女》の購入にも「いわれ」があります。この作品は元々、ロッテルダムのコレクターが所有し、市立美術館に寄託していました。所有者はこれを美術館に売却しようとしたのですが、市は十分な資金を集めることができませんでした。その後、競売などを経て1870年、ルーヴルがこの作品を購入しました。
ラ・トゥールの《大工ヨセフ》も似たケース。イギリス人画商が1938年、ロンドンのナショナル・ギャラリーに売る予定だったのですが、ナショナル・ギャラリーは資金難で購入できませんでした。その後、この画商と親しかったルーヴルのキュレイターが亡くなったのをきっかけに、画商はその思い出としてこの作品をルーヴルに寄贈しました。つまり、ルーヴルは無償でこの作品を手に入れたのです。
名作の来歴にドラマあり。もし、世紀を代表するこれらの作品の安住の地がルーヴル美術館でなければ、今回の「ルーヴル美術館展」も実現しなかったかもしれません。

ここに注目6

2008年12月03日(水)

「哲学の時代」としての17世紀

「我思う、ゆえに我あり」。近代哲学の父とされるフランスの思想家デカルト(1596−1650年)の有名な『方法序説』の中の言葉です。そのデカルトの肖像として最も知られている作品《ルネ・デカルトの肖像》が本展に出品されています。フランス・ハルスの原作に基づくといわれているもので、ハルスの原作といわれる作品はコペンハーゲンに所蔵されています。
どうしてオランダの肖像画家ハルスがフランスの哲学者デカルトの肖像を描いたのでしょう。実は、デカルトは1628年にパリからオランダに移住し、アムステルダムやオランダ各地に滞在しており、『方法序説』もオランダで出版されたものでした。確証こそないものの、レンブラントも素描でデカルトの肖像を制作したという記録があり、このフランスの哲学者がオランダの画家たちに良く知られていたことが伺われます。
ちなみにアムステルダムにはスピノザもいました。17世紀は哲学の時代でもあったのです。

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フランス・ハルス(コピー)
《ルネ・デカルトの肖像》
© RMN / © Thierry Le Mage / distributed by DNPartcom

ここに注目7

2008年12月03日(水)

マリー・ド・メディシスの明暗

マリー・ド・メディシス(1573−1642年)はアンリ4世の妻であり、ルイ13世の母として歴史にその名を残していますが、なにより、ルーヴル美術館に所蔵されるルーベンスの手になる24点の連作のヒロインとして広く知られています。
トスカーナ大公を父にフィレンツェに生まれた彼女は、1600年にフランス王家に嫁ぎました。この結婚話を神話仕立ての壮大な物語に仕上げたのがルーベンスの著名な連作です。この作品は華やかな宮廷生活を象徴するかのようですが、現実はやや違っていたのかもしれません。息子であるルイ13世との政治的確執は、最終的には戦闘状態にまで至り、息子によって母の軍隊は鎮圧されてしまいます。連作は、数年の幽閉後、息子と一時的に和解した時期に制作されたもので、派手な作品の代表格のように思われがちですが、それを支えていたのは、暗い情念だったのかもしれません。
本展にはフランス・プルビュス(子)による《マリー・ド・メディシスの肖像》が出品されています。1609年頃の作品なので、まだ息子との対立もなく、安定した生活を送っていたと思われる王妃の肖像です。

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フランス・プルビュス(子)
《マリー・ド・メディシスの肖像》
© RMN / © Droits réservés / distributed by DNPartcom

ここに注目8

2008年12月03日(水)

額にも注目!

画集などで、絵画そのものを鑑賞することはできても、額縁付の絵画は美術館に行かなければ見ることができません。本展のポスターで作品を額縁付で採用したのも、見た人に「実際にルーヴル美術館で鑑賞しているような気持ち」になっていただきたいと思ったからです。額縁に入れると絵画は全く違う印象を与えるようになります。構図が引き締まって見え、黒い額縁は白を、金色は冴え渡った青を強調するといわれています。
一方で額縁は、オリジナルのものは多くが消滅しており、何世紀も前に描かれた絵画に元々どのような額縁がついていたかについての記録はほとんどありません。多くの場合、同時代の他の額を転用したり、あるいは、それらを真似た額が新たにつくられました。
17世紀前半のベルギーやオランダでは、表面が磨かれた黒檀の額縁を使用することが多かったといいます。特にオランダは新教国のため、豪華な装飾を嫌い、本展に出品されるレンブラントの《縁なし帽をかぶり、金の鎖をつけた自画像》も、元は黒い額縁に飾られていたと思われます。
フランス・ハルスの《リュートを持つ道化師》では、当時のオランダの額縁の様式が守られています。ただしこれは19世紀末に制作されたイミテーションです。また、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの《大工ヨセフ》やクロード・ロランの《クリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス》でも、これらの絵が描かれた時にフランスで流行した様式の額が使用されていて、前者はルイ13世様式、後者はルイ14世様式です。2つを比べるとルイ14世様式の方が額縁の幅が増し、装飾彫刻がより複雑で豪華になっていることがよくわかります。
ルーヴル美術館には、額縁を保管する場所があり、何千という額縁が絵のない状態で吊るされています。将来その額縁に入れられる絵画を想像すると、夢が広がります。額縁はオリジナルでなくても、数ある中から選ばれたものであることは間違いなく、造形物としても美しいものが多くあります。本展覧会、額縁に注目するのも一考です。

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左上:
レンブラント・ファン・レイン
《縁なし帽をかぶり、金の鎖をつけた自画像》

右上:
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
《大工ヨセフ》

下:
クロード・ロラン
《クリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス》

© RMN / © Jean-Gilles Berizzi / distributed by DNPartcom

展覧会のみどころ

2008年12月03日(水)

古典主義時代の変革 ・ 17世紀ヨーロッパを読み解く
ルーヴル美術館 絵画部 学芸員 ブレーズ・デュコス


「黄金の世紀」と称される17世紀は、多彩な才能に恵まれた画家たちを輩出した世紀です。レンブラント、ベラスケス、フェルメール、ルーベンス、プッサン、クロード・ロラン、ラ・トゥール・・・。その名前を並べただけで、誰もが夢心地になるでしょう。

ヨーロッパ規模で宗教戦争が広がり、新教徒と旧教徒が対立したルネサンス時代に比べると、17世紀は絢爛豪華で、勝利を誇る世紀のように見えます。教皇の支配下にあったローマでバロック芸術が生まれ、「太陽王」ルイ14世に象徴されるように、繁栄し、芸術が開花した時代です。

しかしそれは、あまりにも一方的で単純化された見方と言えないでしょうか。

本展では、「黄金の世紀とその知られざる陰の部分」を写し出します。
「黄金の世紀」には多くの陰が存在しました。庶民は戦争、悲惨、飢饉といった「共通の宿命」を背負い、それは「黄金の世紀」の対極をなす「青銅の世紀」とも言うべきものでした。こうした現実は、絵画に鮮やかに表現されています。

本展では、「大航海と西洋文明と異文明の対決、科学革命の世紀」を絵画で示します。
17世紀、人々は大航海時代を迎え、かつてないスケールで遠方の国々に旅し、交易をしました。そしてまた、デカルト、ガリレオ、ニュートンら科学者が活躍しました。「科学革命の世紀」です。

本展では、「聖人の世紀」の宗教的側面と、それが「古代文明の遺産を継承している」という事実を示します。
17世紀は「聖人の世紀」とも呼ばれ、聖人たちが信者の間近にいるかのような姿が数多く描かれました。当時のキリスト教は古代文化に深く根差し、したがってこの時代の絵画もまた、古代文化の偉大で奥深い伝統を継承したものでした。

「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」は上記3つのキーワード、「黄金の世紀とその陰」「大航海と科学革命」「聖人の世紀における古代文明の遺産」で17世紀を読み解きます。それは17世紀を網羅的に総覧するのではなく、創造力に溢れ、力強く、陰影に富んだ当時のヨーロッパの一側面を浮かび上がらせることでしょう。


●読み解くためのキーワード1
「黄金の世紀とその陰」

「黄金の世紀」という言葉は豊かさと平和を連想させます。バロック芸術は、豊かさと輝かしさを演出する寓意的な表現を発達させ、宮廷画家は当時のヨーロッパの大君主たちの肖像を後世に伝えています。貴族階級は肖像画や彼らが所有する城や都市の邸宅の装飾で贅沢や優雅さを競い、宮廷の洗練された生活様式が確立しました。

一方で、都市は政治的単位として、また富の集まる場所として、かつてないほど権力を増大させます。レンブラントは起業精神にあふれた新興市民層のために創作し、彼自身、そうした市民層の代表者の一人でもありました。また、フェルメールに代表される静謐さと詩情に満ちた絵画の誕生も、17世紀固有のものといえます。

しかし、この輝かしさの裏には暗い現実も横たわっていました。戦争、疾病、貧困、過酷な現実、絶対君主制へと傾いていく政治体制・・・。これらの現実は絵画を通じても見られます。画家は現実を演出し、再解釈し、時として目を覆いたくなるような過酷な状況を作品に滑り込ませ、風俗画は単なる逸話的な枠を超えて、真実の人間性を浮き彫りにしました。悲壮な雰囲気から豪快なものまで、様々な趣向に応じた絵画が取り引きされたと想像できます。


●読み解くためのキーワード2
「大航海と科学革命」

17世紀は芸術家が旅をした時代です。とりわけフランス、オランダ、フランドルの画家たちのイタリア滞在は、彼らの感性を開花させるのに決定的な役割を果たしました。ここでいう「旅」という概念には、追放、芸術修行、武力侵略、商業による利益追求といったものも含まれます。
 
この時代は遠洋貿易が発達し、ヨーロッパ列強が帝国主義的な覇権にしのぎを削った時代でもあります。植民地開拓は人々の野心や物欲、好奇心を吸収し、人々は時に命を落とす危険を冒しながらも、異国趣味と知的好奇心の間で揺れながら旅をしました。旅はヨーロッパ大陸と世界の他の地域を結びつけたのです。

列強の植民地獲得の結果、彼らは新奇なオブジェに触れるようになり、自然をより理解したいという欲求からいくつもの新たな問いを投げかけました。思想家は、神が創造した宇宙における人間の位置を捉えなおそうと、新しい知の分野を生み出し、それらは新たな科学的発見に結びつきました。学者たちが検閲にかかることなく研究ができたのは、しばしば宮廷の庇護によるところが大きかったといえるでしょう。

その一方で、ルネサンスを継承する旧来の思考様式も生き延び、新しい科学と共存しました。魔術に関する裁判が頻繁に開かれ、死刑すら執行されたこの時代、神話や変身譚は単なる説話のレパートリーではなく、知識体系の中心に位置していました。このことは、本章の神話主題の作品からも見て取れます。


●読み解くためのキーワード3
「聖人の世紀における古代文明の遺産」

17世紀には、おびただしい数の神話画が描かれました。しかし、当時の人々はギリシア・ローマ神話を信じていたわけではないでしょう。ならば、こうした異教の神々はキリスト教信仰とどのように共存していたのでしょうか。

17世紀はしばしば「聖人の世紀」と称されます。これはバロック時代の大きな特徴の1つでもあり、中でもフランシスコ・ザビエルとイグナティウス・デ・ロヨラに代表されるイエズス会の果たした役割は顕著です。聖人たちが信者の間近にいるかのような単純化された絵画は、この時代の宗教性と人々の篤い信仰心を表しています。聖人信仰は大航海によって世界中に伝播され、日本でも聖人の肖像が描かれ、カトリック教会がこれを流布しました。

その一方で17世紀の宗教芸術は古代文化と密接な関係をもっていました。この時代に特有とされる絵画表現の1つ、神秘主義における「法悦状態」は、新プラトン主義の影響を示して、既にキリスト教誕生初期の数世紀に見られるものです。また「奇跡」のような、日常における聖性の顕れも、古代にその源を見出すことができます。

つまり、黄金の世紀において、古代文明は絶えず夢想され、想像されたのです。画家たちは、その巧みな演出力によって、古代文明に対する自らの知識不足を補い、創作に取り入れました。そしてその想像力に深い感情を織り込むことができたとき、画家たちは最も魅力的な作品を生み出しました。そうした創造の瞬間こそ、初期キリスト教が鮮やかに甦ったような錯覚が起き、近世のキリスト教布教活動が古代キリスト教に大いなる魅力を与える瞬間なのです。

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左上:
ル・ナン兄弟
《農民の家族》
© RMN / © Franck Raux / distributed by DNPartcom

右上:
ヨアヒム・ウテワール
《アンドロメダを救うペルセウス》
© RMN / © Daniel Arnaudet / distributed by DNPartcom

下:
グェルチーノ
《ペテロの涙》
© RMN / © Daniel Arnaudet / distributed by DNPartcom

展覧会のみどころ

2008年12月03日(水)

応用編 展覧会監修者が語る本展の楽しみ方
国立西洋美術館 シニア・キュレイター 幸福 輝

「縦展示」と「横展示」

美術館は個々の作品を鑑賞するところですが、それぞれの美術館がどのような秩序に基づいて全体のコレクションを展示しているのかを知ることも興味深いものです。多くの美術館では、美術史的展示、要するに、地域別、年代順の展示方式が採用されていますが、ルーヴル美術館では、この美術史的展示の極端なひとつの例が見られます。リシュリュー翼最上階にある絵画室を例にとってみましょう。最初に、14世紀に制作されたフランス国王ジャン・ル・ボンの肖像が展示されています。ここで道は左右に分かれ、左側の道をとれば北方絵画(オランダ・フランドル絵画)へと向かいます。フランス絵画を見たいのなら、右側の道を選ぶことが必要です。そうすれば、やがて、フーケやフォンテーヌブロー派の作品があり、その先には、プッサンやクロード・ロラン、さらには、ラ・トゥールなど17世紀フランス絵画の傑作が見えてきます。
このように、ルーヴル美術館ではまず地理的範囲が定められ、次いで、その枠内で年代順の展示がおこなわれています。フランス美術の流れを知りたいなら、これほどわかりやすい展示はありません。しかし、この展示は国境を越えた横断的な関係を無視することで成り立っています。縦の流れを重視したルーヴル美術館の展示は、その所蔵品の範囲があまりに広く、これ以外の適切な展示方法が見つからなかったという単純な理由から生まれたのかもしれません。とはいえ、画派ごとの完全分離を前提としたこのような「縦展示」には、個人を超えた国とかひとつの共同体の伝統に対する強い執着が見え隠れしているような気がします。  
この度、東京と京都で開催されるルーヴル美術館展の最もユニークな点は、「縦展示」をその方針に掲げているかに見えるルーヴル美術館の所蔵品によって、「横展示」を試みたところにあります。

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左上:
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
《6人の人物の前に現れる無原罪の聖母》
© RMN / © Gérard Blot / distributed by DNPartcom

右上:
ピエトロ・ダ・コルトーナ
《聖母の誕生》
© RMN / © Hervé Lewandowski / distributed by DNPartcom

下:
ペーテル・パウル・ルーベンス
《ユノに欺かれるイクシオン》
© RMN / © Hervé Lewandowski / distributed by DNPartcom


「横展示」と野心的構成

この度のルーヴル美術館展は、17世紀という時代的枠組みを設定し、横の関係において17世紀ヨーロッパ絵画を再検討しようとする試みです。地域研究を出発点とする美術史にとって、超域的発想それ自体がすでにひとつの新機軸ともいえますが、本展の斬新な試みはそれだけにはとどまりません。本展では3つの大きな基軸を設定し、それに従って、超域的に17世紀絵画を概観していきます。最初の軸は、「黄金の世紀とその陰」、ふたつ目が「大航海と科学革命」、最後が「聖人の世紀における古代文明の遺産」となります。それゆえ、展覧会を構成する3つのセクションでは、各画派の絵画がその地理的な垣根を越えて並置されることになります。
このような「横展示」の方法により、17世紀ヨーロッパという時代を多面的にとらえ、また、この時代が生み出したさまざまなイメージを総体としてとらえる可能性を探っていきます。所属する画派の基本台帳から開放され、普段は遠くに置かれている作品と隣り合うような展示、例えば、ムリーリョ(スペイン絵画)とコルトーナ(イタリア絵画)とルーベンス(フランドル絵画)とが同じセクションに配されるような構成は、いささかの混乱を引き起こすことになるでしょう。けれども、美術史的展示と本展のような野心的構成とは、本来、相互に補い合って作品の本質を照らし出すのかもしれません。
フランス・ポストの描いたブラジル風景とクロード・ロランの古代的港湾風景とが隣り合うような展示は、一見したところ、奇異にしか見えないでしょう。一方は、ブラジルに赴いて異国の景観を描き、他は、教養あるローマの貴顕のために、古代の物語を題材にした理想的風景を創出しました。けれども、ポストがはるか南米まで旅をして風景画を描いたことと、クロードが繰り返し旅をモティーフとした風景画を描いたことは、全く別の世界のことだったのでしょうか。「横展示」は、意外に重要な視点を提供してくれることになるかもしれません。

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左:
フランス・ポスト  
《ブラジル、パライバ川沿いの住居》
© RMN / © Hervé Lewandowski / distributed by DNPartcom

右:
クロード・ロラン
《クリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス》
© RMN / © Droits réservés / distributed by DNPartcom


越境する絵画

ひとつの画派の流れの中に置くことにより、その作品の特質がよく見えてくることがあります。けれども、時代の進展とともに、ひとつの作品の影響関係をその画派に限定することが次第に困難となっていくのも事実です。画家も作品も国境を越え、移動を始めるからです。こうして、縦の流れだけではなく、画派を超えた横の関係が重要になってきます。ルネサンスの時代にも美術の交流はありました。ヤン・ファン・エイクの作品がナポリの宮廷で賞賛されたことや、デューラーのヴェネツィア旅行、あるいは、最晩年のレオナルドがフォンテーヌブローに招かれたことなどはよく知られています。けれども、画家たちの国境を超えた本格的な交流は、17世紀を待つことが必要だったようです。そして、17世紀の横断的な美術交流において最も重要な役割を果たしたのは、ローマとアムステルダムでした。
再興されたカトリック世界の中心であり、また、学芸や美術の中心として、ローマはヨーロッパ中の画家たちを惹きつけていました。17世紀フランスを代表するふたりの画家、プッサンとクロードのふたりがともにその生涯のほとんどをローマで送ったことは、この事実を象徴しています。ルーベンスもベラスケスもこの町を訪れており、また、新教国オランダの多くの画家もローマを目指しました。ヨーロッパ各地にカラヴァッジョ風な作風が浸透し、また、特に、オランダでは親イタリア派風景画と呼ばれる作風の絵を描いた画家たちまで生まれたほどでした。
他方、17世紀のアムステルダムはヨーロッパ最大の貿易港であり、日本を含む世界各地との交易で大きな富を獲得しました。東インド会社によってアジアからもたらされた陶磁器や漆器などは、アムステルダムを経由してヨーロッパ各地に輸出されました。17世紀は、ヨーロッパが初めて非ヨーロッパ圏の文化を明確に意識し始めた時代でもあったのです。オリエンタリズムは本展の主題ではありませんが、こうした問題も射程に入れながら本展は構想されました。それは、まさしく日本で開催されるルーヴル美術館展に相応しいものではないでしょうか。

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左:
カーレル・デュジャルディン   
《モッラ遊びをする人々》
© RMN / © Franck Raux / distributed by DNPartcom

右:
ルドルフ・バックハイゼン  
《アムステルダム港》
© RMN / © Christian Jean / distributed by DNPartcom