ヴェルサイユ宮殿

  • ©EPV

もともとはルイ13世が「狩猟の館」として建築したものですが、1682年にルイ14世がヴェルサイユに宮廷と政府の機能を移し、フランス絶対王政の象徴となりました。
1770年に当時はフランス王太子(のちのルイ16世)と結婚後、マリー・アントワネットはフランス革命までの約20年を、ここで過ごしました。ヴェルサイユ宮殿は、マリー・アントワネットにとって、人生の最も輝かしい時代を過ごした「思い出の宝石箱」とも言えます。
本展は、そのヴェルサイユ宮殿が日本で初めて《企画・監修》し、華やかな宮廷生活をしのばせる絵画や、マリー・アントワネットがヴェルサイユ宮殿で愛用した食器や家具、革命期に着用していた衣服など200点あまりを展示します。更に宮殿内にあった王妃のプライベート空間、「プチ・アパルトマン」を原寸大で再現。3つのコンテンツでその波乱の一生に迫る、マリー・アントワネット展の集大成です。

14歳の花嫁

  • マッティン・ファン・メイテンス(子)
    《1755年の皇帝一家の肖像》
    1755年 油彩、カンヴァス 190×177cm ヴェルサイユ宮殿美術館
    ©RMN-GP (Château de Versailles)/©Daniel Arnaudet
  • 《マリー・アントワネットのヴェルサイユ到着 1770年5月16日、結婚式の日》
    1770年、アンドレ・バセ(弟)刊
    エッチング、水彩によるハイライト 25.2×34.4cm(画寸) ヴェルサイユ宮殿美術館
    ©Château de Versailles

1755年、オーストリア大公マリア・テレジアの娘として生まれたマリー・アントワネット。15番目の子供ということもあり、両親は宮廷作法にほとんど重きを置かず、彼女はのびのびと成長します。
そんな彼女の運命が大きく変わるのが1770年。当時のフランス王太子(のちのルイ16世)に嫁ぐことになりました。この時わずか14歳。
本展には、結婚式の様子を描いた版画や祝宴で使われたテーブル飾りなどが出展されます。当時の華やかな雰囲気を感じていただけることでしょう。

ファッションリーダー

  • マルシャル・ドニ
    クロード=ルイ・デレの原画に基づく
    《大盛装姿のオーストリア皇女、フランス王妃マリー・アントワネット》
    1785年以降 エッチング、水彩によるハイライト 40.2×26.3cm ヴェルサイユ宮殿美術館
    ©Château de Versailles
  • エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン
    《ゴール・ドレスを着たマリー・アントワネット》
    1783年頃 油彩、カンヴァス 92.7×73.1cm ワシントン・ナショナル・ギャラリー、ティムケン・コレクション
    Courtesy National Gallery of Art, Washington

1770年頃、華やかな盛り上がりをみせていたパリのファッション界を10代半ばで目の当たりにしたマリー・アントワネットは、最新の流行に夢中になりました。その情熱は服や靴、アクセサリーだけでなく髪型にも・・・。当時の版画には、髪の毛を高く盛り、複雑な編み込みを施したマリー・アントワネットの姿が残されています。
一方で、堅苦しい宮廷の作法を嫌ったマリー・アントワネットは、シンプルな服装を好み、公的な儀式など、必要な場合にしか正装はしませんでした。1783年に描かれた白い木綿のドレス姿の肖像画は「軽薄」などと批判を浴びました。威厳が求められる王妃としての地位と、シンプルなものを好む個人的な趣味との間で苦しんでいたのかもしれません。

“日本”ファン?

  • 《籠目栗鼠蒔絵六角箱(かごめりすまきえろっかくばこ)》
    17世紀末~18世紀初め 木、漆 6.5×9.9×9.4cm
    ヴェルサイユ宮殿美術館(パリ、ギメ美術館より寄託)
    ©神戸シュン/NTV
  • 王立セーヴル磁器製作所
    《食器セット「日本」より 皿》
    1777年頃 硬質磁器 3×24.5cm パリ、個人蔵
    ©Château de Versailles/©Christophe Fouin

マリー・アントワネットの母、マリア・テレジアは日本の漆器をこよなく愛し、その趣味は娘にも受け継がれました。マリー・アントワネット自身もパリの美術市場で漆器を買い集め、ヴェルサイユ宮殿には70点あまりからなる彼女のコレクションが残されています。本展では、一部を展示します。
また、マリー・アントワネットは1777年、王立セーヴル磁器製作所がヴェルサイユ宮殿で開いた販売会で食器セットを購入しました。伊万里焼のような装飾が施されたこのセットの名称は「日本」でした。

原寸大再現!“プライベート空間”

  • 宮殿内にある王妃の居室
    ©Château de Versailles (Dist. RMN-GP)/©Christophe Fouin

ヴェルサイユ宮殿には、「プチ・アパルトマン」と呼ばれるマリー・アントワネットの“プライベート空間”があります。
結婚から8年目に生まれた待望の長女、マリー=テレーズ・シャルロットの近くで生活したいと、子供部屋の近くに浴室・図書室・居室の3室を確保したのです。室内の家具だけでなく、壁の装飾に至るまで、マリー・アントワネットの好みを色濃く反映しています。
本展では、このプライベート空間を壁の装飾なども含めて原寸大で忠実に再現。当時使われていたベッド、椅子、同時代の浴槽などとともに展示します。また、現在は残っていない図書室は、かつての設計図などをもとにバーチャルリアリティで蘇らせます。東京、六本木で、マリー・アントワネットが生きた空間を“体感”してください。

フェルセン伯爵との恋 新たな証拠

  • 《マリー・アントワネットからフェルセンへの手紙─1792年1月4日(複写)》(部分)
    褐色のインク 15.5×20cm ピエールフィット=シュル=セーヌ、国立公文書館
    Cliché Atelier photographique des Archives nationales
  • フランス、またはスウェーデンの画家 《アクセル・フォン・フェルセン》
    18世紀 油彩、板 15.8×15.6cm
    ノルシェーピング、レフスタード城/エステルイョートランド美術館
    Photographer Jonas Karlsson/Östergötlands museum

フランス王妃とスウェーデン人将校の恋。フェルセン伯爵がヴェルサイユ宮殿に現れた時、マリー・アントワネットはその美しさに衝撃を受けたと言われています。
王妃の死後200年あまり。このほど、2人の関係を示す新たな研究成果が発表されました。
2人はフランス革命勃発後も、暗号を使うなどしながら手紙を交わしていました。中には部分的に黒く塗りつぶされているものもあり、その解読が試みられてきました。
そして2016年1月、ついにその一部が明らかになりました。1792年1月4日付のマリー・アントワネットからフェルセンへの手紙の墨塗りの下から浮かび上がったのは、「あなたを狂おしいほど愛しています。一瞬たりともあなたを敬愛することをやめられません」という文字。フランス国立図書館は、「2人の秘密が明らかに」と大きく伝えました。
本展では、2人が使った暗号表の実物と、墨塗りの手紙の複製を展示します。

フランス革命 37歳の最期

  • ウィリアム・ハミルトン
    《死刑に処されるマリー・アントワネット 1793年10月16日》
    1794年 油彩、カンヴァス 152×197cm
    ヴィジル、フランス革命美術館
    ©Coll. Musée de la Révolution française/Domaine de Vizille
  • コンコルド広場のプレート(ルイ16世とマリー・アントワネットがこの広場で処刑されたことが記されている)
    ©神戸シュン/NTV

展覧会の最後は、パリの歴史を専門とするカルナヴァレ美術館所蔵の作品などでマリー・アントワネットの悲劇的な末路を辿ります。ヴェルサイユ宮殿襲撃からパリへ連行、失敗に終わった「ヴァレンヌ逃亡事件」、タンプル塔での幽閉生活・・・。
形ばかりの裁判により国家反逆罪で死刑判決を受け、1793年10月16日、マリー・アントワネットは、断頭台の露と消えました。享年37歳。本展では、幽閉中に彼女が身に着けた肌着やヘアバンド、断頭台にのぼる際に脱げたとされる靴などが展示されます。
断頭台に連行される直前の様子を描いた作品には、白い部屋着で天を見上げる、威厳に満ちた王妃の姿が描かれています。マリー・アントワネットが最期に見せた毅然とした姿は、それまでの軽薄なイメージを払拭し、彼女を“歴史のヒロイン”へと昇華させたのです。

Special

TOPへ戻る