世界まる見え!テレビ特捜部
08/02/18 OA
貴公子ベッカムの光と影
< 天才少年誕生 >
1975年、ロンドン郊外の小さな町で生まれたデイビッド・ベッカムは
サッカー好きの父の影響でサッカーを始める。
11歳の頃には、天才少年の名を欲しいままにし、
なんと14歳で名門プロチーム「マンチェスター・ユナイテッド」と契約!
親元を離れ、下宿生活を送るベッカムの親代わりとなったのが、
チームの監督アレックス・ファーガソンだった。
そして17歳で早くも1軍デビューしたベッカムは、伝説の50mゴールを決める。
なんと、ハーフウェイラインから直接ゴールを叩き込んだのだ!
このゴールによりベッカムの知名度は一気に上昇した。


< 初めての挫折 >
1998年フランスワールドカップの決勝トーナメントで、その事件は起こった。
ベッカム率いるイングランドと、アルゼンチンとの試合中、突然ベッカムにレッドカード。
実は、倒されたことに怒ったベッカムが、相手選手を蹴ってしまったのだ。
退場処分となったベッカムの穴は大きく、一人欠けたイングランドは、そのまま敗退。
これに、イングランドの人々は大激怒!
ベッカムを徹底的に非難し、以後どんないいプレーを見せても
決してベッカムを許さなかった。
しかし、この逆境をベッカムは自らの実力で乗り切ることに。
2002年、日韓ワールドカップ出場を決める、スーパーゴールを叩き込んだのだ。


< 恩師との決裂 >
再びヒーローとなったベッカムに、CMや雑誌の取材が殺到!
それに対し、恩師ファーガソンは、ベッカムをサッカーに専念させたがっていた。
そんなある日、敗戦に怒った監督がサッカーシューズを蹴り上げたところ、
運悪くベッカムの額に命中。
2人は取っ組み合いの大ゲンカに。
これによって、2人の間に決定的な亀裂が入った。
結局ベッカムは、スペインの名門チーム「レアルマドリード」に移籍。
しかし、31歳になったベッカムは、以前のようなスタミナはなく、
ワールドカップでも途中交代。
その後、イングランド代表から外れ、
さらにレアルマドリードも、契約を更新しないと発表。
そこで、ベッカムは新たな決断をすることに。


< 新天地アメリカ >
ベッカムが選んだのは、アメリカのチーム「ロサンゼルス ギャラクシー」。
実はアメリカでは、サッカーはまだまだマイナースポーツ。
そこで、アメリカ国民にサッカーの楽しさ、素晴らしさを広めてもらおうと
チームが、ベッカムに依頼したのだ。
ベッカムも、無限に広がるアメリカサッカーに魅力を感じたという。
さらにベッカムは、自分自身がサッカーによって成長できたことに感謝し、
1人でも多くの子どもにサッカーの魅力を伝えるため、
子ども達にサッカーを教える「デイビッド・ベッカム・アカデミー」を設立。
世界のスーパースターは今、
新天地アメリカで、新たな夢に向かって走り出したのである。


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