世界まる見え!テレビ特捜部
08/11/03 OA
イタリア豪華客船101回目悲劇の大航海

1956年7月17日。
この日、乗客1200人を乗せた、イタリアの豪華客船アンドレア・ドリア号は
101回目の航海に旅立つ。
イタリアのジェノバから、アメリカ・ニューヨークまで航行。
この船は、二枚目俳優のケリー・グラントやオーソン・ウェルズといった
数多くの映画スターも常連だった。



この船の船長はピエロ・カラマイ。
今回の航海を最後に勇退する予定であった。



アメリカ大陸に近づくにつれて霧が発生。
すぐさま船長は、霧に対する指示を出す。
さらに最新鋭のレーダーには、こちらに向かっているひとつの船影が。
その船は、アメリカから出航した、スウェーデンの客船ストックホルム号だった。



カラマイ船長は、霧の中で船の位置を知らせるため、霧笛を鳴らし続けるよう指示。
しかし、ストックホルム号の霧笛は聞こえてこない。
船長が自ら甲板に出て、目を凝らしてみると、
なんとストックホルム号が目の前に迫っていたのだ。
よけきることができず、衝突する2つの船!



カラマイ船長はすぐに、近くの船に遭難信号を発信。
それとともに、救命ボートで乗客を避難させていく。
さらに、ロープが足りなければ、カーテンやシーツなどで
即席のロープを作るなどの機転も利かせ、
数多くの乗客を素早く避難させることができたのだ。



死者は46名。約1100人の命を救ったが、
カラマイ船長は船を失った責任を問われ解雇。
さらに、この事故は、アンドレア・ドリア号のスピードの出し過ぎが
原因とも言われたのである。



だがその後、海洋専門家が、ストックホルム号の針路記録を分析し、
この事故の原因を解明。
すると、ストックホルム号が急激に針路を変え、
アンドレア・ドリア号に突っ込んだことが記録されていた。
専門家は、この事実を手紙に記し、カラマイ船長の元に届けたのだが、
船長はこの手紙の封を切らなかったと言われている。
無実の証明よりも、犠牲者をだしたこと、彼が誇りにしていた船が沈んだことに、
悲痛の思いを強く感じていたのであろう。


携帯サイト