世界まる見え!テレビ特捜部
09/06/15 OA
標高8000m 真実の記録

世界一高い山、エベレスト。
標高8848メートルの頂に立つことは、多くの登山家の夢。
オーストラリアの登山家リンカーン・ホールも、その1人で
50歳にして、エベレストに挑戦することにしたのである。



2006年5月。
リンカーンは、標高5400メートルにあるベースキャンプにいた。
8000メートルを超えるエベレストに登るには、
数ヶ月ほど、このベースキャンプでトレーニングし、
酸素の薄い状態に体を慣らす必要があるのだ。



そして、5月22日。
リンカーンと、ドイツ人登山家のトーマスは、山頂を目指し出発。
それぞれに、ヒマラヤに住む山岳民族「シェルパ」が3人ずつ同行。
シェルパは、薄い酸素にも慣れており、山の知識も豊富、
エベレスト登山では、彼らのサポートは不可欠なのである。



リンカーン一行は、3日目まで順調に登り、
標高差600メートルのところまで到達。
だが、ここからが「デスゾーン」と呼ばれる、最も危険なエリアなのだ。
気温は、夏でも平均マイナス40度。酸素は、地上の30%ほど。
筋肉も思うように働かず、10キロの荷物が40キロにも感じるほどだと言う。



5月25日深夜。
リンカーン一行は、真っ暗な中、山頂めざし出発。
ヘッドライトの明かりだけを頼りに、断崖絶壁を登っていく。
そして、登りきる頃には、9時間が経過。夜が明けていた。
ここまでくれば、頂上まではあと一息。そして・・・
リンカーンは、見事、登頂成功!!



ベースキャンプにいる、チームリーダー・アレックスにも連絡を入れ、
ホッとする一行。
だが、下山を始めてすぐに、リンカーンの容態がおかしくなった。
彼は、高山病の一種である「高地脳浮腫(こうちのうふしゅ)」という
長時間の低酸素状態で、脳が膨張してしまう病に冒されてしまったのだ。
幻覚や歩行障害などの症状が現れ、正気を失っていくリンカーン。
シェルパ達は、ベースキャンプに緊急事態を連絡した!



だが、ベースキャンプには、それ以上に厳しい知らせが入っていた。
なんと、リンカーンと共に山頂を目指していたトーマスが死んだと言う。
実は彼、山頂手前で体調不良を訴えたため、
登頂をあきらめて下山していたのだが、その途中で倒れてしまったのだ。



そこで、リーダー・アレックスは、トーマスのシェルパに
「可能だったら、リンカーンの救助に向かって欲しい」と依頼。
すると、トーマスのシェルパの1人が、リンカーンを救うため、
もう一度、デスゾーンを登り始めたのだ!
だが、彼がリンカーンたちに合流する頃には、
リンカーンは、もはや正気ではなく、歩くのもやっと。
それでも、彼を支えながら、下山させようとする4人のシェルパ達。
しかし、リンカーンは頻繁に意識を失うようになる。
実はこのとき、リンカーンの体は高地脳浮腫だけでなく、
凍傷や低体温症にも冒され始めていたのだ。
そして、いよいよ何の反応も示さなくなる。すると・・・
ベースキャンプから苦渋の決断が伝えられる。



「リンカーンを残して、シェルパ達だけで下山するように」



こうして、標高8500メートルに、1人置き去りにされたリンカーン。
日が暮れ、暗闇が辺りを包んでいく。すると・・・
山頂を厚い雲が覆い始め、気温が上がり始めたのだ。そして・・・
なんと、リンカーンが目を開けた!!彼は意識を取り戻したのだ。



だが、高地脳浮腫に凍傷、低体温症となった彼が、自ら助かる方法はない。
そして朝になると、リンカーンは上半身をはだけていた。
これは、低体温症の最終段階で、体が熱くなったように感じるというもの。
そう、リンカーンの命は、まさに消える寸前!すると・・・
そこに現れたのが、偶然登ってきたアメリカの登山チーム。
彼らは、リンカーンを見つけると、自分たちの登頂をあきらめて
救命活動を行い、彼を連れ帰ることを決断。
彼らの勇気ある行動により、リンカーンは一命を取り留めたのである。



リンカーンが、なぜ助かったのか、医学的には説明がつかない。
だが、彼が助かったことは事実。
聖なる山は最後、彼に微笑んだのである。



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