世界まる見え!テレビ特捜部
09/08/31 OA
販売されなかったマイケル・コレクション

2009年6月25日、
あのマイケル・ジャクソンが亡くなったという
衝撃的なニュースが世界を駆け巡った。
あれから、早2か月。



だが、みなさんは今年の春に、
マイケル・ジャクソンの私物オークションが行われるはずだったことを
ご存知だろうか?
マイケルは、自らの衣装をはじめ、豪邸ネバーランドのものなど
2000点あまりを売ろうとしていたのである。
だが、このオークション、直前にマイケル側からの訴えでとりやめとなった。
その裏には、いったい何があったのか?
そして、そもそもなぜマイケルは、自分の大切な私物を売ろうと考えたのか?



1982年、アルバム「スリラー」発売。
「BEAT IT」「ビリー・ジーン」など、次々とヒット曲を飛ばし、
彼は、莫大な金とキング・オブ・ポップの地位を手に入れる。



1983年には、
ポール・マッカートニーとのデュエット曲「セイセイセイ」をリリース。
この頃、ポールから、
「音楽業界でかせぎたいなら、楽曲の版権を手に入れるべき」とアドバイスされる。
すると1985年。
マイケルは、4750万ドルを投じて「ビートルズ」の曲、
250曲分の版権を買収したのである。



1987年に発売した、アルバム「BAD」も大ヒット。
その後に行われた、ワールドツアーも大成功し、
1億ドル以上を手に入れたという。



そこでマイケルが買ったのが、自分だけの王国・ネバーランド。
広大な庭や、巨大なアトラクション、ゾウやラクダまでいる動物園、
敷地内には蒸気機関車という、超豪邸である。
この豪邸は、作るのに2500万ドル、
月々の維持費だけで100万ドルかかっていたという。



そして、その王国の王様になろうとしたマイケルは、
王様らしく、お抱えの芸術家をやとい、自分が王になった姿を描かせた。
だが、マイケルが1番多く画家に描かせた物は、
「子ども達のなかにいる自分の姿」であったのだ。
そう、少年時代から芸能活動をしていたマイケルは、
子どもらしく友達と遊んだという経験がほとんどなかったのである。
つまり、マイケルは、手にした巨万の富で
少年時代を買い戻そうとしていたのかもしれない。



1991年に発売した、アルバム「デンジャラス」もまた大ヒット。
だが、1993年に、マイケルの人生は急展開を迎える。
幼児虐待の罪で告発されたのだ。
真相はいまだ分からないが、マイケルはおよそ21億円もの和解金で示談に。
ところが、この事件により、
スポンサーが離れ、マイケルはツアーが出来なくなり、
周囲から好奇の目で見られるようになってしまう。
さらに、2003年には、再び幼児虐待で訴えられる。
裁判では無罪を勝ち取ったが、裁判費用や楽曲の売り上げ低迷、
度重なる浪費のため、マイケルは借金を背負うようになる。
そして金に困ったマイケルは、2008年、ついにネバーランドを売却。
さらに、私物をオークションで売ることを決めたのである。



しかし、それほどお金に困っていたマイケルが、
なぜオークションを中止したのだろうか?
それは、今年3月に発表された、コンサートツアーが大きく関わっていた。
そう、ツアーの予定50公演をこなせば、5000万ドルもの稼ぎ。
収入のめどがたったために、私物を売らなくてもよくなったのだろう。



だが、関係者は、
「今回のコンサートツアーは、決して金のためだけではなかった」と言う。
マイケルは、アーティストとしてまだやれることを見せたかったのだろう。



結局、マイケルは再びステージでその雄姿を見せることなく、
天に召されてしまった。
孤独な少年時代の傷を癒せずに、
莫大な財産で心の隙間を埋めようとしたマイケル。
彼は今、天国で子どものように笑えているのだろうか?



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