世界まる見え!テレビ特捜部
10/02/22 OA
暴走列車と2つの大惨事の謎

1989年5月12日、<アメリカ> 『サザンパシフィック鉄道』の貨物列車、
『7551イースト号』の今回の任務は、総重量約5700トン、69両の貨物を
<モハーヴェ車庫> から<ウエストコルトン駅> まで輸送すること。
途中、標高1300mの<カホン峠> を通り、<サンガブリエル山脈> を
越えなければならない。



午前7時過ぎ、最高地点である<カホン峠> の頂上へ順調に到達。
ここからは、100メートル進むと2,2メートル下がる急な坂が37キロメートル続き、
とてつもない重量の列車を減速させながら下らなければならない。



しかし、今日はなぜかいつもよりスピードが出ており、
時速72kmでブレーキを最大にしても、後部車両が緊急ブレーキをかけても、
列車は減速するどころか、ますます加速していく。
下り坂の先には<サンバーナディーノ> の街。
このままでは、街に入るカーブで脱線してしまう。
とうとう速度メーターはハリが振り切れたままになってしまった。



機関士達のなすすべもないまま、列車は時速160kmを超えた状態で
<サンバーナディーノ> のカーブに突っ込んでしまった。
住宅7戸が全壊。機関士など計4名の命が失われる悲劇となった。
悲劇はそれだけで終わらない。事故から13日がたったある日、
突如、爆音とともに地中からガソリンが噴き出し、街は瞬く間に大きな炎に
包まれた。
火災は7時間以上も続き、2名が死亡。11戸の家屋が倒壊する惨事となった



事故調査委員会は、この火災は列車事故の瓦礫撤収作業の際に使われた重機が、
街の地下2mのところに通るパイプラインに傷を付けたことが原因と結論づけた。
列車の脱線事故に関しては、重大な問題が発覚した。
列車の出発前、書類に貨物の重量が書いていなかったため、
担当者は中身を確認せず、経験をもとに貨物の積載量を推測し、
貨車一つあたりの重さを54トンと記載した。
しかし実際に走った列車が積んでいたのは貨車一つあたり90トン。
ジャンボジェット機10機分も重い貨物を積んで走行するという「過積載」が
今回の列車事故の原因だったのだ。
これでは、たとえブレーキが正常であっても、
<カホン峠> を無事に下ることはほぼ不可能であった。



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