放送内容

第1385回
2017.07.23
江戸の旅 の科学 物・その他

 さまざまな時代の生活を実際に体験!そこに隠された科学を見つけ出す「目がテン!歴史研究会」!第2弾となる今回のテーマは…江戸時代の旅!前回に続き、グラビアアイドルの都丸紗也華さんが江戸時代の旅に挑戦!そこには現代にも通じる驚きの科学がまたまた隠されていたんです!
 今回の目がテン!は歴史研究会第2弾!「江戸の旅」を科学します!

“ナンバ歩き”と“わらじ”で難所・碓氷峠に挑戦!

 都丸さんが向かったのは、江戸時代、旅人をチェックした群馬県の「碓氷関所跡」です。江戸時代の旅とは、どんなものだったのか?歴史研究家の菅野俊輔先生に伺います。菅野先生によると、江戸時代の旅は大変工夫されており、技術的にも現代から見て驚くようなかたちで旅をしていたといいます。そこで…まずは都丸さんが当時の旅姿にお着替え。江戸時代の女性の旅装束は、日よけの菅笠に…手足を守る、手甲と脚絆。そして足には…ワラジ。

 続いて旅道具をチェック。「挟箱」と呼ばれる箱に、15種類以上にも及ぶ旅の必需品一式を入れて、持ち運んでいたそうです。さらに、「矢立」という携帯用筆記具で中には、筆と墨ツボがコンパクトに一体化。

 当時の旅道具は、持ち運びしやすいように小さく収納できるものが多かったんです。しかし、すべての荷物を入れた挟箱は…女性が持つには、ちょっと重すぎます。そこで、女性の旅には必ず男性が付き添い、すべての荷物を持ち運んでいたそうです。今回、都丸さんにチャレンジしてもらうのは、江戸時代の旅人を苦しめた難所「碓氷峠」の最高点まで登ること。
 標高差約700メートル、全長約7キロの山道を江戸時代と同じ装備で登ります!菅野先生によると、江戸時代の人たちは山道を歩く際、「ナンバ歩き」と呼ばれる歩き方で旅をしていたそうです。では一体どんなものなのか?
 ナンバ歩きを指導している桐朋学園大学の矢野龍彦先生のもとへ伺いました。現代の歩き方とナンバ歩きの違いは…?
 現代の歩き方は、出す足と逆側の腕を前に出すため、上半身と下半身がねじれますが…ナンバ歩きは、肩を前後に振らないためねじれが少ないことがわかります。また、足の動きにも違いがあります。現代の歩き方はヒザを伸ばしきって、かかとから着地しているのに対し…ナンバ歩きは、ヒザを伸ばしきらずに足の裏全体で着地するんです。矢野先生によると、「体をねじらない、地面を蹴らないから体に優しい。疲れない歩き方で長時間長距離歩いても楽に歩ける」と言うんです。
 そこで疑問!ナンバ歩きはほんとに疲れにくいのか?ナンバ歩きができる方に協力していただき、足の裏に、着地の衝撃を計測する機械を装着。さらに、モーションキャプチャーと組み合わせて現代の歩き方とナンバ歩きの消費エネルギー量を計測しました。その結果、1時間あたりの消費エネルギーはナンバ歩きの方が12%も少なく、疲れにくいことがわかったんです。都丸さんもナンバ歩きを教えてもらいます。そして、練習すること30分。なんとか慣れてきた様子。

 それでは、いよいよ難所「碓氷峠」に挑みます!果たして、ギブアップすることなく峠を登りきることができるのか!?スタート直後から急な登りが続く碓氷峠。直線距離600メートルの間に、標高が200メートルも上がる場所も。しかも、足元は薄いワラジだけ!しかし都丸さんは「草鞋めっちゃ歩きやすい。フィットしてます」と大丈夫な様子。ここで疑問!ワラジは、現代の靴と違って底が薄いのに、なぜ足が痛くならないのでしょうか?そこで、ワラジは初めてという一般女性にワラジを履いてもらい、現代の靴を履いた時との歩き方の違いを見てみる…現代の靴の場合は、膝を伸ばし、かかとから着地しています。しかし、ワラジの場合は底が薄いため、膝を伸ばしきらず足裏全体で着地。自然とナンバに近い歩き方になっています。つまり、底が薄いワラジなら、自然と柔らかく着地するため、足が痛くなりにくいことがわかったんです。歩き始めて1時間。碓氷峠最大の難所、刎石坂に差し掛かりました。
 なんとか、碓氷峠最大の難所を登り切ると…普段は見られない景色を味わえるのも当時の旅の魅力。そして、登り始めて2時間。息が切れてきたので、ここで少し休憩。江戸の旅人も、無理はせず2時間おきに休憩を取っていたそうです。休憩の時の定番は、江戸のころからお弁当。当時のお弁当は塩むすびに…疲労回復に効果があるとされる梅干し!そして、塩むすびを包んでいるのが「竹の皮」。実は、竹の皮は抗菌作用があり、水分を適度に保つ力もあるため、江戸時代も食べ物を包むのに使われていたんです。お腹も満たされ、再び歩き始めた都丸さん。その後も、険しい道をひたすら進み・・・登り始めて6時間。ついに・・・。日が暮れる直前に、ようやく碓氷峠の最高点に到着。6時間歩いただけでワラジは、ボロボロになっていました。つまりそれだけ、険しい道だったんです。現代っ子の都丸さん、ワラジで碓氷峠を登るチャレンジ、見事成功です!

江戸時代の雨具は本当に雨を防げる?

 旅の道中、都丸さんが身につけていたのは江戸時代の旅での雨具一式。
 頭には菅笠。そして体には油を塗った紙でできた桐油合羽。雨に見立てたシャワーを上からかけて濡れないのか?実験です。都丸さんには濡れた時にわかりやすいよう、灰色のTシャツを着てもらいました。それでは実験スタート!濡れている様子はなさそうです。そして、10分が経過。菅笠を外してみると髪は全く濡れていませんでした。さらにTシャツもほとんど濡れていません。江戸時代は菅笠と桐油合羽で、十分、雨を防ぐことができたんです!

疲れを癒やす“旅籠料理”とは?

 続いて都丸さんが訪れたのは、長野県にある「奈良井宿」。今もなお、江戸時代の面影が残る宿場町です。この奈良井宿で、江戸の世から宿屋を営む老舗、伊勢屋さん。こちらで、宿場町の旅籠での過ごし方を体験させてもらいます。宿についたら、まず旅で汚れた足を洗うのが作法。汚れを落とすだけでなく、疲れた足をアイシングする効果も。そして今回特別に、江戸時代の旅籠料理を再現していただきました。料理は、麦ご飯に、菜っ葉のお味噌汁。メインのおかずは塩サバ、漬物は野沢菜。さらに付け合わせで、だし汁で煮た豆腐にワラビの煮物なども出されたそうです。

 この江戸時代の旅籠料理を、調理科学の専門家、東洋大学の露久保美夏さんに現代の栄養学で分析してもらいました。露久保先生は「旅籠の食事は1日で消費したエネルギーであったり、失ってしまったミネラル類を効率よく補給できる食事だといえる。麦ご飯は白米だけよりも大麦にビタミンBが多く含まれているので、ご飯をエネルギーに変換する時に、ビタミンBが働いて効率よくエネルギーとして伝わる。そしておかずに関しては、塩が多く含まれており、汗などで塩分が体から出ていってしまうので必ず取ることが必要」と分析。旅籠の料理は、旅人にとってとても理にかなった食事だったんです。

 お腹も一杯になったところで…疲れをいやすお風呂へ。しかし、ここで驚きの事実が!実は江戸時代には、まだ石鹸が無かったんです。では…江戸時代の人は何で体を洗っていたのでしょうか?用意したのは、江戸時代に使われていたもの。都丸さんには、この中から江戸時代に石鹸の代わりとして使われていたものを見つけてもらいます。どうしてもわからない時は、ギブアップボタンを押せば、モニタリングしている先生が助けに来てくれます。それではチャレンジスタート!まず都丸さんが最初に気になったのは、米ぬか。そして次に手にしたのは…お化粧の時に使うおしろい。
 ここで、見るに見かねた先生が、正解を教えてくれました。実は、正解は最初に手にした米ぬか。使い方は簡単!米ぬかを袋に入れ、水で濡らして肌をこするだけ。ではどうして、米ぬかが石鹸の代わりになるのか?

 東京都市大学・黒岩崇准教授によると、「米ぬかに含まれている、たんぱく質や脂肪酸は界面活性を持っている。水の中で油に吸着して、洗い流す洗剤と同じような効果があると考えられる」と解説。
 続いて、江戸時代の髪の洗い方に挑戦!当時、使われていたのは、うどん粉と海藻の一種「ふのり」。二つをお湯に入れて、かき混ぜると…ふのり・うどん粉シャンプーの完成です!江戸時代と同じように、髪に揉み込むように洗っていきます。
 最後は、水で洗い流せばOK。油で汚した髪の毛を、水洗いのみとふのり・うどん粉シャンプーで洗った後で比べてみると…水洗いのみでは、油が残っていますがふのり・うどん粉シャンプーの方は、テカりもなく綺麗に落ちているのがわかります。これは、うどん粉が米ぬかと同じくタンパク質で油汚れを落としているのに加え。ふのりが現代のシャンプーと同じ力を持っているからなんです。さらに黒岩先生は、「ふのりには、フノランという多糖類が含まれている。つまり、うどん粉とふのりを合わせることで痛みやすい髪を守りながら汚れを落とすシャンプーとしての役割を十分に果たしている」と解説。

 日も暮れて、夜も更けて。最後に、江戸時代の眠り方に挑戦です。当時はまだ掛け布団が普及しておらず、「掻巻」という着物をかけて寝ていました。さらに、枕は、当時の人は髪を結っていたので、高い枕を首に当て、結った髪が崩れないように寝ていました。
 都丸さんはこの枕で眠ることができるのか?すると…あっという間にギブアップ!高い枕で寝るのは、現代っ子にはやはり難しかったようです。