OA内容

#25 2012/9/21 OA
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  • 「沖野敦郎」 「義肢装具士」
    主題歌「虹/Aqua Timez」

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  • 先日、開催されたもうひとつのオリンピック。
    「ロンドン・パラリンピック」
    そこで日本選手の脚を支える「スポーツ用義足」
    今、高性能な義足をつくり出し、
    次々に日本記録を更新させている革新者がいる。
    義肢装具士 沖野敦郎
    医療分野である義足に機械工学の理論を取り入れ、
    脚の力を最大限に活かせる仕組みを考案。
    その義足をつけた、春田 純選手が
    念願のパラリンピック100m走に挑んだ!
    「世界を駆ける足 ~義肢装具士の挑戦~」

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  • 中学からずっと陸上部で活躍してきた沖野だが、
    才能に限界が…
    オリンピックへの夢は途絶えてしまう。
    大学では、機械システム工学科で
    ロボットなどを研究。そんな中、意外な転機が…
    たまたまテレビで見た「シドニー・パラリンピック」
    義足の選手が、陸上競技で奮闘していた。
    “陸上と機械工学”
    自分のやりたい、2つの世界が重なった。
    沖野は義足の研究に励んだ。
    スポーツ用義足は、脚を支えるソケットという部分に
    カーボン製の板バネが取り付けられている。
    しかし、当時の義足はこれらが固定されていたため
    平らな板バネの底を地面に水平に着きにくく、
    足のパワーを効率的に活かせなかった。
    そこで、三次元に動く調整金具を取り付け改良。
    自らがアスリートである経験から
    選手と一緒に練習して調整。
    結果、以前は地面に平行に着かず、
    偏りがあった脚のパワーを
    無駄なく伝えられるようになった。
    その頃、沖野は同い年の春田 純と出会う。
    彼はスポーツ万能な少年だったが、
    15歳の時、骨のガンに冒され、左足を切断。
    暗い日々を送る春田を沖田は陸上で支えた。

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  • あれから10年。常に2人は苦楽を共にしながら
    共通の夢、パラリンピックを目指した。
    そして昨年、春田は、日本記録をたたきだし、
    彼のクラスでは、日本人初となる
    パラリンピック出場を決めた。
    しかし、ここからが勝負。
    コンマ1秒の争いに勝つため新たな義足作りに挑む。
    ポイントは… 軽量化。
    それを可能にする沖野の更なる革新。
    自らの感覚を信じ限界まで薄く…
    そして、パラリンピック1か月前。

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  • 沖野がすべてを賭けた革新的な義足が完成。
    2人の想いが結集した新たな義足。
    150グラムもの軽量化を実現した。
    しかし走り出すと…
    極限まで薄く、脚に密着している義足は
    わずかな違いが走りに影響してしまう。
    春田に合うよう何度も微調整を繰り返す沖野。

    いざ夢の舞台へ…
    ロンドンパラリンピック本番。
    惜しくも決勝進出ならず。
    2人の挑戦は終わらない…

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  • 「鮫島弘子」 「デザイナー」
    主題歌「to U/Bank Band」

    今注目のレザーブランド
    最高品質の羊の皮とオールハンドメイドのバッグ。
    実はこのバッグが作られているのは…
    最貧国 エチオピア。遠いアフリカの地で、
    バッグづくりに挑む革新者 鮫島弘子
    外資系ブランドで働いていた
    華麗な経歴を持つ彼女が、なぜ今、ココにいるのか?
    彼女がこの地で掴みたいシアワセの形とは!?
    「幸せをつかむバッグ」

    かつて鮫島は国内の会社で化粧品をデザイン。
    ヒット商品を数多く輩出。
    しかし、流行を追い求めた商品が
    季節ごとに不要とされていく空しさ…
    そんな時ふと目にした、
    青年海外協力隊の「デザイン」という職。
    幸せを共有できるものづくりがしたい…
    鮫島が派遣されたのはエチオピア。
    期待に胸を膨らませていた鮫島。
    しかし、目にしたのは、最貧国の現実。
    生きるだけで精一杯だった。
    彼らを幸せにできるものづくりを必死に探し続けた。

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  • 2年を掛け、わずかな希望を見つける。
    貧しいが、確かな技術の職人達。
    さらに、安く輸出されているが、最高品質の羊の皮。
    鮫島はそれらをファッションで繋いだ。
    エチオピアと日本の友好史上に残る
    偉大な企画として、日本大使館から表彰された。
    心は決まった。
    エチオピアの雇用を拡大し、技術を向上。
    世界に通用するバッグで自立を目指す。

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  • 鮫島は自らの貯金を切り崩し、
    親に頭を下げ、結婚資金を借りた。
    そして、エチオピアで工房を開きバッグづくりを開始
    貧しいが、未来ある若者達を採用した。
    それゆえ敢えて厳しい指導も
    様々な習慣の違い。いっこうに向上しない品質。
    それでも彼らのために
    何度も言い続け、何度も誉めた。

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  • すると、徐々に職人の意識に変化が。
    そして、バッグの質にも…
    しかし、新たな苦悩が
    商品が少しずつしか生産出来ない為
    資金は、減る一方。でも、諦めない理由がある。
    『自分の力の200%出して頑張ってるから
     出来なかったゴメンねって言いたくないんですよ』
    と、鮫島は言う。

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  • 何が何でも売れるバッグを作りたい!
    この日は、東京へバッグを送る日。
    一丸となって最後の追い込み作業。
    しかし、無情にも終業時間に…
    だが、彼らは、最後までバッグをつくりあげた
    鮫島と彼らが、共に手にした幸せのカタチ。