OA内容

#112 2014/5/23 OA
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  • 「井 浩二」 「チームアトム代表」
    主題歌「俺たちの明日/エレファントカシマシ」

    リハビリの中でも回復が困難とされているのが
    手や指の運動障害。
    開閉運動を1日何百回と行い、しかも、
    毎日継続しなければ、回復することは難しい。
    そんな手指のリハビリを助けるグローブ型ロボットが、
    実用化された。

    ボタンを押し、空気を送る。するとプラスチック管が
    膨張、収縮し、指の曲げ伸ばしが出来るという代物。
    そんな画期的なリハビリロボットを作ったのは、
    その名も、チームアトム。

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  • 彼らには本職がある。写真屋に金物屋、
    建築屋、印刷屋、酒屋、それに看板屋。
    全員がロボットに関してはまったくの「専門外」

    リーダーは、印刷屋の井(いい)。

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  • なぜ彼らは、ロボットを開発することが出来たのか?

    「ロボット開発で、未来を創る 6人の男たち」

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  • 目標に掲げたのが、
    困っている人の手助けとなるロボットの製品化
    そこで彼らは、地元厚木にある神奈川工科大学で
    福祉ロボットを研究する山本教授のもとを訪ねた。
    そこで提案したのが自身も研究を進めている、
    空気圧を使った「リハビリ用ロボットハンド」を製品化する挑戦が始まった。

    彼らが開発の拠点としたのは
    メンバーの1人、岸野が営む看板工場。
    皆、昼は本業に励み仕事が終わると、ここに集まってくる。
    そしてアイデアがまとまったところで金物屋の中村が、物資を調達。
    手先が器用な看板屋の岸野が、皆で出し合った案を、形にしていく。

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  • 麻痺の患者は、握った状態のまま
    指が固まってしまうことがあるため、グローブのように
    手にはめるタイプだと、うまく装着出来ない。

    そこで、試作第1号は、
    指先のみにつけ、手首で固定する形にした。
    建築資材の営業マン、浜辺がコミュニケーション能力を生かし、聞き取り調査を実施。改良点を次々と見出していった。

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  • そこで浮上した新たな問題点は、付け心地。
    伸縮性がありピッタリフィットする素材でなければならない。
    ありとあらゆる素材を試した。
    そして、たどりついたのがウェットスーツの素材。

    しかし問題が。
    ウェットスーツの素材を使うとなると、
    手袋型に縫製してくれる職人を見つけなければならない。

    そんなときは、酒屋の榎本の出番。
    配達により培ったネットワークで、見事、職人を見つけ出した。

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  • さらに、関節の位置が人によって違い、
    空気圧の蛇腹部分がずれてしまう事が判明。
    そこで、80人もの関節の位置を計測。
    関節位置の平均値を割り出し蛇腹を取り付け
    3サイズを作り、それでも合わない人には
    オーダーメイドできるようにした。

    こうして5年もの歳月をかけ、試行錯誤を繰り返し
    「チームアトム」による、「パワーアシストハンド」が完成。
    発売を知らせるチラシは、写真屋の北村と印刷屋の井が作り上げた。
    そして今月、ついに実用化され、地元厚木市を中心に病院や介護施設、
    さらに各家庭でリハビリに生かされている。

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  • 「荻野多賀子」 「ニュージーランド温泉旅館女将」
    主題歌「ハジマリノウタ~遠い空澄んで~/いきものがかり」

    ニュージーランドの国立自然保護区に
    のれん・太鼓橋・岩風呂など、
    まるで日本かと思わせるような場所がある

    実はここ、日本人が経営する温泉旅館

    今、ニュージーランドで
    この温泉旅館が大注目を集めている!
    果たして、それは何故なのか?
    それは…
    昨年のオリンピック招致のプレゼンテーションで
    話題となった「おもてなし」


    そんな日本独自の心遣いとサービスで多くの人々をもてなす、
    革新者・荻野多賀子。

    「和の心で世界をおもてなし」

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  • 新潟県 赤倉温泉の老舗旅館の長女として生まれた多賀子は、幼い頃からお客様に細かく気を配る母の女将姿を見て育った。
    そして1991年、実家の旅館がニュージーランドで
    初の純和風温泉旅館をオープンする事に。
    その旅館を経営する弟、光貴さんの手伝いとして、
    多賀子はこの地にやってきた。

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  • 旅館をオープンする為に、
    まず最初にやらなければならなかったこと、
    それは旅館が、国立自然保護区にあるため、
    インフラがなく電気と水を通すことだった。
    そこで、数千万円の借金をし、
    標高800メートルの山から水を引き
    自家用の「水力発電機」を建設。電気や水を確保した。

    現在も、旅館の命ともいえる水力発電の水路は
    女将自ら山を登りチェックし、掃除を行う。
    そして約半年、準備を重ね遂に旅館をオープン!
    ニュージーランド初の純和風温泉旅館が誕生した。

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  • しかし、旅館が軌道に乗り始めた時、
    多賀子に不幸が降り掛かる…
    それは、実家の旅館を継いだ長男、政秀さんの突然の死。

    ここの旅館を任されていた弟の光貴さんが
    実家の旅館を継ぐ事になり帰国。
    多賀子は突然、一人で旅館を切り盛りしなければならなくなった。
    たった一人になり自らの無力さを痛感
    過労で倒れる事も…

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  • 苦悩する中で気が付いたこと、
    それが実家の温泉旅館で幼い頃からよく目にしていた
    「和のおもてなしの心」だった。

    落ち着いてくつろげるように、和の心を感じさせる物を多く配置。
    滞在期間だけでも日本の心を感じて欲しいと
    毎日、女将が折り鶴を折る。

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  • さらに、ニュージーランドにいながら日本の伝統を肌で感じてもらいたいと、浴衣の貸し出しも始めた。
    料理は地元の人の口に合うよう、和食をニュージーランド人の料理長がアレンジ。
    多くの人々に喜ばれるメニューを創り出した

    このような和のおもてなしの心が話題となり、
    現在、ニュージーランドで温泉ブームを巻き起こしている。

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  • ニュージーランドの温泉女将は今日も
    「おもてなし」の心で新たなお客様を迎える…