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12.4 競歩 山崎勇喜

世界陸上で誘導ミスにより途中棄権。50キロ競歩の山崎勇喜。
あの悪夢から2ヶ月。栃木にある彼の家を訪ねた。現在23歳、独身の山崎は1人暮らし。
山崎はアスリートとして契約する会社からの収入だけで生活している。競歩はマイナーな競技。
サポートは少ない。日本トップクラスの実力といえども、これが現実。

山崎は、今でもあの悪夢の瞬間を、たびたび見返すという。感じていたのは世界との差、自らの力不足。あの騒動以来、山崎を勇気づけているものがあるという。それは世界陸上を見た人から贈られたメールや手紙。競歩でも、自分でも、人を喜ばせるチャンスがある。それがうれしかった。

運動能力に恵まれたわけではない山崎の人生、挫折の連続。駅伝名門校に入学するも、女子にも抜かされる遅さのため、競歩へ転向。だがこの選択が才能を開花させる。高校3年にして、日本の頂点に!史上初の快挙を達成した。2004年アテネ。かつて陸上部の隅にいた少年が、そこにいた。結果は16位、日本のオリンピック史上最高順位を残した。世界陸上も8位入賞、メダルが見えた。

2006年春、山崎に運命の出会いが訪れる。斎藤和夫監督。これまでの記録を4分16秒も更新する日本新記録を樹立する。しかしこれが最後の恩返し。2ヵ月後、斎藤監督は帰らぬ人となる。後をついで監督に就任したのは鈴木従道監督。マラソン界の名将は、そのノウハウを競歩に取り入れようとした。その監督に、山崎は信頼を寄せきれずいた。そんな山崎に新たな日課を課した。それは練習記録の提出。反発した出会いから1年。共に重ねた月日は信頼を築いた。あと必要なのは結果だけだった。ところが・・・。

まさかの誘導ミスで途中棄権。北京への切符は、山崎の手をすり抜けた。そんな山崎に言葉を贈った「北京でメダルを取るために、一日一日、一つ一つをしっかりやる事」
山崎の折れそうな心が、救われた。次のレースは2ヵ月後の全日本選手権。優勝すれば北京が近づく。雪辱を果たす時。舞台は山形。狂わされた運命を元に戻す為、山崎は歩き始めた。しかし、惜しくも2位でゴール。

山崎は歩みを止めない。陸上が好きだから。支えてくれる人がいるから。応援してくれる人がいるから。オリンピックのメダルが欲しい。「恩返し」がしたいから。北京へのラストチャンス、来年4月の日本選手権に向かって山崎は歩き続ける。