
早見純/1000円
2001年/ひよこ書房

「卑しく下品に」 早見純/1200円
2004年/一水社 |
ある集団が、全く均一な価値観、世界観を持った人間で埋め尽されたなら、その集団は一体どのような集団になるのだろうか? そのような集団の中で、個人は皆が深く結びつき、素晴らしく結束した集団ができあがるのだろうか? 結論は全く真反対である。そのような集団の中では、個人は個人であることの意義を見失い、お互いに結びつく理由を無くし、やがては疑心暗鬼が蔓延する異常な精神状態を形成していく。少しでも異端の価値観を持つ者があらわれると集団ヒステリーを起こしやすく、異端の個人を袋だたきにしようとする集団心理が発生しやすくなる。 健全な個人として生きるためには、自分の帰属する集団がこのような状態に陥っていないか、また自分自身が集団の中で均一化された一要員になりはてていないかを常にチェックする必要がある。
さて、早見純の漫画が読める国。そんな国に我々は生きている。これだけでも素晴らしいと感じよう。 早見純が何たるかは、この極北情報の「ラブレターフロム彼方」の原稿をまず読んでいただきたい。「異端の天才漫画家」早見純は90年代に一度断筆しているが、その断筆期寸前に、どうしょうもない作品を世に出している。その時期の作品だけを集めて一冊にしたのが「自作最低作品集 純にもぬかりはある」だ。ただでさえマニアックを極めたような早見作品の中でも、「自他ともに認めた最低作品群」だけを集めようというんだから、これを極北と呼ばずして何を極北と呼ぼうか、、、、、、、その結果がいかなる物かは、この本を作った大西祥平氏と斧田小氏の前書きから想像してください。
「80年代最後期から90年代前半、活動停止直前といえる時期にヤケクソのように発表されたこれらの最低大惨事作品。たしかに、作者が認めないのが十分に納得できるほど、その物語はどれも破綻している。しかし、それゆえに我々はこれが、早見節の真骨頂ともいえる「理屈を超えた奇跡」だけを過剰に抽出した脅威のウルトラ・ネルドリップ・コミックに感じるのである。
それは、「ホームランしか狙わない天才バッター」が世にも気の毒なフォルムで三振し続けた瞬間の記録のようでもあり、スレイヤーをBGMに無保険無免許で老若男女をひき殺し暴走するポン中トラッカーのようでもあり、、、、一切の打算なく作品本位でのみ行動し、結果自らのマンガ道すら一旦封印するハメになった、今どきちょっといない漫画家の、うめき声・イン・ヘルのようにも聞こえる。
とにかく、この世には、失敗ゆえに純度が高まった「奇跡の失敗作」なるものが存在する、と言いたい! 「純の純度が高まって何が悪い!」だと、、、、、、この方々も相当に馬鹿! ビバ! 馬鹿!!
という訳で断筆しちゃった早見純が奇跡的な復活をとげ、2000年代になって発表した力作群を集めたのが「卑しく下品に」(一水社)である。これは凄いの一語に尽きる本。早見純という作家が何故に天才と呼ばれ、そして何年も断筆してもファンから決して見離されず、それどころか新たなファンまで増やし続けた理由がはっきりとわかる一冊。「純にもぬかりはある」と読み比べるのもお勧めである。
早見純作品には、大抵の人が眉をひそめる。当然である。 大抵の人が生理的に受け付けない。当然である。しかし、だからと言って社会から抹殺しようとか、袋だたきにしようとかいう気持ちが起こる人がいたとしたら要注意。そういう人は、御自身が集団ヒステリーを形成する異常心理の持ち主である可能性が高い。皆さんも一度早見作品を読んでセルフチェックしてはいかがかな。
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