過激な志士たちを取り締まる治安部隊・新選組。剣は凄腕、なおかつ男前・・・新選組はまさに幕末が生んだイケメンパラダイスだった。悲劇の天才剣士・沖田総司!無邪気であどけない笑顔ながら、剣を握れば天下無敵。20数名の過激志士が集まった会合に新選組がわずか4名で切り込んだ池田屋事件。この時、沖田の剣は冴えわたり、かかってくる者、逃げようとする者を次々切り捨てたが、その後病気を患ってしまう。そこにはある純愛の物語があった。幕末の牛若丸・加納惣三郎!花のように明るい顔立ちでありながら、凛々しい佇まい。それでいて巧みな剣捌き。追っかけの女の子には目もくれない真面目な加納だったが、ある夜、売れっ子花魁の錦木太夫に出会う。初めてのトキメキだった。この出会いがその後の加納の運命を変えていく。新選組ナンバーワンの美形・楠小十郎!剣の腕が立ち、勇猛果敢なために、局長の近藤からかわいがられ、自由な活動費として大金を拝領していた。が、楠の正体は長州のスパイだった…!ダンディズムの塊、鬼の副長・土方歳三!ファンの年齢層はちょっと高め。酸いも甘いもかみ分けた大人の女を夢中にさせる、それが土方だった。寡黙で隊を律する為なら、斬ることすら厭わない鬼副長。そんな土方には意外な趣味があった。それは・・・俳句だった。その作風は土方からは考えらえないほど乙女チック。 …などなど、幕末に咲いた仇花、イケメン剣客集団・新選組のその驚くべき素顔と、モテ伝説を一挙公開!
戦乱の世を生き抜いた女達の凛々しいまでの生き様とやがて訪れる悲劇を、オムニバス形式でご紹介。
(1) マムシといわれた戦国大名斎藤道三の娘・濃姫。
気性は激しく知性に溢れそして何より絶世の美女。しかしこの時代、武士階級の女は政略の道具であり、同盟を結ぶための政略結婚で、うつけ者として悪評がある織田信長との縁談が持ち上がった。信長の行動に家臣や侍女たちは顔を顰める中、濃姫は結婚を承諾。うつけの仮面の下に潜む信長の天才性を見抜いていたのかもしれない。2人がどんな夫婦生活を送っていたのかについてはほとんど資料に残っていないが、あるとき信長が生駒の吉乃という女性に夢中になってしまう…。
(2) 信長の妹・お市。
「戦国一の美女」と言われるほどの美貌の姫。信長は大切な妹を浅井長政に嫁がせた。長政は穏やかな気性の優しい男で、政略結婚とはいえ、この2人の相性はとても良く、仲睦まじく暮らしていた。数年後、信長が、上洛命令に従わない朝倉家を襲撃。朝倉家に恩義がある浅井は、朝倉救援に立ちあがる。「愛する夫と兄が戦う…。」お市は身を引き裂かれるような思いだったが、結局兄のためにある行動を起こす。これがきっかけで織田と浅井の同盟は敗れ、怒りに燃える信長の攻勢で浅井は次第に追いつめられる。燃えさかる城の中で長政は命を落とし、一方お市と三人の娘は豊臣秀吉によって助け出された。その後、本能寺の変で信長が破れる。豊臣秀吉の力が増大するのを抑えるため、お市は織田家の筆頭家老的存在だった柴田勝家との結婚を決めた。武骨者だと思っていた勝家はとても優しい男だった。いつしかお市の胸にも愛情めいたものが芽生え始めていた。自分が嫁ぐことで家中の争いを止めることができるかとおもったのだが、秀吉の激しい嫉妬によりその希望は儚くも砕け散る運命にあった…。
(3) お市の娘三姉妹の末っ子・お江与。
お市が非業の死を遂げたのち、秀吉の庇護の下、身元を引き取られた三姉妹。その末娘お江与は、わずか12歳で尾張の佐治一成のもとに嫁ぐことになる。一成は信長の次男・信雄の有力家臣。その年、秀吉対徳川家康・織田信雄の連合の戦いが起きる。結局この戦いは和議が結ばれ、一成は無事戻ってきたが、秀吉はお江与を嘘で誘い出し、勝手に一成との結婚を終わらせてしまった。お江与は数年間秀吉の下で暮らした後、豊臣家の結束を高めるため、甥の羽柴秀勝へ嫁がされる。秀勝は快活な好青年で、秀吉の期待も高かった。秀勝と添ってようやくお江与は女の幸せを感じ始めていた。そんなある日、悪名高い秀吉の朝鮮出兵が始まった。お江与はただただ夫の無事を祈り続けたが、その願いむなしく、秀勝は遠征先で病死してしまう。そして、お江与はまたしても秀吉によって徳川家康の嫡男、17歳の秀忠と政略結婚をさせられる。その後、時代は激しく動き続け豊臣の世から徳川の世へ。そして遂に、お江与の姉、豊臣秀頼の母・淀殿と家康のバトルが勃発。過酷な時代に翻弄されてきた姉妹が、とうとう敵味方に別れ、戦うことになってしまった…。天下を夢見て男たちが戦い続けた戦国時代。その裏には何千何万という女達の涙と悲しみがあったのだ。
大奥最後の女帝・篤姫は、江戸城・大奥に君臨し、幕末の動乱の中 江戸城の無血開城に尽力した。江戸城の明け渡しが決まった時、幕臣も旗本達も大慌てで逃げて行く中、篤姫と侍女たちはどうしても城を出ないと言い張った。その説得にあたったのが勝海舟。これが二人の出会い。その後、勝の説得により江戸城を離れた篤姫は住まいを転々とした後、赤坂福吉町の屋敷で長く暮らすことになる。新政府からの扶助は一切なく、家具などの家財を切り売りしながらの生活。さらに、大奥で篤姫と対立していた、篤姫の夫、13代将軍家定の生母・本寿院と14代将軍となった家茂の生母・実成院を引き取り、一緒に暮らしていた。生活は苦しかったが、徳川御三卿の一つである田安家の6歳の息子・亀之助を引き取り養育を始め生きがいを感じていた。そんな日々の中で、篤姫は亀之助に、徳川最後の将軍慶喜に近づくことを禁止した。それは憎悪にも近い感情であった。なぜ、篤姫は慶喜を徹底して憎み、嫌い続けたのだろうか!?天璋院篤姫の意外なその後の姿を描きます。