きょうは何の日

 

 

1998年2月5日

津軽三味線奏者 世界に広めた高橋竹山が亡くなった日

 

今から11年前のきょう1998年2月5日は、津軽三味線を世界に広めた高橋竹山が87歳で亡くなった日。その三味線が若者に受け入れられたのは一体なぜか。

1910年、青森で貧しい農家の末っ子に生まれた彼は、3歳で「はしか」を患い、視力を失った。いじめられ、学校へ行かなくなった竹山に、親は中古の三味線を与えた。生きる道は門付け芸人になるしかなかった。時に水をかけられ、人間のくずと罵られた。その後家族を持った竹山は、撥を置き、鍼灸師の道を進んだ。

そんなある日、津軽民謡の神様と言われた成田雲竹が竹山を訪ねてきた。自分の歌の伴奏を頼みたいと雲竹は言った。再び三味線を手にした竹山。次に彼を訪ねてきたのは、キングレコードの新米ディレクター、斉藤幸ニさんだった。彼の尽力により、史上初の三味線独奏レコードが完成。10万枚を越える大ヒットとなった。

そのレコードを手にしたのが、当時若者向けのコンサートを企画していた三浦博さんだった。彼は竹山の演奏を若者に聴かせたいと切望。熱意に押された竹山は仙台で公演を行った。その演奏中、奇跡が起きた。若者たちから拍手が沸き起こったのだ。門付け時代には聴いてもらえないこともあった三味線の音。ところが若者たちは、何の偏見もなく、竹山の演奏を受け止めたのだった。

その後、竹山は2ヶ月に一度、渋谷のジァン・ジァンでライブを行った。会場は常に若者で超満員。竹山を求める若者の波は全国各地へと届いていった。そして76歳の時にはアメリカの舞台にたち、その後81歳でパリ公演を成功させた。のどにがんを患い、声を失っても彼は舞台に立ち続けた。最期まで若者と向き合い、エールを送り続けた三味線人生だった。

 

 

 

 

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