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1997年2月17日
歌手・市丸が亡くなった日

市丸は19歳で上京、浅草の芸者となると、美人できっぷの良い彼女はたちまち引っ張りだこに。
そんな市丸の人生を大きく変えたのが、新しい時代の波。美しさと歌唱力、そして人気も兼ね備えた市丸は、各社で争奪戦となり、昭和6年「花嫁東京」でデビュー。デビュー3年目に発表した「天竜下れば」は、歯切れの良い節回しと情感と艶のある歌声で大ヒット。この曲で市丸の名は全国区となり、名実ともにビクターの看板歌手に。
しかし当時、市丸と人気を二分し、ライバルといわれた歌手がいた。「島の娘」を大ヒットさせた小唄勝太郎。市丸が「民謡・ちゃっきり節」をヒットさせれば、勝太郎も負けじと「東京音頭」をヒットさせ、二人は互いに競いあい、戦前の歌謡界に「市勝時代」を築き上げた。
その絶大な人気におごることなく、芸を磨き続けた市丸だったが、時代の変化が彼女を襲う…。しかし、市丸は時代の波にも敢然と立ち向かっていく。「新しいことに挑戦しないと、芸にカビがはえるわ」当時大流行していたのは、笠置シズ子が歌う「東京ブギウギ」。ブギを自分の歌にも取り入れたい。市丸は東京ブギウギの作曲家、服部良一を訪ね、曲づくりを依頼。彼女の熱心さにうたれ服部が書き上げたのが、民謡とブギを融合した「三味線ブギウギ」だった。
日本髪もあでやかに、踊り歌う三味線ブギはたちまち大ヒット。芸にかける思いが生んだこの曲で、再び一時代を築いた市丸。この三味線ブギを引っさげ、昭和25年には海外公演へ。その後も歩みを止めることなく活動を続けた市丸。それまでの功績が認められ、昭和47年、紫綬褒章を受章。今から12年前の今日、数多くの名曲と、美しい歌声を残して静かにこの世を去った。
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