赤い公園

高校の軽音楽部の先輩後輩として出会い、佐藤、藤本、歌川の3名による コピーバンドにサポートギターとして津野が加入。そのまま現在に至る。
2010年1月結成。東京:立川BABELを拠点に活動を始め、デモ音源「はじめまして」、ミニ・アルバム「ブレーメンとあるく」の2枚の自主制作盤をリリース。
2011年10月にはカナダツアー「Next Music from TOKYO vol.3」に参加。
2012年2月ミニ・アルバム「透明なのか黒なのか」をEMIミュージック・ジャパンより発売。
2012年5月ミニ・アルバム「ランドリーで漂白を」発売。
約半年の活動休止を経て、2013年3月1日活動再開を発表。
5月5日から復活祭と称したツアーを東京/名古屋/大阪で実施。
全公演ソールドアウト。
2013年8月14日1st FULL ALBUM「公園デビュー」発売。
ガールズバンドらしからぬ圧倒的な演奏力と存在感から、今年最もブレイクが期待されるバンドとして高い評価を受けている。
2014年の「赤い公園」にご期待あれ!!

放送内容

今回、音を探す旅に出かけるのは・・・
ガールズロックバンド、赤い公園。

高校の先輩後輩で結成した「赤い公園」
わずか2年でメジャーデビュー。
現在結成から4年、
瞬く間にトップシーンに躍り出た赤い公園が
今、一番聴きたい音とは・・・

今回、赤い公園が音の旅の出発地に選んだのは
立川市にある武蔵砂川駅。
ここは彼女たちにとってどんな場所なのか?

赤い公園のメンバーは、武蔵砂川を含む多摩エリアの出身。
全ての楽曲を手がけている1つ年上の先輩・津野は
この場所に流れる音によって幼少期からその音楽的感性を
研ぎすませていた。

横田基地と自衛隊駐屯地に挟まれたこの街の人々にとって
町中に響き渡る飛行機の轟音は生活の一部。

そしてその音風景は、津野にある曲を作らせた
この街で育った津野は、幼少期から聞いていた音さえも
音楽に変えていた。

そんな類まれなる津野の才能を
4人で奏でるきっかけとなった原点。

それは4年前の2010年。
赤い公園が結成した場所にあった。

そしてそこには、予想外の音が待ち受けていた。

赤い公園が次に訪れたのは、東京・東村山。
この場所は彼女たちにとってどんな場所なのか・・・

4年前、4人が運命の出会いを遂げた
母校、東村山西高校。

佐藤、藤本、歌川の3人と、1年先輩だった津野は、
共にこの学校の軽音楽部に所属していた。

久しぶりに訪れた校舎。

ペタペタと鳴るスリッパの音を響かせ
当時、4人がよく通っていた思い出の場所へ

図書室、津野の作詞能力の原点。
感性を育んでくれていた場所。

そして4人が出会った軽音楽部の部室へ。
原点とも言えるこの場所は当時と同じ姿で今も残っていた。

この軽音楽部からメジャーアーティストになった先輩の訪問に
後輩たちから歓声の声。

そして、そこには、いつも親身になって楽器を教えてくれた
ある恩師がいた。

軽音楽部の顧問だった先生。
現在は、ほかの学校へと転勤してしまっているが
4人の為にわざわざ駆けつけてくれた・・・。

優しかった先生の声に支えられ、
日々練習を重ねていた高校時代。
4人はこの軽音楽部で赤い公園を結成した。

結成からわずか2年でメジャーデビューを果たす

その後、2枚目のミニアルバムをリリース。
インパクトのあるバンド名も追い風となって
各メディアからも一気に注目を集めた。
しかし・・・

デビューから8ヶ月で活動休止

その原因は津野の体調不良によるものだった

楽曲制作から運営まで
バンドの全ての責務を担っていた津野の身体は
限界に達していた・・・

残されたメンバーもまた、岐路に立たされていた

また4人で赤い公園を・・・

残されたメンバーは、津野の帰りを待っていた

しかし、津野はまだ一人、暗闇の中にいた

そんな中、休止以来初めて、4人が再開する機会ができた。
そしてその時に聴いた、ある音が
赤い公園の復活へと導くことになる・・・。

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