平日の仕事が終わってから走る楽しみを知ってしまいました。「リアルタイム」の放送が終わってから着替えて、街へ。体調をみながら数キロ走って戻ってくると、もう汗だく。このところ涼しい日が続いていますが、からだがどんどん熱を生み出します。皇居のほうまで出てからぐるっとお濠沿いに回るのは、まさしく東京都心の定番コース。意外や北の丸から半蔵門にかけてはゆるーく登っていきますから、へなちょこな私の息はけっこうあがります。ただし半蔵門から日比谷にかけてはそのぶんを下りで後押しされる感覚。左手に広いお濠の水を見ながらですから、気持ちよく走れること請け合いであります。
写真は勝鬨橋。夜はこういう感じでライトアップされるのですね。携帯電話のカメラで撮ったとは思えないキラめき感。こういう景色と出会えるのなら、もっと早くから始めれば良かった…。東銀座や築地の界隈は会社からも近いのですが、我々日本テレビは移転から間もない新参者。私もなかなか新規のお店開拓は進みません。でもいくらか左右に気を配りながら走ってみると、大通りからちょいと入ったところに、ぽっといい感じの灯りが点いていたりするんですよね。ジョギングのいいところは、車でさーっと走るのと違い、気になったらすぐにそっちへ進行方向を変えられること。店の表にでている品書きなんかを見て、「ほぉ」っと何となく頭のなかにメモします。よしよし。でもだいたい半分ぐらいは走り終わるころには忘れますけど。
で、会社に戻ってビックリする出会いもあるのですよ。先日、日テレの隣にあるホテルのホールを抜けたときのこと。汗にまみれて真っ赤な顔で戻った私は「あ!ニュースキャスター!」という溌剌とした第一声の直後、ワワーっとそのグループの皆さんと握手→写真におさまることになりました。聞けば、札幌から洋酒メーカーの社内表彰イベントでお見えになった皆さん。最初に私に気付いた女性は私と同い年だそうで、「いつも見てるよー」「なーんだ、テレビでみるよりずっと華奢だね!」「がんばってー」と、ちゃんと答える間もなくなんだか完全に彼女のペースに乗っかってしまいます。あの元気と勢いにあってはこちらが主導権を握るのは不可能でした…。脱帽です。ジョギングによる疲労と、勢いに乗せられたノリと、いくばくかの戸惑いと。その瞬間の私はいったいどんな表情でその写真におさまっているのか。おそらく間の抜けた表情なんでしょうねえ。お名前も聞くことができなかったあなた!写真をプリントしたらぜひ送って欲しいものです。…すでにどこかのブログとかにアップされていないことを祈るばかりです。
斯様に、夜の運動はさまざまな出会いを生むというお話でした。
本作の著者は1978年生まれ。4年前に綿矢りさ、金原ひとみが芥川賞を受賞したときは「ほぉ…」ぐらいにしか思わなかった私。しかし最近手に取る小説の作者が自分より若いことが増え、むしろ今さらのように若い「作家」の活躍を実感しています。
・津村記久子『カソウスキの行方』(講談社)
義侠心にかられてとあるトラブルに首を突っ込み、それが原因で本社から郊外の倉庫の閑職に異動した28歳の独身女性が主人公。所帯の小さな職場と、そこから遠くない自宅、で繰り広げられる物語。ま、繰り広げられるといっても、空間的広がりはほとんど無い。むしろ、主人公が心の中でこしらえた「カソウスキ=仮想好き=ある人を好きになったと仮想してみる」の世界を広くこまかに表現している。主人公の「カソウスキ」な心象を軸にしつつ、「女性と職場」の組み合わせで生じる軋轢のエピソードは淡々と挿しこまれるが、決して振りかぶって大上段に訴えかけてくるわけではない。それがむしろ、多くの読者の共感を呼ぶのではないかと思われる。
働く若い女性を主人公にした小説、80年代後半から90年代前半にかけては、少々うわついた感じのストーリーが多かったもの。とくに都会を舞台にしたものは、登場人物の多くが煌びやかなライフスタイルに(生活が実際に煌びやか、というだけではなく、心の有りようや思考様式も煌びやか方面だった)身を置く状況になっていた。テレビの世界ではかつて「トレンディドラマ」といわれた一連の世界は、小説にもあったのだ。今となってはそれも「バブル」だったのだと得心がいく。本作など読んでいると、煌びやかさの欠片すら感じられない日常である。表題作のほかに収録されている2作も同様。物語の中に眩しい躍動感はあまり感じられない。このところの芥川賞受賞作・候補作に共通する感じである。もっとも、世の大多数の日常ってそんなものなのだが。つくづく「バブルは遠くになりにけり」と感じた。
社会保険庁から封書が届きました。「ねんきん特別便」。私のところに来るのは今回が2回目です。春にきた「特別便」には驚かされました。もっとも正確に言うと、「半分驚かされ、半分はやっぱりなと思った」という感じでしたが。20歳になった月から就職するまでの2年半あまり加入していた国民年金の履歴が、年譜からごっそり抜け落ちていたからです。
さっそくその手の書類をしまっているところから国民年金がらみの書類を引っ張り出し、ひと月ぶんも残らず納付証を確認しました。で、それを手に指定の番号に電話したのですが、なかなかこれが繋がらず…。その日は諦め、別の日にようやく繋がった電話で、自分の加入履歴や必要な番号などを通知しました。その際当然、「この申告は今後どう反映されるんでしょう?」と尋ねると、「おおむね3か月後ぐらいに、申告を反映した書類が送られてきます」との由。また忘れるぐらい先だなあと思っていたら、案の定、忘れていました。人はこうして大事なことをうやむやにしていくのだなと怖くなります。
しかし。私はたった1回の切り替えですよ。大学を卒業して厚生年金に替わっただけ。それでも記録落ちがあるんですもん。ビックリです。転職や結婚離婚などの回数が複数回ある人は、これは役所の記録を信用しちゃならないなと思います。以前にもオンエア後の動画「キャスター日記」でも言いましたが、私の保管していた納付証明には「年金を受け取る際に必要となる可能性があります。大切に保管してください」みたいなことが書いてありました。笑止千万です。アンタがたに言われたくないよ。
私は学生の終盤からこれまで5回引っ越ししましたが、きょうび、それぐらい転居する人は多いはず。本人がせっかくきちんと保管していても、役所が記録を滅茶苦茶にしては…。うだるような暑さの中届いた今回の特別便。暑さと気怠さをますます強く感じさせるような役所の空気が、封筒の中から出てきたような気分になりました。やれやれ。
お盆休みも明けて、きょうからお仕事という方も多いと思います。里帰りした方は地元の空気、いかがでしたか。私は先日、故郷ではなく母校近くの書店に行きました。先日7月12日の読売新聞夕刊「本と私」欄でも話をした通り、「私のイチ押しの書店」に行くためです。ひとしきり本を物色したついでに、母校のキャンパスへちょっと…。休日のため、あいにく門は閉まっておりました。
夏休みのはじめには、ゼミの仲間と久しぶりに教授を交えた昼食会がありました。それぞれに近況を報告しあい、先生からは最近の大学事情をあれこれと伺いました。聞いていると、学部の様子は私たちが在学していた時とずいぶん変わったようです。一事が万事、「学生はお客様」なんだなあとおもってしまうほど。入学前のガイダンス、科目登録、専修の選び方、ゼミの運営…。少子化と厳しい財政状況にともなう、優秀な学生の争奪、目標設定とその到達度チェック。大学教育にも大きな変化の波が来ているようです。
私たちのころは…と言いだすと本当に年寄りくさいのですが、明らかに相違があるので仕方ありません。よく言えば学生の自主性任せ、悪く言えば放任、でありました。ま、大学生になったら自分のことは自分で責任を持ちましょう、ということ。授業に出るも出ないも、何に打ち込むかも。
いまやオンデマンドのネット授業もあるそうです。「一度も実際に顔を見たことのない学生のリポートを採点するのは、いやぁ、それはさびしいものですよ」と我らが教授。変わっていくべきところと、変わらぬよさを守るべきところと、どうも今が過渡期のようです。
でも実際にキャンパスを訪れてみると、やっぱり変わったところが目につくんですよね。芝居や講演会、サークル勧誘の「立て看板」が無くなり、校門に埋め込まれた「文学部」の文字は「文学学術院」に代わっていました。私の卒業した「第一文学部」はすでに2006年度に募集停止、新しい学部に再編されています。真新しい校門のプレートが、ちょっとさびしく感じられます。
オリンピックを見ていて、前回と同じことを感じることがあります。それは、柔道。火曜に行われた女子63キロ級の決勝。谷本歩実選手が一本勝ちで連覇を成し遂げた瞬間です。テレビ観戦していた我々が「やったっ!」と小さく叫んだその刹那を、生放送がスロー再生しました。左の大内刈りをかけた相手(フランスのドコス選手)の動きをこらえて、右の内またがスパッ!!と決まります。2人の体は瞬息、宙に浮いたのですが、注目すべきはその表情。明らかに谷本選手は笑顔を浮かべています。本当に何とも言えないいい表情です。ウソだと思う方は水曜日の新聞をご覧下さい。一部紙面にはその写真がばっちり掲載されています。一方のドコス選手は「OHHH、NOOOO!」と言いたげな表情。…フランス語だとどう言うのでしょうか。
アテネのときも谷亮子選手が同様のシーンを見せてくれました。どの試合であったかは失念しましたが、やはり豪快に2人の体がくるっと回転し、畳の上に落ちるか否かという瞬間、すでに谷選手は微笑んでいたのです。で、実測ではわからないぐらいの次の瞬間、こんどは審判のほうを見るわけです。「どうよ!?」という顔で。
いずれにも共通すること。素人の私が「いった!」「決まったか!?」「やった!」という三段活用をしているはるか手前の段階で、ご当人は勝利を確信できるのですね。そりゃその道の世界一を競う実力の持ち主ですから当然なのですが、それはどんなにか気持ちのいいことでしょう。4年間の努力が一本勝ちに結実し、喝采が自らを包むその瞬間を、誰よりも早く確信できるその至慶、吉碌。うぅむ…想像に余りあります。
「一本の 決まる間際に 笑みこぼれ」
今回掲載の写真は日本テレビの北京特設スタジオ。閉幕までにひとりでも多くの選手が笑顔でここへお越し頂くことを願っております。

オリンピックに沸く北京に行って来ました。1泊2日の弾丸トラベラー。しかも北京空港到着から「リアルタイム」の生放送までは、予定では2時間余りしかありません。現地の警備は厳重を極めます。どこで足止めをくらうかわかりません。とにかく大きなテーマは「放送開始までに間に合うこと」。荷物は最小限に、手に持てる範囲の小さいバッグで出かけました。幸いにして飛行機が予定よりも30分ほど早く到着し、多数のセキュリティチェックも無事にクリアでき、幾分の余裕を持って大過なく放送することができました。

北京の空気は「事前に脅かされていたほどの汚れは感じられない」「でも見た目は霞んでいる」「直ちに目や喉に違和感を覚える程ではないが、長期間滞在したらどうだろうか」という感じでした。この感じ方は個人差が大きいですが、この数か月でだいぶキレイになったという指摘もあります。年末あたりにはどうなっているでしょうか。
開会式のチケットは数が限られているため、私は国際放送センターにある日本テレビの仕事場にてテレビで鑑賞。深夜、ホテルに戻るべく街に出ると、幅広い道路の測道には、交通規制のためなのか、あるいは開会式終了時に観客を迎えに行くためのスタンバイなのか、おびただしい数のバスが止まっていて車が動けません。センターラインに近いメインの車路はガラガラなのですが。とにかくどこもかしこも当局による「規制」は有無を言わせない感じです。

オリンピックパークとその周囲は広い範囲で立ち入り規制もなされていて、会場に近寄れない市民が歩道橋の上や歩道に集まって、遠くに見える(というかほとんど見えない)スタジアムの方を眺めていました。24時間営業の庶民的な飲食店では、すべての客が同じ方向を向いています。視線の先にはテレビが。とにかく、中国にとっては特別な一日であることがあちこちで感じられます。きっと何年経っても、この日の自分がどこで何をしていたか覚えていることでしょう。
翌土曜日は午前中から半日かけて移動したようなもので、残念ながら普段着の北京に触れることは出来ませんでした。私が今回見たのは「特別な状況下の、特別なエリア」だけ。オリンピックが終わり、一定の時間が経ったとき、今回のオリンピックがどう総括されるのか。改めてこの街の様子を見に来たいものです。
五島の福江島ではレンタカーで動いたのですが、それをめぐる明暗(?)2つについて。
車を借りたのは大手のメーカー系レンタル・リース会社。車体の傷の有無を確認していざ乗り込もうとするや、係の方が一言。「これ新車なんですよ。お客さんが最初のお客さんです」。つまりじつは「傷のチェック」も必要ないんですね。実際乗ってみると目の前のオドメーターには「00021」の数字が。まだ21キロしか走っていない。確かに納車直後のパリパリの新車です。車内も芳しい「新車の香り」が横溢していました。これ、うれしい反面、責任は重大です。何しろ新車は「慣らし運転」がキモ。今は車の製造工程の精度が上がり、仕上がりのばらつきが少ないのですが、やっぱり走り出しは慎重に使わないと、長い目で見たときにエンジンの吹け上がりや燃費に影響が残りかねません。ファースト・ドライバーの私はそれなりに頑張りましたが、今頃どうなっているかしらん…。

ところで本題はこれから(いつも遅いよ)。レンタカーにつきものの「満タン返却」。今回借りたのはもともと燃費のきわめていいコンパクトカーであります。そのうえ、福江島は信号と交通量は少ない、定速走行をしやすい道路条件が整っています。絶対的なガソリン消費は少ないと予想し、現にその通りでした。
しかしガツンとくるのはガソリン価格。離島はガソリンの運送費用もかさむため、とにかく高いんです。写真の伝票をご覧あれ。レギュラーが198円ですよ。もちろん、私のドライバー人生で最高価格。でも一介の旅行者ですからまだ「影響」などと大きなことは言えません。この日は折しも全国の漁業関係者が足並みをそろえて一斉休漁をした直後。海に囲まれた離島は海上でも陸上でも、燃料高騰の暴風雨にさらされているのです。
漁業への影響はもちろん、航空運賃の値上げがあれば観光客の減少にもつながりかねません。いつになったら元に戻るのか。青い海をすぐ目の前に臨むガソリンスタンドで、厳しい状況を実感しました。
五島の自然と歴史を深く吸い込んだあとは美味しいものを…。まずは牛さん。五島牛です。潮と風が運んでくるミネラルが牧草にもいい影響をもたらしているのでしょうか。実に滋味ゆたかな味わい。私はステーキを食べてみたのですが、何に驚いたかってまずその柔らかさ。たとえば5ミリ幅ぐらいに薄くナイフを入れても、何のストレスもなくスススーッと刃が切り進むのです。まるでスジっぽいところ、無し。あまりのスムースネスに、つい食べる前に最後まで薄切りにしてしまいました。で、口に運ぶと…トロットロのジューシィフレーバー。ああ、思い出しても肉汁が…。
さらにはもちろん海の幸。何を食べても笑顔が漏れる自分の堪え性の無さが恥ずかしいのですが、美味しいのだから仕方ありません。中でもハコフグの背中を開き、そのままボディを器にして味噌を溶かし、淡白な身と一緒に焼き上げる、「ハコフグの味噌焼き」。これ、少々甘めの味噌と薬味がフグの身と渾然一体になって、いと旨し。さらには仕上げにこれまた地元産のウニご飯を。ムラサキウニの滑らかな舌触りと、口いっぱいに広がる磯の香り、ウニ独特の甘みが一気に押し寄せます。付け合わせのちょっとコリっとした海苔の佃煮も最高。これ、お釜ごとご飯を食べ尽くすおそれあり。

あれこれ食べて反省した私は、一面が緑の草に覆われた火山、「鬼岳」に登りました。この日も真夏日。Tシャツの表に塩を吹くまで、真剣に歩き歩き歩きましたよ。ふう。それでも食べた分は消化していませんね。この夏休みで3キロ近く体重を増やしてしまいました。またちゃんと運動しないと…。がんばります。
五島列島で忘れてはならないのがその歴史。遠く遣唐使の時代には中国への最後の寄港地という枢要な役割を果たしました。ここを去るともはや日本ではない、という石碑が福江島の北部にあります。またこの地に帰ってこられるか何の保証もない波の上の旅。風と波に翻弄される船を見送る人々は、どんな思いで小さくなってゆく船影を見つめたのでしょうか。
そしてもうひとつ。キリスト教をめぐる歴史もこの島々のあちこちに刻まれています。豊臣・徳川の時代のみならず、明治に入っても続けられた禁教と弾圧。時の為政者はなにゆえにそうまで激しい痛みを与えつづけたのか、なにゆえに為政者は人の内心まで支配しようとするのか。21世紀を生きる私も、つくづく考えさせられました。
言を極める弾圧が終わり、禁教が解かれると、五島の島々にはさまざまな様式の教会が建てられます。単に建築技術の集成によるものではなく、心の安寧と信仰の深淵が形になっているからこそ、これらの建物はその美しさを究めているのでしょう。
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