当コラムも今回で目出度く300回を数えることになりました。いつもご愛読ありがとうございます。2006年の4月、「リアルタイム」のスタートと同時に始まった当コラムですが、3年、300回ともなりますとそれなりに変遷もございます。今回はちょっと振り返ってみましょう。
1:文字数
最初の1か月はとても短いですね。ほんとに。いまの「乗りもノート」ぐらいの短さです。わりとさらっと書いています。半年ぐらい経って現在とおなじような分量(「文量」かな?)になっています。一時中断したあとの去年2月17日、再開にあたって「ちょっと軽めに」と言いつつ結局元に戻っています。私がざっと1テーマで書くのに適量、ということなのでしょう。だいたい決まってきますね。
2:写真
完全に忘れておりましたが、当初はまったく文字だけだったのですね。写真の掲載が定着したのは06年11月ぐらいから。その後も時々写真のない、文章だけという回がありますが、基本的には写真付き、ということになってきました。ちなみに、掲載している写真は注釈のあるもの以外ほぼすべて、自分で撮ったものです。毎日のように「ブログ用に…」とシャッターを押しています。デジタルカメラと携帯電話のカメラを併用です。
3:更新頻度
07年の9月半ばまで1年半、月水金の週3回書いていたというのは我ながら驚きです。ゆえに最初の1年半で200回、そこからの1年半で100回、ということですね。最近は週1ペースがちょうどよいようです。100回目には「1000回を目指してがんばります」と書いているのですが…。更新が少なくなり、申し訳ございません。
4:テーマ
200回を迎えたときに何を書いているか見たら、デザートですよ。デザート。案の定。「読了日記」も間もなく50回を数えますが、やっぱり食べもののことが多いような気がしております。ニュースキャスターとしてどうなんでしょう…。乗りものに関することは別途「乗りもノート」に週2回書いているのですから除外するとして、書籍、食べもの、多いですなあ…。
ということで、今回もほぼいつもの分量になりました。今回の写真も当然自分で撮ったものですよ。被写体は食べもの。「フレンチトースト」です。30年前の映画「クレイマーVSクレイマー」で、ストーリーと密接なかかわりをもつかたちで登場したメニュー。ダスティン・ホフマン演じる父親がこれを作るシーンが印象的でしたね。私もダスティン・ホフマンに負けじと絶品を完成させました。ナイフを入れてみると「ふわふわのぷるぷる」、でした。400回目も食べもの、でしょうかねえ。今後ともご愛読よろしくお願い申し上げます。
この本を目にしてタイトルを読んだとき。「あ、これは間違いなく自分好みの一冊だ」と思ったのです。そして一気に読み終えて、自分の直感に間違いがなかったことを確認。ねじめさんの手になるエッセイは、旧きよき日本の茶の間や台所の光景を想い浮かべる一冊でした。ちょうど高円寺方面に行く用事があったので、ねじめさんのお店(@阿佐ヶ谷)に寄って読了報告をしようかなと思ったぐらいですが、ぐっとこらえていまパソコンに向かっております。
・ねじめ正一 『我、食に本気なり』(小学館)
「リアルタイム」の視聴者・当コラムの読者の皆さんには周知の通り、私自身、「食に本気」なのです。これは決して特別に高級なものを食べ尽くそうとか、珍味・美味を探究しようとか、そういう高尚なものではありません。その日その日、三度三度の食事や間食を、できるだけ満足したものにしたい、というような気持ちです。体が何を欲しているか、今いる場所や置かれている状況は、懐具合、誰と食べるか・・・。諸条件を総合的に勘案して、その時のベスト、または最上のベターを目指したい。そういう気持ち。つまり、「何となく食事を済ませたくない」、のです。こういう人間だからして、食べ物に関する記憶や思い出、味にまつわる思い入れ(何度も言うように、極上のもの、単に高価なものを目指す気持ちとは全く異なります)といったものを誰かと共有できると、非常に幸せな心持ちになります。本書はまさに、そんな私の気持ちにぴったりくるのです。
筆者は本書で様々な「名言」をさらりと書いています。米蔵では「米の匂いというのは首の後ろ側が気持ちよくなる」といい、スイカを齧れば「スイカという果物はたぶん、スイカそのものではなく、小さなスイカのまわりにある風景や情景を味わうものなのだ」と思い到っています。さらには「ラーメンというのは、じつは本質が非常に大事な食べ物なのだ」と、「ふつうさ」「さりげなさ」を備えたラーメンをよしとする・・・。ひとの息吹がこめられた味の一つ一つを覚えながら、食への意識がかたまってゆく少年時代の思い出を中心にした、じつにみずみずしい生き生きとした挿話。その記憶力に脱帽すると同時に、そうか、食を通じた思い出というのはたしかに時間を超えて残るもの、ということに私も気づくのです。
本書に描かれた、昭和30年代にねじめ少年が体験した数々のエピソードを読みながらふと思ったこと。私は昭和47年に新潟に生まれたのですが、どうも大都会東京での食に関する文化、食への意識というのは、地方に伝播するまでにいくらかのタイムラグがあるのではないか・・・。何がいいたいかというと、私が育った環境の中には意外にも最近まで、ねじめ少年が体験したような古きよき時代のつましい市民の食意識があったなあ・・・ということ。いくつもの自分自身の実体験から気づかされました。
私は父方の祖父母を含むサラリーマンの三世代6人家族で育ったのですが、たとえば「外食」や「出前」というものの特別な位置付け。これは今にして思えば本当に「特別」なことでした。「玉子は一日にひとつだけ」といった意識や、「まずくても食べる。旨ければ喜んで食べる」、そんな食べ物への敬意を教えられてきたこともねじめ少年と同様です。
いま、東京で自分のお金を自由に使って、その気になればどこにでも足を延ばして食べることができます。しかし、愛情と手間が惜しみなくつぎ込まれた味を毎日口にする、ひとつひとつの新しい味を覚えていく、そして滅多に口にできない贅沢な食べものに焦がれる、当時は無意識のうちだったそんな食体験が、どれだけ貴重なものだったか、この年になってわかりはじめています。
そしておそらく、この「食に本気」という性向は今後もずっと変わらないことでしょう。ねじめさんの向こうを張って、私も自分の食について書き溜めてみようかしらん・・・。
いちばん寒さの厳しい時期です。この週末、新千歳空港では猛吹雪で足止めされた人が多数いたようで、帰宅のころにはもうぐったりだったことでしょう。新しい週をリフレッシュできずにスタートするのは本当に滅入りますね。
この時期に大活躍するのがマスク。インフルエンザ、風邪をひいた人はもちろんですが、どうも電車の中や街で見ていると、「予防」のために着用していると思しき人が増えていますね。もちろん私も仕事柄、ほぼ毎日着用しております。会社の廊下やエレベーターで知り合いと出くわすと、昨シーズンあたりは「あらら。風邪かい?」と聞かれることがほとんどでしたが、今シーズンは「風邪?予防?」と聞かれることが俄然増えました。それだけ「予防のマスク」は定着しつつあるのでしょう。いいことです。
そのマスクについて、先日思いがけない質問を受けました。質問を発したのは全国のNNN各局からのニュースをギャザリングする部署のデスク。「近ちゃん、マスクって、毎日取り換える?」…ううむ。不意打ちの質問です。皆さんはどうされていますか。私は、ここ何年かで急速に幅をきかせている不織布(あるいは紙?)製の立体的なマスクを愛用し、激安の量販店で大量にまとめ買いしております。で、もったいないと思いつつも毎日新しいものに取り換えています。何しろオンエアのときと食事のとき以外はほとんど着用しているので。とりわけ朝晩のラッシュの電車、駅周辺の人ごみなどをくぐりぬけてきた日は、間違いなく一日でお役御免です。つまり「先発完投」した投手みたいなものですからね。週末など、ほぼ終日在宅していた日にちょっとだけ近所のスーパーに着けていった、みたいな短時間使用のときには「ま、いいか」と翌日も「登板」しますが。こういうパターンは「もともと先発型なのに、たまたま優勝に向け大事な一戦、9回の抑えだけに登板したから」というような理由づけ、であります。
そういえば子どものころに着けていたマスクは「ガーゼ数枚重ね」、耳ひもはゴム入り、と決まっておりました。もちろん現在も売られていますが、どうも愛用者は次第に年輩のかたにシフトしつつあるようで。あれ、使っているうちに四角形のマスク正面から見て、左右の縦の辺がゴムで縮んでだんだんラグビーボール形に近づきますよね。ちょっと疲れた中年男性が、鼻を上から覗かせるほどに使い込んでいるのを見たりすると、マスクとしては本望だろうなとちょっと思います。あのガーゼタイプのマスク、昔は使ったらきれいに洗濯してまたの使用に備えたわけで、エコですよ。今の不織布タイプも「再使用可能」なタフネスをいつか身につけ、「繰り返し使用可能!」と謳われる日が来るのでしょうか。
少々旧聞になりますが、東京の出版社が「みんなで作ろう国語辞典!」と銘打って、新語を中心とした様々なことばの説明書きを競うコンクールを実施しました。たとえば…
「しゃかお【シャカ男】電車内でイヤフォンから音漏れしている男の人。近年増加傾向にある。」
…などなど。ことばに対する若い感性はなかなかですよ。その結果は大修館書店のサイトをご覧いただきたいと存じます。
今回の本題はその取材で大修館書店にお邪魔したときのこと。昨今はこのコンクールの母体となった「明鏡国語辞典」や、英和辞典の「ジーニアス」、それに「問題な日本語」シリーズなどのヒットを飛ばしていますが、私、大修館と聞いてまっさきに思い出すのは「大漢和辞典」と、その編者である諸橋轍次であります。私と同じ早稲田大学第一文学部を卒業した『NEWSリアルタイム』のプロデューサーも、「大修館書店に取材に行ってきます」と私が言うや、「おお、諸橋轍次の!」との反応。やっぱり漢籍では大修館の右に出るものはない、というイメージは強いものです。
以前に当コラムでも紹介した「中国古典名言辞典」もおなじ諸橋轍次の著書。新潟県の現・三条市に生まれた諸橋は若くしてその才を認められ、中国での研究留学を経て、三菱財閥の学問所とでもいうべき静嘉堂文庫の文庫長を務めます。そして、40代に入って大修館との約定にもとづき、「大漢和辞典」の編纂に取り組みました。しかしその一部を刊行してまもなく、東京大空襲により全巻の組み版と資料を焼失するという悲劇に見舞われます。また一からの作業、そして片目の失明という艱難を乗り越えて全巻を世に送り出したのは、編纂開始から35年、空襲から15年がたった昭和35年でした。
収録文字が5万、熟語50万。その数と内容からいって、漢字圏の辞書として最高峰。世界にあまたある辞書でも最高傑作、との評価もある本書。その編纂はまさに歴史に残る偉業といっていいでしょう。一生をかけたとてつもない大きな業績。こういう仕事を遺せるのは羨ましい…。
と、こういう事実を知っていましたので、今回大修館書店へ初めて訪れたとき、入口で目に飛び込んできた社名の表札を見るや、その字が誰のものかという点が気になりまして。近づいて落款を見ると、やっぱり諸橋のものでした。ほかに「止軒」なる諸橋の号も記されています。ちょっと感激、しました。
この諸橋轍次の生家を含む一角は、「漢学の里」として整備され、記念館もあるようです。こんど帰省したらちょっと出かけてみようかなと思っております。
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