#305 止まれ
March 30, 2009

東京マラソンから1週間経ちましたが、身体的には大きな問題のない近野です。これほど元気とは意外です。きのう5キロほど、ごく軽くジョギングしました。世は春ですね。光のどけき春の日に、気持ちよく外の空気を吸い込めるというのは、じつに幸せなコトです。

0903192353.jpgしかし気持ちよくない、ちっとも「のどけき」じゃないコトも目撃するのであります。「止まらないクルマ」です。当コラムでは去年の10月(#279)でも書いたのですが、最近よく見かけるのです。「一時停止」の標識を守らない大馬鹿者が。週末にジョギングした際も、「止まれ」のほうから飛び出してくるドライバー(のクルマ)を見かけました。あの人たちの精神構造はどうなっているのでしょうかね。「自分は大丈夫」とお気楽に思いこむのは勝手ですが、「他人の命を脅かしている」という自覚は無いのでしょうか。

そして悲しくも空しきことは、その「止まれ」の標識の支柱には、地元警察が取り付けたと思しき「標識守れ」の看板があること。注意してみると、この手の看板はあちこちの「止まれ」標識にくくりつけられています。「事故多し注意」みたいな文言もあれば、「必ず止まれ」みたいな、そのものズバリの直截的なものまで様々なパターンが。しかしいずれにしても「屋上屋」に過ぎません。(「止まれ」の標識に加えて「必ず止まれ」って、いったい…)最低限の規則を守らない輩にそんなことを言っても、効果は毫髪ほども無いでしょう。現に私の目の前では何度も、そういうたわけ者がハンドルを握って「暴走」してゆくシーンを見ているのですから。

ということで。あの看板を作るお金で、停止線にはペイントの代わりに、畑の畝のような「ハンプ」を作って欲しいと再び強く要望します。スーパーの大型駐車場などで見られる、あの、断面がカマボコ型の出っ張りですね。車高の極端に低いクルマや、大型マフラーなどの不正改造も減るでしょう。警察も、「この交差点ではとにかく一時停止させたい」というのが第一義ならば、ルールを守ろうとしない輩の車も「物理的に止めさせる」ことを考えても良いのではないでしょうか。「標識」を通じて理性に訴えても無意味な現実が、ここまで蔓延しているのですから。

#304 完走
March 23, 2009

090322start.jpg東京マラソン、完走しました。タイムはそこそこ(6時間07分42秒)なのですが、とりあえずはゴールまで辿り着いたのでありました。応援してくださった皆さま、ありがとうございます。36年余りの人生で初めての42.195キロ。がんばれば出来るものですね。完走できた理由は幾つかありますが、主だったエピソードをご紹介しましょう。

090322asakusa.jpg休憩しながら走る:自分の脚力を考えると、最後まで「走り通す」のはムリ。なので「歩き」を最初から組み入れました。10キロ走って1キロ。次は7キロ走って1キロ。5で1、4で1…しかしこの辺りが一番辛かった。ランは1キロ7分ちょっとのペース、ウォークは1キロ10分のペースで、後半に「余力を残す」つもりでしたが…。やはり机上は机上でしたね。28キロから35キロあたりが一番辛かったです。

メディカルのお陰:
27キロ、30キロで「アイシングスプレー」「筋肉痛の軟膏」を処置してくれもらいました。何度か脚がつりそうになりましたが、ギリギリのところで回復。ありがとうございました。

食べながら走る:バナナって、美味しいんですねえ。ほんと五臓六腑に沁みました。ほかにもあんパン、クリームパンなど、給食ポイントでの提供物はすべて頂きました。他にも沿道の皆さんが差し出してくださった飴、煎餅、チョコ、氷砂糖、などなど、後半はずっと口の中に何か入れていた気がします。「食い意地ランナー」ここにあり。

応援ありがとう:
でもやっぱり力になるのは応援でした。6時間、1人で走っていましたので、「ガンバレー」の声に励まされました。私のレースを取材しているリアルタイムのスタッフ2人とは携帯で連絡を取り合いましたが、ポイントごとに彼らが居る、自分の到着を待っている!と思うと、気持ちは続くものですね。「走れメロス」状態。ありがとう、小野君、前野君!そして私という人間は、日本橋や銀座界隈など、応援の多いところでは、なるべく歩かないようにがんばっちゃうのですよ。「見栄っ張りランナー」ここにあり…。
浅草橋では視聴者の女性から「近野さーん!いつも見てますよ!がんばって!」と声を掛けられました。35キロを過ぎて隅田川を越える橋の上り坂では「ロッキーのテーマ」をラジカセで流してくれる人も。「自分に勝て」「笑顔で行け」というプラカードも、言われるとその気になるから不思議です。雨・風の中、ランナーが気持ちよく走ることに尽くしてくださった皆さんにホントお礼を申し上げたいです。

090322goal.jpg誰のために走るのか:
でもやっぱり30キロを超えると心身共に折れそうになるものです。事前に聞かされた通りでした。そして、ああ残り4キロで無情の風雨が始まりました。風に向かって肩をすぼめ歩いていると、携帯電話が鳴りました。「近野さん?いまどこですか?」山本真純アナウンサーです。聞けば、もう1時間も前にゴールしたとのこと。「39キロ。雨と風がぁ…」と弱音を吐くと、「ここまで来て歩かないでくださいよ。あと3キロ、1キロずつ誰かのためと思って走ってください。とりあえず40キロまでの1キロは私のために走ってくださいッ」という真純らしい激励。なるほど。確かに。2年前、最初にジョギングにつき合ってくれたのは真純でした。職場の先輩や同僚はじめ、走ることを支えてくれた沢山の人、心の支えになってくれた人が居ることを思い出し、最後はそうした方々のために(と勝手に大きなテーマを背負って)、ゴールしました。

そしてきょう。筋肉痛はもちろん残っておりますが、意外なほどにふつうに過ごしています。もしや「痛みが遅れて出てくる」という、「加齢症状」か?あす火曜がヤマなのか?今いささか心配です。

#303 爛漫
March 16, 2009

しばらく安定しない空模様が続いた東京。15日の日曜日はそのぶんを取り返すような春爛漫の一日でした。午後、買い物のために街に出ると、あちこちに春の訪れを感じました。雪国新潟で生まれ育った私は、何しろ春の訪れに敏いのであります。

090315sakura.jpgこの桜。近所の豪邸から外に向かって伸びた枝です。どう見ても、咲いています。東京の桜、気象庁は3月24日の開花を予想しています。これは平年よりも早い開花ですが、中でもうちの近所は東京でもいち早く春が来たようです(笑)。早い春の訪れをもっと体感したい私は、ひとつの場所を思い出しました。いわば、私の知る都心の「桜の早いスポット」。どこだと思います?都心も都心、霞が関です。そこは外務省。財務省側の道(潮見坂)に面した桜が、毎年早く咲くのですよ。あれはなぜなのでしょう。人一倍、春の訪れを感じやすい敏感な木なのでしょうかね。してみると、あの木は私と一緒の性質を持っているのでしょうか。

090315yellow.jpgこのところ、「桜風味」の食べ物がずいぶん多く出ています。桜風味のチョコバー、マカロン、ロールケーキなどお菓子が多いのですが、桜花の塩漬けを使った料理も魅力的でして…。そんな妄想を広げながら(つくづく呑気です)てくてくと自宅に戻ると、庭に思いがけない花を見つけました。チューリップです。植えた覚えがないのに。ははは。2007年に植えた球根、去年の春に見事な花をつけたのですが、花が終わってもそのまま放っておいたのです。すると。ことし2月に入ったころでしょうか。にょきにょきと緑の茎が出てきたのです。ややや。花が咲くものなんですねえ。おそらく花も付かないだろうからと、何度も引っこ抜こうかと思ったのですが、こうなると「放っておいてよかったー!」という心境です。ははは。今週もがんばろう。

#302 備え
March 9, 2009

090307kunren3.jpg先日、日本テレビ報道局では大規模な放送訓練が行われました。日本テレビのみならず、ネットワーク各局との協力で開催。地震を想定したものでしたが、従来とは設定が異なり、「初めて」といっていいタイプの内容となりました。真剣な表情で進行をする小西キャスター。横にいる森キャスターは原稿や資料を整理して小西さんをサポートしています。普段のオンエアで担う役割とは違う状況です。訓練と言えども実際の放送とは全く同じやり方で、生中継もあれば電話インタビューもあり。放送中に大きな揺れを感じたり、刻一刻と各地の情報が飛び込んできたり。訓練の事務局は、相当に細かいストーリーや、実体験に基づくトラップを盛り込んできました。何人かのキャスターが進行を担当しましたが、誰もが自分の持ち時間を無事に終えるとホッとすると同時に、やった者しか感じ得ない反省や後悔が襲ってくるようでした。

各企業でも災害訓練は行われているでしょうが、私たち報道機関は自分たちの身の安全を確保し、すぐに視聴者に向けて的確な放送を行う責務を担っている点が、一般の企業とは異なるところです。もちろん日頃から小規模な訓練はやっているのですが、今回ほど想定や体勢が大がかりなものは2年に1回ほどでしょうか。やはりやってみて初めてわかること、改善しなくてはいけないことに気づかされます。「いざ」というときへの備えは、長時間の訓練体験そのものだけでなく、訓練でうまくいかなかった反省に負うところが大きいのです。大規模な訓練の熱が冷めないうちに、新たな備えを構築しなくては。

090307cyanko1.jpgさて。一日がかりの訓練を終えて、仲間で会食。小西さんの隣りにいるのは、この日訓練のスターティングメンバーだった、「リアルタイム」のOデスク。大規模な訓練ながら初動の立ち上げはOデスクの指揮のもと、最少人数からのスタートでした。プレッシャーは大きかったでしょうが、得たものはそれ以上だったようです。…この夜はちゃんこ鍋を賞味しましたが、弥生に入ってどうも空模様が安定しませんね。もともと春は周期的にお天気が変わるものですが、今年はなんだか晴れの日が続きません。訓練の日もお天道様の機嫌はいま一つ。それだけに熱々の鍋料理は体中に沁みました。ひとつの鍋を仲間で囲むと話は弾みます。前半は訓練の反省で、後半は四方山話で、訓練以上に盛り上がってしまったのは言うまでもありません。

#301 夕刊
March 2, 2009

090302times.jpg沖縄の地元紙、「琉球新報」と「沖縄タイムス」が2月28日の土曜日付紙面をもって、夕刊を廃止しました。「沖縄タイムス」夕刊の最終号には、一面の左肩に「夕刊の歴史に幕」というおことわりがあります。東京に暮らしているとあまり意識されないのですが、地方ではこのところ夕刊の廃止が相次いでいます。沖縄と同じ日、鹿児島の南日本新聞も夕刊を廃止しました。いずれの例も、広告収入の減少と部数減、配送コストの上昇が理由とされています。部数の減少については、競合するメディアの興隆も当然関係しているでしょう。
たとえばテレビは、新聞と同様の正確性を持ちながら、その最大の強みである速報性を磨いてきました。日本テレビでは地上波だけでなく、24時間ノンストップのニュースチャンネル、「日テレNEWS24」がすでに大きな実績を上げています。またインターネットでも、新聞社自身を含む報道各社がニュースサイトを展開しているのはご存知の通り。こうした状況が逆戻りしない、さらに地域経済の縮小や景気の後退で広告収入の増加も楽観できないとなれば、夕刊廃止の潮流は止められないのかもしれません。

しかし個人的な思いを述べるなら、廃止は避けて欲しいというのが正直なところです。全国紙・地方紙問わず、夕刊の紙面というのは朝刊とは異なる風合いを備えていることが多いというのが、その主な理由です。もちろん午前中までに起きた出来事をきちんと知り、整理出来る(そして他社の報道ぶりを確認する)という仕事上、実際上の理由もありますが、それとは別の理由です。ひとりの読者として、まず単純に、パリッと印刷された紙のメディアが好きなんですね。夕方のニュース前、本日2度目の「パリッとした新聞」が来るとなんとも嬉しくなります。「どれどれ」と手を伸ばします。くわえて、夕刊の紙面全体がまとう雰囲気が、朝刊ほど畏まっていない、というか、やわらかいなとも感じるのです。それは「パリっとした紙の肌触り」との、心地よい違和感とも言えます。

例えば、手元にある「沖縄タイムス」の夕刊最終号、その一面に掲載されているのは各地の沖縄県人会を紹介する連載記事。この日は愛媛の沖縄県人会。カラーの写真は笑顔に溢れています。ページをめくっていくとそこには海外から寄せられた沖縄関係の話題、そして囲碁将棋…広告を見ても、地元の空気がもつあたたかさに溢れています。
朝刊が「仕事着」「通勤電車」「ビジネストーク」とセットだとすれば、夕刊のよさは「普段着」「帰り道」「よもやま話」とセットになっているのかな…という気がします。ということで、出張先のホテルで手にする地元紙の夕刊は、公私ともに必要不可欠なものなのです。地域によっては「夕刊が無い」ことが常態となってしまうのは、なんとも残念でなりません。

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ところで先日、長崎国際テレビの千北英倫子アナウンサーのブログで、当コラムの拙文が誉められていたようで…。それを知らずに書いた300回記念の内容があんな内容ですから、穴があったら恥ずかしい限りであります。たまには軽佻浮薄でないきちんとした内容で…と殊更に意識したワケじゃないんですが、今回はまじめな論考でありました。