#309 柵
April 28, 2009

 今回は乗りものの話題ですが、こちら「リアルコンノ」にての考察を。先日の一部報道に、一定の規模を上回る駅のホームに転落防止の「柵」の設置を義務化する、との記事がありました。(4月17日、日本経済新聞)。記事によると、一日の乗降客が5000人を超える2800駅が対象になる見通し、とのこと。これは実現すれば、公共交通の安全を考えるうえで大きなエポックになりそうです。

 080111ginza-line.jpg東京都心をはじめ、多くの駅のラッシュアワーは、たいへんな混雑になります。列車が平常通りにどんどんやってきても、ホームは決して空いているとは言えません。整列乗車の列がホーム反対側まで達する光景、もはや日常です。いわんやダイヤが乱れ、列車に遅延が出るとどうなるか。ホーム上は列車の到着を待つ人たちであふれかえります。そのすぐ傍らに、時速数十キロの電車がすっ飛んでくるのです。ひとつ間違えば命を奪われるのは必定。ひやっとした経験のある方も少なくないはずです。
 線路とホームの間に、何らかの仕切りがあれば、悲惨な事故はかなり減らせるのではないか。しかしそんな単純なことがなぜ今まで出来ずにきたのか。さまざまな理由があります。ひとつには、「車両のドア位置」があります。同一のホーム上にさまざまな形式の電車が混在して走る場合、ドアの位置がバラバラで、車両ドアと連動する自動のホームドアが作れません。たとえば、東京駅の東海道線ホームには、4ドア、3ドア、2ドア、1ドアと、さまざまな列車が発着します。構造的にドアを作るのは難しいでしょう。
 ではナゼ、山手線のように車両が完全に統一され、ほかの形式が混ざって走ることのないホームにも、ドアが設置されないのか。・・・最終的には「コスト」だと推察します。安全は何にも代えがたいものの、結局一定数の事故が起きることを、あるいは「許容」しているのではないでしょうか。

 朝。出社するときに都市部ではよく聞く「○▽線は◇◎駅での人身事故のためダイヤに乱れが・・・」などというアナウンス。「またか」「困ったなあ」と考える人も多いでしょう。しかしそこでは必ず誰かがケガをし、あるいは命を落としているわけです。悲惨なことがそれだけの頻度で起きていると考えると、ホームへの柵の設置は遅すぎると言っても過言ではありません。「新幹線の生みの親」、元国鉄技師長の島秀雄(故人・文化勲章受章)も、母親の実家の跡取り息子が見舞われたホーム転落・死亡事故をきっかけに、終世ホームへの手すり・欄干の設置を訴え続けていたそうです。ようやく目に見える対策がとられるのか。各鉄道会社の対応に注目です。

#308 止まれ 2
April 20, 2009

090420meishousen.jpg月曜日。出社して最初に驚いたニュースが「名松線で列車が無人走行」というもの。日曜日の夜10時過ぎ、三重県津市のJR名松線・家城駅で、運転士が車両の入れ替えのため運転台を離れたところ、突然列車が駅を出て下り坂を走り出したといいます。このディーゼルカー、3つの駅を通過して、8.5キロ走ったところで停車しました。無人走行のあいだに事故は有りませんでしたが、呆気にとられるしかないお粗末な事案です。しかもこの区間。3年前にも無人の列車が走ったことがありました。このときは深夜の留置中。車両止めを怠っての事故でした。運転士が書類送検されました。

2度目となる今回は、ブレーキが不十分で動いてしまった疑いがあるとみられています。鉄道車両が自動車と大きく異なる点のひとつは、「摩擦が非常に小さい」こと。鉄の車輪と鉄のレールの接触面積は、きわめて小さいものしかありません。一般的な乗用車は、接地面積の合計が「はがき4枚ぶん」とよく言われます。もし、一両の重さが数十トンにもなる鉄道車両が、車輪ごとにはがき1枚ぶん接地していたら、これは大変です。動き出すのに大変なパワーを要することになります。見方を変えると、摩擦による抵抗が非常に小さいということは、ごくわずかな力を受けただけでも動き出す危険を常にはらんでいるわけです。たとえ角度は緩いとしても、下り坂の重力で動き始めるのはもっともなのです。ブレーキをきちんと掛けるのはもちろんのこと、不用意に車両を離れたのはナゼか、という問題も浮上します。

さて、2回とも同じ場所で停車していたのは、たまたまその先が上り坂で、いくらか戻されたからのようです。もしもこの区間がもっと長い下り坂だったら、あるいはもっと傾斜が強かったら。どんなに強く「止まれ」と祈っても、止まってはくれません。制限速度以上に加速して、最悪の場合「脱線」「転覆」ということもありうるのです。結果的にけが人などが出なかった、というだけであって、うっかりミスの一言では片づけられない出来事と言わざるを得ません。どういう風に再発防止をはかるのか。JR東海の対応が問われます。

#307 引越
April 13, 2009

090412sakura.jpg新年度が始まって10日あまり。私の自宅の近所では、4月に入ってから2回の週末で、何台もの「引っ越しトラック」を目にしました。春らしい光景ですね。この時期に転勤で住まいを移す人、それに伴って学校が変わる子供たち、あるいは自分自身の就職や進学で新しい街に転居した若い皆さん、それぞれ新生活に少し馴染んできたでしょうか。

09kaeru2.jpgとりわけ、就職や進学での転居というのは、「初めての一人暮らし」とセットになっていることも多いわけで、人生における一大イベントですよね。私の場合、その意味での転居は18年前の春。大学入学で東京に出てきたときでした。父親と一緒にアパートを探し、何軒かみたあとに決めたアパート。学校に通いやすいということと、一人暮らしに便利な、あれこれが揃っているというのが条件でした。実際、住んでみるといい街だったので、卒業間近まで暮らしたのでした。1年に1回ぐらい、思い立ってその街に行くことがあります。車が入ることを想定していない、昔ながらの商店街は、だいぶ店も入れ替わりましたが、「店舗と住宅が一緒」という地元ならではの店もがんばっています。先日行ってみると、新しい店を見つけました。大判焼きのようなお菓子。店先のベンチでほおばっていると、スーパーの袋を提げた買い物帰りのおばちゃんが、「あら美味しそうねえ」とにっこり話しかけてきました。「ええ美味しいですよー」と答えます。アツアツのお菓子がますます美味しくなってゆく。相変わらずいい街です。

時代が変わって、ずいぶんと夢を抱きにくい世の中になりました。でも。夢をみたり、理想を描いたりするのは若者の特権です。一人で暮らすということは、それなりの成長を必要とするでしょうし、時には辛くさびしい思いをすることもあるでしょう。それでも新しい街で、多感な時期に、自分の時間をひらいていくって素晴らしいことです。この春に見た桜は忘れられないでしょうし、この春にできる友人もかけがえのないものになるでしょう。皆様の前途が洋々たることを祈っております。

#306 複雑
April 6, 2009

週末、北朝鮮が「飛翔体」を発射しました。この原稿を書いている時点では、まだ数時間しか経っていません。ゆえに、この飛翔体がどのようなものなのかなどは詳らかではありません。この問題が持ち上がってから、私がずっと考えてきたことは、「必要十分な情報を伝えつつ、煽らない」ということ。つまり他のニュースと同じ、ということですね。相手が過剰に反応したり、うろたえて醜態を晒したりすることこそ、北朝鮮の「思うつぼ」なのでしょう。国民の生命に危害が及ぶ可能性がある事案ですが、それだからこそ冷静に受け止めて考えることのできるよう、お伝えしていく所存です。

090405kinuta1.jpg「飛翔体」の一件が落ち着いてから、桜を見に足を伸ばしました。出かけた先は「砧公園」です。去年も桜の時期に行きましたね。この週末の東京は日差しはそこそこでしたが、気温はようやく平年に戻ったため、桜は満開。そして夕方近くになっても、人出も満開、でした。視界いっぱいの大木は芝生に触れんばかりに枝を伸ばしています。そして大勢の人たちが敷物を広げ、賑やかに飲食したり、歓談したり。こどもたちはバドミントンや追いかけっこに興じていました。つまり、「普段通りの春の休日」です。春の休日を桜花のもとで何気なく過ごせる、というのは「平和」なのでしょう。こういう平和をいかにしてこれからも守っていくか。

いっぽうで先日、気になることがありました。北九州市の生活保護の問題です。61歳の男性が自殺したのは、市の福祉事務所が保護の申請を拒否し続けたからだとして、遺族が裁判を起こしました。この提訴の一報を聞いて、「朝日訴訟」をすぐに想起しました。いうまでもなく、憲法に定められた生存権をめぐる訴えです。朝日訴訟から半世紀以上。21世紀の日本でも、結局同じような裁判が提起されるという冷え冷えとした現実に、嘆息せざるをえません。そして、この事件に関連して調べ物をしようとした私はもうひとつ、驚くことになります。ある検索エンジンで生存権についてしらべようと、検索ワード入力欄に「健康で」と打ち込むや、バーッと表示された検索候補の最上位に、「健康で文化的な最低限度の生活」という項目が出てきたのです。まさしく憲法25条の条文。それが最上位に出るということは、いかに多くの人がいま「生存権」についてネット上で検索をしているかの証左でしょう。

090405kinuta6.jpg一見すると平和な時間。しかし空のはるか上に「飛翔体」が飛び、同じ空の下では、最低限の「生存権」を意識せざるを得ない重苦しい空気も、確実にひろがっている…。どんな春にもその時期を忘れることなく咲き誇る、華やかな桜の花を見ながら複雑な思いにかられました。