#333 修理
October 29, 2009

数年間使ってきた「携帯ラジオ」のイヤホン部分が破損しました。これは報道局に配属されたときに、買うように言われた七つ道具の一つ。AM、FMのラジオだけでなく、テレビの音声も聞けます。ワンセグもパソコンも携帯電話も無かった頃には、他社のオンエアをチェックしたり、中継現場で自局のオンエアをモニターするのに重宝してきました。

091029radio.jpg音はちゃんと出るのですが、耳に入れるイヤホン部分のプラスチックが砕けたのです。このまま耳に入れると、ちょっと痛いうえにしっかり耳にフィットしないので、家電量販店の修理カウンターに赴きました。まあ1500円とか2000円ぐらいかと予想して行ったのですが…。「まず、当店からメーカーに取り次ぐのに手数料を頂戴します。それが2500円です。それと、この部品の交換にはだいたい3500円ぐらいはかかると思います。ですから最低6000円ぐらいを見込んでください」…だそうです。6000円以上、かぁ…。

そもそもこの製品、新品が1万円前後(安いお店だと8000円台から)ですので、イヤホンの外枠が破損しただけで6000円と言われると、ううむと考えざるを得ません。「新品を買った方がはやいですよ、という価格設定というわけですね」と、心の中で店員さんに皮肉を言って、その場を辞去しました。

 かつての電化製品は今と比較にならないほどに壊れたものです。ただ、それを売った街の電気屋さんが、何度も根気強く直してくれたことも確かです。そして21世紀。街の電気屋さんは消え、製品の複雑化はすすんで店頭での修理は困難になってきました。さらに、新品の単価が安くなったこともあり、修理代が相対的にかさむようになっています。その結果が今回のようなケース、なのでしょう。

以前、ドライヤーが不調で持っていった際には、ハッキリと「お買い求めになるほうが安いですよ」と言われました。直せば使えるのに。賑やかな店内には「エコポイント」「省エネ家電」などの文字が踊っていますが、こういうところは完全に逆行しています。買い換えることが「省エネ」であり「エコ」であると。まさに「消費は美徳」を地でいく感が否めません。常識的な年数の範囲内なら、もうちょっと大事に長く使わせてもらえないものか、なんとも腑に落ちない気持ちですね。

#332 駅伝 2
October 20, 2009

初めて「襷」というものを受け取り肩にかけると、ちょっと、というかかなり湿っています。前2者の汗です。ううむ。男の汗だ。たかだか10キロのランでもこんなに。それだけに箱根駅伝でよくいわれる「襷の重み」をちょっと実感しました。物理的な重みでなく、精神的な重み。少なくとも、きちんとアンカーに渡さなきゃ。と思った瞬間、ちょっとだけいつもよりペースが上がりました。木漏れ日を浴びて、銀杏並木を抜けて、いい感じ。こんど外苑でジョギングしてみましょう。

しかし。半分を超えたところから急に暑さが堪えます。ありゃりゃ。どんどん抜かれる抜かれる。いちばんショックだったのは、小学4年生ぐらいの小さな女の子に抜かれたこと。自分の右にずいぶんと可愛らしい人影が接近したなと思ったら、ぱっと抜かれたんです。「おお、速いね」と、おじさんはつい声を漏らしてしまいました。しかしこのままでは大人としての威厳にかかわります。最後の下りを利用してスピードアップ。抜き返した勢いでそのまま競技場のトラックへ。そうか。マラソンゲートから観客の待ち受ける競技場に入るって、こんな気分なんだぁ…。本職のマラソンランナーが、世界の大舞台で2時間余り走って一番で出迎えられたら…想像すると勝手にじーんとします。
でもそんな感傷に浸る場合ではありません。手元の時計を見ると30分にはまだ3分少々あります。なんとしても28分で手渡そう、ちと頑張ってモリマキに渡します。がんばれ~。あ。その襷ずいぶんビショビショだけどスマンね。悪く思わんでくれ~。

そして最後の30分(予定では)。コース中盤となる公道で男3人待ち受けて応援します。モリマキを待つとじつにさまざまなコスチュームのチームが通過。そうそう。ナスの着ぐるみをかぶったチームは実に堅実な走りだった。ミ二―マウスの衣裳の女の子たちはゆっくりだけど楽しそう。もちろん周回コースで僕らを抜いて行った先頭集団はまるで別のスポーツをしているかのような速さ。みんなそれぞれのスタイルで汗をかいていました。ほんと清々しい!

091018ekiden9.jpgと、モリマキが通過。しかも予定より早いし。軽やかに後半に向かっていったのです。あれ。これひょっとすると僕よりやっぱり早いかな。ということで再びゴールを望めるスタンドに移動。わくわくしながら待ちます。すると。来た来た!猛烈なダッシュでトラックのストレートを駆けてきます。なんだ。余力あるんじゃん。やっぱり能ある鷹は…笑顔でフィニッシュラインを越えました。トータルタイムは1時間44分45秒ぐらいを示していたでしょうか。予定より15分も早い!モリマキは5キロを25分で走ったようですから、やっぱり我々の中で2番目のタイムでありました。

いやあ、私レベルのジョガーにはちょうどいい競技感。無理せず達成感を味わえるうえに、チームとしての結束の喜びみたいなものを感じることができました。何しろ運動が不得手で、とくにチームスポーツとは縁遠かった私が、まさか37歳にしてこんなに楽しめるとは。まさか新入社員を頼りにしながら、仕事以外のところで年の差を超えた連帯感を感じるとは。新鮮な気持ちで国立競技場をあとにしたのでありました。ああ楽しかった。来年もあるのかな。職場の仲間で、同級生で、家族でも。生活の中に気持ち良い句読点を打つことができそうです。オススメです。


#331 駅伝 1
October 19, 2009

さわやかな秋晴れの日。きのうはスポーツしました。神宮外苑で行われた駅伝大会です。人生初の駅伝に誘ってくれたのは、「リアルタイム」ディレクターのO君。あれはいつだったかな。夏まえでしたっけ。涼しくなる時期。都心で参加もしやすく距離もジョギング程度ということで、二つ返事でエントリーをしました。

で、当日。国立競技場に行くと半袖でも暑いぐらいの陽気。燦々と陽光が降り注ぎます。買って間もないサングラス(2000円)がこんなに役立つとは。気象庁の予想最高気温は24度とか言っていたはずなんですけど…。ま、雨が降ったり冷えすぎたりするよりはいいですよね。考えてみれば国立競技場に入るのも久しぶり(走るのは初めてだ)。再びオリンピックの聖火を灯すことがかなわなかった聖火台が、青空に渋く映えます。

091018ekiden2.jpg今回のレースは5キロ×4人の20キロ。栄光の第一走者は言い出しっぺのO君。2番手はこの春に日本テレビに入社したばかりのK君。そして私が走って、アンカーはモリマキさんです。K君はサッカー少年を経て現在マラソンにハマっているらしく、すでに4時間を切るタイムをマークしたこともあるとか。すげえ。レジャー気分で参加した我々。K君のタイムを聞いて「もしも自分が一番へなちょこだったら…」と、今さらの「責任感」が芽生え始めたのであります。何せ私は1キロ6分を上回るペースで走ったことなどついぞ無いもので。一人30分×4人=2時間、と読んでいましたからねえ。
多くのランナーがトラックでウォームアップ。それを横目に(あんたも走れよ)受付でもらったバナナをホーム側のスタンドでもぐもぐやってると、あっという間にスタートタイムです。

091018ekiden8.jpg1600組以上が参加するレース。バックストレートにぎっちりと第一走者が並んで号砲!モリマキが目を凝らします。「いた!あれじゃないですか?」「どれどれ」おお。なかなかの好位置。いい感じで競技場を出て行きました。で。予定通りに30分で帰ってきたのですよ。O君が。でも相当暑かったみたいで、後半はがっくり落ちたそうです。

091018ekiden7.jpgそして第2走者のK君。われわれの「タイム貯金」は彼にかかっています。勝手に「5キロで21分か22分ぐらいかな?」とペースを読んで、早めに中継位置に。するとほんとにそのタイミングで現れてびっくり。速いなあ。しかも笑顔でやってきた。若いなあ。そりゃ私より一回りも年下ですもんね。外した襷を両の手でぐっと横に広げたK君。予想通りの「貯金」を作ってくれました。部署が違うので職場での様子はまったく分からないのですが、この感じ、きっと着実に期待に応えるタイプなのでしょう。14年も年次の若い後輩からその襷を受け取って、いざ私の番がスタートです!


#330 平和賞
October 12, 2009

世界の人々とともに慶賀しつつも、釈然としない部分も残ります。オバマ大統領のノーベル平和賞受賞決定です。

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金曜日のオンエア中に入ってきたこのニュース。一報をスタジオで聞いて、真っ先に考えたのは「受賞の理由は何?」ということ。次に考えたのは、「ノーベル平和賞の権威とは?」という点でした。前者については、プラハでの演説に象徴される「核なき世界」の提唱、アメリカの軍事・外交上の大きな転換、ということのようです。そこで後者は。大統領の示した軍事・外交上のベクトル、それ自体は否定されるべきことではなく、もちろん賛成なのですが、ちょっと待って、とも言いたくなるのです。「それは『実績』なのか?」と。

過去のノーベル平和賞の多くは、成果の蔭の地道な活動に対する称賛であったり、世界中のだれの目にもわかる和解を導いた指導性への賛美であったりしたわけです。ところが今回は、「実績」はまだ。有体にいえば、「理想とする目標をただ言っただけじゃないか」という思いもぬぐい去れません。現に、各局のニュースを見ていると、「街の声」の中にはそういう疑問を投げかける人もいました。
核兵器の廃絶にむけた地道な活動をしている人物や団体は、唯一の被爆国である日本をはじめ、世界各地に居るわけです。世界の人々が名実ともに核の恐怖から開放された喜びを分かち合えるような実績、それをまだあげていないオバマ大統領に、栄誉が回るのはいささか早いのではないか。批判は当のアメリカを含む世界各地で巻き起こっています。

より好意的に解釈すれば、アメリカ大統領が理想を語ること自体が、現実を動かす何よりのインパクトである、ということなのでしょう。今回の受賞決定はオバマ大統領の「有言実行」への期待の表明、であるのかもしれません。ただ、アメリカという国はどこの国よりも自国の「国益」に敏感な国家です。そして国益の実現のためには、強大な軍事力を行使することもはばからない国、と多くの人が感じているでしょう。歴史を振り返れば、20世紀後半からほとんどの時期、世界中でその軍事力を展開してきました。現にオバマ政権も、アフガニスタンでの米軍を増派し、「テロとの戦い」を継続していく意向。タリバン側は口をきわめて今回の「平和賞」受賞を批判しています。イラクでも夥しい数の市民が命を落としています。
想像をするのも嫌なのですが、今後大統領が任期中に、平和賞という栄誉に逆らうような決断をする可能性がないとはいえません。万一、そんな最悪の事態が訪れたときには、ノーベル賞の権威は失墜します。そのあたりまで計算に入れた(つまり、大統領はこの受賞を軍事力行使の枷と感じるであろうと期待した)上での受賞決定、なのかもしれませんが。世界が望まざる将来を見越してか、ロシアの極右政党、自由民主党のジリノフスキー党首は、オバマ氏にノーベル賞辞退を勧める書簡を送ったといいます(インターファックス通信による)。党首は、いずれイラクやアフガニスタンでの戦争などのために、今回受賞する平和賞が剥奪されることになるだろうから、というのです。

アメリカと力の争いを繰り広げてきた相手が、こういう形で受賞を批判するのは予想されることですが、その批判の論理を完全に論破できるか、そして言葉だけでなく行動で批判を跳ね返せるかは、オバマ大統領にかかっています。今回の受賞が、これからのアメリカの決断にいい形の後押しをするのならば、何よりのことですが。皆さんはどうお考えでしょうか。


#329 寄席
October 5, 2009

寄席に行ってきました。このところ行くたびにつくづく思うのは、若いお客さんがぽつぽつと増えているなあということ。ま、私も寄席の客席の平均年齢からすれば十分に若いほうだと思うのですが。見るからに学生さん、というカップルや、勤め先の同僚かしらんという女性2人組。あんまりじろじろ見るわけにいきませんが、ざっと見渡しただけであちらこちらに20代前半と思しき人たちの姿がありました。

091003yose2.jpg今回の目的は、八代目橘家圓蔵であります。落語にご興味のない方のために念押しをしますと、「エバラ焼肉のたれ」「メガネクリンビュー」のCMでおなじみ、「月の家圓鏡」さんのその後、です。はい。いまネットで調べたら、もう75歳、なんですねえ…。何度も寄席でその姿を拝見していますが、いたってお元気。でも今回は高座に向かって左手の桟敷から聴いていた私、ちょっと袖口から覗いた手首の意外なまでの細さに驚かされました。あの細さからあのパワフルな声が出るってんですから、プロはスゴイっ。
マクラとして、おなじみ立川談志のエピソードなどでひとしきり笑いをとったあと、客席がほぐれたところで「きょうはナニをやろうかなぁ」と独りごちて、楽屋のほうに「無精床」はやっていないね?大丈夫?と確認してから「無精床」を。(落語に興味のない方に補足しますと、寄席でその日に何を演るかは、その日に決めることも多いのです。高座に座って、お客の様子をみてから決めてもよし。そのために自分より前に出演した噺家が何を演じたか、楽屋に記録が残してあるのです)。中入りの時間が控えていたため、時間を気にしてか、この日の「無精床」は相当端折っていましたが、私としては満足満足。

私が圓蔵をなぜ好きなのか、それは客席を包む彼一流の明るくカーンとした高い青空のような、圧倒的なノリ、が好きだからでしょうか。うまく説明できないと思っていたら、先日出た『落語論』(堀井憲一郎・講談社現代新書)で著者はこう評しています。…「声の甲高さは、ライブで圧倒的な力を持つ」と述べた上で、「いまの八代目橘家圓蔵、彼の声の高さは見事である。」「声の甲高さだけで、人を異様に興奮させる」「客は異様に興奮する。むやみに高揚する。まさにこれがアジテーションだ、という見事な高音の使いようである。圓蔵は十八世紀のフランスにいたら、パリ市民を煽りに煽って貴族を襲わせただろうし、1917年のペトログラードにあればその声でもってケレンスキー臨時政府の施設を襲撃させたに違いない」…
まことおっしゃるとおりです。まあ「貴族を襲撃…」は今の世ではちと物騒ではありますが、つまりはそういうノリの語り口なのですね。以前に聞いた「鰻の幇間」でも「穴どろ」でも、そのノリに魅了されたのでありました。

寄席に行くたび思うのは、「言葉の力」の計り知れなさ。話すというのは「記号化された発音」だけじゃない。声の高低も、黙っている「間」も、多少の訛りも、表情も何もかもが一体となって初めて「伝わる」んですね。言葉という表現を仕事としている者の一人として、常に刺激を受ける場、それが「寄席」なのであります。また聴きに行きましょう。