
2012年10月6日(土)10:30~11:25
企画概要
「被災地に元気を届けたい」
お笑いタレント・間寛平が8月13日、岩手県山田町をスタートし、岩手・宮城・福島の被災3県を462キロ縦断して走った「みちのくマラソン」に9日間カメラが密着。しかし「被災地を勇気付けたい」という寛平の思いに、取材を担当したディレクターは、どこか懐疑的だった。
自らも福島の実家が被災し、家屋が津波で半壊となった日本テレビの武澤忠ディレクター。彼は、芸能人が慰問のように被災地を訪れ、「自分のほうが元気をもらった」と帰っていく姿に、どこか違和感を感じていた。
「被災地のことを本当に思いやってのことなのか!?結局自分たちのためではないのか。」つい、そんな風にさえ感じてしまっていた。
そんな被災地出身のディレクターが見つめた、間寛平の「被災地縦断462キロ」の旅。時にぶつかり合い、時に対峙しながら、「被災地の今」に直面し、互いに共鳴しあっていく。岩手、宮城、福島、それぞれに違った事情があり、様々な人間ドラマがあった。
・・・ふたりが見た「一年半後の被災地」のリアルな真実とは・・・!?
そして、間寛平が最後に涙した「理由」とは!?
これは単なる「マラソン密着番組」ではない。
被災地を走る芸人 × 被災地出身のディレクター
魂のぶつかり合いの末に垣間見えた被災地の真実。熱い夏の9日間の記録である。
プロデューサー 川添武明 (日本テレビ)
嘉沼慶子(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)
小山人志(ファクト)
演出 武澤 忠(日本テレビ)
(概要)
東日本大震災から一年半・・・・未曾有の災害といいながら、被災地以外では急速に「過去のこと」になりつつある。まだ何も変わっていないのに・・・・そんな思いを抱いていた被災地出身のディレクター・武澤忠。
ある時、彼は「被災地縦断マラソンを敢行する」という一人の芸能人の計画を知る。
間寛平、63歳。
言わずと知れた有名芸能人。24時間マラソン初代ランナーにして、「世界一過酷」といわれるスパルタスロンを3回走破。昨年には「目立ちたいから」と「アースマラソン」で地球一周という前代未聞のことを成し遂げた。
そんな彼がこの夏、被災3県を地元住民と触れ合いながら460キロ、9日間で走破するという。
「正直、地球一周までした男が東北を縦断したところでそんなに話題にはならないのでは?
それに被災地を元気付けるとか言って、結局自分たちのためではないのか」
自らの実家が被災し、肉親の苦悩を目の当たりにしてきた武澤ディレクターは、そんな風にさえ感じていた。
しかし、彼が走ることで被災地が何か変わるのか?
確かめたくなり、密着取材をすることに。
2012年8月13日。岩手県山田町をスタートし、被災した沿岸部にそって走る寛平。
連日35度を越す猛暑。アスファルト上の体感温度は40度を越す。そんな中、地元住民と触れ合いながら、一日約50キロを走りぬく。休憩の間にもファンサービスは忘れない。
サインや写真に気さくに応え、ろくに休みもしないまま再び走り出す。いつしか沿道には寛平を応援する長蛇の列が。・・・
夜は仮設住宅を訪れ、住民たちの前で疲れも見せずに笑いのパフォーマンス。・・・
自らも前立腺がんで患い、63歳の肉体は悲鳴をあげているはず・・・・それなのにどうしてそこまでして走るのか・・・ディレクターは次第に、その「理由」を追い求めていく。
そして、北から南へ縦断していく中で 出会った様々な人たち。
「自分が手を離してしまったから・・・」と津波で亡くなった妻の責任をひとり感じ続ける老人。 自分の止めるのを聞かずに人助けに行き、津波に呑まれてしまった夫を恨む未亡人。震災の日に生まれた新しい命、放射能によって家へ帰れなくなった福島の高校生のいま・・・・
それぞれに違った「壁」にぶつかり、それでも必死に生きている被災地の人々のいま。その人生を、番組ではルートに沿って、オムニバスで見せていく。
そこで寛平やディレクターが感じた想いとは・・・
そして3県を走りぬいた寛平が、涙で語ったその想いとは・・・!?

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