ぞうさんペーパーわらしべ長者物語 / 植田紘栄志

2010年6月26日

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象さんが描かれた可愛らしいノート。
実はこの紙、象のウンチから作られているんです!

作った人、植田紘栄志(ひさし)さん。
1万円がキッカケで世界が注目する事業にたどり着いた、
わらしべ長者のお話し...教えてあげる。

1997年、
「とにかく僕はでっかいことがやりたいんだ!」それが夢でした。
昼間は古いコピー機を転売し、夜は魚河岸で肉体労働。
せっせと資金を貯めていた、ある日...
『オネガイ、オカネ、カシテクダサイ』
「変な奴...でも給料貰ったばっかりだから、ま、いいか」
その1万円が、そもそものはじまりでした。

3年が過ぎ、突然スリランカから招待状が届きました。
1万円を貸したのは、その頃内紛が続くスリランカの人でした。
「ま、いいか。ちょっと怖いけど行ってみよう」

ところが...次から次へと友だちを紹介されて、
なんだか、「日本のエライ人」...になっちゃいました。
気がつけば、スリランカでゴミのリサイクル事業を
始めることになったんです。
「ま、いいか。儲かるかも知れないし」

でも、事業は1年たらずで行き詰まり、
日本で貯めた1500万円はパァ...
「このまま日本に帰るのもなぁ。
スリランカの名産、紅茶でひとやま当ててみようかな。
それとも、せっせとルビーを掘ってみようかな。
漁船を買ってフカヒレを獲るのは...まてよ、スリランカといえば象だ!
象のウンチと、リサイクル事業で余った大量の古新聞。
そうだ!ウンチに含まれる植物繊維を消毒して、
古新聞と混ぜ合わせれば、新しい紙が出来る。
そんな話を聞いたことがある!」

試してみたら、独特の風合いを持つ、
お洒落で厚手の紙ができ上がったんです。
これ、世界に輸出したら売れるかも!
でも、立ちはだかったのはワシントン条約。
希少動物の象は、象牙はもちろん、たとえ糞であろうとも
象にかかわる全てが輸出入禁止でした。

ついに貯金も使い果たし、もう諦めて帰国しようと決めたその時...
『アリガトウ ウエダサンノ オカゲデス』
スリランカ国内では、象さんペーパーが大きな話題でした。
口々に感謝の言葉が飛び出します。

実は、森林伐採が進むスリランカでは、
森を追われ、街にさ迷い込んだ象が、人の暮らしを脅かしていました。
神聖な象を射殺しなければならない現実...                        
象さんペーパーは環境破壊に悩むスリランカで、
人間と動物の共存をはかるシンボルになるというんです。

これは、辞めるわけには行かない!
スリランカの人の思いに初めて突き動かされた自分がいました。
すぐに日本に戻って一人、経済産業省に掛け合いました。
なんとか、ワシントン条約の特例を認めて欲しい。
一方で、スリランカの人々も懸命に政府を動かし、
ついに、国際機関への推薦状が手に入ったのです。

ルルルル...
1年後...
運命を分ける一本の電話がかかってきました。
ついに、特別の許可が下りました。
「やはり、誰かを幸せにするようなものが仕事になるんだ!」

いま、象さんペーパーは上野動物園をはじめ、
世界中の動物園にも並んでいます。
そのうえ、象と人間の共生が高く評価され、
世界規模の社会貢献コンテストで、見事グランプリを受賞!

すべては出会いのたまものです。
街角で1万円を貸してあげたあの日から、
あっちこっち寄り道をしたけれど、
初めて本当の仕事の意味を知った。
そんな不思議な10年のお話でした。

バトンで切り拓く人生 / 稲垣正司

2010年6月12日

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その人は、アスリートとして頂点を極めました。
バトン・トワリング世界選手権で、
11連覇を成し遂げた無敵のチャンピオン...稲垣正司さん。

でも、バトンだけで生活していくなんて夢のまた夢...
普通なら諦めてしまう未来を、彼は諦めませんでした。
バトンで切り拓いた人生...教えてあげる。

バトン・トワリングは
アメリカ生まれの、れっきとした採点競技。
競い合うのは技術と芸術性です。

6歳でその魅力に取り憑かれちゃいました。
だけど、まわりはみんな女の子でした。
「男のくせにバトンなんて...」
みんなそう言って笑ってたけど、
全然どうってことありませんでした。
だって、まるで生き物みたいにバトンを操れるなんて、
最高にカッコイイもの!

小学校6年生のとき、
14ヶ国の選手が参加した世界選手権で金メダルでした。
17歳からのシニア部門では、なんと11連覇を達成!
バトンは孤独な競技です。
頼れるのは自分1人...いつも己との闘いでした。

しかし大学卒業のとき、人生の岐路に立たされます。
この道を歩み続けるか、それともバトンを辞めて就職するか...
「でも、やっぱりバトンを続けたい!」
周囲の反対を押し切り、22歳にして独り立ち。
でもやれる仕事といえば、子供たちに指導をすることくらいでした。
声がかかれば、どこへでも行きました。
それでも得られる収入は、やはりわずかなもの。

待っていたのは...、
バトンだけでは食べて行くことさえ厳しいという現実でした。
輝かしいバトン人生で初めて直面した深い絶望...
「やっぱり辞めるしかないのかな」
苦悩の日々は4年も続きました。

そんなとき、旅先のアメリカで偶然見つけた世界がありました。
器械体操や高飛び込みなど、世界のトップアスリート達が
その技術を活かして華々しく活躍している場。

それが『シルク・ドゥ・ソレイユ』でした。
肉体を駆使した極限のパフォーマンスで人々を魅了する
カナダ生まれのエンターテインメント。

「競技ならば絶対の自信はある!」
でも、サーカスのような舞台で、
毎日同じワザを繰り返すようなコトが
果たしてボクに出来るんだろうか...?

オーディションを通過し、半信半疑のまま初日を迎えます。
舞台に立つ日本人はたった1人...
慣れない衣装、派手なメイキャップ。
ただ一心不乱でした。
最大の見せ場を演じきった、その時...

割れるような喝采でした。
それまで、ひたすら孤独と向き合いながらやってきたバトン...
それが、見知らぬ人々の心をこんなにも揺さぶるなんて...

「ここには、バトンが生み出す新しいステージがある!
ボクにしか作れない感動がある!」

アスリートからホンモノのエンターテイナーへ。
愛するバトンが切り拓いてくれた新しい人生。
稲垣さんは噛みしめています。
人を楽しませるコトの素晴らしさを...

いまや彼は、東京公演で最も客を呼べる男とまで言われています。

日本一のバス馬鹿 たったひとりの戦い / 山本宏昭

2010年6月 5日

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屋根の上の2本のロケットが斬新な、富士重工R3型。
昭和57年製のまさに最高級モデル...
三菱ふそうМ615S。
日本で唯一のセミ・スーパー・ハイデッカー車両で
空力を考えたエアロ・デザインが特徴...

鉄道マニアを自認する人は多いけど、
今夜の主役はバスマニア!

山本宏昭さんが初めて買った自家用車は
なんと700万円の観光サロンバスでした。
コレで新婚旅行まで行っちゃいました。

自称・日本一のバス馬鹿さんが夢に向かって歩き出します。
山本さんが挑んだ、たった1人の戦い...教えてあげる

さっそうと走るバス...
制服もバッチリ決めてますが、
これは あくまでプライベートの運転です。
ひとり楽しむ二十代の頃

バスは子供の頃から大好き!
「大きくなったら絶対に運転手になるんだ!」
バスに乗っても景色そっちのけで運転ばかり見ていました。
でも...バス会社の就職試験は不採用でした。
家業の酒屋を手伝う日々...
バスはあくまで趣味のハズだったのに...

「やっぱり、お客さんを乗せて走りたい!」
夢はあきらめきれませんでした。
「自分でバス会社を作っちゃおう!」
『銀河鉄道』と名付けた会社には中古のバスがたった一台でした。
ただ情熱だけが燃えていました。

ちょうどその頃、
地元の東村山市で路線バスの計画が持ち上がっていました。
二つの駅を結ぶルートで片道30分という
運行時間まで決められていました。

普通、路線バスに採用されるのは
実績のある大手の会社ばかり。
5つの会社が手を上げました。

そんな中、無謀にも銀河鉄道は名乗りをあげました。
「夢をかなえるのは...今しかない!」

各社は、運行ダイヤや予算をまとめて
企画書を作るよう求められました。
規定のルートを何度も何度も走ってみました。
本当にこれでいいのだろうか...
「同じような企画書を出しても大きな会社には勝てっこない...
ひとりで戦う自分はどうやったら勝てるんだろう...?」

街を歩いてみました。とにかく何かヒントが欲しい...
街に暮らす人たちの声を聞いてみました。すると...
『せめて病院までは楽に行かせてほしい...』

そうか...! 
「バスというのはみんなの生活を支えるためのものだ。
運転が上手いとかお客さんを乗せるだけじゃだめなんだ。
制約に縛られている場合じゃない!
大事なのはどこを通るかなんだ!
商店街を通るルートにしよう。
大きな病院には玄関まで乗り入れよう。
バスを本当に必要としてくれる人たちのためにも、
30分以上かかっても構わない!」

そして企画提出の日...
他の会社はルートや運行時間を
キッチリ守ったプランを出したといいます。
でも銀河鉄道は規定を無視した40分の独自のルート。
その説明になんど百ページも要しました。

街のみんなが背中をおしてくれました。
分厚い書類を手に切々と訴えたことはただ一つ。
ホンモノの路線バスとは何か。
最終決定は市の委員会へと持ち越されました。

そして一ヶ月後...
届いたのは採用決定の通知でした。
なんの実績もない無名の銀河鉄道が、
住民を乗せて街を走ることになりました。
ついにかなった少年時代からの夢。

私たちの暮らしも変わる!
商店街も沸き返りました。

いまは、バス会社の社長にして憧れの運転手。
自称「日本一のバス馬鹿」さんは
今日もハンドルを握り、沢山の笑顔を運んでいました。

たった一人でもみんなの力を借りて
夢はホンモノに出来るんだ!