水中ロボット誕生秘話 / 林正道

2010年8月14日

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優雅に泳ぐサメ!
アマゾンの淡水魚!
挙句の果てはシーラカンスまで!!
でも、これがロボットだって信じられますか?
 
つくった男、林正道さん。
彼は、海の本当の楽しさを知っているんです。
水中ロボット誕生に秘められたドラマ...教えてあげる。
 
林さんは子供の頃から海が大好きでした。
将来の夢は、イルカになること。
大学で海洋学を学び、
地元愛知で、子供たち相手の海洋教室の先生をしていました。
どんな小さな子供でも、海に潜ってもらう。
それが、海の楽しさを知る一番の方法だから。
彼は一生ダイビングを通して、海の面白さを伝えていくはずでした。
2001年、病に倒れるまでは...
 
重い肺の病気で海に入れなくなったのです。
それは、彼から完全に生きる気力を奪いました。
宮古島で最後を過ごそう。海を眺めるだけの日々。
   
気がつけば懐かしさで思わず、海の生物の模型をつくっていました。
「うわあ!すごい!」
「本物みたい!」
「これ、動かないの?」
海の生物を知りつくしていた彼にとって、
本物そっくりの模型をつくることなど、わけもないことでした。
「ねえ!泳がせてよ!!お願い!」
そんなささいな言葉が、林さんに生きる希望を奮い立たせました。
「わかった。泳がせるよ!!」
 
専門家に相談するため、大手ロボットメーカーを訪ねました。
ところが、二足歩行のロボット作りで懸命だった時代に
泳がせるなんて何の役にたつんですか。と、けんもほろろ。
仕方なく、自分で一から作るしかありません。
ロボット工学の知識などありません。必死の勉強です。
 
やっとの思いでできたロボット...確かに前には進む。
でも、海で見てきた生きた泳ぎじゃない。
子供に見せたい一心で、試行錯誤は3年におよびました。
そのため、ダイビング用品もクルマも売り飛ばし、
注ぎ込んだ資金は1500万円。
どうしたら本物のように生き泳ぎができるんだ。            
「あの頃、一緒に泳いだなぁ。
そうか!彼らは尾ビレで泳いでいるんじゃない!全身で泳ぐんだ!」
 
間近で見た、あの全ての動きを再現しよう。
今まで、尾ビレだけを動かしていたロボットとは違い、
上半身、口、ヒレなど、およそ前に進むことと関係ない部分も動くように、
モーターを組み込んでいきました。
本物と同じ場所をすべて動かすことで、
ほら、ダイナミックで面白い、本当の魚みたいに見えませんか?
重さ、質感、重心、全てを本物と同じにつくる。
それは専門家が考えもしない発想でした。
でも、本当に泳ぐんだろうか...
不安でした...
 
2006年12月、
林さんのロボットが水の中を自由に泳いでいました。 
第一号は、ジュゴンとスナメリ、
作り始めてから4年の歳月が経っていました。
「よいしょ!大きいよ!」
 
林さんは、いまアルバイトで資金を稼ぎながら
日本中を回って無償で子供たちに
水中ロボットを見せて歩いています。
 
「生きてるみたい!」大喜びの子どもたち。
もう海には戻れない...
でも、このロボットで海の楽しさを伝えていける。
僕は、海と人のかけ橋になった。

プロになりたい!将棋界の歴史を変えた挑戦 / 瀬川晶司 

2010年8月 7日

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2004年夏、大事件が起きました。
超一流のA級プロ棋士を、アマチュア棋士が破りました。
それは前代未聞の出来事でした。

勝った人、瀬川晶司さん。
アマチュアはプロにはなれない。それが将棋界のオキテでした。
宿命と闘い、歴史を変えた男の挑戦...教えてあげる。

スポーツも勉強も苦手でした。
引っ込み思案な小学生を変えたのは、将棋でした。
「プロになりたい!」
父親は、自分の好きな道を行けと言ってくれました。

プロ棋士になるには、日本将棋連盟のプロ養成機関、奨励会で
四段にならなければなりません。
ただし、26歳までに4段になれなかったら、
その時点で強制的に退会...
プロへの道は絶たれてしまう60年以上続く、
鉄のオキテがあったのです。
誰もが死に物狂い、追いつめられて、
絶望の果てに去ってゆく先輩は、数え切れませんでした。

瀬川は14歳で奨励会に入会しました。
全てを賭けてプロを目指しました。
でも...勝てませんでした。26歳。夢は絶たれました。
「消えてなくなりたい...」
将棋だけに懸けてきた青春が終わりました。

27歳で大学に入り直し、システムエンジニアになりました。
「将棋の駒に触れたくもない!」
そう思っていても、1年後には町の将棋道場に再び通い出しました。
アマチュアの大会で優勝を重ね、
ついに、プロ棋士を負かしてしまったんです。

アマチュアながら、プロと闘って、勝率7割近く。
驚異的な成績でした。
仲間たちは冗談交じりに言いました
「瀬川さん、プロになっちゃえば」
それは決して叶わない夢。
奨励会から脱落した者は、プロにはなれないのです。

その夜、なかなか寝付けませんでした。
ふと父の遺影が、何かを語りかけているような気がしました。
「自分の好きな道を行け!」そう言ってくれた、父さん。
安定した生活を捨ててでも、
何よりも好きな将棋の世界で生きていきたい!

不可能を承知で、将棋連盟に嘆願書を書きました。
もう一度、プロの世界に挑戦してみたい!
鉄のオキテに立ち向かうサラリーマン。
メディアは、前代未聞のこの事件を書き立てます。
当然プロ棋士たちは怒りました。
「プロ入りなど論外だ!」
オキテ破りの要求を簡単に認めるわけにはいかないのです。

ところが、ある一言が事態を変えました。
『瀬川さんがこれほど勝っているのは重い出来事。
ハードルは高くても何らかの道を作った方がいい』
同い年の天才棋士、羽生善治の言葉でした。

そして、ついに連盟は動いてくれたのです。
特例で、プロ棋士への編入試験が決まりました。
試験は6番勝負。3勝すればプロとして認定してくれるというのです。
...すべては自分次第。

2005年11月6日、
2勝2敗で臨んだ第五局。
「コレに勝てば、プロになれる!」
対戦相手は奇しくも奨励会で同期だった、高野秀行五段...
平常心... 平常心...ただそれだけを考えて...
高野「負けました」

9年前、一度は諦めた夢が叶った瞬間...
泣くまいと決めていたのに、やっぱり涙が滲みました。
「実感がわかないですけど勝てて嬉しいです」

この翌年、将棋連盟は、プロ編入テストを正式に制定。
60年以上続いた長い歴史が塗り替えられました。
プロになって、収入は減りました。
でも、悔いはありません。
自分が好きな道を歩いているから...