暴走族絵本作家になる / のぶみ

2010年10月30日

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暴走族のリーダーから売れっ子絵本作家になった、のぶみさん。

かなりのワルだった高校時代が過ぎ、
可愛い女の子がいそうな保育士の専門学校へなんとなく進学。

そこで一目ぼれした女の子「ようちゃん」の趣味は、「絵本を読むこと」。
仲良くなりたい一心で、描いたこともない絵本を作る日々が始まりました。
ようちゃんも喜んでくれ、彼の絵本は学校でも次第に評判に。

「いつか、自分の絵本を大きな書店に並べたい!」

という夢も出来ました。
図書館に通い売れ筋の絵本を徹底研究して、いつしか作品は300冊以上に。

登山用リュックにそれを詰め込んで売り込みに励んだものの、出版社では門前払い続き。
でも、夢を諦めかけたとき、ようちゃんのある一言が、
彼の絵本が世に出るきっかけとなるキャラクターを生みました。

大好きな女の子を振り向かせたい一心でひた走った男の、まっすぐな恋のおはなし。

主婦から特殊メイクアーティスト秘話

2010年10月23日

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やりたいことが見つからない普通の主婦から、
ハリウッドで活躍する特殊メイクアーティストになった江川悦子さん。

夫の転勤によるアメリカ暮らしで、時間を持て余していた彼女。
ある日、特殊メイクを使った映画に衝撃を受けました。

「自分の作品で人を驚かせたい!」

夫を説得してメイクの学校に通い、
プロの世界に飛び込んだものの、
何のつてもない日本人の彼女にはなかなか働き口が見つかりません。

やっとたどり着いたのは、「タダ働きの雑用なら...」という条件で
何とか潜り込んだ特殊メイクの工房。
悔しさをかみ締め無給で働きながら、彼女はチャンスを探りました。
そして、彼女はある「勝負」に出たのです。

待っているだけではチャンスは来ない。
人知れぬ努力で世界の舞台を駆け上がった、ひとりの女性の物語。

女性船長誕生の真実 / 寺田美夏

2010年10月16日

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一千トンもの荷物を積んで、巨大な貨物船が行きます。
船を操るのは、寺田美夏(てらだ みか)さん、29歳。
去年、国内の貨物船としては
日本で初めて、女性で船長になりました。
 
男ばかりの船乗りの世界に果敢に挑んだ、
女の子の真実...教えてあげる。
 
海が大好きでした。
船会社に就職したとき、22歳。
新米船乗りの仕事はペンキ塗りなどの雑用から始まります。
思った以上に、大変でした。
でも、私はやれる頑張れると信じていました。ところが...
「女にはムリだ。どいてろ。どいてろ!
 どうせすぐ、辞めちまうんだろう?」
確かに...会社ではこれまで30人以上の女性を採用。
でも耐え切れなくて、みんな2、3年で去っていったのです。
立ちはだかった 船乗りの世界の現実...
無性に悔しかった。でも、負けたくない...!
 
だから、入社2年目なのに、
『私、30歳にまでに、絶対船長になります!』
この会社で船長になれるのは普通、経験を積んだ40歳過ぎ。
5億円の船に、数千万円ぶんの貨物。
船長にはそんな信用が求められます。
これまで女性には、そのチャンスすらありませんでした。
 
もう、あとには引けない。
船の操縦を指揮し、気象や潮の変化を読んで
運行計画を作ったりするのが船長の仕事。
その下に、貨物の運搬を管理する航海士とエンジン担当の機関士。
自分は 駆け出しの二等航海士。
人と違う努力が必要でした。
出航前は 一番で船に乗り込み、自分なりの運行計画を。
仕事を終えた後は、休む時間もおしんで機関室へ。
本来、エンジンまわりは機関士の仕事。
でも船のことなら、どんなことでも知っておきたかった。
 
そんなある日...
『船長...!エンジンに異常が!』
「バカな... 計器は点検済みだ。駆け出しが何を言ってるんだ」
『いいえ、船長!間違いありません!』
調べてみると、パイプから燃料漏れ。
エンジン音がいつもより不規則なことに、
真っ先に気づいたんです。
 
実はこれ、航行中にどんな音が聞こえるのか、
いつも気にかけていたお陰でした。
少しでも音が変わると、その原因を確かめずにはいられない。
知らず知らずのうちに、感覚がとぎすまされていたんです。
ただ、無我夢中でした。
「こいつに船長を任せてみよう」
いつかそう言ってもらえるまで...
 
そして、5年後...
「船を、操縦してみるか...?」
ついに、船長最大の仕事。
船の舵をとることになったのです。
神戸と広島を結ぶ、瀬戸内海ルート。
潮の流れが複雑に変化し、狭い水路に船が行きかう難しい海。
 
重圧を背に運命の運航がスタート。
先輩船長が隣で目を光らせています。
少しでも不安を感じさせたら、
積み上げてきた信用も水の泡...
 
深夜2時、
潮の流れが目まぐるしく変わる、
日本有数の難所にさしかかったとき、
ピーピーピー...
レーダーが異変を伝えてきました。
外国船が、急速に近づいてきたのです!
このままでは、潮に引き寄せられて衝突...
危険を回避しなければ...!
夜の海は、漆黒の闇。
レーダーにも、潮の流れまでは映りません。
そうだ!音だ!
全神経を、音に集中させました。
エンジン音の微かな変化が潮の流れの変化を教えてくれる。
いまだ!潮の勢いが弱まった。
ここで追い抜く!加速前進!
 
10分後、無事に外国船を追い抜きました。
これまでの経験と知識をフルに使って。
なんとか冷静な対応ができたんです。
16時間の航海を終え、広島に到着。
 
先輩の船長は...、
ミスの許されない船長の仕事。
その後も寺田さんは着実に信用や実績を積み重ね、
半年後、日本初の貨物船の女性船長になりました。
 
ホンモノの船乗りへと成長した寺田さん。
結婚したけど、辞めていません。
夢は、ママになっても船長として働くこと...

No.1レゲエダンサー誕生の真実 / JUNKO 

2010年10月 9日

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全世界で百万枚のセールスを記録した、この大ヒット曲。
プロモーションビデオにはひとりの日本人ダンサーが登場します。

いま、世界で最も注目される、
プロのレゲエ・ダンサーJUNKO。
名、工藤純子さんごくごく普通の青森の女子高生に、
舞い降りたシンデレラ・ストーリー、
自分を信じることの大切さ...教えてあげる。
 
青森県の三沢に住むどこにでもいそうな、ごくごく普通の女の子。
運命の出会いは、高校時代にやってきました。
近所にあった米軍基地のフェンス越しに聞こえてきた、
なんだか不思議なリズム。
気持ちいい!身体が自然に動いてました。それがレゲエ。
一気にハマッちゃいました。
必死でCDを探して好きな曲に出会ったら、
朝から晩までずーっと聞きまくってた。
 
上京して、美容師になってからは一週間のうち七日間、
って、つまり毎晩、レゲエのクラブ通い。
朝まで踊りまくって昼間は7時間の立ち仕事。
睡眠時間は3時間くらいかな
でも、へっちゃらでした。
だって...身体が躍りたいって、言ってるんだもん。
 
そんな生活は2年も続き、踊った時間は3000時間以上!
この時間が人生を大きく変えることになるなんて
このときはまだ思ってもいなかった。
で、ある日突然決めちゃった。
本場・ジャマイカに行こうって。
頭で考えても始まらない。感じるままに突き進め!
さっさと仕事もやめちゃった。
 
そして憧れのジャマイカへ!
暗くなって向かったのは怪しげなダンス・ホール。
本場のダンスは強烈でした。
DNAが躍ってるってカンジ。
やっぱりジャマイカンじゃないとこんなダンス躍れないのかなぁ...
もう圧倒されちゃって、動けなくなっちゃって...
そしたら、MCがなんか話しかけてきたんです。
「日本のお嬢ちゃんにはレゲエは踊れないかな?」
バカにされてる...
でも、周りはみんなイケイケジャマイカン。
こんなとこで無理無理。
って思ったら、腰が勝手に動き出しちゃった。
よし、身体が気持ちイイって思う感覚を信じるんだ!
気づいたら、フロアに飛び出してたの。
あとはもう、リズムに身を任せて...
 
そしたら...
ジャマイカンたちも、大喜びしてる!
自分を信じて生きてきたの。間違っていなかったんだ!
 
日本に戻った時には、頭で考えるより先に決めてました。
プロのレゲエ・ダンサーになろう!
けど日本では、レゲエはまだまだマイナー。
ショーに出ながらも、アルバイトで生活費を稼ぐ日々でした。
 
でも、レゲエの神様は、彼女のことを忘れていませんでした。
実はそのころジャマイカで、彼女のことが噂になっていたんです。
「ジャマイカ人より、ジャマイカンなダンスを踊る日本人がいる」
 
そして2002年のある日、ジャマイカ行きの航空券が届きます。
世界最高峰と言われる、レゲエダンスのコンテスト。
その主催者が、彼女のうわさを聞きつけ、招待したんです。
これまでジャマイカ人以外勝ったことのない、
このコンテストのステージに、彼女の姿がありました。
会場を埋める6千人のジャマイカンを前にJUNKOが躍ります。
勝つか負けるかなんて、考えてもいなかった。
ただ、気持ちイイっていう、身体の声に従って...
いつしか会場は、一人の日本人と一体になっていました。
子供の頃から聞き続け、睡眠時間3時間で踊り続けてきた日々が
彼女にジャマイカンのDNAを植え付けたのです。
 
そして...
「ミス、工藤フロムJAPAN」
ビックリ!優勝しちゃった!
それをきっかけに欧米をはじめ世界を舞台に活躍することに。
日本にいるのは、一年のうち、わずか数日。
一気に「ダンス界のタイガーウッズ」と呼ばれる
世界のトップダンサーに。
 
頭で考えるんじゃなく、信じるままに、感じるままに。
こんな素敵な生き方もあるんですね。
 

日本一の判子職人誕生の真実 / 辻 太一

2010年10月 2日

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「舞う」に「蹴る」
「スズメ」に村で...
『マイケルジャクソン...』
マネージャーからオファーを受け、作り上げた見事な印鑑。
 
世界のマイケルも認めた日本一の判子職人、辻太一さん。
50歳を過ぎてなお、判子の道を究めようと奮闘した男。
年齢なんて関係ない、日本一の判子職人誕生の真実...教えてあげる。
 
大阪天王寺で、百年を超える老舗の判子屋
その三代目として、家業を継いだのは18歳の時。
手彫りのハンコは、印刀と呼ばれる刀で彫り上げます。
微妙に刃の太さの異なる印刀を使い分けるのが腕の見せ所。
父親の元で修行を積み、やがて独り立ち。
商売は順風満帆...苦労知らずの判子屋さん生活でした。
 
転機は36歳の時に訪れました。
モノは試しと、判子職人の講習会に顔を出したときのこと。
それまで見たことがあるのは父の技だけ。
初めて目にした同業者たちの技術に腰を抜かしました。
「なんて綺麗に彫れてるんだ」
それまで、町の判子屋として文句一つ言われたことはなかったのに...
本物の判子職人の世界はそんなに甘いものではなかった。
俺は、井の中のカワズだったんや...
 
辻は決意します。
本物の判子職人の道を突き詰めよう。
技術の研鑽(けんさん)には、ひたすら彫るしかありません。
がむしゃらに彫り続け、あっという間に15年...
それでも辻は思います。
まだ所詮、井戸の淵ぐらいや。
 
判子本来の姿は中国にあった、篆書体(てんしょたい)。
引き寄せられるように、中国を巡りました。
そして出会ったのが、何千年も前に刻みこまれた篆書体のルーツ。
「なんて美しい文字なんだ!この腕で、あの曲線を究めたい!」
 
五十にして突然、辻は自分にしかできない
篆書体の曲線求め始めたのです。
でも優雅な丸みを帯びたラインは直線に比べて遥かに難しい。
しかも視力も集中力も衰え始める年齢です。
 
そして、辻は全国の職人が競い合う、
技能グランプリへの挑戦を決めました。
ライバルはみな、30代から40代の働き盛りばかり。
53歳の自分がどこまでやれるのか...
大会では3センチ四方に課題となる平安京遷都千二百年記念祭の
12文字を彫ります。
辻はかかんに勝負をかけました。篆書体の美しい曲線に...
でも、時間のかかる曲線彫り、与えられた時間は、わずか8時間。
普通なら3日はかかる仕事です。
 
参加者の中で最年長、あからさまな好奇の視線。
そして...競技開始。
集中力や体力を持続させることは
若いライバルたちに比べ、圧倒的に不利。
1時間もすれば、握力も落ちてしまいます。
町の判子屋に徹していれば、
もしかしたら楽に過ぎていた人生かもしれない。
でも、ここまで突き詰めてきたんだ。        
闘っていたのは、たぶん、自分自身...
 
そした結果は、みごと優勝!
このとき、辻さんが彫り上げた作品。
凛としてしなやかな、篆書体の深い美しさを放っています
たった3センチ四方に行食された12文字に
三十五年の判子屋さん人生の全てがこめられていました。
 
しかし、彼の判子屋人生は、それできわまった訳ではありません。
70歳になるいまも、はるかな高みを目指して判子と向きあう辻さん。
彼は言います。
「ワシはまだまだ井の中のカワズだ...」