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2000/9/17 放送
天才伝説 フジ子・ヘミング
 
 

幼少の頃から天才と呼ばれる特異な才能を持って生まれた人々…。
番組ではそんな“天才伝説”にまつわる様々な物語をひもといていきます。
現在、天才と呼ばれる人々のドキュメントや、過去、天才と呼ばれ一世を風靡した方々の今、さらには脳波研究による「天才分析」、最新早期教育の現状等を通じて「天才」を多角的に分析・紹介いたします。

その中で、番組がクローズアップするのは、「波乱の人生」の一言で語ることの出来ない、あるひとりの女性。
かつて「天才少女」と呼ばれ、将来を嘱望されながらも聴力障害により、夢半ばにして世界への道を断たれたある無名のピアニスト…。

〜魂のピアニスト〜 フジ子・ヘミング!
昨年30年ぶりに日本で再デビューを果たすや、一躍脚光を浴び、ファーストアルバム「奇跡のカンパネラ」はクラシックでは異例の42万枚を売り上げ、日本ゴールドディスク大賞を受賞。
リサイタルは常に満員、しかも普段はクラシックと無縁な人々の姿が目立ちます。
彼女の奏でる音色は、彼女がこれまで刻んだ道のりと決して無関係ではありません。
実は、彼女は、壊れそうなほど繊細で頑なまでの信念をもち生きてきました。

彼女は現在のクラシックの世界を見つめながら、このように語っています。

『間違えたっていいじゃない、機械じゃないんだから』

彼女の語る波乱の人生とは、音色に秘められた想いとはどのようなものでしょうか?

フジ子・ヘミングは戦前のベルリンで、スウェーデン人建設家の父と日本人ピアニストの母との間に誕生します。
しかし、その後両親は離婚、母、投網子は女手一つでフジ子を育てることとなります。
そんなある日、母・投網子はピアノで遊ぶフジ子の出す音が、人並みはずれた音を出していることに気づくのです。フジ子に対する、徹底的なピアノのレッスン。
それが母・投網子の生きがいになります。

太平洋戦争間近の昭和14年、「天才少女の時間」と銘打ったラジオ番組がNHKで放送されました。ピアノ演奏は、当時小学校三年生の“天才少女”大月フジ子。
当時日本にいた最も有名な外国人ピアニストの一人、クロイツァーもフジ子の演奏を絶賛しました。
17歳でデビューリサイタルをおこない、成功したフジ子は、やがて東京芸術大学に進みます。フジ子はエリート音楽家の登竜門であるヨーロッパ留学を目指します。
しかしそこでフジ子は自分の耳を疑うような事実を知るのです。
国籍が無いためパスポートを取ることができない!
フジ子の国籍は父と同じスウェーデン。ところが18歳までに一度もスウェーデンに入国していなかったため、国籍を抹消されていたのです。

昭和36年フジ子は赤十字の難民として遅ればせながらドイツへの留学を果たし、ベルリンの音楽院を首席で卒業。
「夢のようなピアノ」「リストを弾くために生まれてきたピアニスト」と絶賛されたのです。しかし、後ろ盾の無いフジ子は歯を食いしばって、世に出るチャンスが訪れるのを待つしかありませんでした。
留学生活をつづけること9年目の1970年、待ちに待ったチャンスが訪れたのです。
世界的指揮者のバーンスタインが、彼女の才能を高く買ってくれたのです。
夢にまで見たヨーロッパでの本格的デビュー、すでに40の声を聞こうとしていたフジ子にとってそれは最初で最後のチャンスでした。

しかし、リサイタルのわずか一週間前、突然の高熱がフジ子を襲います。
そして翌朝…フジ子の耳は、全く聞こえなくなっていたのです。
左耳の聴力が多少回復し、フジ子はドイツで名もない音楽教師として細々と暮らし始めます。しかし異国の風景は骨身にしみるほど冷たいモノでした。
日本人とスウェーデン人の混血という出生からくる差別が正面から襲いかかってきたのです。孤独と絶望のなか、それでもドイツでの生活を続けようとするフジ子の前に、未来は真っ黒な固まりとなってのしかかるばかりでした。
しかしフジ子はピアノに向かい、弾き続けました。1日も休むことなく。
誰のためでもない、自分自身のために。
1993年、ひとつの知らせがフジ子の元に届きます。母・投網子、死亡。
音楽教師の仕事に整理をつけたフジ子が日本の土を踏んだのは、1995年のことでした。
きっと母は天国で、有名になれなかったわたしのことを怨んでいるはず。
やりきれない思いとともに、30年ぶりに亡き母が残した我が家に戻るフジ子。

そこで彼女を待っていたのは壁一面を覆い尽くすフジ子の写真。
そして幼い日に母からスパルタ教育を受けた、古いグランドピアノでした。
フジ子は近所の子供たちにピアノを教えしながら、日本の暮らしを始めます。
それでも彼女は、親しい人にこう呟いていました。

「私の居場所はどこにもない。もう、人前で弾く機会はないでしょう。  あとは、天国で弾くだけよ。」

いつしか、古くからの友人に誘われるがままに病院のチャリティーコンサートに出演するようになるフジ子。思わぬ聴衆の絶賛は、フジ子の心を激しくゆさぶりました。
月二回のコーサートは、いつしかフジ子にとって、大きな存在になりました。

彼女はこう言って、欠かさず病院に通ったといいます。
「明日死ぬという人が私のピアノを待ってくれてる」
「私のピアノには、魂があるって言われた。その言葉に、とても感動している」

幻の天才ピアニスト、フジ子が帰ってきた。病院で生まれた“伝説”と共に、フジ子の演奏をもう一度聞きたいという古くからのファンが、同じ目的に向かって動き始めるのです。

帰国から3年の1998年、周囲の声に押され、再びステージに立つフジ子。
反応は熱狂的でした。普段はクラシックに関心のない人々が、フジ子の演奏に感動し、涙を流したのです。

ステージに上がる時以外、フジ子が肌身離さず大切に身に付けている品物があります。
亡き母・投網子にもらった、手作りのアクセサリーです。

「他人に言えないほどつらい思いをしてきたと思うし、本当に一人で苦労してきたと思うことがあるけど、それらを振り払う前向きに生きる力を与えてくれた最初の一歩はやはり母だったのだと、しみじみ思う。」とフジ子は語ります。

当番組ではピアニスト/フジ子・ヘミングさんの音の魅力に迫り、その人生を通して「才能と教育」について、もう一度考え直すことは、我々に何らかの教訓を与えてくれると考えます。

 
 
 

 
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