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2001/8/26 放送
宮本武蔵と沢庵和尚



 現在、総売上1千6百万部を突破する大ベストセラーのマンガ、井上雄彦作「バガボンド」青年コミック誌で若者達を熱狂させる主人公は、宮本武蔵。しかし、今何故、宮本武蔵なのか?

 それまで、「無敵の剣豪」として映画などで、繰り返し描かれてきた宮本武蔵。しかし、漫画家井上雄彦氏が描く宮本武蔵は、どこか今までの武蔵像とは異なっている。
物語の中の武蔵は、繰り返しこうつぶやく…
「強い敵と戦いたい。強ければ強い方がいい。それでも俺が勝つ、俺が天下無双だ!」

 家族とも絆を結ぶことができず、村では、時に人を殺す厄介者。
山を家とし、野獣を家族として育った孤独な少年は、究極の強さを求めて村を飛び出す。
その中で出会い、時には命を奪い合う強敵、ライバル達…
武蔵は自らの命すべてを賭けて、その戦いに挑む…
時に泥にまみれ、完全に打ち据えられ、戦いの場から命からがら逃げ出すことも…自分は本当に強いのか?真の強さとは何か?負けるとは、勝つとは…?

 井上雄彦氏の武蔵、その軌跡は、「生きるということは何か?」を探す、一人の若者の心の彷徨いに他ならない。「自分は強い」という根拠の無い自信。夢と現実のギャップ。
認められたい…。自分の居場所が欲しい…。
そんな等身大の若者・武蔵の姿が今の若者の心を捉えるのかも知れない。
究極の強さを求め、悩み、つまづく若き武蔵の、人生の師として登場するのが、沢庵和尚である。野獣にも似た凶暴な武蔵に、真の強さにたどり着くヒントをつぶやく沢庵和尚…。
実は、沢庵和尚と武蔵は、それぞれ実在の人物であるが、歴史上、二人が出会った事実はないという。ふたりを結びつけたのは、作家吉川英治のベストセラー小説「宮本武蔵」。一体、吉川英治はなぜ、宮本武蔵と沢庵和尚を結びつけたのか?

 物語は、武蔵17歳、手痛い敗北から始まる。
1600年、日本を二分した天下分け目の関ヶ原の合戦が終結、およそ半数の武士が主を失い、敗残兵となり、失業した浪人となってあふれ出す。武蔵もその中の一人、いわば職を失ったまま、再就職先もない、今でいうフリーターのようなものだった。再仕官するためには、自らの剣の腕を誇示し、剣豪として名を馳せることこそ、近道…。
敗北からの出発…。
武蔵の「強くなりたい」という想いは裏側に、そんな現実を抱えていたのである。

 自らの向かうべき道も見えず、暗闇の中でもがく武蔵…。
そこで、もがき苦しむ武蔵に一筋の光明を与えるべく、実在の人物を、宮本武蔵の物語に登場させることになる。
それが他ならぬ禅僧、沢庵和尚であった。
そして、物語の中の沢庵は、それまで「たけぞう」と呼ばれていた野獣のような青年に、宮本武蔵という名を与えたとしている。
「真の強さとは何か…?」
その想いを胸に秘め、数々の剣豪達と命と命をぶつかり合わせるような、戦いを繰り広げていくことになる…。

 自らの強さを証明するため、修羅の道に武蔵は踏み込んでいくことになる。強敵を求め、血で血を洗う殺し合いの中、自らの強さを確認していく武蔵。実際、剣豪宮本武蔵の名は、今や世に知らぬ者がいないほどになっていた。そして、ついに武蔵に運命の転機が訪れる。
ツバメ返しの達人、佐々木小次郎との世に言う巌流島の決闘である!
しかし、この戦いの直後、なぜか武蔵は歴史の表舞台から姿を消す…。しかも20年近くも。

 自らの全存在を賭けた殺し合いの果て、血塗れの手で掴んだ「天下無双」の称号。しかし、それを手に入れたとき、武蔵の中に残ったのは、追う身から追われる立場になり、すべての剣豪から命を狙われる、巨大な恐怖感に他ならなかった。
修羅の道の果て、たどり着いた深い空しさ…。
それを抱えながら、姿を消した謎の日々…。
武蔵は禅の教養をどこかで修め、戦いの中、命を奪ったライバル達の供養をしていたのではないかと、ある資料は記す。
そこで、作家吉川英治は、武蔵と同じ時代を生きた一人の禅僧に、武蔵を導く師として、禅の名僧、沢庵和尚を設定することになる。

 実在の沢庵は、1573年、戦国時代の真っ只中に、但馬国の秋庭綱典という下級武士の家に生まれた。
武蔵とはちょうど一回り年上ということになる。
戦国時代の武家出身という、先の見えない境遇は、その後、沢庵の運命を揺り動かしていくことになる。
沢庵7歳の時、時代の変革者・信長の命で羽柴秀吉が但馬に攻め入り、父・綱典が仕えていた山名家は滅ぼされることになる。沢庵は、戦国の世を空しく思う心を抱え、答えを求めて、仏道に入る事になるのである。
そして出会ったのが、当時、仏教の最先端を突き走っていた禅の世界だった。

 時は流れ、沢庵27歳の時、武蔵も西軍の兵として参加した関ヶ原の戦いが起こった。沢庵が目にした阿鼻叫喚の地獄絵図。
そして皮肉なことに、沢庵は敗軍の将、石田三成の埋葬をする事になる。
すべてのものは無常の風の中にある。
ならば、この世に不変のものはなにか?
それをつかみとらなくてはならぬ。
それをつかめば、無常流転のこの世はいささかも怖くない…。

 沢庵は放浪の旅に出て、各地の寺を転々としながら、自らの心に巣くった疑問と向き合っていくのである。
阿弥陀仏、お釈迦様…。
仏教において、最も大切な存在がなぜ色々形を変えるのはどうしてか?
仏典を読めば読むほど、その疑問は一向に解けなかった。
ある日、沢庵はついに師に当たる希先という僧にくすぶる疑問をぶつけた。
すると…。希先は、静かに胸を指し、「すべての仏は、心の中にいる」と一言、いうのである。
「己事究明」。
自己を徹底的に追求して、自己を明らかにする…。
真実の心を掴みたい、自分というものを知りたい…。
それが、若き日の沢庵のテーマとなった。
座禅を組み、自らの心を見つめる永遠とも思える日々…。
欲望、こだわり、迷い、愛憎…。
心からすべてを捨て去り、捨てきった先に一体、何が残るのか…。

 そして…。
渦巻く暗いトンネルを抜けた時、そこに今まで、経験したことのない世界が広がっていた。
それは「無心の心」という境地…。
すべてにとらわれない心。
無の心を身体すべてに行き渡らせ、隙のない心こそ、禅の境地なのだ…。

 そして武蔵もは「真の強さ」を探る心の旅の中で、いつしかその真理に近づいていくのである。命を捨て、生きよう、勝とうとする欲望を捨て、身を捨てる…。いつしかその心をライバルとのしのぎ合いによって、磨いていく武蔵が描かれる…。それはまさしく、沢庵のたどり着いた禅の境地「とらわれない心」に至る道のりに他ならなかった…。
そして、実在の武蔵も、不思議なことに、沢庵の無心に通じる同じ境地、「真の強さ」の一つの答え、「無刀の心」にたどり着いていくことになる…。

 そして武蔵と沢庵の不思議な縁を象徴するかのように、1645年、武蔵は突然の病を得、江戸で死の床についていた沢庵は時を同じくして逝った。

 宮本武蔵と沢庵和尚。
21世紀の今、彼らが再び蘇ってきた意味とは…?!
剣を極めた者と禅を極めた者、そのたどり着いた境地に、何か私たちが今を生きる智恵があるはずです。

 
 
 

 
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