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| 2001/9/9 放送 「東 由多加と柳 美里」 〜命と魂をめぐる絶叫!ガン死との闘いドラマ〜 |
今、書店で話題を集める本がある。『命』『魂』、そして『生きる』。芥川賞作家・柳美里が、自らの胎内に芽生えた“生まれくる命”とガンに冒されたかつての恋人の演出家・東由多加の“死にゆく命”との絆を同時進行で記録し綴ったドキュメンタリーである。 昭和40年代、東京キッドブラザースを率い、誰もなしえなかったNYオフオフブロードウェイでの半年に渡るロングランという快挙を成し遂げた、まさにカリスマ的演劇人・東由多加。在日韓国人であることを公言し、常に先鋭的な題材で文壇に斬り込んでいく作家・柳美里。二人はかつて同じ舞台を挟み火花を散らした師弟であり、かつ生活を共にした恋人同士でもあった。長い別離の後、再会した二人は互いの体の中に、“生まれくる命”と“死にゆく命”を抱えていることを知り、再び同居生活へと入る。壮絶なガンとの闘いの中で、東由多加が見つめた「命」とは何だったのか?出会い、別れ、再び巡り会った二人が、“命の絆”を通じて結び合ったものとはいったい何だったのだろうか? 昭和20年、台湾に生まれた東由多加は終戦後すぐ長崎に引き揚げて暮らした。両親と兄と姉、そして妹に囲まれた生活は間もなく破綻をきたす。東7才の時、病弱だった母が他界すると、東の父は3回の結婚を繰り返す。それもわずか2週間や1ヶ月という短さ。ちゃんとした生活設計など考えない父に半ば反発するかのように、大学入学を機に上京した東がのめり込んだのは演劇だった。時あたかも60年代、それまでの商業演劇の枠にとらわれない自由さを求めた若者たちが向かったのはアングラと呼ばれる新たな演劇だった。唐十郎の<状況劇場>、寺山修司の<天井桟敷>…。東由多加は天井桟敷を経て、1969年<東京キッドブラザース>を旗揚げし、ついにはNYのオフオフブロードウェイで6ヶ月に渡る『黄金バット』公演を成功させる。それは東が日本の演劇界の頂点に立った瞬間だった。 東が東京キッドブラザースを旗揚げする前年の1968年、柳美里は在日韓国人3世として横浜に生まれた。その少女時代は東同様、破綻の中にあった。ギャンブルと暴力の父、愛人の元に走った家の外で繰り返されるいじめと家の中で繰り広げられる妹弟たちとのギスギスしたケンカ。高校を退学した柳が向かったのは享楽の80年代に背を向けるかのように自らの演劇にのめり込む東の東京キッドブラザースだった。間もなく二人は恋に落ち、共に暮らすようになる。東は柳に戯曲や小説を書くことを勧め、柳もまた東の期待に応えるように自らの劇団を持ち、仕事にのめり込んでいく。そんな濃密な二人の関係は10年に及んで破綻する。東と別れた後、柳は1997年芥川賞を受賞、作家として一つの頂点に立った。 1999年、柳はある男性との間にひとつの命が自らの胎内に宿ったことを知る。相手はしかし、妻ある身。子供を産むか産むまいか、男と別れるか別れまいか、柳の心は揺れる。柳が長い懊悩の末向かったのはかつての恋人・東由多加の元だった。自らの胎内に宿った“生まれくる命”をどうするべきか、柳の心はただそれだけだった。しかし、衝撃的なもう一つの命の問題に直面する。東は食道ガンに冒され、あと一年もたないという。 「私が出産を決意したのはこの日だったと思う。 私は胎児と癌という二つの存在が、命という絆で結ばれたような不思議な感覚を持った。」(柳美里『命』より) 東はガンとの闘いに挑む。 「いつまで生きていられるか分からないけど、俺があなたの子供の面倒を見てもいいよ。1年あれば、言葉をしゃべれる。何としてもヒガシさんと発音できるようになるまで生きるつもりだよ。」 二人は再び共に暮らし、“生まれくる命”を育み、“死にゆく命”を永らえさせる。それが二人の願いであった。東はガン治療のためあらゆる方策を講じ、渡米して新しい抗癌剤を投与する。柳も二つの命の絆をほぼ同時進行のドキュメンタリーとして週刊誌に発表する。 2000年1月、1ヶ月ぶりにNYから帰国した東の姿はガンとの壮絶な闘いを示すかのように変わり果てていた。抗癌剤の副作用による脱毛、だるさ、吐き気。それでも東は生まれてくる命のためにガンとの闘いを止めようとはしない。東の帰国からわずか10日間、柳は陣痛に襲われる。病院に駆け込んだ柳と東に助産婦が声をかける。 「付き添われてきた方は赤ちゃんのお父さんですか?」 柳はこう答えた「いえ、違います。…家族です」 その日、柳美里は男児を出産。その命とこの世で最初に対面し抱き上げたのは、母親でもなく、父親でもなく、赤の他人の東だった。丈陽(たけはる)と命名された柳の子。しかしそれは命の物語の終わりではなく始まりだった。育児と東の看病、原稿の執筆に追われる毎日。ともすれば情緒不安定になる柳を東は叱咤し、ミルクや入浴の世話を手伝う。その間も東の体内のガン細胞は増殖し、死にゆく命を蝕んでいく。ついに入院を余儀なくされる東と一人ですべてをこなさなければならない柳。丈陽が泣き出してどうにもならなくなると電話で東の声を聞かせる。丈陽は東の声を聞くと不思議に泣き止んだ。 東の命の闘いは続く。2月15日、通院による放射線治療を断念し国立がんセンターに入院。何度かの入退院を繰り返す。3月27日、最後の抗癌剤に望みを託し、昭和大学付属豊洲病院に転院する。3月30日、鍼による痛み止めを行うも痛みは去らない。その闘いの中でもなお、柳はこう叱咤する東がいる。 「2歳までは母親といないとダメだ! 僕のことはいいから、丈陽を自分の元に戻して世話をしろ!」 かつて共に家族崩壊を経験し、家族を捨てた二人がひとつの家族になろうとしていた。4月11日、かつて東京キッドブラザースのNY公演を手助けしたNYの演劇プロデューサー、エレン・スチュワートが東を見舞った。柳もそれに合わせて丈陽を初めて入院中の東の元に連れて行った。東はエレンに自分のことを丈陽のゴッドファーザー(名付け親)なのだと説明した。そしてそれが東由多加と丈陽の最後の対面となった。 2000年4月20日午後10時51分、東由多加はついに力尽き永眠した。 東由多加が丈陽のために遺したいと願ったものが一つ現実のものとなろうとしている。おはなし・東由多加、え・柳美里『月へのぼったケンタロウ君』と題された一冊の絵本。死と直面し、死と闘い、そのギリギリの意識の中で東が遺したシノプシスのメモにはこんな言葉が残されている。 「死んだおじいさんと6年後に会う話」 |
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