CINEMAッス!!

モネ・ゲーム  Gambit 2013.05.13

 1967年のコメディ映画「泥棒貴族」をあのコーエン兄弟が脚本を担当してリメークした作品。オリジナルは仏像の偽物で騙す話だったが、今作はクロード・モネが描いた消息不明の画の贋作がキーアイテムとなる。

 ロンドンの美術鑑定士ハリー(コリン・ファース)は雇い主である美術コレクターのシャバンダー(アラン・リックマン)に復讐の機会を窺っていた。メディアを牛耳る大富豪のシャバンダーは実は傲慢なクソ野郎でハリーはこれまでに幾度も煮え湯を飲まされていた。そしてついにシャバンダーをどん底に陥れる作戦を考えついたのだ。それはモネの有名な連作『積みわら』のひとつ“夕暮れ”の贋作を15億円で売りつけるという物。ハリーは親友で贋作作りの名人ネルソン少佐(トム・コートネイ)に作品を仕上げてもらう。そしてもう一人の重要な協力者、テキサスのカウガールPJ(キャメロン・ディアス)をロンドンに呼び寄せる。実は今回作戦で使う“夕暮れ”(映画の中だけの作品で現実には実存しない)は完成から50年経った1941年、ナチスによってパリの美術館から盗まれる。その4年後、今度はパットン将軍率いる第一師団がナチスを急襲した時、“夕暮れ”は姿を消してしまったのだ。PJはその時の隊長の孫娘にあたる。「“夕暮れ”は彼女が持っていた」ということであれば贋作に信憑性が出ると踏んだのだ。しかし、とんとん拍子に進むかと思われたこの作戦も、自由奔放なPJのせいで思わぬ想定外の出来事に見舞われる。何事にも臆せぬPJにシャバンダーは一目惚れするわ、新たな鑑定士マーティン(スタンリー・トゥッチ)が雇われ、彼が“夕暮れ”を鑑定することになるわ、PJのせいで一文無しになったハリーがホテルの壺を盗むハメになるわ…。果たして机上の作戦《モネ・ゲーム》は成功するのか…?

 主演のコリン・ファースと言えば主演作「英国王のスピーチ」で、一昨年のアカデミー賞の主演男優賞を獲った俳優。英国王にもなった男がこの映画ではパンツ姿で壺を持ってホテルのロビーをうろうろする姿が可笑しい。このいかにも堅物な英国紳士にピッタリなコリン・ファースに、アメリカを代表するコメディエンヌ、キャメロン・ディアスの組み合わせは興味が湧く。芝居はキャメロンがコリンを引っ張っていくような感じだった。そのキャメロンも41歳。さすがに顔面の劣化は防ぎようがないが、プロポーションは相変わらず凄い。この映画でも惜しげもなく下着姿を疲労しているが、磨かれたボディは40を超えた女性のそれではない。憎々しいシャバンダーを演じたアラン・リックマンや、出番は少ないが、いかがわしい雰囲気を醸し出しているマーティン役のスタンリー・トゥッチも相変わらず上手い。
 
 しかしなんと言っても苦笑を誘うのは、日本人軍団。シャバンダーの美術品オークションのライバルという金持ち役なのだが、どこでも団体行動、空気が読めない、へらへら笑って取り繕う、困るとペコペコ…。今でも日本人はアメリカ人にこういう見方をされているのかと考えてしまう。


☆「モネ・ゲーム」2013年5月17日(金)よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国ロードショー
配給:ギャガ

ザ・チャイルド  Juego de Ninos 2013.05.08

 ある日を境に、天使のような顔をした子供たちが突然大人を次々と殺すようになった。それも喜々として…。
 1977年、スペイン産のホラー映画『ザ・チャイルド(原題:¿Quién puede matar a un niño?/英題:Who Can Kill a Child? 』が公開された。その衝撃的な内容は、その年のアポリアッツ・ファンタスティック映画祭で批評家賞を受賞したほどだった(グランプリはデ・パルマの『キャリー』)。

 あれから36年。今度はメキシコ産リメイクが登場する。邦題は同じだが、原題“Juego de Ninos”の意味は「子供の遊び」。オリジナルの原題の意味が「誰が子供を殺すことができるか」。今の時代、このオリジナル原題を付けたら完全に浮きまくる。時代の移り変わりが感じられる。

 新婚のカップルフランシスとベスはスペインに旅行に出かける。妻のベスは身重であり、今のうちに2人だけの静かな世界で過ごしたいと思い、ボートを借りて沖合の小さな島へ乗り込む。しかし、その島は子供だけしかおらず、大人の姿が見当たらない。不審に思うフランシスは探索に出かける。無人のバーに残されたベスに一人の少女が近付き、珍しそうにベスの大きなお腹を触り去っていく。フランシスが食べ物を手に戻って来た時、バーの無線が鳴り意味不明な言葉を発し切れる。不安は積もるが、取りあえず今晩泊まるところを探す二人。寂れたホテルを見つけるが、やはりここにも人影はない。その時、表に杖をついた老人の姿を見かける。飛び出し声をかけるが、その老人を追って一人の少女が現れ、杖をもぎ取り滅多打ちにする。止めに入ったフランシスに不敵な笑いを向ける少女。フランシスは大ケガをした老人を路の脇に寝かせ、ホテルから薬を持って戻ると、その老人はもういない。すると空き地から子供たちの笑い声が。覗いてみると瀕死の老人を十数人の子供たちが取り囲み、棒で叩きナイフで刺し石をぶつけている。ショックを隠し切れないフランシスはホテルに戻り、宿泊しているはずの客を捜すが、部屋には死体がゴロゴロ。その時ベスの叫び声が。慌てて妻の元に駆け寄るフランシスが見たのは一人の男性。始めて生きている大人を見たフランシスは事情を聞く。男は言う「ある夜、子供たちが一斉に笑い出した。その声を聞いた妻が外に出ると、たちまち子供たちに囲まれ忙殺された。その中には自分の娘もいた…」。その時再び無線が鳴る。明らかに助けを呼ぶ大人の女性の声だ。フランシスは女性がいるであろう元に駆けつけたがすでに遅し、子供たちにバラバラにされていた。「早く島を出よう」。身支度をする3人の前に男の娘が現れ手を引っ張って連れて行こうとする。制止を聞かずホテルを出た男の断末魔の声。「ここの子供たちは狂っている」。フランシスとベスはボートの置いてある沖に走る…。

 オリジナルより残酷描写は多い。切り刻まれた女性の遺体は結構衝撃的。ただ全米公開時の上映時間は105分、日本公開版は87分。20分近くカットされている。もっと残酷なシーンがあったのかも。

 いまや子殺しも親殺しも、オリジナルが作られた1977年ほど珍しい出来事ではなくなっている。オリジナルでは背景に、アウシュヴィッツ収容所や朝鮮戦争、ベトナム戦争、ビアフラの飢餓があった。大人の紛争で被害を被るのはいつも物言えぬ子供たち。その復讐心が怨念となって次々と伝染していった…と解釈できる。しかし今作は、子供たちがなぜ大人を殺すのかが全く見えない。「ホラーに殺す理由なんかいらないぜ」と言われればそれまでだが、今の子の時代だからこそ、理由を見せて欲しかった。その点で言えば、オリジナルのほうに軍配を上げる。


☆「ザ・チャイルド」2013年5月11日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー〈R15+〉
配給:AMGエンタテインメント
© 2013 MISS BALA S.A.P.I. de C.V.

ふたりのイームズ 建築家チャールズと画家レイ  EAMES: The Architect & The Painter 2013.05.07

 『イームズ・チェア』で有名なデザイナー、チャールズ・イームズと、その妻で画家でもあるレイ・イームズのドキュメンタリーである。

 イームズ・チェア・・・背もたれと座面が一体化したシェル型椅子だが、そのデザイン性もさることながら、これまで大量生産できなかった物が、軽量、低価格で販売されるようになった画期的な製品である。この映画は、“家具”を“インテリア”にした夫妻を追う。

 とはいうものの、私がこのイームズ夫妻を知ったのは椅子ではない。この映画でも軽く紹介されている『パワーズ・オブ・テン(Powers of Ten)』という短編科学フィルムで私はイームズを知った。
 パワーズ・オブ・テンとは何か? 「10の力」ではない。パワーズというのは「べき乗」という意味。同じ数をいくつも掛け合わせた物。例えば“2の2乗”は2×2で4。3の3乗は3×3×3で27。従ってパワーズ・オブ・テンは“10のべき乗”という意味である。

 イームズ夫妻がこの映画を完成させたのは1977年(その9年前に習作である「ラフ・スケッチ」を完成させているが)。シカゴの公園でシートを敷いて寝転ぶ男女。それをカメラは画角1メートル×1メートルで捉える。これが“10の0乗”メートルだ。次にカメラは上空へ移動して行き、“10の1乗”メートル=10メートル四方の映像、広い公園に寝そべっている男女という画になる。更にカメラは天空に上がり、10の2乗=100メートル四方になると公園全体が見られる広さだ。そしてその10秒後、更に画面は広くなり1000(10の3乗)メートル四方。シカゴの街並みまで広がり公園は豆粒ほどの大きさでしかない。このように10秒ごとにべき数は上がっていき、10の6乗(100万メートル)ではミシガン湖全体が見え、10の7乗(1000万メートル)では地球全体を見ることが出来る。数字は更に上がっていき、地球の軌道、(11乗)太陽系(13乗)、さらには銀河系(21乗)、この辺になるとどんなにズームバックしても宇宙の景色は変わらないのだ。最終的には10の24乗、1億光年四方まで行く。そしてカメラはそこから地球に近付いていく。最初の10の0乗まで着たら、今度は10のー1乗(10センチメートル)、-2乗(1センチメートル)とミクロの世界に突き進んでいく。皮膚の内部、細胞、染色体、分子、原子,原子核、最終的には-15乗まで行き、陽子、中性子の世界まで入っていくのだ。

 今でこそCGが発達し、この手の特殊撮影は楽に出来そうだが、1977年はまだCGが存在しない時代。それでも実写からアニメーションの繋ぎがスムーズで驚かせる。私はレーザーディスクでこの映画を観た。江守徹が吹き替えた日本語のナレーションで見やすかった。オリジナルはYouTubeなどの動画サイトでも見ることが出来るので

 この映像はいろんな方面に影響を与え、あのオザケンこと小沢健二のソロデビュー曲『天気読み』で「星座から遠く離れていって 景色が変わらなくなるなら・・・」と歌っている。

 話が「パワーズ・オブ・テン」に終始してしまったが、このイームズ夫妻は他にも、映画や家具、建築物から広告イメージまで幅広く活躍している。夫のチャールズ・イームズはハンサムで注目されているが、彼の活躍は妻のレイのアドバイスがなければなかっただろう。先月公開の「ヒッチコック」のアルフレッドと妻アルマの関係を思い出した。


☆「ふたりのイームズ 建築家チャールズと画家レイ」2013年5月11日(土)より渋谷アップリンク、シネマート六本木ほか全国順次ロードショー
配給:アップリンク
© 2013 Eames Office,LLC.

死霊のはらわた  Evil Dead 2013.05.01

 『スパイダーマン』や『オズ はじまりの戦い』のサム・ライミ監督が弱冠23歳の時に撮ったデビュー作『死霊のはらわた』(1981年)。ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)や、トビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』(1974年)とならぶスプラッター・ムービーのエポック・メーキングな作品である。『死霊のはらわた』の大ヒットで、その後『死霊のはらわたⅡ』『キャプテン・スーパーマーケット』とライミ自身の手で続編が作られた(『死霊のはらわたⅡ』は続編とは言えセルフリメイクに近い作品だったが)。そしてオリジナル公開から32年の時を経て、ライミはプロデューサーに回り、ウルグアイ出身34歳の新鋭監督フェデ・アルバレスの手で新にリメイクされた。

 薬物依存症のミアの治療のため、人里離れた山小屋に集まった5人の若い男女。ミアの兄デビッドとその恋人ナタリー、看護師のオリビア、高校教師のエリック。デビッドは母の死を境にミアと疎遠になっていたが、妹のリハビリを機に仲直りをしたいと考えていた。山小屋に着き早速治療を始める。禁断症状に陥ったミアが苛立ちながら「臭い!」と叫び出す。その臭いの元を探す4人は地下室の扉を発見。悪臭の中、天井から沢山の猫の死体が吊されているのを見つける。そして有刺鉄線で縛られた一冊の意味ありげな本を発見する(オリジナルはカセットレコーダー)。翌朝エリックは好奇心に逆らえず、ペンチで鉄線を切り本を開く。題名は「死者の書」。殴り書きで「唱えるな」と書いてあるにもかかわらず、エリックは書かれてある一節を口にしてしまう。すると森の奥深くから解き放たれたかのように邪悪な何かが蠢き出す。ミアは恐怖のあまり山小屋から逃げ出すが、“森”はミアを逃さない。木の枝がミアを縛り付け、死霊がミアの体内に侵入してくる。恐怖のあまり気を失ったミアをデビッドたちが山小屋に運び入れる。やがて意識の戻ったミアは、悪魔が乗り移ったかのような形相になり、若者をひとり、またひとりと襲っていく…。

 ストーリーはほとんどオリジナルと同じ。主人公が男性から少女に変わった点ぐらいだ。その少女ミアを薬物依存症にしたのは表彰もの。彼女に死霊が乗り移り、訳の分からないことを言いだしても、周りの人は「ああ、また禁断症状が出たんだ」としか思えないからだ。逆に死霊が憑いたと分かってからも、単なる禁断症状も死霊の仕業と勘違いされる。事態は悪化するばかり。

 そして30余年の年月は、撮影技術の発展を大きく進めた。そのお陰でリアリティが増す。さらにCGを極力控えたいという監督の意向から、生身の恐怖が味わえる。今回は“怖さ”というよりは“痛み”を前面に出している。私も怖さはいくらでも堪えられるが、痛みは避けたい。敵から逃れるため、手から侵入してくる死霊を食い止めるため、届かない武器を手に入れるため、自ら自分の身体を切り刻むシーンが出てくる。これは堪らん。ホラーではないが『127時間』でも崖から脱出のため挟まれた腕を自分で切り落とすシーンがあったが、もう観てられなかった。

 エンドロールが終わった後、オリジナルの主人公アッシャーことブルース・キャンベルが登場する。彼はサム・ライミとは中学生の頃からの友人で、ライミ作品にはほとんど出演している。最近では「オズ はじまりの戦い」でエメラルド・シティの城の警護員役で出演している。特殊メイクが凄いので分からないかも知れないが、口ひげを蓄え顎の突き出ている門番だ。実は、オリジナルの続編とアルバレス監督版リメイクの続編を一本ずつ作って、その後この2つの世界をクロスオーバーさせた作品を作る構想があるという。アッシャーとミアの共演。是非観たい物だ。


☆『死霊のはらわた』2013年5月3日(金)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー〈R18+〉
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテイメント

L.A.ギャング ストーリー  Gangster Squad 2013.04.29

 悪が正義を凌駕する時代—1940年代から50年代までのLAがまさにその時代だった。この映画は1949年、あらゆる悪事でLAを支配した巨大犯罪組織のボス、ミッキー・コーエンと、その悪に真っ向から対抗するジョン・オマラ率いる秘密警察組織の物語である。当初この映画の全米公開は去年の9月だったが、その1か月半前コロラド州オーロラで起きた映画館銃乱射事件の影響を受け、今年の1月に延びてしまった(劇中に同様にシーンがあったため、公開ではその部分をカットした)。そのあおりで、日本でも昨年暮れ公開の予定が、この時期に延びてしまった。そんな曰く付きの映画だが、最近見たギャング映画の中では上々の出来映えだ。

 第二次世界大戦後、LAの街は新たな恐怖に巻き込まれていた。ブルックリン出身の元ボクサー、ミッキー・コーエン(ショーン・ペン)の出現だ。彼はドラッグ、ギャンブル、銃、売春と悪の限りを尽くし非合法に利益を得て、あっという間に街を牛耳ってしまった。これには警察も手を出せなかった。なぜなら汚職にまみれた警官や政治家が裏でコーエンを守り、犯罪は見過ごす、逮捕してもすぐ釈放、真面目な警官も仕返しが怖くておっぴらに捜査出来ない状況だった。そんな腐敗した警察に頭を悩ませていたパーカー市警本部長(ニック・ノルティ)は、人一倍正義感の強いジョン・オマラ巡査部長を呼んだ。彼に命じたのはコーエン一味をぶっ潰すこと。何をやってもかまわないが、警察バッジは置いていくことが条件だった。プライベートでは身重の愛妻を持つオマラだったが、妻の後押しもあり任務を受け入れる。オマラはまず警察署の中でで異端児扱いされているが悪には容赦しない人材を集めた。イケメンの一匹狼ジェリー・ウォーターズ巡査部長(ライアン・ゴズリング)、ナイフの使い手コールマン・ハリス巡査(アンソニー・マッキー)、盗聴が得意なコンウェル・キーラー巡査(ジョヴァンニ・リビシ)、早撃ちガンマンのマックス・ケナード巡査(ロバート・パトリック)とその相棒ナミダド・ラミレス巡査部(マイケル・ペーニャ)。彼らはギャング顔負けの暴力的な違法行為で、賭場に押し入り銃をぶっ放し、麻薬取引きの車を破壊する。その行為はコーエンの耳にも入るが、その手口から対抗勢力のギャング団の仕業と勘違いする。そして次々に潰される手下や取引でコーエンの権威は失墜するが、それを指を咥えているコーエンではなかった…。

 まさに1940年代の「オーシャンズ11」だ。それぞれの得意技を活かして、悪を打破していく姿は爽快。またショーン・ペン演じる悪の権化ミッキー・コーエンの眼力が凄い。それは冒頭のシーンでも分かる。シカゴ・マフィアからの要求を伝えに来た使者の一人の手足を2台の自動車に手足を縛り付け、「これが答えだ!」と急発進させる。使者の身体は胴体から真っ二つ、使者が死者になる。悪者が魅力的な映画は大体面白い。

 血生臭い話の中で、ジェリー・ウォーターの恋が一服の清涼剤になっている。相手はコーエンの愛人グレイス(エマ・ストーン)。敵の女を愛してしまうのだ。もともとコーエンの元から離れたいグレイスだったが、怖くて逃げ出せない。警官の身を隠しているウォーターの正体がばれたらグレイスだって命が危ない。その危険さが恋をさらに燃え上がらせる。

 アメリカの映画に出てくる熱血警官の家庭は必ずといっても家庭は崩壊している、仕事に打ち込んで家庭を顧みない警官という図式がほとんどだ。ところがオマラ巡査部長の妻は旦那の仕事を理解し、オマラもそれに応えると言う珍しいパターンの映画だ。そのためオマラは捨て鉢にならず、妻のため、やがて産まれる子のために生きようとする姿が潔い。

 監督は「ゾンビランド」(09)や「ピザボーイ 史上最凶のご注文」(11)のルーベン・フライシャー。今回は過去作とは随分毛色の変わった作品を手がけている訳だが、なかなかしっかりしたアクション映画を作り上げた。硬軟両方とも撮れる貴重な監督だ。


☆「L.A.ギャング ストーリー」2013年5月3日(金)より丸の内ルーブルほか全国ロードショー
配給:ワーナーブラザーズ映画
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