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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)  Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance)  2015.04.09

 かつてマイケル・キートンはスタンダップ・コメディアンとして芸能界入りし、1988年ティム・バートン監督と組んだ『ビートルジュース』で人気者となり、1年後再びバートン監督とタッグを組んだ『バットマン』が大当たり、人気を不動のものとしたが、その後出演作にも恵まれず、不遇の時代を送っていた。そんなマイケル・キートンをモデルにしたかのような作品がこの『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(以下『バードマン』)』だ。『バッドマン』が『バードマン』・・・。まるでキートンを当て書きしたようだ。

 スーパーヒーロー映画『バードマン』の主役で一世を風靡した俳優リーガン(キートン)だが、シリーズ4作目の出演を断ってからの20年間、すでに世間から忘れられた存在になってしまった。そんなリーガンが今取り組んでいるのが、自ら脚色を書き主演をするというブロードウェイ舞台『愛について語る時に我々の語ること』だ。これは自らの再起をかけるばかりではなく、ドラッグ依存症の娘サム(エマ・ストーン)との仲も修復できると願っていた。しかしプレビュー公演の前日、共演者の頭にライトが落ち大ケガ。早くも困難がリーガンの前に立ちはだかる。さらにかつての自分・バードマンが現れ耳元で囁く「こんなクソ芝居やめて、派手なバードマンをまたやろうぜ」。
 もうひとりの共演者レズリー(ナオミ・ワッツ)がケガで降板した役者の代役を見つけてきてくれた。批評家の受けも良く、ある程度の客を運んでくれる実力舞台俳優マイク(エドワード・ノートン)だ。いざ稽古を始めると、セリフの覚えは完璧、リーガンのセリフまで暗記している。新の舞台俳優はこんなものかと感心するが、その裏ではとんでもない人格の持ち主だった。リーガンの書いたセリフを「古い」「長い」と勝手に変えてしまうし、ギャラは4倍要求、さらにはサムを口説こうとする。お陰でプレビュー公演はグダグダになり、リーガンの精神もギリギリの所まで追いつめられる。さらに追い打ちをかけたのが娘サムの一言「ツィッターもフェイスブックもやらないパパなんて、とっくに忘れられている!」。失意で向かったバーで遭遇したのは、彼女の一文で舞台がロングランするか打ち切りになるかが決まるといわれている高名な舞台評論家タビサ(リンゼイ・ダンカン)。映画スターが舞台に上がることを嫌うタビサは「史上最悪の批評を書くわ」とリーガンに告げる。
 そしてついに初日の舞台の幕が上がる・・・。

 ストーリーは初日の幕が上がるまでのドタバタぶりを面白おかしく書いている所謂バックステージ物だ。そこに主人公のバックグランドを際だせ、娘とも完成の修復などの人間ドラマを加えている。

 リーガンが元スーパーヒーロー役者も設定として面白い。随所に超能力が使えるシーンが出てくるが、それは決別したはずのバードマンの幻影がまだリーガンの中に残っていることを意味する。確かに日本でもヒーロー物をやった俳優は、今ではイケメン俳優として持て囃されているが、一昔前では一段低い役者と見られていた時代があった。そんな立場であったリーガンも必死にそこから抜け出そうともがく姿が哀愁を帯びる。この映画の主要メンバー3人、マイケル・キートン、エドワード・ノートン、エマ・ストーンがそれぞれ、『バットマン』、『インクレディブル・ハルク』、『アメイジング・スパイダーマン』というアメコミヒーロー映画の出演者というのも面白い。

 監督はメキシコ人のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。『21グラム』や『バベル』、『BIUTIFUL ビューティフル』を撮った賞獲り監督だ。彼が今回組んだ撮影監督がこれまたメキシコ人のエマニュエル・ルベツキ。『ゼロ・グラビティ』のカメラマンだ。今回特筆すべき事が、この映画“ワンカット”で撮られている点。プレビュー公演前日から初日までという4.5日間を120分ノーカット(のよう)に見せている。これはカメラマンの力量もそうだが、ハンパない長さのセリフを途中噛んだり、ミスしたらまた始めからというプレッシャーに堪えられる役者にも大きな負担がかかる。よく見ると暗転したところとか、CG処理でシームレスにした所がわかるが、そんな粗探しをしていたらストーリーを見失うのでやめた方がいい。でもこのノーカット撮影がストーリーとどう絡んでくるのかがよく分からなかった。凄いけどね。

 また劇中、音楽というかメロディーがほとんどない。アントニオ・サンチェスの叩き出す雄弁なドラムの音のみである。これがリーガンの鼓動のように聴こえ、内面に入り込める。

 『レスラー』でミッキー・ロークを蘇らしたように、マイケル・キートンもこの映画で次なるステップに踏み込めるだろう。
 

☆『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』2015年4月10日(金)よりTOHOシネマズシャンテほか全国ロードショー〈PG12〉
配給:20世紀フォックス映画
© 2014 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

ジュピター  Jupiter Ascending 2015.03.23

 前作はトム・ティクヴァ監督との共作だったから、ウォシャウスキー姉弟単独監督作は2008年の『スピード・レーサー』以来となる。またオリジナル作品としては『マトリックス』3部作以来だから12年ぶりだ。その『マトリックス』のように革新的な映像を期待して観るとちょっとがっかりするし、壮大な輪廻転生をテーマにした『クラウド アトラス』のような物語性もない。かといって駄作かと言えばそうでもなく、SFやスペースオペラが好きな人はかなり興味を持って観られるだろう。

 父の影響で星を見ることが好きな女性ジュピター(ミラ・クニス)。ただ生活は貧しく、家政婦として質素に暮らしていた。しかしケイン(チャニング・テイタム)の出現でジュピターの人生は激変する。ケインは遺伝子操作されて戦いに勝つためだけに作られたハンター。彼はジュピターを守るために現れ、こう語る「宇宙で最も権威のあるアブラサクス王朝の女王が亡くなった。あなたは女王と同じ遺伝子を持つ女性、すなわち生まれ変わりである」。
 宇宙は今、女王の子供3人、バレム(エディ・レッドメイン)、タイタス(ダグラス・ブース)、カリーク(タペンス・ミドルトン)が継承を巡って争いを始めている。そんな中、女王の生まれ変わりのジュピターが存在することは、跡を彼女が引き継ぐことになる。せっかくのチャンスを潰されたくないバレムはジュピターを殺そうと地球にヒットマンを送り込むし、リークはケインを送り込みジュピターの護衛をさせ味方に引き込もうとする。その争いは地球を越え遥か宇宙にまで拡大する。

 なんと言っても見どころは、ウォシャウスキー姉弟の独創性。宇宙船や異星人のスタイル、居住地。メカなど、始めて目にするようなデザイン。たとえば、戦闘機は翼が本体にくっついてない。そんなセオリーをぶち破るアイディアは常人には浮かばない。さらにケインとヒットマンとのバトルシーンも目が離せない。シカゴの路地裏でわりと小規模ではあるが、スピーディーな撃ち合いから始まり、次はシカゴの街全体を崩壊させるような迫力ある戦闘、そして宇宙を巻き込んでのVFXオンパレードの大バトル。それがウォシャウスキー姉弟初の3D映像で繰り広げられるので堪らない。

 そしてもう一つはオスカー俳優エディ・レッドメインの冷酷な悪役ぶり。実はこの映画、当初全米公開を去年の夏に予定していたが、特殊効果に磨きをかけたいという理由で今年2月になった。エディの『博士と彼女のセオリー』よりも先に撮影していたのだ。もちろん、バレム役はホーキングとは全く違うテンションでこなしているが、何言ってる聞こえないぐらいのぼそぼそ声と時折見せるヒステリックな怒鳴り声を使い分け、得体の知れない悪役を生みだしている。ただ、見かけ同様全然強くないのもいい。

 お茶目な設定も興味深い。ジュピターが“女王”らしい振る舞いを見せるのが、ハチを自由に操れるところ。ハチは女王を見分ける嗅覚があるからと言うが・・・。また宇宙船が停まった後にはミステリーサークルが出来てるし、王位を継承する手続きが、書類をあちこちに提出して判子もらって次の窓口へと言うような役所のたらい回しだったり。

 この映画を観て何かを得たりする、勘当して涙を流すなんてことは皆無。同じ宇宙を扱う映画でも『インターステラー』ほど全然小難しくはないし、ワクワクして単純に「面白かった」と言える映画です。


☆『ジュピター』2015年3月28日(土)より新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
© 2015 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED. ALL RIGHTS RESERVED.

アメリカン・スナイパー  American Sniper 2015.02.23

 イラクの激戦地ファルージャの荒廃したビルの屋上、Navy SEALsの狙撃兵クリス・カイル(ブラドリー・クーパー)が、一人の少年とその母親と思われる女性に照準を合わせる。女性の懐から対戦車手榴弾を取り出し少年に渡す。数十メートル離れたところにはアメリカ軍歩兵部隊。少年は手榴弾を手に米軍に向かって走り出す。クリスの右手の人差し指が動く・・・。
 冒頭から非常に濃密なシーンが展開される。物語は160人(一説には255人とも)を射殺し“レジェンド”と尊敬の眼差しで見られる実在の元狙撃手クリス・カイルの人生を描いている。彼は少年時代、父親から「人間は3種類いる。“羊”と“狼”と“番犬”だ。狼は自分では身を守ることのできない羊を襲う。お前はその羊を守る番犬になれ」と教わる。これがクリスの人生に大きく影響していく。青年になったクリスはTVでアルカイダのツインビル破壊を見て、海兵隊入軍を志願する。愛する祖国、家族を守るために。“野蛮人”イラク人を殺すために。そして最初の狙撃が冒頭の少年だったのだ。

 戦争は、自分の信じる物、大切な物を守るために行われる。少なくても兵士はそう信じ込んで戦場に向かう。そう心に言い聞かせなければ、敵であろうとそう簡単に人を殺せないはずだ。クリスにしてもそうだった。少年を撃たなければ、味方が十数人死んでしまう所だったのだ。“狼”だけではなく“羊”も殺さなければならないのが戦争だ。クリスは最初の出征の直前、タラという女性(シエナ・ミラー )と結婚している。守るべき家族が存在している。家族が安心して暮らせるために戦地に赴く。しかし、戦争というのは感覚を麻痺させる麻薬のような物だ。“愛する物を守る”ための戦争が、同僚の戦死を体験し、敵を“憎む”感情が芽生えてくる。そうなると“敵を殺す”ための戦争になってくる。映画にはクリスのライバルであるイラク側の凄腕狙撃兵ムスタファが登場する。映画の後半は彼との一騎打ちだ。クリスは彼を殺すために銃弾の嵐の中に立つ。

 一方、戦地を離れたクリスは良き夫、良き父親として描かれている。しかし、戦争体験はクリスの心を休ませない。大きな音に過剰に反応したり、異常に家族をかばう。生まれたばかりの娘が保育器でクズついているのに、看護師は無視して他の赤ちゃんをあやしているのを見ると、たががはずれたように怒鳴り散らす。PTSD(心的外傷後ストレス障害)である。そして戦地の興奮が忘れられず、再び出征を志願する。戦場では家族を想い、家庭では戦場を忘れられないのだ。クリスも戦争の犠牲者であり、この映画は巷で言われているような愛国的な映画では決してないし、ちっともクリスを英雄視などしていない。

 監督は9年前に『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』を撮ったクリント・イーストウッド。イーストウッドは善悪の判断を映画を観た人に委ねることが多い。『硫黄島…』と『父親…』の2本は、太平洋戦争を日本とアメリカのそれぞれの立場で撮り、戦争の両面を晒した作品だが、今回の『アメリカン・スナイパー(以下アメスナ)』はそれを一本にまとめている。表現時間こそ少ないが、イラク人家庭の雰囲気や心遣いも、単なる悪者として描いていない。見落としがちだが、敵のスナイパー、ムスタファにしても、子を持つ父親の面をさりげなく描いている。彼も守るべき物のために闘っているのだ。

 映画の中で子供に照準を合わせるシーンら2回出てくる。1回目は冒頭に説明したように、わりと躊躇なく任務のために引き金を引くが、別のシーンで子供が対戦車砲を拾って米軍に向かって撃つ構えをした2回目は、クリスは吐きそうになるほど悩む。自分に子供が出来たことと無関係ではないだろう。マイケル・ムーア監督がTwitterで「後から敵を撃つ狙撃兵なんてヒーローでも何でもない。ただの臆病者だ」とケチを付けていたが、確かにクリスをヒーローとして描いてはいない。ムーア監督の発言はこの『アメスナ』がアメリカで異常にヒットして愛国映画として持て囃されている事に危機感を感じてのつぶやきだろう。でも、銃社会を痛烈に非難しているムーア監督が、銃所持の権利を主張する共和党員であるイーストウッドへの反発でもあるかもしれない。

 クリス・カイルを演じ、『アメスナ』の製作も兼ねているブラッドリー・クーパーは本人に似せるために体重を18キロ増やし挑んだそうだ。クリスをよく知らない日本人からすると、似てようが似てなかろうが関係ないが、アメリカ人の中ではそれこそレジェンドであるので、体重増量も仕方ないのだろう。あの『ハングオーバー』シリーズの優男のイメージは全くない。そのクーパーだが以前からデ・ニーロとイーストウッドとは共演したがっており。デ・ニーロとは2011年の『リミットレス』で共演している。しかし、イーストウッドとの共演はなかなか果たせず、『硫黄島…』あたりからオーディションにずっと参加していたという。そもそもこの『アメスナ』の監督はスティーブン・スピルバーグに決まっていた。しかし理由は定かではないがスピルバーグが降り、イーストウッドに役割が回ってきた。そのお陰でようやく“共演”できた。映画そのものも結果論だが、イーストウッドが監督で良かった。彼の映画にはいつも“死”の臭いが感じられる(『ジャージー・ボーイズ』は例外)。『アメスナ』も然り。無音のエンドロールが象徴的だ。


☆『アメリカン・スナイパー』2015年2月21日(土)より新宿ピカデリー、丸の内ピカデリー他全国ロードショー〈R15+〉
配給:ワーナー・ブラザース映画
© 2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

ジャッジ 裁かれる判事  The Judge 2015.01.19

 2年連続でフォーブス誌の「最も稼いだ俳優」ランキング1位に輝いたロバート・ダウニー・Jr.の最新主演作。もちろんこの記録は大ヒット作『アベンジャーズ』『アイアンマン』シリーズのお陰で、この作品のせいではない。しかしアーマードを身につけていない、現実的な人物を描いたこの『ジャッジ 裁かれる判事』の主人公、ハンク・パーマーこそがロバート・ダウニー・Jr.の最も演じたかった役だったのだろう。彼と奥さんのスーザン・ダウニーが立ち上げた製作会社「チーム・ダウニー」の記念すべき第1作目がこの作品である事もその裏付けになる。

 金を積めばどんな胡散臭い被告でも無罪を勝ち取るシカゴの辣腕弁護士ハンク・パーマー。ある日裁判中に母の訃報が飛び込む。久しぶりに実家のあるインディアナ州の田舎町に帰るが、そこで疎遠だった父ジョセフ(ロバート・デュバル)の重大な事実を知る。ジョセフはこの町で絶大なる信頼を寄せられている判事だ。そのジョセフに殺人の容疑がかかっているというのだ。ジョセフはハンクにとって最も苦手な人物。絶縁状態が長年続いている。しかし42年間この街の正義のために働いてきた父が殺人を犯すはずがない。そう信じて弁護に立つことになったが、弁護内容の意見がことごとく食い違う2人。さらに次々と出されるジョセフの不利となる証拠品。ハンクはこのピンチをどう切り抜けるか・・・?

 ハンクの役どころは、信念は熱いがどこかやんちゃ坊主の雰囲気が抜けない弁護士。これはロバート・ダウニー・Jr.の最も得意とする人物像で、これまで演じてきたシャーロック・ホームズにしても、アイアンマン(=トニー・スターク)にしても同じだ。そのどこか憎めない性格が、アイアンマンやシャーロック・ホームズを親近感湧くヒーローに仕立て上げられた。だが本作で大きく違うのは、生身の人間を演じきっているところ。ハンクは仕事面では大成功を収めても、プライベートではその仕事のせいで家庭を顧みず離婚が決定的になっていたり、知恵遅れの弟デールの面倒を長男グレンに押しつけてる後ろめたさ、浮気相手に子供が出来ていた・・・など多くの困難を抱えている。そんな深刻な悩みを持つハンクをロバート・ダウニー・Jr.が演じることによって、ライトな感覚で観ることができる。

 そしてもうひとりの“ロバート”、ジョセフ役のロバート・デュバルの熱演。白か黒か最後まで分からせない計算された演技、意識はしっかりしているが身体はついていかないという老人特有のもどかしさ、そして、息子に弁護を頼むが主導権は譲らない頑固さ。アカデミー賞助演男優賞ノミネートも当然という迫真の演技だ。

 父は息子にとって越えなければならない大きな壁である。しかしそれは“敵”ではない。越えられた父はむしろうれしいはずだ。ジョセフはハンクにこの最難の裁判という壁で力を試してみたかったのかも知れない。お互い目指す方向は一緒なのに、かみあわない弁護内容。その理由が後々分かっていく筋書き。「めでたしめでたし」で終わらないのもこの映画のいいところでもある。
 

☆『ジャッジ 裁かれる判事』2015年1月17日(土)より新宿ピカデリー他全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
© 2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BVI)LIMITED,WARNERBROS.ENTERTAINMENT INC.AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

神は死んだのか  God's Not Dead 2014.12.22

 ここのところ「神」「ゴッド」と名のつく映画が多い。来年1月には『エクソダス:神と王』、『サン・オブ・ゴッド』のようにそのものズバリ「神」を扱うものや、『神さまの言うとおり』、『神様はバリにいる』のようにおまじないや比喩としてタイトルに付けるものなど・・・。
 そして今回の『神は死んだのか』は、敬虔なクリスチャンの学生と無神論者の大学教授のディベートがメインの映画である。キリスト教信者が総人口の1%も満たない数しかいない日本ではかなり取っつきにくいテーマではあるが、“へぇ”がいっぱいあり面白い。

 弁護士資格を取ろうと法学部に入学したジョシュは、哲学を教えるラディソン教授のクラスを受講する。ラディソンはカミュ、ドーキンス、フロイト、チョムスキーら偉大なる詩人、科学者、思想家が無神論者だと言うことを引き合いに出し、自分の講義を受ける者は神の存在を否定する宣誓書の提出を迫る。単位を落としたくない受講生は配られた紙に教授の言うとおりの「God's Dead」とサインし提出するが、敬虔なクリスチャンでもあるジョシュはそれを拒む。するとラディソンはマゾヒスティックな笑みを浮かべ「ならば私とこの生徒らの前で神の存在を証明したまえ!」と言い放つ。講義の時間を使用して自分を論破してみろ、というのだ。下手に反発して弁護士資格をもらえなかったら困るが、自分の信念も曲げたくない・・・。追いつめられたジョシュは知人の神父に力を借りたり、図書館から神学の本を大量に借り猛勉強する。

 本作は全米の大学で実際に起こった信仰に関する訴訟事件に触発されて製作された映画である。

 19世紀の終わりにドイツの哲学者ニーチェの「聖書は虐げられた者のルサンチマンであり、弱者の傷の舐めあいだ」と信仰を否定した「神は死んだ」宣言。科学の進歩によって信仰はますます軽んぜられる。UFOや宇宙人のように「神は存在しない」といってしまう方が簡単である。存在する物的証拠を提出するのは非常に困難であるからだ。でも人間は切羽詰まって二進も三進もいかなくなった時に、愛する者が他界しそうな時に、思わず叫んでしまうのが「神さま〜!」である。まさに神頼み。誰もが一度はか「神さま助けて!」と願ったことがあるはずだ。
 このラディソン教授も元々クリスチャンではあったが、母の死を助けてくれなかった、あれほど神にお願いしたのに・・・。それで神を憎むようになったのだ。私が思うに神は「助けてくれる」存在ではなく「導いてくれる」者だと思うのだが。ジョシュはラディソンの「神が憎い」と言う言葉を聞き出したからシメたもの。「存在しないものを憎めますか?」と切り返す。さしずめ検事がラディソン、弁護士がジョシュ、受講生が陪審員の法廷劇のようなもの。この裁判、ジョシュの勝利である。生徒が教授を、最初はやり込められるが後半はコテンパンに打ちのめすのは小気味いい。

 ジョシュとラディソンのディペートが本筋であるが、宗教がらみの小エピソードも絡んでくる。イスラム教で育ったがアメリカの大学でキリスト教にのめり込み、親に勘当されるアラブ女性、無神論者である夫の考えに着いていけなくなり離婚するラディソンの奥さん、がん宣告を受け神に傾倒していく元々無神論者のジャーナリスト、届けられたレンタカーがことごとくエンストし苛つく神父をこれも神の思し召しと諭す友人・・・。
 まあこの映画、キリスト教のプロパガンダのようなもので、ちょっと度が過ぎるなと思う点もある。特に最後、天罰なのか交通事故にあって瀕死のラディソンに、神父の言う言葉が止めを刺す「ここにいる誰よりも早く神に会える」。


☆『神は死んだのか』2014年12月13日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町&渋谷他にてロードショー
配給:シンカ
© 2014 God's Not Dead. LLC