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Photos:Magali BRAGARD
元々映画はフランスで産声を上げた。オーギュストとルイのリュミエール兄弟が1895年、パリで公開した「L'Arrivée d'un train en gare de la Ciotat」が最初の映画とされている。映画を「第7の芸術」と呼び、作家性の強い映画が多く生まれた。そして、1950年代に即興的演出を重視した「ヌーヴェル・ヴァーグ」が起こり、人間の在り方を問う哲学的な作品が作られてきた。現在世界的に活躍しているフランス人映画監督の名前を挙げるなら、「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネと今作の監督リュック・ベッソンだろう。ジュネはフランス映画らしいダークな雰囲気を持ち続けているのに対し、ベッソンはハリウッドの作風に最も近い監督だ。今回の「アデル/ファラオと復活の秘薬」もハリウッドを意識した「インディ・ジョーンズ」ばりのアドベンチャーになっているが、何かちょっと垢抜けていない印象が残る。
1911年、女性ジャーナリストのアデルはエジプトで、インカ英国に伝わる《復活の秘薬》を探し求めていた。そもそもアデルには仲のよい双子の妹がいるが、アデルとのテニス中、不慮の事故により昏睡状態に陥っていた。アデルはそれを自分のせいだと悔やみ、藁にも縋る思いで秘薬を求めていたのだ。アデルはついにラムセス2世に使えた医師のミイラを発見するが、当然そこに財宝目当ての盗賊に行く手を阻まれ、石牢に囚われてしまう。しかし、機転を利かせ間一髪でミイラ共々脱出に成功する。
…と、ここまでが「インディ・ジョーンズ」風。後はパリに舞台を移し、冒険の旅には出ない。だから、アドベンチャー活劇を期待して劇場に足を運ぶと肩すかしを食らうだろう。自分もそうでした。
アデルが戻ったパリでは、謎の巨大怪鳥が飛び回り人を襲うという事件が起こっていた。これはジュラ紀の研究家エスペランデュー教授が編み出した蘇生法で、博物館に展示してあった翼竜の卵の化石を蘇らせてしまったからだ。警察は事件を巻き起こした張本人である教授を逮捕する。そのニュースを知ったアデルは、化石を蘇らせる力があるならミイラも生き返らせるのではと思い、教授の脱獄計画を練る。
…というわけで、ここからかなりコメディタッチに変わってくる。極めつけは教授を救うためのアデルが立てた冗談のような脱獄プラン。失敗しても性懲りもなく4度も行う。しつこいし、笑えない。こう言う所がフランス人特有のエスプリなのか、フランス映画の緩い所で、ベッソン監督であってもそう感じてしまうのだ。そして、VFXで描かれた翼竜もなんだかちゃっちい。ストップモーション・アニメのようだ。今の時代、わざととしか思えないのだが。
アデルから、なんとか断頭台から救い出されたエスペランデュー教授はミイラを蘇らせる事に成功したが、生き返った医師は《復活の秘薬》を発明した医師ではなかった。途方に暮れるアデルにミイラの医師は、今ルーヴル美術館にラムセス2世と従者のミイラが展示されて、秘薬を発明した医師のミイラも展示されているという。
何ともご都合主義である。しかし、そこに腹が立たないのは妹を助けたいという筋が一本通っているから。パリの翼竜事件とエジプトの冒険も最初はどう繋がるのか不安だったが、すべて見終わってなるほどと唸らせる。他の監督のために脚本を書き上げるベッソン監督の構成力の強さだ。
ヒロイン・アデルを演ずるのはフランス民間テレビ局Canal+の「ミス天気予報」にもなったルイーズ・ブルゴワン。吉瀬美智子に似てなかなかの美人でコメディセンスもある。「ニキータ」でアンヌ・パリノー、「レオン」でナタリー・ポートマン、「ジャンヌ・ダルク」「フィフス・エレメント」でミラ・ジョヴォヴィッチとベッソン監督に見初められた女優は成功しているので、これからが注目だ。
☆「アデル/ファラオと復活の秘薬」2010年7月3日(土)より丸の内ピカデリー1他全国ロードショー
配給:アスミック・エース
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和歌山県太地町のイルカ漁を真っ向から非難したドキュメント映画で、6月26日に日本で公開する予定だったが、劇場側の上映中止が相次ぎ、公開が危ぶまれた。その理由がこれだ。
・度重なる抗議の電話が劇場にあった事。
・抗議による街宣活動の予告があった事。
・それに伴い、観客が安心して鑑賞する環境が阻害される事が予想される事。
なぜ、こんな事になったのか。これはこの映画が言わんとしている事、撮影方法、作品の中に登場するデータの信憑性などが挙げられ、一部では“反日映画”と見なされているからだ。
毎年日本では2万頭近くのイルカが捕獲されている。イルカはクジラ類82種に属する。国際捕鯨委員会ではそのうち大型クジラ類13種だけ保護対象にし、イルカはその中に含まれない。したがってイルカ漁は合法である。和歌山県大地町ではショーに出すためのイルカを“追い込み漁”で捕獲し、売れ残りは食用のために殺し、その肉はスーパーなどで売られる。
60年代、アメリカのテレビシリーズ「わんぱくフリッパー」に出演していたリック・オバリーはフリッパーが撮影のストレスで、自ら呼吸を止めて“自殺”したと信じ込み、それ以来イルカを救う事をライフワークとしている。そんなオバリーが太地町の実情を知り、乗り込んでくる。
太地町ではイルカ漁を町ぐるみで秘密にし、オバリーが「イルカの肉には水銀の含有量が多く摂取を続けると、第2の水俣病になる恐れがある」と警告するが受け入れない。オバリーは太地町の現状を広く知ってもらおうと、水中カメラマンや世界的なダイバー、元ILMのスタッフを呼び寄せ、カメラに収めようと画策する…。
アメリカでは去年7月に公開して「優れたドキュメンタリー作品」だの「勇気ある調査報道」と好意的に受け入れられた。日本でも去年10月に一度、東京国際映画祭で上映されているが、その時も上映中止を求める声があったため、警備員を配置し、観客の顔を一切写すなとマスコミに勧告するなど物々しい雰囲気の中で上映された。しかし、この映画が一躍脚光を浴びるようになったのは、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したからだ。思うに、受賞の理由は、イルカ漁の是非を問うた内容と言うよりも、スパイ映画さながらの隠しカメラや、隠密行動などのサスペンス要素をドキュメンタリーに取り入れた点だろう。オスカー受賞により知名度は上がり注目される事になり、太地町関係者やエキセントリックな市民団体からバッシングを浴びる事になる。
私は、この映画を観るまで、太地町のイルカ漁も知らなかったし、食肉として売られている事も知らなかった。確かに映画としては、サスペンス的におもしろく観られたし、オバリーらのイルカを守ろうとする熱意は伝わった。しかし、町民を隠しカメラで撮ったりするのはいかがな物だろう。あのマイケル・ムーアだって堂々とカメラを持って直撃取材をしている。アメリカでは、そんな町民を顔出しで公開しているが、日本ではモザイク処理をしている。そのせいか、太地町民が悪者に見えてしまう。事実、入り江に追い込まれたイルカたちをモリで突き刺し殺し、水面が真っ赤に染まるのを観ると、「なんてひどい事を」と思ってしまう。しかし、これは牛や豚の屠殺場でも同じ光景だろう。
『豚や牛は殺していいが、イルカは何故ダメなのか』という制作側と太地町との議論がこの映画にはない。水銀の含有量を問題にしているが、マグロにだって含まれている。たしかに、先月発表された国立水俣病総合研究センターが太地町を対象に行っていた毛髪水銀濃度測定によると、平均の4倍の水銀が検出されている。『イルカが可愛そう』というより、水銀問題を強く訴えた方がよかったのではないか。また、追い込み漁の現場を隠し撮りするために各方面のエキスパートを集めて、「オーシャンズ11みたいだ」等と喜々としている場面は、イルカ保護のためというよりも、映画のためにやっている感じがした。太地町にしても、イルカ漁は伝統といっているが、それなら何故徹底した秘密主義で行っているのか。
結局、イルカに対する感情の違いの差を埋められなかった。一昨年公開した「ブタがいた教室」。小学6年生の教室で一匹の豚を飼う事にして、卒業式に食べようと担任が提案。児童たちはその豚をPちゃんと名付け、豚小屋を造り飼っていくうちに、家畜からペットとして愛着を抱くようになる。そして卒業式、食べる食べないで議論になる…という内容だが、オバリーと太地町の関係もこれと同じだ。スーパーで切り身で売られる肉は平気だが、生きた豚を観てこれを食べると思うと、急に豚がかわいそうになる。人間とは勝手な物だ。
先日、7月3日から全国6館で上映する事が発表になった。配給のアンプラグドさんの努力の賜物だと思う。取りあえず、おめでとうと言いたい。
映画の内容にイチャモンを付けるのは全然アリだが、映画自体を葬るのは言語道断。観て判断するべきだ。
☆「ザ・コーヴ」2010年7月3日(土)全国順次ロードショー〈PG12〉
配給:アンプラグド
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1987年公開の映画に「レポマン」と言う映画があった。レポマンとはrepossess manの略で、ローン不履行の客の車を回収する闇の業者の話だった。また去年、「ソウ」シリーズの監督を務めたダーレン・リン・バウズマンのホラー・ミュージカル「REPO! レポ」は、治療費返済が滞った患者から臓器を回収するストーリー。その回収屋が“レポマン”と呼ばれていた。今回の「レポゼッション・メン」はそれらのリメイクではなく、原作者エリック・ガルシアが映像化を想定して描き上げた「The Repossession Mambo」が元の、全然別物。ただこの映画の“レポゼッション・メン”と呼ばれる職業は<人工臓器回収人>と言う事で、似てなくもない。
世界各地で絶えず戦争が起こっている近未来、人工臓器の移植はビッグビジネスとなっていた。大手の人工臓器供給会社「ユニオン」は様々な“商品”を高利なローンで売りさばき、支払いが3か月滞ったら警告、またそれより6日経っても支払わなければレポゼッション・メン(レポ・メン)によって強制執行、つまり人工臓器を回収する。もちろん債務者は死に至るわけだが、契約書通りで合法である。「車のローンが未納なら車を回収するのと同じ」と言う理論だ。腕利きのレポ・メンであるレミー(ジュード・ロウ)は友人のジェイク(フォレスト・ウィテカー)と回収数を競っていた。ところが妻はそんな職業を嫌い、息子と共に家を出てしまう。慌てたレミーは販売部に転属を決意。最後の回収業に向かう…。
想定20年後の世界だとしても、こんなに人工臓器を体内に入れている人がいるのか疑問に思う。それは心臓でもあり、肺や肝臓、目や耳まで。ドナーは存在しないのか? 医学が発展しているのなら、代わりの臓器を作るより病気を治す方に発展してもらいたいものだ。また、人工臓器を取り出すシーンがエグい。まずテーザー銃で気絶させ身動きできないようにし、その場で身体を切り開く。先月公開した「孤高のメス」でもリアルな開腹シーンがあったが、こっちの方が痛々しい。おそらく実際はこっちに近いんだと思う。
レミーの最後の仕事で大きなミスが起きる。債務者の心臓を停止させる装置がショートし、レミーは吹き飛ばされたのだ。気がつくと病院のベッドの上。さらに絶望的な事に気付く。ユニオン社の人工心臓が埋め込まれていたのだ。ローンに追われる事を嫌ったレミーは仕方なく給料のいい回収業に戻った。しかし、いざ回収となると手が震えメスを振るえない。次第に仕事がなくなり。ついの支払いが滞ってしまった。そしてレミーの逃亡生活が始まる…。
後半はアクションの連続。面白いのは横移動のアクションだ。狭い通路で追っ手をなぎ倒して進む…。どこかで観た事があると思ったら、2003年の韓国映画「オールド・ボーイ」だった。武器はアナクロでナイフやノコギリ、最後にはトンカチで闘う。未来はこうなの?って思ってしまう。また、この映画には漢字が頻繁に出てくる。「高速道路」とか「愛」、「監視中」…。英語と併用されているようだ。
そもそも借りた物は返さなければならないというのは、親や先生に教わらなくても分かっている事だ。サラ金で返済が遅れ、怖〜い取立て業者に脅されても自業自得。そんなニュースを耳にしても、私は債務者を気の毒とは思わない。だいたい自分は貸し借りは嫌いだ。サラ金もレンタルビデオも利用した事がないし、ローンも極力組まない一括払い主義だ。この映画を観て、これからもこの主義は変えないと決意した。
映画は掟破り的な展開を見せて終わる。「え〜、そこに戻るの!?」って感じ。この展開をすんなり受け入れるためには、所々に出てくる<M.5>と言うのを意識していなければならない。それにしてもジュード・ロウの左のこめかみにある“10円ハゲ”は何だったんだろうか。
☆「レポゼッション・メン」2010年7月2日(金)よりTOHOシネマズみゆき座ほかにて全国ロードショー
配給:東宝東和
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文明が崩壊して十数年、僅かな生存者は食料や生活維持品を求めて彷徨い歩いている…。と書くと、まるで先週紹介した「ザ・ウォーカー」と変わらない感じがする。実際、「ザ・ロード」は世界観や画のトーンが「ザ・ウォーカー」のそれと似ている。タイトルも両方とも何かの雑誌名みたいだ。しかし、「ザ・ロード」はアカデミー賞4部門に輝く「ノーカントリー」の原作者コーマック・マッカーシーが2006年に発表し、ピューリッツァー賞を受賞した同名小説の映画化である。「ザ・ウォーカー」と大きく違うのは、主人公が携えているのは「本」ではなく「息子」であることだ。
太陽は厚い雲に覆われ、草木も枯れ果てた凍てつく大地を歩く父(ヴィゴ・モーテンセン)と息子(コディ・スミット・マクフィー)。彼らの所持品は防水シートや毛布、双眼鏡、僅かな食料と一丁の拳銃。それらをぼろぼろのショッピングカートに載せ、南へ進む。当然、敵は飢えや寒さだけではない。理性を失ったならず者も襲ってくる。奴らは人肉を喰って生き延びているのだ。父は息子に世界が滅びる前の話や道徳観を話し聞かせる。文明が崩壊してから生まれた息子に理解できているか疑問だが、どんなに苦しい立場に立っても「人を助ける」心を失わない息子を、父はどんな事があっても守ろうとする。しかし、父は病を患い、何者かの放った矢で足を射られ、動けなくなる…。
映画はひたすら南に歩き続ける姿を捉える。時折挟み込まれる崩壊前の回想シーン。亡き妻(シャーリーズ・セロン)の思い出を糧に幼い息子を守り抜く父を、モーテンセンがストイックに演じている。監督はこの作品が長編映画4作目となるジョン・ヒルコート。近未来をCGを使わずに描くことで、スクリーンから物語の真実味が浮き出てくる。
この世界は“善き者”と“悪しき者”と分かれていて、自分は「火」を運んでいるから“善き者”だと男は言う。「火」とは何か? 「ザ・ウォーカー」が運んでいるのが「本(=聖書)」だった。映画の中では非常に象徴的に「火」と言う言葉が使われているが想像するに、ギリシャ神話に出てくる2つの火、プロメテウスが人間に与えた「火(=文明)」とパンドラの箱の最後に残った「心の火(=希望)」の事だろう。父と息子が何故そんな力を持っているのか? 南に向かう道中、1人の杖をついたふらふらな老人に会う。素通りを決め込んだ父に息子は食べ物を分けてあげようという。しぶしぶ食べ物を分け与えると、老人は少年を見て「天使が現れた」と思った。息子こそが「火」なのかもしれない。
実はこの老人が曲者だ。「ザ・ロード」では出演者全員名前が付けられていない。主人公でさえ「父」と「息子」だ。しかし、この老人だけは「イーライ」と名付けられている。この食を摂る事もままならない世界でよぼよぼの老人が生きながらえている事自体、不思議な事だ。「イーライ」と言う名は「ザ・ウォーカー」でもデンゼル・ワシントン演じる主人公の名前でもある。そして両者とも目が見えない。推測すれば「ザ・ウォーカー」のイーライが歳をとって「ザ・ロード」のイーライになったのか。肌の色は違うが…。
さらに興味深いのは「イーライ」という名前。「イーライ」は「Eli」と書き、「Elijah」の愛称だ。「Elijah」は旧約聖書に出てくる預言者「エリヤ」でもある。エリヤはアハブ王から命を狙われて、食料も無くなったとき、カラスにパンと肉を運んできてもらい飢えから逃れたとある。「ザ・ロード」の老人イーライはカラスの運ぶ食料で生きながらえ、少年をこの世界を救う天使と預言したのか。
同じ世界を描いているが「ザ・ウォーカー」の方は、アクション満載でエンターテインメントに徹しているのに対し、「ザ・ロード」は思慮深い。
☆「ザ・ロード」2010年6月26日(土)よりTOHOシネマズシャンテほか全国順次ロードショー
配給:ブロードメディア・スタジオ

1992年、あのローランド・エメリッヒ監督の出世作となった「ユニバーサル・ソルジャー(ユニソル)」。優秀な兵士が戦死した場合、その遺伝子を操作して人間の感情を全く持たない究極の兵士「ユニソル」を製造する…。当時「サイボーグ」や「キックボクサー」でニュー・アクションスターとなったジャン=クロード・ヴァン・ダムと、「ロッキー4/炎の友情」でロッキーの強力なライバル、イワン・ドラゴ役で鮮烈な印象を与えたドルフ・ラングレンの2大アクションヒーローの競演と言う事で話題になった作品だ。それから18年、その2人が「ユニソル」の続編で共演した。お互い49歳と52歳。加齢臭を漂わせながらの肉弾戦を繰り広げる。
チェチェン民主主義のテロリストが、最新の遺伝子技術に基づいた兵士再生プログラム「ネクスト・ジェネレーション・ユニバーサル・ソルジャー(NGU)」を駆使し、ロシア大統領の息子と娘を誘拐、チェルノブイリの原子力発電所を占領した。彼らの要求は政治犯数百名の釈放。タイムリミットは78時間。要求が適わぬ場合は発電所を爆破すると脅す。それに対して政府は、初期の兵器開発プログラム「ユニソル」の4人を復帰させ解決に当たるが、圧倒的な力を誇るNGUには刃が立たなかった。そこで起死回生のため、いまは人間性に目覚めるためリハビリ中だがユニソル一の兵士リュックを送り込む。リュックは向精神薬を投与され、慈悲や良心を捨て去り、以前にも増した最強のユニソルとして適地に潜り込む。そして新旧ユニソル最強同士のバトルが始まる。

「ユニソル」は映画になるのは3回目で「ユニバーサル・ソルジャー:ザ・リターンズ」が1999年に公開されている。しかしこれには、ヴァン・ダムは出演しているがラングレンは出演していない。「1」でリュックに破壊されたアンドリュー(ラングレン)は「ザ・リターン」では出演できない。でも、今作「リジェネレーション」ではテロリスト側のマッド・サイエンティストに生を与えられる。どうやら「リジェネレーション」の製作陣は「ザ・リターン」は“なかった物”と考えているらしい。
そして、この映画の最大の見所とされる、ヴァン・ダムとラングレンの戦いだが、映画の本筋とはほとんど関係ない。自分も観るまでは、NGUがラングレンかと思っていたが、それはUFC元世界王者であるアンドレイ・“ザ・ピットブル”・アルロフスキーという総合格闘家が演じている。そもそも、ヴァン・ダムの方はたまに映画で見かけるが、ラングレンはほとんど目にしない。ヴァン・ダムは08年の「その男ヴァン・ダム」でセルフパロディを演じるなどフットワークの軽さを見せたが、いかにも堅物っぽいラングレンはこの歳になってもアクション一本のようだ。今年公開予定のシルベスター・スタローン監督のアクションスター総出演作「エクスペンダブルズ」ではジョット・リー、ジェイソン・ステイサム、ミッキー・ローク、ブルース・ウィリス、シュワちゃんなどと共演している。
今回監督を務めたのはジョン・ハイアムズ。父親はヴァン・ダム主演の「タイムコップ」や「サドン・デス」で監督兼撮影を務めたピーター・ハイアムズ。今回、父ピーターは撮影監督に専念しムスJこを手助けしている。そのせいかアクションシーンはかなりの迫力。冒頭の拉致誘拐シーンは荒削りではあるが臨場感溢れるカメラアングルやカット割り、そして暴力的な編集で惹きつける。これだけでも見応えは十分。そして肝心のバトルシーンだが、これも最近流行のダンスのようなカンフーアクションではなく、“ 肉弾戦”と言う表現がぴったりな戦い方。これなら往年の「ユニソル」ファンも満足だろう。

この作品、本国アメリカでは劇場公開されず、DVDスルーだった。しかし日本では、晴れて劇場公開。スティーブン・セガール作品などもアメリカではDVDのみだけど、日本ではこの手のアクション映画の固定ファンが多いのか、映画館で上映されるケースが多い。冒頭のシーンだけでも大きなスクリーンで観る事をお勧めする。
なんと第4作目の製作が決定したそうだ。次作は流行に乗って3Dになる予定。ヴァン・ダム、体力が持つのか?
☆「ユニバーサル・ソルジャー:リジェネレーション」2010年6月26日(土)よりシネマート新宿ほか全国順次ロードショー〈R15+〉
配給:エスピーオー
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ウェス・クレイブンがキャラクターを創り出した『エルム街の悪夢』。以降7本の続編が製作されるほどの大ヒットシリーズとなった。殺人鬼フレディ・クルーガーは「13日の金曜日」のジェイソン・ボーヒーズ、「ハロウィン」のブギーマン(マイケル・マイヤーズ)と並びホラー映画の大スターである。
今作は、1984年に公開された1本目をわりと忠実にリメイクしたものだ。ただし、今までフレディ役をずっとこなしていたロバート・イングランドが年齢の理由により降板。今回から「ウォッチメン」のロールシャッハ役や「シャッター アイランド」のノイス役(C病棟に隔離されてた半裸の男)で知られるジャッキー・アール・ヘイリー(以下J・E・ヘイリー)が務めた。
エルム街に住むナンシー、クリス、クエンティン、ジェシー、ディーンの5人のティーンエイジャーは毎晩同じ夢に悩まされていた。その夢とは、赤と緑のストライプのぼボロボロのセーターに、焼けただれた顔を隠すように被ったよれよれの茶色のソフト帽、右手の4本の指にはナイフのような鉄の爪を持った男。フレディと呼ばれるその男は夢の世界で5人を襲い続ける。しかし、仲間の1人が無残な死を遂げる。夢が現実になったことで、眠らない事が生き延びるための唯一の手段と悟る。だが何故自分たちが狙われるのか。そこには5人に共通する忌々しい過去があった。
1984年から始まったこのシリーズは、回を増すごとにコミカルさの度合いも増して来た。2003年の「フレディVSジェイソン」まで行くと、もう取り返しの付かない所までいった感じだった。そこで、今作のプロデューサーを務めるマイケル・ベイを始め製作陣は、原点に戻り、真に恐ろしいフレディ像を造り出すことにした。それには、役者交代は正解だと思う。コミカルなイメージが残るロバート・イングランドよりも、素顔でも悲壮感が漂うJ・E・ヘイリーの方が新・フレディに似合うようだ。ただ、そこがちょっと物足りないように思えた。慣れの問題かもしれないが、愛嬌のあるフレディの存在自体がこの「エルム街の悪夢」を他のホラー映画と違う所だ。ジェイソンだって、ブギーマンだって愛嬌のカケラもない。その点でフレディは、ホラー映画の中で唯一無二のキャラクターだった。でも、新シリーズとして次作、3作目と作られ、J・E・ヘイリーがフレディ役も続投するらしいので、また徐々に変化が現れるかもしれない。個人的には、「X-MEN」のウルヴァリンと共演して《爪》対決をして欲しい。でも、おそらく「フレディVSジェイソン」以上の駄作になるだろうが…。
今回のリメイクは成功だったのだろうか? 原点回帰の意志は伝わったのだが、新しい「エルム街の悪夢」を作るのなら、もう少し違う次元の演出を取り入れて欲しかった。バスタブから爪がにゅっと出てくるおなじみのシーンは懐かしさもあり嬉しかったが、影技術も発達しているのだから、21世紀の「エルム街の悪夢」を見せて欲しかった。
☆「エルム街の悪夢」2010年6月26日(土)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画
© MMX NEW LINE PRODUCTIONS, INC.

© 2010「さんかく」製作委員会
タイトルの「さんかく」とは三角関係のこと。30歳の男性と29歳の女性、それと女子中学生。この3人が織りなす恋模様だが、1987年の「危険な情事」を思わせる展開だ。そしてそれは○でも×でもない△な人間関係を表している。
都内のマンションで一緒に暮らす百瀬(高岡蒼甫)と佳代(田畑智子)。百瀬はカスタムカーに自分の顔を描き込んでいるほどのナルシスト。また勤務先の釣具店では後輩に辛くあたる自己チューの男。佳代はと言うとマルチ商法に引っかかってしまうぐらい危なっかしい女性。2人の関係は2年以上続き、すでに以前のようにラブラブではなくなっていた。そこに夏休みを利用して佳代の15歳の妹・桃(小野恵令奈)が転がり込んでくる。最初にこの桃を写す映像が、上京する電車で居眠りし隣の人にもたれ掛かっている場面。それをスカートの中が見えそうになるぐらいのローアングルで撮っているので、波乱の展開を感じさせる。
日々の暮らしにマンネリ感を感じていた百瀬は天真爛漫な桃の出現でどこか落ち着きをなくす。桃も肌もあらわな姿で部屋の中を歩き回ったり、カスタムカーを褒めたりと無意識であろうが小悪魔ぶりを発揮してくる。そして佳代も2人の関係をうすうす感じ始め、桃に「あまり馴れ馴れしくするな」と釘を刺すが、「嫉妬してるの?」と返す始末。そして実家に帰る前の夜、百瀬は成り行きで桃にキスをしてしまう。ここから百瀬の「身勝手人生」が始まっていくのだが、監督の吉田恵輔は以前にも「机のなかみ」で教え子に勝手に惚れ込む家庭教師(あべこうじ)や、「純喫茶磯辺」で突然喫茶店を開店する父(宮迫博之)など、ダメな男を独特のペーソス感で描くのが得意だ。それも恋人の妹、教え子、娘と歳の離れた女性に翻弄されるケースが多い。
百瀬は桃も自分の事が好きだろうと勝手に思い込み、佳代には内緒で実家の桃に毎日電話をかける。また佳代とも些細な事で喧嘩をし、同棲を解消してしまう。佳代と別れてからも桃には毎日のように電話をかけるがいつも留守電になっていて焦りは募っていく。一方、百瀬を諦めきれない佳代は職場に現れたり、百瀬の新居をつきとめては勝手に合い鍵を作り、掃除や冷蔵庫の補充などストーカー行為に走る。その現場を押さえた百瀬は「警察に突き出す」と怒鳴り散らすが、「じゃあ今まで貸したお金を返して」と逆に言い返される。ここでの高岡の演技がいい。これまで硬派の不良学生の役が多かった高岡の初めてのラブストーリー主演。それも情けないダメ男の役だが、見事に役をこなしている。佳代のストーカー行為を怒るくせに、自分が桃に行っている電話かけまくりをストーカー行為とは思わない、実におめでたい男だ。また田畑の演技も、後半になってエスカレートしていく百瀬への想いをスリリングに演じている。
ある日事件が起きる。鍵を付け替え安心して眠る百瀬の部屋に石が投げ込まれた。割れたガラスで大ケガをする百瀬。だがこれは誰がやったのか映画の中では判明しない。一番考えられるのは佳代だが、警察でストーカー行為は認めたものの石は投げてないと主張するし、電話攻勢に堪らなくなった桃かもしれない。または、ことあるごとにイジメられる釣具店の後輩かもしれない。
この映画で描く三角関係の一点が、男性の歳の半分である15歳である所におもしろみが出ている。同年代なら思い切った事も出来るだろうが、相手が中学生となるとそうも行かない。一回り以上離れている異性の気持ちなんかそう簡単に分かるもんじゃない。相手にその気がないのであれば全くのピエロである。吉田監督の映画はそのピエロがよく登場する。しかし、最後はピエロで終わらせない優しさがあるから面白い。
☆「さんかく」2010年6月26日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷、池袋テアトルダイヤほか全国順次ロードショー
配給:日活
© 2010「さんかく」製作委員会

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのボカの港で誕生した音楽「タンゴ」。発祥は19世紀後半だと言うからブラジルのサンバ、ボサノヴァと同時期に生まれた音楽だ。 “庶民的”にタンゴと言えば、ちょっと前に流行った「だんご3兄弟」や、だいぶ前に流行った「黒ネコのタンゴ」、ちょっとハイソサエティな立場で言えば、コンチネンタルタンゴがソシアルダンスの一つとして知られている。
今回紹介する「アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」のアルゼンチンタンゴとは、ヨーロッパに渡り洗練されフルバンド形式で演奏されるコンチネンタルタンゴとは違い、バンドネオンが主体となった少人数で演奏されるタンゴだ。だから登場する演奏家たちは1940年代から第一線で活躍したおじいさん、おばあさんばかり。タンゴと言えばピアソラぐらいしか知らない私には、初めて見る人だらけ。映画はそんなアルゼンチンタンゴ歴60年から70年の国宝とも言えるマエストロたちを一堂に会し、「Café de los maestros」と言う名のアルバムを製作、さらにコロン劇場での同名コンサートの様子を収めたドキュメンタリーだ。言ってみれば「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」のアルゼンチンタンゴ版。
映画の前半は、そのマエストロたちが昔の思い出話を語るシーンばかりで退屈きわまりない。ここはアルゼンチンタンゴ好きな方でなければ睡眠タイムになってしまうだろう。しかし後半、コロン劇場のコンサートのなると一転、熱いステージが繰り広げられる。

アルゼンチンタンゴと言えばバンドネオン。甘美なメロディなのにセンチメンタルな気分にさせられるのは、ひとえにバンドネオンが奏でる退廃的な音色のせいだろう。このバンドネオンという楽器、形は小型のアコーディオンのように見えるが鍵盤がなく左右のボタンを押して演奏する。このボタンが音階順に並んでなくバラバラ。「悪魔が作った楽器」と言われ演奏するのは非常に困難だ。この楽器を90歳近いおじいさんが凄い速さで弾きこなす。普段は真っ直ぐ立って歩けないようなおじいさんが、楽器を持つと生き生きする。現在はこのバンドネオンを製作する人が少なくなって、プロの人や愛好家も古い楽器を修理しながら使っていると言うから哀しい話だ。
そして凄いのはバンドネオン奏者だけではない。ギターやピアノ、バイオリン奏者のテクニックも引けを取らない。人生を悟りきった熟練者しか出せないメロディや音色が、聴く物を圧倒する。
コンサートは曲目によってマエストロたちが入れ替わり立ち替わりジョイントしていく形だが、気付いたのは打楽器奏者がいない事。パーカッションがいなくてこの圧倒的なグルーヴ感は、歯切れのいいストリングスのスタカートが支えている(曲によっては金管楽器や打楽器を含めたオーケストラをバックに演奏している)。
今まで、タンゴを真剣に聴いた事がなかった私も、年齢を重ね人生の深みを増した歌声や、逆に年齢を感じさせないテクニックを見せつけられて、タンゴの懐の深さを知った。今回映画に出演している何人かはもうすでにお亡くなりになっているという。もうフィルムでしかこれらマエストロに触れられないのは残念だ
☆「アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」2010年6月26日(土)よりBunkamuraル・シネマ他にて全国順次ロードショー
配給:スターサンズ
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韓国・ソウルの中心を流れる漢江(ハンガン)。その川の中州・パム島に1人の男が漂流した。彼は借金苦に負け、漢江に身投げをしたが死にきれず、ここに到着してしまったのだ。パム島とは10年間自然生態系保全地域で一般人の立ち入りが禁じられている。言わば無人島である。島からソウルの華やかな高層ビル群が見えるが、幼い頃のトラウマで泳げない。ケータイのバッテリーも切れ、遊覧船にも声は届かない。島の砂浜に大きく<HELP>と書き救助を求めても、埒が明かない。絶望感に再度死を考えるが、サルビアの甘い蜜を吸い生きる努力を試みる。島中から集めた漂着物で生活用品を作り、鳥の糞からトウモロコシを栽培。ジャージャー麺の粉末スープを偶然見つけた男は、トウモロコシで麺を作り、ジャージャー麺を食べるのを目標にするなど、無人島生活にもそれなりに慣れてきた。いつしか砂浜の文字も<HELP>から<HELLO>に変わった…。
漂流物で有名なのは、2000年のトム・ハンクス主演「キャスト・アウェイ」が有名だったが、この「彼とわたしの漂流日記」もある程度コメディタッチではあるものの、無人島での奮戦ぶりは似ている。トム・ハンクスはバレーボールに「ウィルソン」と名付け話し相手を作るシーンが有名だが、こちらの映画でも、かかしを作って孤独を紛らわす場面がある。しかし「キャスト・アウェイ」は周り見渡す限り海だったのに対して、こちらは都会の中の無人島であること。さらに大きく違うのは、もう1人の“孤独”な少女が絡んでくる所だ。
漢江を一望できる高層マンションの一室に1人の少女が3年間の引き籠もり生活を送っていた。インターネットと毎晩、月をカメラに収めるのが趣味の生活をしていた。ある日、ひょんなことからパム島で1人の男が自殺しようとしているのを目撃する。そして砂浜には<HELP>の文字。衝撃を受けた少女は翌日、カメラを覗いて男が生きている事に安堵する。それから少女は男を<地球外生物>とみて観察を続けた。それから2か月後、少女は<HELLO>の返事を送るために、メッセージを入れたワインボトルを携え、3年ぶりに外に出る。そしてパム島の上を渡る橋から投げ落とす。
この映画は簡単に言うと“ガール・ミーツ・ボーイ”になるのだが、2人の対比が面白い。
男は1人になりたくてなったわけではない。だが、都会に戻っても辛い生活を再び繰り返すだけ、それならばこの無人島で悠々自適に暮らしていた方がましと感じている。でも、ひとたび人との関わりを持つと無性に人恋しくなってしまう。
一方少女は、自ら進んで孤独になっていった。しかし、<地球外生物>を見続けていく撃ちにコンタクトを求めたくなる、それもインターネットではなく非常にアナクロな方法で。そして勇気を振り絞って外に出るのだ。メッセージの交換も<HELLO>から<HELLO>、<HOW ARE YOU?>から<I AM FINE.AND YOU?>と続くが、男が<WHO?>と砂浜に書くと少女は引いてしまう。孤独が堪えられない男と、孤独に慣れてしまった少女は相容れないのか…。
お互い都会の中の“孤島”で生活する2人。共に社会の脱落者でもある。共に不況やイジメという社会問題に負けた2人である。そこを深刻に描かず、ユーモアを交えて救いを差し伸べている。監督のイ・ヘジュンは2008年の「ヨコヅナ・マドンナ」(草彅剛が特別出演している)での共同監督に続き2本目であるが、小道具の使い方やイメージショットが抜群に上手い。
無人島の男も一度だけ脱出出来るチャンスはあった。ジャージャー麺の袋を見つめている所を少女が見つけ、なんと10万ウォンかけて出前を頼んだのだ。出前持ちはアヒルちゃんボートで必死になって漕いでジャージャー麺を男に届けるのだが、男は「ジャージャー麺は俺の希望だ」と言って受け取りを拒否する。出前持ちは泣きながら再びボートを漕いで帰る。その時一緒に帰れたはずだ。ここで生活できる自信が付いたのか、ジャージャー麺を完成させたかったのか。少しでも葛藤する姿を描いても良さそうな物だが…。
☆「彼とわたしの漂流日記」2010年6月19日(土)より新宿バルト9ほか全国ロードショー
配給:CJ Entertainment Japan
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「アイ・アム・レジェンド」しかり、「2012」しかり、「ドゥームズデー」しかり「ゼブラーマン」しかり…。映画が描く近未来は決して明るい物ではない。天変地異や謎の病原体、核戦争などで世界は荒廃し、一握りの人間しか生き残れないらしい。
今回の映画「ザ・ウォーカー」もそんな時代の話。戦争ですべてが荒廃した近未来。食料も飲み水さえも簡単に手に入らない世界を、天啓に導かれ「ウォーカー」と呼ばれる1人の男(デンゼル・ワシントン)が一冊の“本”を運ぶため歩いている。ウォーカーは運ぶ理由を知らない。行き先もただ“西”というだけ。当然、食糧難のこの世界、無事に“西”へ行けるはずがない。途中幾度も盗賊に行く手を阻まれるが、圧倒的な身体能力と大振りの山刀でなぎ倒す。ウォーカーは天啓に忠実で、“本”を西に運ぶ事しか考えてない。通りがかりの夫婦が盗賊に襲襲われるのを見ても助けには行かないのだ。デンゼルは前作の「サブウェイ123 激突」で腹の出た中間管理職のおっさんを演じていたが、見事にビルドアップ。55歳とは思えぬアクションにキレがある。
やがてカーネギー(ゲイリー・オールドマン)と言う男が牛耳る地域に着く。カーネギーは世界が崩壊する前の時代を知る数少ない人物で、戦争が終わって本という本すべてが焼却されたという「華氏451」的世界で、ただ1人書物を欲していた。特にある一冊の本を血眼で探している。その本を手に入れれば人を操られると信じているのだ。その本こそが、ウォーカーが運んでいる“本”。ここでは敢えて言わないが、その本が何であるかは、欧米人でない我々にも容易に想像が付く。
ここでのゲイリー・オールドマンの演技は、最近「ダークナイト」や「ハリポタ」シリーズで“いい人”付いていた役に物足りなさを感じているファンを喜ばせる物だ。あの「レオン」や「エアフォース・ワン」の狂気の敵役が帰ってきた感じだ。
探している“本”をウォーカーが持っていると知ったカーネギーは、荒くれの手下どもを集めてウォーカーを襲うが、超人的な身のこなしで街を後にする。諦めきれないカーネギーは徒党を組み、ありとあらゆる武器を積み込んで追いかける。ウォーカーは途中、老夫婦が暮らす一軒家に身を寄せるが、その夫婦は人肉を喰って生き延びている夫婦だった。人を食べ過ぎると手が震えると言う設定がユニーク。そこをカーネギー一派が発見し、激しい銃撃戦となる。このシーンが凄い。この時代どこにこれだけの銃弾があったのかと思うほどの撃ち合い。老夫婦の家が木っ端微塵になる。製作に「リーサル・ウェポン」「ダイ・ハード」「マトリックス」の名プロデューサー、ジョエル・シルバーが務めているだけあって見せ場は満載。
果たしてウォーカーはこの銃弾の嵐をかいくぐって、“西”に“本”を届ける事が出来るのか…。と言う事なのだが、ラスト付近でウォーカーのある秘密が明かされる。それを知った観客はきっと大きな『?』を抱くだろう。そして頭の中で映画を再生する事になる。私はあまりにも意外な展開にひどく戸惑ったが、よくよく考えれば日本にもそんな映画があったなぁと自分を納得させた。
この映画、細部を見ていくとかなり楽しめる。まず戦争で世界が崩壊して30年経っている。店がはあるけど、貨幣に価値はなく全部物々交換だ。ウォーカーは何故かケンタッキーフライドチキンのウエットナプキンを大量に持っていて、これを水や充電資金に替えている。何故充電が必要かというと、彼は道中iPodでジョニー・キャッシュを聴いているから。そのiPodも第3世代のiPod。あの丸いホイールと液晶の間に4つのボタンが付いていたヤツだ。これが発売されていたのが2003年から04年にかけて。と言う事は戦争は2003年以降頃に起きて、その30年後がこの映画の舞台だから、2033年から少なくとも2040年の間の時代設定になる。そして、セリフの中で「あの戦争で空が割れた」と言うのが出てくる。これはおそらくオゾン層の破壊のことで、大量の紫外線が地上に降ってくる。だから登場人物は全員サングラスをかけている。そしてウォーカーがカーネギーの街で一泊する部屋に「 A Boy and His Dod(少年と犬)」(1974)のポスターが貼ってある。この映画も近未来の核戦争で滅びた世界を描いた映画だ。さらに「時計じかけのオレンジ」のポスターまである。これはラストで出てくるマルコム・マクダウェルへのサービスか? さらに、ウォーカーの鞄の中に「Kマート」のバッジがあり、「My name is Eli」と書かれている。ウォーカーは30年前にはKマートで働いていた事が分かる。スーパーの一店員がなぜ超人的な体力を付け、大事なミッションを授かったのかは謎のままである。
しかし、今爆発的人気のiPadを初めとする電子書籍もこの世界ではまな板の役にも立たない。いや、iPodが聞けるということはiPadも使えるのか。そうだったら、このお話自体成り立たなくなる。
監督は01年にジョニー・デップ主演の「フロム・ヘル」を撮ったアルバートとアレンのヒューズ兄弟。おそらくはデジタル処理だろうが、銀落とししたようなコントラストが妙なスタイリッシュ映像がいい。この兄弟、次回作にあの大友克洋の「Akira」を撮るという情報もあるから注目だ。
最後に、この映画でひさびさにジェニファー・ビールスを観た。TVではドラマ「Lの世界」で最注目されていたが、スクリーンで観たのは久しぶりだ。「フラッシュダンス」の頃の面影が残っており、うれしかった。
☆「ザ・ウォーカー」2010年6月19日(金)よりの内ピカデリーほか全国ロードショー
角川映画・松竹共同配給
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ヴードゥー教の「意志を持たない奴隷労働者」を意味するゾンビ。それを「生きた死体」とし言う恐怖の対象に仕立て映画にしたのが、意外に古く1932年のアメリカ映画「恐怖城」だ。しかし一般的に「ゾンビ映画」と言われるのがは、映画監督のジョージ・A・ロメロが1968年に撮った「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」だろう。特殊なウィルスや、疫病、生物兵器で命を落としたが、何故か生き返り、生きている人間を襲う。動きはのろのろと遅いが、噛まれた人間はゾンビ化し、頭を撃ちぬかないと完全に死なない…。それから半世紀近くの間、数々のゾンビ映画が生まれた。ネットで調べると200以上もある。またそれは映画の世界だけではない。音楽の世界では、マイケル・ジャクソンが「スリラー」のPVで、墓場から出てくるゾンビとダンスを踊ったり、ゲーム業界では「バイオハザード」が世界的にヒット。開発・販売元のカプコンに寄れば、09年12月31日現在で61タイトル、4200万本売れている。
その「ゾンビ映画」の生みの親ジョージ・A・ロメロが自身6作目になるゾンビ映画「サバイバル・オブ・ザ・デッド」を作った。物語は2007年の前作「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」の4週間後から始まる。4週間と言えば28日。「28日後…」と言うイギリスのゾンビ映画(正確にはゾンビではなく感染者だが)があったが、偶然だろうか?

死体が蘇り人間を襲うというニュースが流れて4週間が過ぎた。デラウェア沖の孤島プラム島にもとうとうその現象は起きてしまった。生前愛した死者を再び殺す事が出来ず、ゾンビ化した者を隔離しようとするマルドゥーン家と、そんなもん即射殺だと主張するオフリン家と意見が分かれ、結果オフリン家の長パトリックは島を追われる事になった。一方、軍人のサージは日々蘇って人を襲う死者の頭を撃ち抜きづけていたが、それが元仲間だったりすると心が痛み、ついに同志と離隊し強盗に成り下がっていた。そんな時、ネットで死者が蘇る事のない島があると言う動画を見る。そこに映っているのはプラム島のパトリックだ。行く当てのないサージ一行は疑心暗鬼でその島に向かうが、その途中偶然パトリックと会う。マルドゥーン家に復讐したいパトリックは、生き延びたいサージ一行を唆しプラム島を目指す。
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」から「ゾンビ」(78)、「死霊のえじき」(85)までが《ゾンビ3部作》と言われている。その3部作の総まとめとして2005年に「ランド・オブ・ザ・デッド」を発表した。そこでは、ゾンビにとって人間が恐怖の対象となっている。つまり立場が逆転し、人間がゾンビを面白半分に殺していく、本当に恐ろしいのは人間なのだという視点で完結した(今回の「サバイバル・・・」にも頭を撃って殺す事はせず、生首を串刺しにしうめき声を上げるゾンビを眺めて嘲笑する相変わらずゾンビイジメが描かれている)。
そして前作の「ダイアリー・・・」からの新ゾンビ・サーガ。社会批判を作品に込めるロメロ節はここでも健在で、POV(主観撮影)で全編撮られた映像に、ネット社会の危険性やプライバシーの崩壊など発達しすぎた情報メディアの功罪を問うていた。

今作のテーマは共存。2007年に「ゾンビーノ」と言うゾンビ映画があった。コントロール付きの首輪をゾンビに装着することによって人を襲わず、奴隷として働かせることができると言う発想を元にした映画。これはコメディ映画だったが、ロメロはホラー映画のテイストを損なわず描ききった。ゾンビ映画も次の次元に入っていった感じだ。退治しても退治しきれないゾンビをどうするか。生前愛したゾンビを殺せるか。ならば、人間ばかり襲うゾンビに食事を与えなければ、牛や豚を食べるのではないか…。面白いのは、そんな<ゾンビ擁護派>をも判断能力を持たないゾンビは容赦なく襲ってくる。
さすが、ゾンビ・マスターのロメロ、格が違う。格が違うと言えば、ロメロの作品にはカメオ出演がいっぱいいる。前作の「ダイアリー・・・」にはスティーヴン・キングやクエンティン・タランティーノ監督、ギレルモ・デル・トロ監督、ウェス・クレイブン監督、サイモン・ペグらが声の出演をしていた。いかにロメロ監督が映画人に尊敬されているか分かる。
ロメロ監督には是非次作を作り、新3部作として完結させほしい。ロメロなりのゾンビ・サーガの結末を観てみたい。
☆「サバイバル・オブ・ザ・デッド」2010年6月12日(土)よりシネマサンシャイン池袋、TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国ロードショー
配給:プレシディオ
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HP:www.survivalofthedead.jp

© 2010『アウトレイジ』製作委員会
ここ3作、愚にも付かないギャグを盛り込んだ自己投影型コメディ映画を撮ってきた北野武監督。どうも好きになれず、私の中での評価は低い。ギャグの面白さが伝わってこないのだ。これはあの松本人志作品にも感じたのだが、即興性(アドリブ、トーク)が売り物の芸人が、作りに作り込んだコメディ映画を撮ると、ギャグが空回りし観てて辛い。それを感じたのか、今回の北野武がテーマにしたのは、「BROTHER」(01)、「座頭市」(03)以来7年ぶりの<バイオレンス>。コメディ的要素をあえて廃し、暴力を追求した作品だ。しかし、そのストイックさが逆におかしさを誘う。北野武映画で始めた笑った。彼でしか出来得なかった到達点であろう。
ストーリーに新鮮みはない。ヤクザ社会を舞台に、金や権力を手にするために命を張る極道の群像劇だ。この社会は完全なるピタミッド型で縦社会。たとえどんな理不尽な命令でも絶対服従だ。上が嫌がる仕事や尻ぬぐいは下の仕事なのだ。そして、腹の探り合い、弱肉強食の中に漂う死の匂い…。それが裏社会の中だけの抗争で、一般人にその影響が及ばないのは北野武監督の優しさか。
特筆なのが出演陣の豪華さ。関東一円を取り仕切る巨大暴力団[山王会]の会長に北村総一郎、その若頭に三浦友和、山王会の直参・池元組組長に國村隼、その配下の大友組組長にビートたけし、その若頭が椎名桔平、会計係に加瀬亮。マル暴の刑事に小日向文世、他にも石橋蓮司、塚本高史、杉本哲太など男ばっかり。これら男優はビートたけしを除くと北野映画初参加の役者ばかり。この辺りも監督の意気込みが感じられる。刑事を含むこいつら全員が腹に一物を持つ《ワル》である。特に注目は加瀬亮。大友組の金庫番という役所で、言ってみればインテリヤクザ。最初のうちは画面の隅っこで、いるのかいないのか分からないような草食系男子だったが、キレると暴走、容赦なく殴りまくる。今まで好青年の役が多かっただけに、正直驚いた。そして、彼の存在が今後のヤクザ界を象徴するキーになっている。
今作はセリフがかなり多い。今までの北野映画と違って、行間を読んでもらうような作品ではなく、直感的だ。
さて、このバイオレンス描写なのだが、バタバタと人を殺しまくるのだが、拳銃でバンバン殺すだけではない。むしろ拳銃で殺した方がバイオレンス度は低い。歯医者さんのキーーンて鳴る器具で口の中をボロボロにしたり、紙を切るカッターで〈エンコ詰め〉させたり、舌を思いっきり出させ、その顎にアッパーかませたり…。徹底したバイオレンスシーンの連続。でも、その非人道的なシーンも観る方は顔を背けるが、なぜか笑えてしまう。バイオレンス・コメディとでも言おうか。北野武はこの路線を追究すべきだ。
商業映画の〈暴力〉は、正義を守るためのものとして描いてきた。それは〈暴力〉を肯定せず、悪を退治するための最終手段という〈免罪符〉をぶら下げている。しかしこの映画に正義はない。あるのは保身とエゴだけの不毛な物。ハネケ監督の「ファニー・ゲーム」を観た時にも感じたが、暴力に対しての北野武流アンチテーゼではないか。
今年のカンヌ映画祭では結局無冠に終わった。賞を狙える作品ではないと思っていたが、フランス芸術文化勲章コマンドゥールも授与されたし、なによりフランスはグラン・ギニョール発祥の地だから、この手の映画もあわよくばとも思っていたが、残念だった。
☆「アウトレイジ」2010年6月12日(土)より丸の内ルーブルほか全国ロードショー〈R15+〉
配給:ワーナー・ブラザース映画/オフィス北野
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一昨年に公開された前作「アイアンマン」は全世界で興行成績600億円をたたき出した。これは「スパイダーマン」3部作に続くマーベル・コミックの映画第4位の成績だ。ロバート・ダウニー・Jr.が演じた飄々とした、つかみ所のない新しいヒーロー像と、斬新なガジェットの美しさが楽しめる作品だった。今回のパート2でもその点はパワーアップ。前作の公開時はアメコミの「アイアンマン」を知らない人もたくさんいたと思うが、今回は逆に知らない人の方が少ないだろう。
今作はトニー・スタークの周りに沢山の敵が出現する。まずアメリカ国防総省。アイアンマンの勝手なヒーロー行為を問題視し、トニーが身につけるパワードアーマーを没収を命じる。そして、それに肩を貸すジャスティン・ハマー(サム・ロックウェル)。彼が率いる「ハマー・インダストリー」は武器売買組織で、自分たちでは開発する事の出来ないパワードアーマーを狙っている。また、謎の美女ナタリー(スカーレット・ヨハンソン)も気になる存在だ。トニーの会社「スターク・インダストリー」の法務部の社員となりトニーをつけ回すが、敵なのか味方なのか…。

前回も登場したS.H.I.E.L.D.の長官ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)も『アベンジャーズ』の勧誘にちょくちょく現れうざったい。
さらにトニーの身体にも危険が迫っている。パワードアーマーのエネルギーの源である胸に埋め込んだアーク・リアクターがパラジウムを発生しトニーの肉体を蝕んでいく。

そして最大の敵がミッキー・ローク演じるアイヴァン・ヴァンコだ。彼の父アントンが「スター・インダストリー」の研究員だった頃、トニーの父ハワードに解雇された事に逆恨みし、自ら作り出した一撃で金属を真っ二つにする鞭『エレクトリック・デス・ウィップ』で、それこそ親の敵のようにアイアンマンに戦いを挑む。対等に闘うアイヴァンを目にしたハマーは彼と手を組み、強力な戦闘ロボット『ドローン』を数十台開発する。
なんと言っても、この映画の魅力はロバート・ダウニー・Jr.にある。トニー・スタークは、金と名誉はあるけどそれにあぐらをかかない、見栄っ張りで女好きな人間くさいヒーローであるが、ダウニー・Jr.はまさに打って付け。パート1を作るとき43歳だったダウニー・Jr.は、「老けすぎている」と反対されたそうだ。しかし、実際彼が演じると、彼が今まで体験した紆余曲折の人生(麻薬問題数回逮捕されたり、薬物依存症になった事も)がバックボーンになり、深みのあるとトニー・スタークになり、ダウニー・Jr.自身も完全復帰となった。今回もパラジウムで身体が冒されていくのを悲観して、自暴自棄になる。自分の誕生パーティーで酒に酔い、パワードアーマーの能力を見せびらかし大暴れ。トニー・スタークの人間の弱さを見せる所も、ダウニー・Jr.が演じるとハマる。

そして、今回そのトニーの最大のライバルとなったアイヴァン役のミッキー・ローク。彼も結構な問題児で暴行や飲酒運転で逮捕歴のある、まあ、ダウニー・Jr.と似たもの同士でもある。しかし、凄みの方はミッキーに分。ミッキーが映るだけでスクリーンに殺気が生じる。彼がちまちまと研究にいそしんでいる姿は似つかわしくないが、モナコでレーシングカーを『エレクトリック・デス・ウィップ』で真っ二つにするシーンは、サーベルを振り回しながら入場するタイガー・ジェット・シンのようだ。
後半のパワースーツ同士の肉弾戦も見物だが、スカーレット・ヨハンソン演じるナタリーの、ネコのような敏捷性で敵の男どもをなぎ倒す生身のアクションも素晴らしい。彼女がアクションをここまでこなすとは思ってなかった。
もう一つの見所のガジェット。ギークなファンにはたまらない物が出てくる。PDAは透明のガラス板のような物でもちろんタッチパネル。簡単にハッキングもできてしまう。ガレージで作業するパソコンはすべてホログラフィック。そして、前回はパワードアーマーを装着するのはそのガレージでしかできなかったが、今回は携帯できるトランクに改造されている。これなら何処でもアイアンマンに変身できるって訳だ、その変身シーンもスピーディーなメカニックでかっこいい。
前作でテレンス・ハワードが演じていたトニー・スタークのよき理解者、ローディ米海兵隊中尉が、今回ドン・チードルに変わっている。何も説明のないまま、急にドン・チードル演じるローディが出てくるもんだからかなり戸惑う。前作では“テレンス”ローディがパワードアーマーを前にして「次は着せろ」みたいな事を言っていたのに、着ずに役を降りてしまった。今作を観れば分かるが、もったいなかった。
☆アイアンマン2」2010年6月11日(金)よりTOHOシネマズ スカラ座 ほか全国ロードショー
配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン
Iron Man 2, the Movie: © 2010 MVL Film Finance LLC. Iron Man, the Character: TM & © 2010 Marvel Entertainment, LLC & subs. All Rights Reserved.

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ニューヨークに住む独身女性4人のライフスタイルをコミカルに描いてきたドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ(以下SATC)」。米ケーブルテレビ局HBOで初めて放映されたのが1998年で、主演の4人は全員30代という設定で始まってから12年。今や実年齢でいうと全員40歳以上。サマンサ(写真右から2番目)役のキム・キャトラルに至っては53歳。この更年期障害を抱えていてもおかしくない4人が、最新のオシャレに身を包み、恋の悩みを語り合い、あけすけにセックスを語り合う…。これはもう「SATC」のファンでなければ、映画化第2弾となる「SATC2」は2時間半の長尺もあってちょっとキツイかもしれない。今回は、あくまでもノンセレブの中年男がこの映画を観た感想なので、ファンの方、気に障ったらごめんなさい。ところで、全米では日本より1週間早く公開し、同週公開の「プリンス・オブ・ペルシャ/砂の時計」との“砂漠”対決が注目されたが、ウィークエンドの興行収入は、200万ドル弱差を付け「SATC2」が勝ったようだ。
前作でそれぞれ幸せな結末を手に入れてから2年、4人は新しい悩みを抱えていた。ベストセラー・コラムニストのキャリー(サラ・ジェシカ・パーカー/写真左から2番目)はすったもんだで結婚した夫のミスター・ビッグ(クリス・ノース)の愛が冷めてきていると感じるようになった。その理由の一つが、結婚記念日のプレゼント。キャリーは愛の言葉を掘ったビンテージのロレックスを贈ったのに対し、ミスター・ビッグからはテレビというロマンのカケラのない物だった…。おいおい、ちょっと待てよ。テレビ、いいじゃないの。薄型のプラズマ大画面だよ。地デジだって観られるのに。さらに、週2日は別々に暮らそうと持ちかけられる。全くセレブはうらやましい。住む所が2か所以上あるって事だもの。そして、弁護士のミランダ(シンシア・ニクソン/写真右)は会社で自分の声が通らないと悩み、PR会社社長で唯一の独身サマンサは女性の幸せを見失い、アート・ギャラリーのディーラー、シャーロット(クリスティン・デイビス/写真左)は育児ノイローゼ。雇ったベビーシッターと夫の仲を怪しむ。このベビーシッター、エリンが巨乳でノーブラTシャツ。中年女性ばかり出ている映画で貴重な目の保養シーンだ。この女優アリス・イヴというのだが、どこかで観たと思ったら、去年のハリソン・フォード主演「正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官」のオーストラリア少女だ。あの映画でも立派な胸を惜しげもなく披露していた。
話が横道にそれてしまった。
そんな悶々とした4人に夢のような話が舞い込んだ。サマンサの元カレのスミスが出演する映画のプロデューサーから4人にアブダビ旅行がプレゼントされたのだ。今やドバイではなくアブダビなのだそうだ。セレブがそんなに喜ぶか?と言うぐらい喜んで出発する4人。機能的で人工的なニューヨークを離れ、自然に恵まれ伝統的なアブダビは開放感があって、今までの「SATC」にはなかった空気だ。しかし、実際ラクダに跨り砂漠を進むシーンはなどはアブダビではなく、モロッコで撮影したそうだ。名画「アラビアのロレンス」と同じサハラ砂漠でロケーションらしい。
このアブダビでの4人のファッションはシーンごとに変わる感じだ。衣装担当のパトリシア・フィールドが手がける最新ブランド+古着というファッションは砂漠でも映える。劇中でキャリーが41回、サマンサ25回、ミランダとクリスティンが24回、衣装チェンジがあるとか。確かに、私の横で観ていた女性は、衣装が替わるごとにため息をついていた。女性の服装に厳しいイスラム圏の街でその格好はいかんだろうというのも出てきて、それが映画の中でも一つのギャグになっていた。
さて、キャリーはアブダビのマーケットで運命の男性と遭遇する。エイダン・ショウ(ジョン・コーベット)、キャリーが愛したもう1人の男性だ。そして、2人は成り行きでキスをしてしまうが、キャリーはそれをひどく後悔する…。何故そんなに悩むのか、分からない。ベッドを共にしたのならいざ知らず、軽い口づけだ。挙げ句の果てに、夫のミスター・ビッグに話してすべてを許してもらおうとする。正気ですか? 誰も幸せにならない事を何故するのか。最先端のセレブレディも古風な女性だったのだ。
かなり、やっかみ感のある文章になってしまったが、オープニングのタイトルや「ニューラインシネマ」などのカンパニー・ロゴは、スワロフスキーを敷き詰めたようなど派手さ。これから始まるドラマの期待感を高揚する。そして、ペネロペ・クルス、マイリー・サイラスなどのカメオ出演の豪華さも、いかに人気のあったドラマだったのかがうかがえる。ライザ・ミネリなんか、そっくりさんかと思いました。
☆「セックス・アンド・ザ・シティ2」2010年6月4日(金)より丸の内ピカデリー他全国ロードショー〈R15+〉
日本語吹替版同時公開
配給:ワーナー・ブラザース映画
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