2011年 2月22日 火曜日放送 - スッキリ!!TIMES好評第2弾!駅名の謎…「日本橋」の由来は?今日はこちら!先週に引き続き第2弾!「東京『駅名』の謎」(630円/著・谷川彰英/祥伝社)

「駅名」の由来となった歴史的背景を覗いていこうという本。

これには諸説あるようだが、この本では…
元々、粗末な2本の橋が架かっていて「二本橋」と呼ばれていた街が発展し、橋は改修されいつしか「日本橋」と呼ばれるようになった
「東海道」や「中山道」など江戸の主要街道の出発点となり、“日本の中心”という意味で「日本橋」が使われるようになった。

徒士(かち)と呼ばれる武士が住んでいたことから。
「かち」という音が残り、字は「徒」のみが残った。
一戸建ての家には住まず、組ごとの屋敷に住んでいた
雑用が職務だった為に徒士たちは日に焼けて色黒だったらしい

幕府の米蔵があったことから
蔵があった場所は、隅田川の川岸。
全国から集められた米が収蔵されて、米は家来達の給料となった

馬術訓練の場があったことから
実際に訓練所があった所は高田馬場から徒歩15分ほど、現在の早稲田大学あたりだった。
ここで訓練された馬術や、馬上から矢を射る「やぶさめ」は、将軍家の厄除けや若君誕生の祝いの為の儀式として行われた。

元は新堀村。景色が美しかったことから「日暮里」の表記になり「ひぐらしの里」とよばれるように。
この土地は西には遠く富士山、東には筑波山が見える高台だった。
美しい景観に、多くの文化人が集まった