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ヒット曲『部屋とYシャツと私』で知られるシンガーソングライター 平松愛理。
彼女が突然、ステージ上で自分の乳ガンを告白し、
休養生活に入ったのは2002年4月のことでした。
記者会見もせず、ほとんどの取材を拒否した平松さんは、以後、闘病生活に入ります。

そんな彼女に、日本テレビの報道カメラが2年以上にわたって独占密着していました。
そして、体調を回復した平松さんは、この4月、ついにステージに復活したのです。

今回の取材班は、いわゆる芸能担当のチームではありません。
通常はニュース取材をしている報道局社会部の取材班が、機動力を活かし、超ロングラン取材を行ったもの。
闘病記でしばしば使われる“再現シーン”をほとんど使わず、平松さん本人に記者やカメラマンが徹底的に張り付き、
本格的に取材を展開した実録版です。

ガンとの闘いを続ける平松さんを追って、病室、検査室、自宅の寝室にまで小型カメラが入りました。
さらに取材班は、神戸、九州、屋久島、ハワイにまで飛び、歌手休業中の平松さんの行動、思い悩む姿、
そして家族との絆を撮り続けました。
2年半にも及ぶ長期取材で、取材テープはのべ300時間以上にも及んだのです。




デビュー以来12年間にわたり、重い子宮内膜症に苦しんでいた平松さん。
大ヒットとなった『部屋とYシャツと私』の歌詞は、
幸せな生活を送る平松さんが、自身の幸福な体験を書いたもの…と思われがちです。
実は、その正反対で、子宮内膜症で結婚も出産も諦めた彼女が、憧れを描いた曲だったのです。
重い病気を隠し続け、仕事を続けていた平松さんは、
やがて、病気を理解してくれたアレンジャーの男性と結婚。さらに子宝にも恵まれました。




ところが、今度は、『難産』という危機が立ちはだかります。
前置胎盤のうえに動脈破裂の危険まであり、無事出産できる可能性は、わずかに四分の一。
しかし、2ヶ月に及ぶ入院の末、奇跡的に女児を出産することが出来ました。

重度の子宮内膜症は、その後も彼女を悩ませ続けます。
2001年、平松さんはついに子宮と片側の卵巣を摘出しました。
彼女は、その時に初めて、自分が隠してきた病気との闘いを、著書「ゲキツー」の中で告白しました。
長く彼女を苦しめてきた病気との、根本的な決別。
これですべての苦痛から逃れられるはずでした。
しかし…



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