3.11 あの日から、4年。

2014年3月11日

揺れる町 震災"爪痕"解体か保存か

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震災から3年、岩手・宮古市の「たろう観光ホテル」は震災遺構として保存することが決まりました。しかし、津波の傷痕を残すことに反対する住民も多くいます。震災遺構を巡り意見が割れる被災地を取材しました。

2014年3月11日

進まない"命守る"防潮堤建設 膨大な作業量に悲鳴…

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震被災3県の海岸線には、全長約390キロに及ぶ防潮堤を新たに造ることになっています。計画ではあと2年で完成予定ですが、現場は次々と課題にぶつかり建設がなかなか進んでいない事がわかりました。

2014年3月10日

大震災からおよそ3年 時が止まったまま…福島・富岡町はいま

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福島第一原発から直線距離でわずか10キロに位置する富岡町。この町は、除染が進まず、いまだがれきなどが片付けられていない状況です。あの日からあすで3年。福島県の富岡町を取材しました。

2014年3月 6日

被災地で卒業式 "3年"が変えた高校生の進路

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被災地の高校では、震災直後に入学した生徒がこの春、卒業を迎えています。復興を目指した3年という時間は、子供たちの卒業後の進路にも影響を与えていました。

2014年3月10日

住民帰還のカギ 櫻井翔が"除染"体験取材

福島の復興に必要なのが放射性物質を取り除く「除染」。
しかし、なかなか思うように進まないという声も聞きます。
櫻井キャスターは自ら除染作業を体験し、その課題を考えました。

福島第一原発から南におよそ16キロ。
福島県・楢葉町。
先月。雪が残る中、町中を走ると目につくのが…。
櫻井
「田んぼのあぜ道にぽつぽつと黒いビニール袋が現れますね」
「あーすごい量ですね」
除染で出た、放射線量の高い土などが入った袋が
至る所に置かれていました。

楢葉町では1年半ほど前から住民の帰還に向けた除染作業を開始。
今月中の終了をめざし今も続けられています。
楢葉町にあるこちらのお宅は除染作業中。
櫻井「こんにちは」
井出さん一家は福島第2原発で働くご主人を含めた4人家族。
11年前に家を建てました。
現在は楢葉町からおよそ27キロ離れたいわき市内の借り上げアパートで避難生活を送っています。

井出亜紀さん(41)
「ここで寝て、子どもはこっちで勉強するみたいな形ですね」 
子ども部屋もなくわずか6畳の部屋に
4人分の布団を並べて眠る窮屈な生活。
犬用ケージが置かれていたのは居間。
一緒に避難してきた愛犬です。

楢葉町の自宅。庭に足を踏み入れると…
犬小屋や子どもたちが幼い頃に遊んでいた
おもちゃが残されていました。
思い出が詰まった家です。

櫻井
「除染が終わったら(楢葉町の家に)戻られる?」
長女・真菜美さん(高1)
「戻れるならこっちの方が広いし、
 生まれ育った土地で生活していきたいという
 気持ちはあります」

帰りたいという住民の思いを託された除染作業に
私も参加しました。

除染はまず、屋根から。
高い所から低い所へという順で進めていくのが基本です。
屋根に残っている放射性物質をブラシで掃き落としていきます。
高い場所での危険な作業。
さらに…。
櫻井
「汚れと違って目に見えないので
 やっている実感がなかなかわかないですね」
目に見えない放射線と対峙しなければなりません。
この日のメーンは庭の除染作業。まずは「片付け」から始めます。

除染作業員 平間勝典さん
「クギ気をつけて下さいね」

処分する物を一輪車に乗せて運び出し、
ゴミは町中で見かけたあの黒い袋の中へと入れていきます。
子どもたちが昔遊んだおもちゃも、次々と運び出します。

真菜美さん
「(三輪車は)和希が乗ってたんだよ」

和希君
「え?乗ってた?」

さらに…

櫻井
「せーの」

放射性物質が付着している可能性があるため、
犬小屋も廃棄することになりました。

除染作業員
「声かけあってね、声」

櫻井
「はい」
「なかなか大変だな」

間近で作業を見ていた井出さんは。
井出亜紀さん(41)
「よく言えば(庭が)すっきりですけど
 寂しい感じがしますよね」

庭が片付いた後は、休む間もなく…。

除染作業員 平間勝典さん(41)
「次の作業なんですが芝のはぎ取りをやらせていただきます」

櫻井
「はい」

除染作業前に、地表面の放射線量を測ります。

櫻井
「だいたいいくつ位ですか?」

測定係
「0.72μSv」

この線量を下げるためには、芝を根っこから取り除いて
新しい土に入れ替えなければなりません。
私もさっそくやってみますが…。

櫻井
「うわ、結構硬い!えっ?!」

根付いた芝をはがすのは簡単な作業ではありません。

櫻井
「これは大変ですね…果てしない」

芝をはぎ取ったことで放射線量はどう変わるのか。
再び同じ場所で測ってみると。

測定係
「事前が0.72でいま現在が0.24ですね」

櫻井
「随分、変わりますね」

測定係
「半分以下に下がっています」

櫻井
「それだけ効果があると聞くと全部やらなきゃなって  思いにはなりますけど、大変ですね」

実は今回の除染に先立って私は国が定める講習を受けていました。

指導係
「放射能の強さを表す単位がベクレルという単位です」

除染を行う事業者には、作業員に対してあらかじめ放射能に関する知識や
測定器の使い方を学ばせることが義務づけられています。

民家の除染の場合、放射線量が特に高い場所があるといいます。

その場所は「雨どい」。
別の家で見せてもらいました。

測定係
「線量から行きます。1.58μSv」
櫻井
「1.58!?ダントツに高いですね」

高い放射線量の正体は、雨どいにたまったこのゴミです。
ゴミを取り除いた後、仕上げに使うのは実は紙タオルです。
水で流してしまうとその水も汚染され回収しなければならないからです。
除染を終えて測定すると…。

測定係
「0.25μSv」

櫻井 「えーすごい下がりましたね」

午後4時。
この日の除染作業はここまで。
はぎ取った芝も、黒い袋の中に入れていきます。

1日、除染を見届けた井出さんに今後について聞きました。

井出亜紀さん
「がんばって帰るというのも変ですけども、
 帰還に向けて順序を踏んでちゃんと戻ってきたいなと改めて思いました」

櫻井
「親としてお子さんたちと共に生活する中で色々と思うところもあったのでは?」

井出亜紀さん
「いつも子どもたちには申し訳ないなという気持ちはありました。
 普通の暮らしというか普通に当たり前に送れた生活が
 できないというのは常にありました」

普通の生活を取り戻すための除染。
ところが除染に対して不安を抱く住民もいます。

いわき市内の仮設住宅で避難生活を送る箱崎豊さんです。

箱崎さんの家の、裏の林は一度除染が済んだにもかかわらず
毎時1.8マイクロシーベルトという比較的高い放射線量が確認されたのです。

楢葉町から避難 箱崎豊さん(75)
「(除染をしても)心配ですよ。」
「365日、そこで生活しないといけないんですよ。
 たまに帰って2時間3時間いることとまた条件が違うわけですから」
「再除染、場合によっては再々除染も要望していくという気持ちでは今もいますけどね」

除染開始からおよそ2週間。
私もお手伝いをさせていただいた井出さん宅の除染が完了。
庭の芝もすべてはぎ取られ、庭土は新しいものに入れ替えられました。

家全体の放射線量の平均は除染前の毎時
0.41マイクロシーベルトから
その半分以下の0.19マイクロシーベルトまで下がりました。

原発事故から3年。
今も続く除染作業は、住民がふるさとに戻るかどうかの
重要な判断基準となっています。

2014年3月10日

「除染」進まぬワケ 帰れない家 決まらない中間貯蔵施設

除染で出た大量の廃棄物は黒い袋に入れられて福島県内にたまっています。
その黒い袋は「中間貯蔵施設」へ運ばれる予定です。
しかし、どこに中間貯蔵施設を作るのか?
揺れる福島の現状を櫻井キャスターが取材しました。

櫻井
「こんにちは~」

櫻井が出会ったのは、
福島第一原発がある大熊町から避難してきた廣島さん夫妻。

櫻井
「まさに3年が経とうとしていますが、
 3年間を振り返っていかがでした?」

廣島雄さん(43)
「長いというか短いというか、色々と複雑ですね」

廣島シズエさん(43)
「できるのであれば帰りたいって多分みんな思ってるとは思うんですけど、
 現実、今帰れる状態じゃないっていうのがあるじゃないですか」

いま、廣島さんには気がかりなことが…。
見せてくれたのは一枚の地図。

櫻井
「ご自宅があったのは?」

廣島雄さん(43)
「ちょうどこの位置になるんですけど」

この地図は国が「中間貯蔵施設」の建設候補地を示したもの。

その中に廣島さんの自宅は含まれているのだ。
中間貯蔵施設とは何なのか…

除染作業によって出た廃棄物は、仮置き場などで一時的に保管される。
これを福島県内の中間貯蔵施設に集めて保管。
さらに県外の最終処分施設へ持って行く計画だ。

この中間貯蔵施設をどこに作るかが焦点になっている。

現在、その候補地として検討されているのは
福島第一原発を取り囲む大熊町と双葉町。
その面積は実に東京ドーム340個分に及ぶ。

きのう廣島さんは今年に入って初めて大熊町に向かった。 福島第一原発から3キロほど。 依然、放射線量が高く、防護服を着ないと自宅に立ち寄れない。

廣島シズエさん(43)
「久しぶり」

家に入ると、壁には"あの日"のままの状態でカレンダーが。
廊下にはいくつもの芳香剤が並んでいた。

廣島シズエさん(43)
「カビとかの臭いで家の中が換気もできないし、いつも買って、
 来たときは置いていくんですよ」

放射線量が上がるため、窓を開けることができないという。
だが、廣島さんの大熊町への思いは変わっていない。

廣島雄さん(43)
「やっぱり3年経っても生まれ育ったところなんで
 やっぱ帰りたいって言う気持ちは大きいですね」

しかし、この場所に中間貯蔵施設が建つことが決まれば
家を国に売らなければならないかもしれない。

廣島雄さん(43)
「自分らの住む拠点がどこになるのか、もう3年も過ぎることだし」

廣島シズエさん(43) 「はっきり(中間貯蔵地が)できるんだったらできるで、 
 早めに言っていただかないと決断ができないというか」
「戻れるかも知れないって気持ちがあるかぎり、
 もし・・・ってあるので」

2014年3月13日

震災で子を亡くした母

私は、震災で甚大な被害を受けた
宮城県・石巻市を訪ねました。

板谷「こんにちは。ご無沙汰してます。」

鈴木由美子さん、44歳。

板谷「こんにちは。お久しぶりです。」

鈴木さんは、小学6年生だった息子の秀和くんを
津波で亡くしました。

女手ひとつで3人の子供を育てていた鈴木さんにとって、
秀和くんは、いつまでも甘えん坊の末っ子でした。

前回お会いしたのは、震災から8か月後。
鈴木さんは、気持ちの整理がつかず、
悲しみの中にいました。

鈴木さん「死んじゃってもいいかなって思う。
そばにいきたいなって思う。」

死んで、亡くなった息子のところにいきたい。
そう話していた鈴木さん。

震災から3年経った今の気持ちを伺いました。

鈴木さん「会えない時間が長ければ長いほど
悲しみは募ってくる。
子供に会いたいんだから。
年数がたてばたつほど
悲しみも会いたさも
癒えるんじゃなくて増えるんですよ。
1人でいる時に泣く回数が
増えてるんじゃないかなと思います。」

時の経過とともに募っていく寂しさ。
この気持ちに、気づかされる時間があります。

鈴木さん「5時のチャイムの音は、
子供が帰って来る合図なので。」

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震災前、夕方5時のチャイムが鳴り終わると、
元気に帰ってきた秀和くん。
「ただいま。今日のご飯なあに。」
それが決まり文句でした。

あの日、市内を襲った津波。
当時、鈴木さん家族は、
車3台に分かれて避難しました。
鈴木さんと秀和くんは別々の車に。

しかし、鈴木さんと2人の兄は助かったものの
秀和くんの車は津波に襲われました。

これは、秀和くんが乗っていた車。
震災の2日後、自宅近くで見つかりました。

鈴木さんが大切にしているものがあります。

鈴木さん「あってもどうしようもないものなんだろうけど
(秀和くんの)宿題ファイル。
泥をいくら落としてもこれ以上落ちなくて。」

泥や砂がついた、秀和くんのノートやカバン。

鈴木さんが暮らしていたアパートは
津波に襲われ、全壊。
秀和くんのものを、探しましたが
段ボールひと箱分にしか なりませんでした。

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鈴木さん「(将来の夢)野球選手って書いてある。
小さい手で書いたんだなとか思うとね...。」

板谷「この1つ1つにつながってる思い出があるから。
ここで生まれた会話とかここで出てきた表情とか。」

鈴木さん「そうなんですよ。」

しかし、時間の経過とともにカビが生え、変色が進み、
わずかに残った思い出の品までもが、色あせていきます。

鈴木さん「3年たとうが5年たとうが10年たとうが、
子供に対する愛情は変わらないですよね。
それと同じで悲しみも変わらない。
私の悲しみは愛情からきてるものだと思ってるので、
悲しいのは日常だと思って生活してる。」

悲しみはマイナスの感情ではなく、子供への愛情。
悲しみを自分の一部にして、生きる。
鈴木さんは最近、そう考えるようになりました。
なぜなのでしょうか。

彼女の支えの1つになっていることがあります。
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震災から5か月後に始まった、
子供を亡くした親の集いです。
月に一度開かれ、多い時は10人近くが参加しています。

息子を亡くした女性
「日々生活してる中で、子供の存在がいつもあるでしょ。
何してる時でも呼びかけてるっていうか。ご飯食べてる時でも。」


鈴木さん「子供がみな一緒にいるしって思うから。」


娘を亡くした女性
「眠くて寝ようと思って布団に入っても浮かぶもんね。
毎日だもんね。」

思い出話から、激しい感情まで。
同じ思いをわかちあうことで、
少しずつ気持ちを整理してきました。

秀和くんは、鈴木さんの中で今も成長しているといいます。

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板谷「合格祈願のお菓子が並んでますけど。」
鈴木さん「(生きてたら)受験生なので、ついね。
こういうのも買わないと。頑張ってもらわないとって。」

秀和くんが生きていたら、今は中学3年生。
受験を控えた息子の為、鈴木さんは、
合格祈願のお菓子を供え、応援しています。

鈴木さん「私がいつかその時がきたら迎えにきてもらえると思うので、
会った時に秀のおかげでこんなこともできたよって
土産話にもっていかないといけないので、
悲しみに支配されないように
抱きしめて生きていこうかなという覚悟が
ここにきて思いました。」

会った時に「お母さん頑張ったよ」と言えるように。
そう心に決めて鈴木さんは、毎日を過ごしています。

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