3.11 震災から7年

2018年3月5日(月)

櫻井キャスター「飯舘村…7年ぶりの“学校再開”」

先週―。

■櫻井
「緑のシートが、こちら
延々と広がっています」

2011年、原発事故の影響で
全村避難を余儀なくされた福島県・飯舘村。

震災から6年後の2017年3月には、
村のほとんどの地域で避難指示が解除されました。

しかし、民家のすぐそばにも
除染作業で出た土壌などが置かれたまま。

村の至る所に、緑のシートの山が
ずらりと並べられています。

こうした中、2018年4月、
飯舘村で7年ぶりに小中学校が再開されます。

再開する学校に通うことになる子ども達は今、
飯舘村からおよそ20キロ離れた
福島市などの仮設校舎で学んでいます。

私は中学2年生の教室にお邪魔しました。

22人の2年生。

■櫻井
「4月から飯舘の中学校に戻るっていう人は
どれくらいいますか?」

手をあげたのは…。

■櫻井
「ほぼ全員…っていうか全員?
全員戻るんだ」

別の学校に転校することなく、
全員が飯舘村の学校に戻るといいます。

■櫻井
「なんで(村の学校に)戻ると
決めたんですか?」

■女子生徒
「(卒業まで)あと1年だし、
友達と離ればなれになるのもちょっと嫌なので
戻ることに決めました」

■男子生徒
「転校しても、受験にも響くかな
と思ったので」

しかしほとんどの生徒は
村の自宅には帰らずに、
避難先の福島市などから
バスで通学するといいます。

■菅野竜生くん(14)
「あっち(飯舘村)通うとなると
(通学に)1時間…」

■櫻井
「1時間!?」

震災後、家族で福島市に避難した
菅野竜生くん、14歳。

4月からは、片道1時間かけて
飯舘村の学校に通います。

■菅野竜生くん(14)
「時間が何時間かかろうが
自分は本当に村に通いたいんで
2、3時間かかっても全然いい
ってくらいの気持ちなんで
それくらい村に対する気持ちは
強いですね」

“ふるさとの学校に通いたい”
という、強い思い。

その生まれ育った飯舘村を、
菅野くんと一緒に歩きました。

■菅野竜生くん(14)
「あは、懐かしい~!!」

訪ねたのは、震災前に通っていた小学校。

2年生への進級を目前に
被災した菅野くん―。

飯舘村の、この校舎で学べたのは
たった1年間でした。

■菅野竜生くん(14)
「うわ~懐かしい…
このへこんでる部分がなんか
好きだったんですよ」

■櫻井
「これ?確かに特徴的だね」

廊下を進むと。

 

■櫻井
「児童出欠席表…3月11日。
その日のままなのかな」

あの日のまま、時が止まった学校。

震災以降、
中に入るのは初めてという菅野くん。
懐かしさがこみ上げます。

■菅野竜生くん(14)
「これ、1年教室でしたっけ…」
「おお~この木のにおいとか
めちゃくちゃ懐かしい」

■櫻井
「においとか覚えてるんだね」

そして…。

■菅野竜生くん(14)
「図書館が確か…」

■櫻井
「図書館?」

7年前のおぼろげな記憶が
よみがえってきます。

■菅野竜生くん(14)
「あ、一番奥ですね…!」

■櫻井
「わあ、思い出したね。いま急に」

図書室の中へ入ると。

■菅野竜生くん(14)
「あそこの黒板も動くんですよ
たしか動いたような…」
「これも懐かしい…ないですよね」

友達と毎日のように遊んでいた、大好きな場所。

■菅野竜生くん(14)
「1年間でしたけど、
(飯舘村の学校で)過ごした時間が
本当に今思うと貴重な時間だったなって
改めて思います」

■櫻井
「そうだね…強烈に覚えているもんね」

■菅野竜生くん(14)
「あの頃は震災なんて…
地震来たことすらたぶん
何起きたのか分かってなかったんで
そこで急に放射能だの何だの言われて」

訳も分からず追われた、ふるさとの母校。

来月から学校が再開しますが、
通学路には“厳しい現実”がありました。

■櫻井
「ずーっと向こうまで」

■菅野竜生くん(14)
「続いてますねもう
ないところがないんじゃないかってくらい」

そこにあったのは…またも仮置き場。

■櫻井
「通学路に仮置き場があるのはどう感じる?」

■菅野竜生くん(14)
「通学路なんで、景色見るじゃないですか
バスに乗ってたら。
そこで目にしたくもないですし』

不安も残る中での学校再開―。

村は新たに、認定こども園と
小中学校一貫の校舎を整備。
そこには、
子ども達のための“ある工夫”がありました。

■櫻井
「こちら語り部スペースといって
村民の方との交流の場になるということです。
広いですね…」

さらに…。

■櫻井
「廊下も広いですね。
教室の外にいろいろな物が置いてあって
子供たちが遊べる自由に使えるような
空間になっているんですね」
「これは子供たち
テンションあがるだろうな」

実はこれらは、
「開かれた学校にしたい」という
思いから生まれたアイディアです。

飯舘村の小中学生の多くは
避難した先で別の学校に
転校してしまいました。

4月からここに通うのは、
全体の2割に満たない75人だけ。

人数が少なくなる分、
交流の場を増やす
仕掛けがほどこされているのです。

「飯舘村の今後」について、菅野くんは。

■菅野竜生くん(14)
「大変なことありましたけど、
その中でも(子どもが)
生き生きと、のびのび過ごすことが
村の少しでもの復興だったり
勇気づけるっていうか
そういうのもあると思うので」

■櫻井
「第一歩というか
学校に戻れるのは大きい?」

■菅野竜生くん(14)
「大きいですね。
自分たちでもう1回
1からつくろうっていう、村を。
震災があってこうなっちゃったんで
そこから僕たちできることをやっていって
“もっといい村にしていこう”
っていう思いがあります」

2018年3月6日(火)

桐谷キャスター「三陸鉄道・女性運転士“復興への思い”」

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震災からわずか5日後に運転を再開した、
“復興の象徴”といわれる三陸鉄道に、去年女性運転士が誕生しました。
一度は首都圏に就職も、地元へUターンした彼女の“復興への思い”を
桐谷キャスターが実際に列車に乗車し、取材しました。
(※このVTRには津波の映像が含まれています)

2018年3月9日(金)

村尾キャスター「広がる空き地 震災7年“人が戻ってこない”」

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大震災で甚大な被害を受けた岩手県・大槌町。
7年をかけてかさ上げ工事を完了。しかし…
町に目立つのは空き地。かさ上げ工事の長期化で町民は戻ってきません。
そこで町長は“空き地バンク制度”を打ち出しました。
攻める町づくりを、村尾キャスターが取材しました。

2018年3月9日(金)

小正キャスター「あの日を“忘れない” 田老の『学ぶ防災』」

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「防災の町」と呼ばれ、これまで何度も津波被害を乗り越えてきた宮古市田老地区。
7年前の姿のまま残されているのが震災遺構の「たろう観光ホテル」です。
このホテルの一室でしか公開されていない映像があります。
町全体で行われている“災害を忘れない取り組み”を小正キャスターが取材しました。
(※このVTRには津波の映像が含まれています)

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