2009年01月30日

ツギノ、エイガ。

時代の“次”に迫る金曜特集NEXT。
2009年最初にお届けしましたのは、“次の映画~最新3D映画~”でした。

みなさん、3D映画、と聞くとどんなことをイメージしましたか?
赤、青のメガネをつけると立体に見える・・・
テーマパークで見たっけ・・・
付録についていたっけ・・・
そんな以前に体験した記憶がよみがえってくる方も多いかと思います。

私も小さい時に3D映像を見たことがあっただけに、
それが、なぜ、新しいものなのか・・・全く分かりませんでした。

しかし、最新の3D映画、
“センター・オブ・ジ・アース”を取材で見たらビックリ!!
メガネは黒っぽいサングラスのようなものに変わり、
映像に奥行きができ、ビックリするほど目の前まで飛び出してきて、
何よりも、色鮮やかでリアルな映像なのです。
2時間近く映画を見たけれども、目が疲れた・・・ということはなく、
一つのテーマパークに遊びに行ってきたような感覚でした♪
これらの新感覚を作り上げる事ができるのも、
3Dに見せる技術が格段に進化し、映画もデジタル化したことで可能になったのだとか。

アメリカ発の3D映画が、今年、日本でも少なくとも13本、公開される予定です。
アメリカが3D映画を制作することに積極的な一方で、
日本映画界は現時点では消極的。
3D映画の反響をしばらく様子見・・・というのが、現状のようです。

20090128163923.jpg

そんな中で、3Dアニメの制作をする日本で数少ない企業を取材することができました。
ウェルツアニメーションスタジオの平沼社長は、
“日本はソフトパワーがあるのに3Dに消極的で、危機感を抱いている。
3D制作に既に力をいれているアメリカや韓国に3D市場のすべてを持っていかれないように、
3Dアニメーション作りに挑戦し続けたい”と、熱く語ってくださいました。

20090128162230.jpg

日本でも3D映画ブームが巻き起これば、
日本発の3D映画が見られるかもしれませんね。

投稿者:鈴江奈々

2009年01月26日

白鵬・朝青龍戦に思う

大相撲初場所は、白鵬対朝青龍の優勝決定戦となり、朝青龍が勝ちました。
朝青龍、優勝おめでとうございます。
「気力」が朝青龍を優勝に導いた・・そんな感じがした初場所の朝青龍でした。

ところで、朝青龍、白鵬は共にモンゴル出身。
外国人力士はずいぶん増えました。
幕内力士42人中、14人がモンゴル、グルジアなどの外国出身です。
実に幕内力士の3人に1人が外国人。

ところで、ロンドン郊外のウィンブルドンで行われる全英オープンテニスは、
自国の英国選手よりも外国選手が優勝することが多いのですが、
大相撲もウィンブルドン化が始まったと悲観することはありません。
むしろ私は、これを大相撲の国際化が進んだと前向きに評価したいのです。

大相撲が国際化すればするほど、アジアや欧米に相撲ファンは広がっていきます。
野球でもアメリカ・メジャーリーグはどんどん日本選手を受け入れて、
日本にメジャーリーグ・ファンを増やしました。

オバマ米大統領も就任演説で述べていたように、
多様性は弱みではなく強みなのです。
異なるものは受け入れない「排除の論理」が支配する社会は必ず衰退します。
異なるものも受け入れる「包含の論理」こそ社会に繁栄をもたらすのです。

投稿者:村尾信尚

2009年01月19日

自然な建築

以前ZEROで小林キャスターが取材した建築家隈研吾さんの
『自然な建築』(岩波新書)を読みました。
建築に対する隈さんの考えや建築現場の現実がよく分かります。

この本のメッセージを、私なりにまとめると、次のようになります。
20世紀の建築はコンクリートの時代であった。
コンクリートは自由にかたちを変え、場所も選ばない。
普遍的(グローバル)な建築技術であるが、一方で、
場所や素材などその土地の自然との関係を断ち切ってしまった。
そのような建築は、場所と幸福な関係を結んだ建築とは言えない。
水、石、木、土、和紙などその土地の素材を活かす建築を追及する。

この本を読んでいくうちに、建築に対する隈さんの考えは、
この国や社会のあり方を考えるうえでも
なにかヒントを与えてくれるかもしれないと感じました。

アメリカ文明はまさにコンクリート。
個人の自由や市場原理という価値観を、
場所を選ばず世界中に広めていきました。
いわゆるグローバリゼーションが進むなか、
世界はその恩恵を受ける一方で、
各地域では独自の文化風習や社会制度が破壊され、
その弊害も出てきています。
日本もその例外ではありません。

グローバリゼーションという大きな流れには逆らえないとしても、
そのなかで、日本の社会風土や歴史と幸福な関係を結べるような
日本独自の社会制度を設計できないものでしょうか。
かつてない不況で、雇用関係のあり方を見直そうとの議論が始まるなか、
隈さんの本を手にしながら、こんなことを考えました。

投稿者:村尾信尚

2009年01月15日

「グーグーだってINである」

「グーグーだってINである」

大島弓子さんのマンガに「グーグーだって猫である」という作品がありますが、この書き込みのタイトルにある「グーグー」は猫ではありません。
正しくは 「Goo-goos」という英語で、基本的には複数形で表されます。

これは「good government types」 の略です。
つまり「良い、グッドな政府」というものを推奨するひとたちのことをまとめて「goo-goos、グーグーたち」と言うわけです。

これは、大恐慌への一連のNEW DEALという対策をすすめたフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の時代のアメリカで使われた呼び方で、ニューディールと共に大挙してワシントンに押し寄せた若く、政治的希望(とそしてポジティブな野心)に満ちあふれたテクノクラートたち、のことを指します。公共政策で不景気から社会を救おうと考えた人たちです。

彼らは、限られた人たちに利益が配分されてしまう「小さくても不健全な中央政府」でPork Barrel Politics (もともとは豚肉保存用の樽、ですが、連邦議会議員が選挙区の利益のため政府の補助金を獲得することを表す米語です。ランダムハウス英和大辞典参照)と揶揄された腐敗した政治を改革して、「make government bigger and CLEANER」、政府を大きく、かつ「クリーン」(きれいに、清潔に)にすることをモットーとした人々。
アメリカのリベラルの間では(特に最近GooーGooについて書いたポール・クルーグマン氏をはじめとして)「政府」へのこういった視点を再評価する必要性が言われはじめています。

もちろん、日本とアメリカは行政機構、政治システムが違いますから、これは飽くまでアメリカの話しではあります。
ただ「政府」というものが「大きい」 =イコール = 「汚い」 という考え方自体、あるいはその前提について、問い直してゆく姿勢は大事のように思います。
つまり、どうせ腐敗してしまうから、ならば小さくしたほうがいい、という考え方ですよね。

でも、政府の役割というのは、どんなにスリム化して小さくしたところで、やっぱり「大きい」ことに変わりはないわけです。それは国民全員のサービスをまとめてやっている非営利機関ということで、本質的にそういうものです。
システムの大きさ、組織の大きさ、金額の大きさ、「政府の大きさ」に関しても色々な「大きさ」があると思います。

今のような流動性トラップにおちいった金融危機においては、政府が行う財政出動の「額の大きさ」、あるいは各国の中央銀行が行う「unconventional actions」「従来とは違う新しい対応策」(おもにCPを購入したりとか、そういういことが現在議論されています)の規模の大きさ、になるでしょう。
あるいは軍事的な危機では各国の国軍の「規模」という大きさが問題になります。色々な「大きさ」があるのです。

日本ではずっと「官僚システム自体」の「大きさ」が議論されてきました。大きすぎて「ムダ」が多かったり、あるいは「権力」が集中しすぎてアメリカの議会であるようなpork barrel politics が霞ヶ関と永田町一体となって起きて、腐敗と汚職の温床になってきた、ことが長年の改革課題となっています。

日本ではずっと、「大きさ」が「汚れ」を生む原因となってきた、というのが大方の見方です。もちろんそれは確かです。組織が大きければ大きいほど、個人が組織の力を自分の力だと勘違いしてしまい、「公」の意識を忘れてしまいがちです。

でも、本来的に「大きい」 と 「きれい」 であることは二律背反であるわけではないのです。そこを見誤ってしまうと、「小さくする」ことが「正しい」ということが目的化し、非現実的な政策が実現してしまったりします。医療費拡大を抑制するために行われた医師数削減などの数々の施策が、今になって私たちの生活そのものに脅威を与えることが起きてしまったりするのです。

求められているところでは「政府」は「大きく」あることも必要なのです。なおかつ「きれい」であることが大事です。

ただ、これを成立するためにはやはり「個人」の力が必要になってきます。その力とは、「モラル」「正義」を求める意思力でしょう。
そういった個人の人間力のようなものは、何も政府だけでなくて、どの大きな組織にも欠けがちだとしてありとあらゆるところで問題になっています。

「大きさ」と「きれいさ」をどうやって両立させるのか。
ある意味人類の永遠のテーマと言ってもいいかもしれません。

個人的には、goo-goo (グッド・ガバメント)は可能だと思っています。そのためには、個人、家庭、教育、会社組織、など社会のすべての場面で、ちょっとずつ変化が起きていかないといけません。一人がみんなのために、みんなが一人のために。使い古された陳腐なセリフのように聞こえますが、でもそこに希望を託さないと、閉塞した状況は打破できないのではないでしょうか。

英語では何かがファッショナブルであることを「IN」と言いますが、今アメリカではgood government、すなわち「グーグー」だって「IN」である、ということが言われ始めています。「政府」のあるべき姿について、示唆するところの多い現象だと思います。

投稿者:七尾藍佳

2009年01月12日

道標(みちしるべ)

2009年ZEROのテーマ曲は福山雅治さんの「道標」です。
いのちのつながりを感じるこの曲とともに、
今年も「命の大切さ」をZEROは伝えていきたいと思います。

先週ZEROでは、職も家も失った派遣労働者の方々や
イスラエル・パレスチナ紛争のことをお伝えしました。
「貧困」と「戦争」、いずれも「命の大切さ」を考えるうえで
避けて通ることのできない重いテーマです。
そしてこの両者はまったく別のものではありません。
貧困が戦争を誘発し、戦争がさらなる貧困を招く。
私たちの歴史が教えるところですが、
この歴史はもう二度と繰り返してはいけません。

世界は今、かつて私たちが歩んだ道、すなわち
1929年(NY株価暴落)から1945年(第2次世界大戦終結)まで
の歴史を意識しています。
2008年NY発金融危機から世界同時不況に突入した世界。
日本では今年総選挙があります。
私たちは何を道標にして、この国の舵取りをしたらいいのでしょうか?

私たちの憲法には、戦争放棄を定めた「第9条」と
誰でも健康で文化的な最低限度の生活ができると定めた「第25条」があります。
日本の大事な道標である憲法第9条と第25条に対して、
各党はどのようなスタンスを取るのか。
有権者の一人として私がぜひ確認したいことです。

投稿者:村尾信尚

2009年01月09日

農業・畜産業では人手不足。製造業から「農業」への「ワークシフト」の可能性

昨日のゼロの取材で、千葉の匝瑳市にあるサンファームという養鶏場にいってきました。
慢性的に人手が不足していて、高齢化が進んでいるといわれる農業・畜産・酪農業。卵の生産の現場も例外ではありません。
そこで、派遣切りなどで住むところにも困っている方々のニュースを見たファームは、業界団体がネットで行う共同の緊急募集に正社員四名の募集を掲示しました。
給与は18万円から。餌作りから卵を使ったお菓子やさんまで一貫した施設をもち、安全でおいしいものを消費者に届けたいという気持ちを共有してくれる人なら、経験は問わずにどなたでも歓迎だそうです。
090108_1647~01.jpg
写真は衛生管理が厳しい養鶏場をサービスルームというところから覗かせていただく際に、雑菌などがはいらないように白衣(のようなもの、、、)を着ている私と佐伯カメラマン。
日本には世界に誇れる安全で美味しい「食」という産業があります。重工業系の製造業は新興国との競争で国内の製造拠点がますます厳しくなってゆくのは明らかです。
アメリカはそれを見越して製造業から金融への転換を国家戦略として図りました。それが失敗した今、アメリカ発の金融危機の影響が日本の製造業に波及している。重工業系製造業から、食の生産現場へと「ワークシフト」(労働力の移動)が行えるならば、それは日本の未来にも関わってくる大きな変化の芽生えではないでしょうか。
「食と農業」を日本の産業としてあらためて評価し直す機が熟しつつあるのかもしれません。
090108_2313~01.jpg
もう一つの写真は、取材した養鶏場の卵を使ったお菓子を販売しているお店でゲットした「卵やさんのロールケーキ」。
お店の方が、「東京に有名なロールケーキ屋さんたくさんありますが、味では負けていません」とおっしゃっていました。家でいただいたら本当に美味しかったです。卵の味が柔らかくて、濃くて、フワフワでキメの細かいスポンジ。
養鶏場で採用されると、全ての工程、設備で経験をつみ、その後適性にあわせて配属されるということです。
今問題になっている「派遣切り」は、人材が道具のように扱われている「非人間性」に批判が集まっています。
人間的か非人間的か、ということでいえば、最初から最後まで環境と食と動物と人間にとっていいものを、というテーマが一貫したファームは、とても人間味あふれる働き場所のように思いました。

投稿者:七尾藍佳

2009年01月04日

太陽と風と土と

明けましておめでとうございます。

年頭にあたり、
改めて世界と日本が直面する課題を展望すると、
今後2~3年は、景気回復すなわち雇用の問題
今後20~30年は、地球温暖化すなわちCO2排出抑制の問題
が頭に浮びます。
この短期、中長期の課題に対して、日本はどう向き合っていくのか?
今回はこのテーマについて考えてみたいと思います。

雇用の問題については、非正規社員だけが犠牲になるのではなく、
会社も内部留保や配当を減らして社員のために身を削り、
社員は社員で、既存の仕事を正規、非正規社員みんなでシェアして
負担を分かち合う手法を探るのもひとつの考え方でしょう。

雇用についてもうひとつは、新たな働く場をつくりだすことです。
会社が自力でできなければ、国や自治体が積極的に支援すべきです。
ただし、それは確実に未来への投資につながるものでなければなりません。

ここで、CO2の問題を考えましょう。
今年も将来のCO2排出ルールのあり方が国際会議の場で話し合われますが、
このルールに違反した国は今後多額のペナルティを払うことになります。
したがって、このルールをどう決めるか、が日本の国益を大きく左右します。
ただいずれにせよ間違いなく言えることは、とにかく日本もCO2を
精一杯減らさなくてはいけないということです。

CO2を減らすにはいろいろなやり方がありますが、ひとつは省エネ。
省エネ住宅、省エネビル、省エネ工場、・・・
省エネのための改修工事には多くの労働者が必要になります。
日本全体の省エネ化に向けて、政府はもっと強くアクセルを踏むべきです。

さらに、太陽光発電、風力発電の普及促進が考えられます。
これら自然エネルギーの普及はまだ限られていますが、
ドイツや北欧など欧米諸国の力の入れようには目を見張るものがあります。
日本も負けてはいられません。人やお金の集中投入が必要です。
自然エネルギーの供給が増えれば、CO2が減るとともに、
石油依存度すなわち中東依存度が低下し、
日本の安全保障上もメリットがあるでしょう。

また太陽光発電や風力発電はそれぞれの地域で発電できます。
電力の送電コストは莫大ですから、小規模分散型の自然エネルギーは、
地元で生産したものは地元で消費する「地産地消」の電力モデルとなりえます。
わが町にソーラーパネルや風車を大量に設置すれば、
それこそ地場産業の育成や地域の雇用増につながります。

ところで、CO2の排出量については、最近「フードマイル」という言葉を聞きます。
食料の輸送距離を意味し、生産地から消費地までの距離が長いほど
輸送の際に排出されるCO2の量は増えます。
食の「地産地消」を実行すれば、フードマイルのCO2は大幅に減るでしょう。
地方における農業の担い手不足はかなり深刻です。
食の安全面からも農業の「地産地消」が提唱されている今、
農業の担い手として若い労働力が流入すれば、
雇用、環境、食の安全などの観点から好ましい効果が期待できます。

実は、昨年12月1日のコラムにおいて、私は新たな雇用創出分野として、
太陽光・風力などの自然エネルギーや農業の分野を指摘しましたが、
これらの分野は環境面だけでなく
地域の自立性を高めるという面においても、
また食料やエネルギーの安全保障の面においても、
さらに、その技術力やノウハウを中国など新興国に輸出できる面においても、
その支援の必要性を否定する意見は少ないでしょう。

太陽と風と土と・・・短期の雇用問題と中長期のCO2問題、この連立方程式を
同時に解くためのひとつのキーワードではないでしょうか。


投稿者:村尾信尚

calendar