2009年01月15日
「グーグーだってINである」
「グーグーだってINである」
大島弓子さんのマンガに「グーグーだって猫である」という作品がありますが、この書き込みのタイトルにある「グーグー」は猫ではありません。
正しくは 「Goo-goos」という英語で、基本的には複数形で表されます。
これは「good government types」 の略です。
つまり「良い、グッドな政府」というものを推奨するひとたちのことをまとめて「goo-goos、グーグーたち」と言うわけです。
これは、大恐慌への一連のNEW DEALという対策をすすめたフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の時代のアメリカで使われた呼び方で、ニューディールと共に大挙してワシントンに押し寄せた若く、政治的希望(とそしてポジティブな野心)に満ちあふれたテクノクラートたち、のことを指します。公共政策で不景気から社会を救おうと考えた人たちです。
彼らは、限られた人たちに利益が配分されてしまう「小さくても不健全な中央政府」でPork Barrel Politics (もともとは豚肉保存用の樽、ですが、連邦議会議員が選挙区の利益のため政府の補助金を獲得することを表す米語です。ランダムハウス英和大辞典参照)と揶揄された腐敗した政治を改革して、「make government bigger and CLEANER」、政府を大きく、かつ「クリーン」(きれいに、清潔に)にすることをモットーとした人々。
アメリカのリベラルの間では(特に最近GooーGooについて書いたポール・クルーグマン氏をはじめとして)「政府」へのこういった視点を再評価する必要性が言われはじめています。
もちろん、日本とアメリカは行政機構、政治システムが違いますから、これは飽くまでアメリカの話しではあります。
ただ「政府」というものが「大きい」 =イコール = 「汚い」 という考え方自体、あるいはその前提について、問い直してゆく姿勢は大事のように思います。
つまり、どうせ腐敗してしまうから、ならば小さくしたほうがいい、という考え方ですよね。
でも、政府の役割というのは、どんなにスリム化して小さくしたところで、やっぱり「大きい」ことに変わりはないわけです。それは国民全員のサービスをまとめてやっている非営利機関ということで、本質的にそういうものです。
システムの大きさ、組織の大きさ、金額の大きさ、「政府の大きさ」に関しても色々な「大きさ」があると思います。
今のような流動性トラップにおちいった金融危機においては、政府が行う財政出動の「額の大きさ」、あるいは各国の中央銀行が行う「unconventional actions」「従来とは違う新しい対応策」(おもにCPを購入したりとか、そういういことが現在議論されています)の規模の大きさ、になるでしょう。
あるいは軍事的な危機では各国の国軍の「規模」という大きさが問題になります。色々な「大きさ」があるのです。
日本ではずっと「官僚システム自体」の「大きさ」が議論されてきました。大きすぎて「ムダ」が多かったり、あるいは「権力」が集中しすぎてアメリカの議会であるようなpork barrel politics が霞ヶ関と永田町一体となって起きて、腐敗と汚職の温床になってきた、ことが長年の改革課題となっています。
日本ではずっと、「大きさ」が「汚れ」を生む原因となってきた、というのが大方の見方です。もちろんそれは確かです。組織が大きければ大きいほど、個人が組織の力を自分の力だと勘違いしてしまい、「公」の意識を忘れてしまいがちです。
でも、本来的に「大きい」 と 「きれい」 であることは二律背反であるわけではないのです。そこを見誤ってしまうと、「小さくする」ことが「正しい」ということが目的化し、非現実的な政策が実現してしまったりします。医療費拡大を抑制するために行われた医師数削減などの数々の施策が、今になって私たちの生活そのものに脅威を与えることが起きてしまったりするのです。
求められているところでは「政府」は「大きく」あることも必要なのです。なおかつ「きれい」であることが大事です。
ただ、これを成立するためにはやはり「個人」の力が必要になってきます。その力とは、「モラル」「正義」を求める意思力でしょう。
そういった個人の人間力のようなものは、何も政府だけでなくて、どの大きな組織にも欠けがちだとしてありとあらゆるところで問題になっています。
「大きさ」と「きれいさ」をどうやって両立させるのか。
ある意味人類の永遠のテーマと言ってもいいかもしれません。
個人的には、goo-goo (グッド・ガバメント)は可能だと思っています。そのためには、個人、家庭、教育、会社組織、など社会のすべての場面で、ちょっとずつ変化が起きていかないといけません。一人がみんなのために、みんなが一人のために。使い古された陳腐なセリフのように聞こえますが、でもそこに希望を託さないと、閉塞した状況は打破できないのではないでしょうか。
英語では何かがファッショナブルであることを「IN」と言いますが、今アメリカではgood government、すなわち「グーグー」だって「IN」である、ということが言われ始めています。「政府」のあるべき姿について、示唆するところの多い現象だと思います。
投稿者:七尾藍佳
