右松取材日記

2012年03月16日

あの日から一年

2012年3月11日、東日本大震災から一年。
報道特番『復興テレビ』の中継のため、私は岩手県宮古市田老地区にいました。

この田老地区は、1896年の明治三陸津波、
1933年昭和三陸津波で甚大な被害を受けました。
その教訓から、翌年に建設着工した防潮堤は、
1960年のチリ津波で、一人の犠牲者をだすことなく町を守り続けてきました。

およそ半世紀を経て完成した全長約2.4キロにおよぶ日本最大規模の防潮堤は
その姿から「万里の長城」とも呼ばれ、
晴れた日にはのんびりと散歩をするおばあさんや、
雪の日には防潮堤の土手でそり滑りをする子供たち。
防潮堤の一部には大きな絵が描かれており、
まさに田老地区のシンボルでもある「城壁」でした。

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しかし、この地区を襲った東日本大震災の大津波は、
高さ約12メートル以上ある防潮堤を破壊しながら乗り越え、
海沿いの町の穏やかな生活を一瞬にして奪いました。

2012年3月11日。

あの日、多くの住民が避難した高台にある墓地に花を手向ける家族。
さら地となった町の道路を歩く僧侶の列。

午後2時46分、黙祷。

静寂の町を包む鎮魂の念。カモメの鳴き声だけが遠くから響いていました。
その後、防潮堤の上には手を繋ぎ、海を見つめる人たち。
「震災に負けない。」
その後ろ姿は、これからの町の復興へ向けて立つ凜々しさがありました。

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投稿者:右松健太

2012年01月10日

原発事故の影響は生活ゴミにも…。

福島第一原発からおよそ200キロ離れた千葉県柏市。
1月5日、市内にあるゴミ処理施設、南部クリーンセンターの中央制御室では、
いつもとは違うモニター映像を見つめる職員の姿がありました。

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モニターにはたき火程度の小さな炎が画面手前に少しだけ映し出されていました。
この日、ゴミの焼却を停止。燃やすものがない焼却炉の火が自然に鎮火するのを待っているといいます。

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この施設で燃やされた家庭ゴミは焼却灰となり、
通常は、コンクリートの原料や埋め立てなどの方法で処理されます。
しかし原発事故以降、出されたゴミには放射性物質が付着。
この施設の焼却炉で燃やすと体積は100分の1に減少しますが、
放射性物質は減らないため高濃度の焼却灰となります。
国の基準で1キロあたり8000ベクレルを超えた焼却灰はそのまま埋めることができないため
この施設内では焼却灰をドラム缶にいれ、厳重に管理、保管しています。

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私たちは去年、ドラム缶を保管している地下室を取材しましたが、
放射能量の数値が書かれた緑色のドラム缶が、広い施設内に所狭しと並んでいました。
当初は約7万ベクレルほどあったそうですが、現在は平均で約3万~4万ベクレルといいます。
ドラム缶は1000本を超え、ついに保管場所がなくなり、今回、焼却そのものを停止することになってしまいました。

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千葉県印西市にある下水処理施設の一角。
この場所に広大な敷地にテントを立て、焼却灰の仮り置き場として千葉県が提案しています。
敷地の広さと柏市からのアクセスがよいことが理由ですが、
地元の市は焼却灰を出した自治体が管理すべきだとして受け入れに反対の姿勢を示し、
今も自治体間の協議が続けられています。

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現在のところ、別のゴミ処理施設でゴミ焼却しているため、日々のゴミ回収が滞ることはないとしていますが、
とは言え、「少なくしようと努力しても、ゴミは毎日出てしまうので…」
「この状態がいつまで続くのか…」と住民の皆さんは、
解決の道筋が見えない現在の状況に、不安を募らせていました。

投稿者:右松健太

2011年12月26日

金正日総書記死去~韓国取材ルポ

「これから朝鮮中央テレビが特別放送を行います!」
報道フロア中に響く一斉連絡。
12月19日正午、報道フロア中央にあるモニターに視線が集まりました。
そこで伝えられた北朝鮮の金正日総書記死去のニュース。
騒然とした報道フロアでは、すぐにニュース速報がうたれ、
緊急特番の準備が慌ただしく進んでゆきます。
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私たちZERO取材班は、急遽、19日夕方に韓国・ソウルへ向かい、
20日には、北朝鮮との軍事境界線付近にある統一展望台を取材しました。
望遠レンズでイムジン川を挟んで対岸3キロ先の北朝鮮の農村集落を見ると、
古い土壁の建物の前に、黒っぽい服を着た人が数人で座り込んで話をしている様子や、
まとまって歩く人の姿が確認できました。
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統一展望台の職員によると、金正日死去のニュースが伝えられた19日午後、
集落の集会所のような施設に数百もの人が集まっている姿が目撃されたといいます。
北朝鮮では、いま何が伝えられ、人々の心の中にはどのような感情が巡っているのでしょうか。
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ソウル市内は、クリスマスイルミネーションが輝き、
明洞(ミョンドン)の繁華街には観光客や若者があふれかえっています。
活気ある町並みを行き来する人々の表情に緊迫感などは見られません。
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ただ、帰宅ラッシュをむかえたソウル駅には、
街頭テレビの前に、夕方のニュースを食い入るように観る多くの人の姿がありました。
「実績のない若い指導者が、これからどのように北朝鮮を導いてゆくのか。」
「今の私たちの生活は変わらないけれど、これからどのような脅威が迫ってくるのか。」
平穏に見えるソウルの街には、
つかみどころのない、「これから」への漠然とした不安が漂っているように感じました。
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投稿者:右松健太

2011年11月28日

ガン治療の未来を照らす

「このような技術で、ガンの城を切り崩そうとしています。」
そう語るのは、東京大学の浦野泰照教授。
ガンの存在が疑われる部分を発光させる試薬を
アメリカ国立衛生研究所の小林久隆主任研究員と共同で開発しました。

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今回開発に成功した「GGT活性検出蛍光プローブ試薬」をがん細胞にふきかけると、
がん細胞に多く含まれる酵素と反応し、強い光を発する物質ができ、
この物質が、がん細胞の中に溜まることで明るく光って見えるといいます。
試薬は、通常の細胞にも反応するということですが、
がん細胞の光の方が、20倍以上も明るく発光するため肉眼でも区別がつくといいます。

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ガンの検査や治療は様々な手法がありますが、
摘出手術の際、肉眼で見えるガンよりも微少な1mm程度のガンは、
医師の経験などに依ることが多く、
微少なガン部位の見落としや取り残しが大きな課題で、
この微少なガンが、多臓器への転移やガン再発の原因となってしまうこともあるそうです。

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今回お話を伺った浦野教授は
「どこが正常でどこがガンかを見極めることが難しかったこれまでのガン摘出手術において
外科医の方に光ったこの部分を取りなさいと、教えるような技術は
将来的な外科手術を大きく変えると期待しています」と、
5年後の実用化を目指しています。

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国民の2人に1人がかかるといわれるガン。
浦野教授らが開発した「蛍光プローブ試薬」が
ガン治療の未来をも“照らす”かも知れません。

投稿者:右松健太

2011年11月09日

国の除染計画と飯舘村の今

11月7日から福島県への、国による本格的な除染計画がスタートしました。
対象地域は、福島第一原発から20キロ圏内の「警戒区域」と、
年間の放射線量が20ミリシーベルトを超える「計画的避難区域」です。
この日、福島県飯舘村をかわきりに詳細なモニタリングを行い、
そのデータに基づいてどのような除染が有効なのかを検討していくとしています。

測定には、線量計や専用PCを搭載したモニタリングカーや、
なかなか人が立ち入ることが出来ない里山や田畑などを測定するため、
全長約3mの無人小型ヘリコプターが導入されています。

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ただ、飯舘村の村民からは疑問や不安の声も聞かれます。
お話を伺った飯舘村の酪農家の長谷川健一さんは、
50頭いた牛を処分し、現在は県内の仮設住宅で暮らしています。
「今でも、牛を世話していた頃のように日が昇る前に目が覚めるんです。」
「山に囲まれたこの村の除染が果たしてどこまで効果があるのか。
自分の生まれた里だからいつか戻りたい。ただそれがいつになるのか・・・。」

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村の通りを歩くと、商店のシャッターは軒並み閉じられ、
小学校の校庭には元気に走り回る子供たちの姿はありません。
遠くでとんびの鳴き声だけが響いています。

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私が以前取材に訪れた今春、田園の畦道には新緑の若葉が萌え、
色とりどりの野花が咲き乱れていました。
半年後のこの日、静まりかえった村を囲む里山は、
秋の青空を背景に色鮮やかに紅葉していました。
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投稿者:右松健太

2011年06月28日

平泉は東北の希望

岩手県の「平泉の文化遺産」が、世界遺産に登録されることが決まりました。
3年前は登録が見送られ再挑戦の今回、東北初の世界文化遺産となりました。
私たちは登録決定を待ちわびる24日、平泉へ向かいました。
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平泉駅には「世界遺産登録へ」と書かれた大きな看板。
3月の震災以降、イベントなどを自粛し、GWは前年に比べ85%も観光客が減ったそうで、
「震災で観光客も減り心配していた。これを機に平泉はいいところだと思ってもらえたら」と
町の方も観光地としての賑わいに胸を膨らませていました。

平泉は平安時代の末期、奥州藤原氏3代が築いたみちのくの都。
中尊寺金色堂を建立した初代藤原清衡は、戦乱の世に妻子や仲間を亡くしました。
生きとし生けるもの多くが犠牲となった奥州の地に、
仏の世界、「浄土」を空間化しようと計画し、その願いは代々引き継がれました。

寺院の前には日本独特の曲線を帯びた池があり背景には自然の山という配置。
これが仏と日本の自然信仰とが融合した浄土庭園です。
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今回、世界遺産に登録された毛越寺 執事長 藤里明久さんは、
「『平和な世の中、そして一切衆生を救いたい』という奥州藤原氏の志と
『戦争は人の心の中で生まれるもの、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない』
というユネスコの精神とが900年の時を経て相通ずていること。
加えて、浄土庭園が大陸には残されていなかった、極めて日本的なものだということが評価されたのではないか」
「震災で被災された皆様へ対し、平泉はその痛みに沿い
世界遺産登録ということが、東北の力となれれば」とおっしゃっていました。
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今回の震災で甚大な被害を受けた東北太平洋沿岸は
かつて奥州藤原氏が治めていた地域でもあります。
その60キロ内陸で、平和で穏やかな理想郷を具現化しようとした平泉が、
今年、世界遺産に登録されるというのは不思議な縁を感じてしまいます。
平泉が東北の希望となり、活性化のきっかけのひとつになればと願ってやみません。

投稿者:右松健太

メイドインジャパンの音速旅客機への夢

フランスで開催されたパリ国際航空ショーで「超音速旅客機」の計画が発表されました。
高度3万2000上空を音の速度の4倍にあたるマッハ4、時速およそ5000キロで飛行し、
実用化されれば、現在、およそ12時間かかる東京・パリ間を、
2時間半で結ぶことができるといいます。

実は、日本でも「超音速旅客機」の開発が進められています。
都内にあるJAXA・宇宙航空研究開発機構の研究所には
マッハ2の速度の速さで飛ぶ実験機がおかれていました。
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JAXAには超高性能計算システムをもっており、
様々な可能性を入力し計算することで、何度も実験を繰り返すことなくシミュレーションでき、
実際に実験機を作るのは最終段階で良いという強みがあるといいます。

現在、音速を超える際のソニックブームによる騒音、また燃費性能への課題があるということですが、
2020年頃にはマッハ2超音速旅客機を、
2050年頃にはマッハ5極超音速旅客機の実用化を目指しているといいます。

JAXA超音速機チームの吉田憲司チーム長は、
「高速飛行は人類の夢。移動の時間をかけずに余暇を楽しめる未来にしたい。」
「JAXAは研究者集団。世の中の航空関係者が超音速飛行機の開発しようと頑張ってますので、
私たちもそこに一石を投じ、音速飛行機が世界の空を飛ぶような社会を実現するよう貢献したいんです。」
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研究者の皆さんは、みな情熱あふれる口調で話してくださいました。

投稿者:右松健太

2011年05月27日

東日本大震災取材ルポ⑤~深刻な塩害~

東北の太平洋沿岸を襲った大津波は農地にも深刻な影響をもたらしました。
特に津波によって田畑に海水がかぶり、
塩分が土にしみこんでしまうことで作物が育たなくなってしまう「塩害」が指摘されています。
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私たちが取材した仙台市の海沿いの水田地帯2300㌶のうち、
除塩によって田植えが出来るという水田は500㌶と
およそ2割ほどにすぎず、それ以外の水田は未だにがれきが残っていたり、
排水設備が壊れ、除塩すらできません。
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お話を伺った専業農家の相原信哉さんの水田は、
水を張ることが出来ずひび割れてしまい、
流されたままの車やガレキが放置されていました。
今後、ガレキの撤去や、排水設備の修理が進んでも、
何度も除塩を繰り返さなければならず、元の水田に戻るには数年かかるといいます。
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「400年以上も前から先祖代々引き継がれてきた肥沃な水田だった。
私の代で諦めるわけに行かない。もう一度美味しい米を作りたい」と力強く話していました。
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本来なら例年この時期、
緑のじゅうたんのように田植えしたての苗が一面に広がり、
初夏の風に揺れる光景が美しいそうです。
各地で復旧が進む中、東北の米どころに
かつての田園風景が戻ることを願ってやみません。

投稿者:右松健太

2011年05月05日

東日本大震災取材ルポ④~観光地に活気を 前編~

今年のゴールデンウイークも多くの観光客が行楽地を訪れています。
しかし、震災の影響で東北太平洋側の観光地は甚大な被害を受けました。
各観光地が復旧を目指す中、いち早く再開を果たしたところがあります。

日本三景のひとつ、宮城県の松島。

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大小260余りの島々が防波堤の役割となり、
海岸沿いの土産店は壊滅的被害をまぬがれ、
かつて松尾芭蕉が感嘆した、風光明媚な景観は初夏の日差しに輝いていました。

「観光地が元気になることが東北に活力を与える」と、
松島観光に関わる方々総出で、泥のかきだしや湾内の清掃を急いだといいます。

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まだ、閉店している土産店はあるものの、
50日ぶりに再開した遊覧船には多くの観光客が訪れ活気を取り戻しています。
県外からボランティアできた方は、
「作業の合間をぬって松島へ来た。訪れることが支援につながればいい。」

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遊覧船とランデブーするカモメは再開を心待ちにしていたように、
観光客が投げるエサをキャッチしていました。

投稿者:右松健太

2011年05月04日

東日本大震災取材ルポ④~観光地に活気を 後編~

宮城県石巻市の「石ノ森萬画館」
年間18万人が訪れ、宮城県出身の漫画家、
石ノ森章太郎さんの作品を展示している観光施設です。

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旧北上川の中州にあり、津波で一階が浸水しましたが、
二階に展示していた原画やキャラクター像などは被害を受けることはありませんでした。

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しかし、今なお停電が続いているため、
再開の目処はたっていません。

その中、全国の石ノ森章太郎さんの作品のファンの方から
激励の手紙や寄せ書きが届いていました。

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石ノ森萬画館の職員の方は、
「どんな時も負けないのが石ノ森ヒーローたち。
再開を果たし被災地を元気づけることができれば」と話していました。

投稿者:右松健太

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