松尾コラム

2012年03月13日

震災から1年 福島の思いは

3月11日。
福島県会津若松市にある仮設住宅にお邪魔しました。
福島第一原発のある大熊町の方々が暮らしています。

「あの日以来、思いっきり泣いたことがない」
あるご夫婦がおっしゃっていました。

地震発生後、事態がよくわからぬうちに、
何台もの大型バスが列をなして大熊町にやってきた。
言われるがままにバスに乗って、
それからは、各地の避難所を転々とし、今に至る。

誰か家族を亡くしたわけではない。
津波で家がなくなったわけでもない。
多くの方が、家族や大切なものを失って深く悲しみ涙している。
だからこそ、
カタチあるものは全て残っている自分たちは、泣いている場合ではないし
泣いてはならないのだと思った、と。

でも自分たちは、もう決して「震災前」には戻れない。
このやり場のない思いをどうしたらいいのか。
溜まる一方の不安と悩みを、いつまで抱え続けたらいいのか。
背負ったものの重みから開放されるのはいつなのか。

なんという言葉を発したらいいのかも分からずに、
私はただ、頷いてお話を聞くことしかできませんでした。
あれから1年。
これはただ、時間軸の上での区切りにすぎません。

2011年11月03日

心に残るアスリート :豊田清投手(広島)

豊田清投手。40歳。
先週月曜日、19年間の現役生活からの引退を発表しました。
西武、巨人、広島で活躍。157セーブは、プロ野球歴代10位の記録です。

「引退することにしました。」と教えていただいたとき、
驚きましたが、一方で、やはりそうか、とも思いました。
いつも全力投球。真っ直ぐで、どこかで客観的な自分を持っています。
自らをごまかさかない、いや、ごまかせない人。
ここで辞めることが、豊田さんなりの「引き際の美学」なのだ、と思いました。

練習の前、グラウンドに出るときの、脱帽・一礼。
投球練習後、バックスクリーン方向に向き、胸に手を当て集中する姿。
そして、三振で抑えたときの、決して派手ではない、
でも、拳にぐっと力を込めたガッツポーズ。
もう見られないのは、本当に残念です。

水曜、その豊田投手が、巨人の2軍コーチとなることが発表されました。
かつて、「今日が最後だと思うと、手抜きもしなくなる」と話してくれた豊田さん。
自身を追い込みながら、ひたむきに日々を過ごすその姿勢は
私も、とても勉強になりました。
新コーチの教えがどんな形で後輩たちに受け継がれてゆくのか、
見守り続けたいと思います。

2011年09月20日

ラグビーW杯③ 「トンガ生まれのサムライ」

ラグビーW杯。JAPANは9月21日、第3戦のトンガ戦を迎えます。
もともとラグビーはイギリス発祥のスポーツ。
南太平洋の島国であるトンガでは、
イギリス連邦に加盟していることも影響し、ラグビーがとても人気です。

今回のJAPANにはトンガ生まれの選手が2人選ばれました。
ホラニ龍コリニアシ選手と、バツベイ・シオネ選手。
ともに日本国籍を取得し、桜のエンブレムを誇りに戦う
立派なサムライたちです。

しかし、ホラニ選手が初戦・フランス戦で負傷し、チームを離脱。
その後、同じトンガ出身(なんとホラニ選手の高校の先輩!)の
タウファ統悦選手が加わりましたが、
チームの柱として、パワーで引っ張ってきたホラニ選手を欠いたことは、
JAPANにとって大きな痛手でした。

そのホラニ選手に、W杯前、聞いてみました。
「日本代表って、どんなチームですか?」

すると、こう答えてくれました。
「人間関係がいい。
先輩が自分の進化を諦めないし、後輩が成長するのも助けて、喜べる。
普通は、後輩が自分より強くなるのは怖いけど、
本当はそういう姿勢はよくないでしょ?
自分が代表に入ったときもすごく強い人はたくさんいたけど、
「次はコリー(ホラニ選手の愛称)が引っ張る番だぞ」と、色々面倒を見てくれた。
今度は自分が後輩の面倒を見る番。」

私は、その言葉に、感銘を受けました。
そして、菊谷キャプテンが掲げたJAPANのスローガン「One Team」が
着実にチームに浸透していることも感じました。

残る2戦で、ホラニ選手の姿を見られないのは残念ですが、
皆でひとつとなって作り上げてきたJAPANです。
トンガ戦でも、心を一にして、前へ前へと進んでいくことと思います。

2011年09月15日

ラグビーW杯② 「攻撃操る“卒業生”」

ニュージーランドで行なわれているラグビーW杯。
16日(金)は地元NZ代表・オールブラックスとの一戦です。

実は、16年前、南アフリカで行なわれた第3回W杯では
日本はNZに、145-17という大敗を喫しています。
(映画・インビクタスの中にも、そのフレーズが出てきています。)
今回は、日本が世界に16年間の進化を見せる時。
常勝軍団にどこまで戦えるか・・・。応援しましょう!


さて、日本代表選手の素顔・第2弾。
今日は、NZ戦に先発する、日和佐篤(ひわさ あつし)選手です。

日和佐選手がラグビーを始めたのは5歳の時。
お父さんに連れられ、兵庫県ラグビースクールに行ったのがきっかけ。
小さな頃からテレビでラグビーの試合を見ていたそうで、
99年のW杯決勝・オーストラリア対フランスが一番印象に残っているのだとか。

実はこの試合、後に日和佐選手が「先生」と慕う、ある選手が出ていました。
オーストラリアのジョージ・グレーガン選手。(以下、GG。)
GGのプレーをテレビで見て憧れた日和佐少年は、
それ以来、ラグビースクールで、よくプレーをマネしたのだといいます。
まさか、後日同じチーム(サントリー)でプレーすることになるとは
夢にも思わなかったでしょう。(GGは昨季引退)

日和佐選手はGGから多くを学びました。
中でも心に残っているのは「前を向け」ということ。
ボールを持つと、次に誰にパスを出そうかと考え、つい後ろを向いてしまう・・・。
GGは、そこで「前を向け」「自分で攻めろ」と教えたそうです。

オーストラリア代表でキャプテンも務めたGGから、多くを学んだ日和佐選手。
一方で、GGは、日和佐選手をこう表現します。
「graduate」。
「今、彼は大学を卒業したばかりの状況。たくさんの知識を得て、ひとまず学校は卒業した。
 あとは、活躍するだけ。彼は十分活躍できる人だしね。」

明日、NZ戦で、日和佐選手の背番号は9です。
スクラムハーフという、攻撃の起点となる大事なポジション。
前を向いたプレーで、GGの、そして私たちの期待に応えてくれると信じています。

ラグビーW杯① 「保育士めざしたラガーマン」

ZEROキャスター 兼 日テレラグビー中継班の松尾英里子です。
どんなスポーツも、選手の人柄や、歴史など、
ちょっとした情報を知るだけで、ぐっと楽しみが増すもの。
このブログでは、ラグビーにまつわる様々なエピソードや
これまでの取材を通じて私が知った、選手の素顔をお伝えできたらと思います。

さて、金曜日に迫ったニュージーランド戦のメンバーが
今日発表されました!
以下が先発メンバーです。

1.川俣直樹(パナソニック)   
2.青木佑輔(サントリー)   
3.藤田 望(ホンダ)   
4.大野 均(東芝)   
5.北川俊澄(トヨタ自動車)  
6.谷口 到(神戸製鋼)  
7.マイケル・リーチ(東芝)  
8.菊谷 崇(主将/トヨタ自動車)   
9.日和佐 篤(サントリー)   
10.マリー・ウィリアムス(豊田自動織機)   
11.小野澤宏時(サントリー)   
12.今村雄太(神戸製鋼)   
13.平 浩二(サントリー)   
14.宇薄岳央(東芝)   
15.上田泰平(ホンダ)

初戦・フランス戦とは10人を入れ替えた布陣で、
世界最強・オールブラックスに挑みます。

また、3大会連続でW杯に出場している、11番小野澤選手は、
この試合で、日本歴代トップのW杯出場10試合目を記録します。
この記録は、日々のトレーニングの賜物。
本当に素晴らしいこと!
NZ戦でも、フランス戦のような活躍を期待しましょう!


ところで、日本代表選手はどんな素顔なんでしょうか?
今日は1番・川俣直樹選手についてご紹介しましょう。

川俣選手は、184cm118kgの25歳。
明治大学を卒業し、現在はパナソニックに所属しています。
そんな彼、普段はラグビーをしながら、
保育士の専門学校に通っているという異色のラガーマン。
(今年はW杯に集中するため、休学中。)
17時まで練習をして、それから専門学校に通う、という生活をしています。
子どもが大好き。高校時代から保育士になりたいと思っていたそうです。

ラグビー選手の夢の舞台・W杯。
そして、小さな頃からの夢・保育士。
二つの夢を追いかけられる立場にいる幸せを噛みしめながら
初めてのW杯に挑みたいと言っていました。

NZ戦はあす!楽しみです!

2011年06月24日

釜石シーウェイブス

6月に入ったばかりの岩手県釜石市。

青葉の香りをたっぷり含んだ風が吹くと、
葉と葉が触れ合う音が、グラウンド一体を包む。

「大震災がなかったら、今ごろ、
毎年と同じ、いい季節だったのにね。」
家は釜石の港の近く。
今は避難所に暮らしているという女性が教えてくれた。

ラグビー「釜石シーウェイブス」。
チームの前身は、「新日鉄釜石ラグビー部」、
日本選手権で7連覇を達成した名門だ。
2001年からクラブチームとして生まれ変わり、
選手たちの多くが、他の仕事を持ちながらプレーしている。

6月5日。震災からおよそ3ヶ月。
ようやく地元・釜石で開幕戦が行なわれた。
結果は、ヤマハ発動機ジュビロの前に76対5の大敗。
選手たちもまた被災者で、
十分な練習が積めなかったことは明らかだ。

しかし、およそ80分の試合の間、
ひとときも止むことのない、
「これからだぞー!」「あきらめるなー!」の声。
そして、時折掲げられる大漁旗。その数は10以上。
子どもも、若い女性も、おじいちゃんも、一緒になって声援を送る。
その声は、もちろん選手を応援するものだが、
しかしどこか、
被災されたみなさん自身へのエールのようにも聞こえた。

穏やかさの中に隠れた、強い心。
まだまだこれから。あきらめない。
「いい季節」はまた必ずやってくると、私は信じて止まない。

2011年05月17日

ロイヤルウェディング取材後記

4月29日金曜日。
英国王室・ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式が行なわれました。
今回、この結婚式のパレードの中継リポーターとして、
現地、イギリス・ロンドンに行ってきました。

中継ポイントは、パレードのフィニッシュ地点、バッキンガム宮殿前。
そこは一面、人・人・人。
今回のパレードで、プリンス・プリンセスをエスコートする馬に
沿道の人の歓声にびっくりしないよう訓練をしたそうですが、それも、納得です。

馬車が宮殿前に到着すると、人々からは大歓声。
そして、カメラのフラッシュが一斉に光ります。
同時に、ひとつ驚いたのが、
あちらこちらから現れる、50cmほどの細長い箱。
まるで、野原に生えるツクシのように、にょきにょきと出てきます。
聞けば、「簡易型潜望鏡」なんだとか。
人垣に埋もれながらも、なんとか2人の姿を目にしたいという人々が、
近くの売店で手にしたようです。

ウィリアム王子について、あるイギリスの王室評論家は、
「父・チャールズ皇太子はシェークスピアを教え、
母・ダイアナさんはマクドナルドを教えた」と話します。
将来の国王としての教育と、普通の子どもとしての教育を両方受けた王子。
現在イギリスは、経済状況も厳しく、
昨年末には大学の学費の値上げにデモも起きていますが、
バランス感覚を兼ね備えた王子に、
イギリスの明るい希望を託している人も多い印象を受けました。

そして、沿道の人々に目を転じて驚いたのが、幼い子どもたちの多さ。
両親、そして居合わせた周りの大人たちが、
人のドームのようになって、
子どもたちやベビーカーを守っている様子が印象的でした。

現地に住む日本人の友人に聞くと、
「ロンドン市民は子どもにとても優しい」のだそうです。
日本のお母さんの中には
「赤ちゃんがいると行きにくい・・・」と話す人も多い、高級レストラン。
でも、ロンドンでは、
赤ちゃん用の椅子を用意しているところも多いそうです。
また、タクシーは後部座席にゆとりがあるため、
ベビーカーを折りたたまずに乗り降りできます。
合計特殊出生率を見ると、
1.3人の日本に対し、イギリスは1.8人(2010年)ですが、
子ども、そして子どものいる家族にやさしい社会作りという面で、
何か学ぶこともありそうだと感じました。

来年、ロンドンは、オリンピックというビッグイベントを迎えます。
その時にこの街がどんな表情を見せるのか。
また、楽しみです。

2011年01月31日

“挑戦”

バンクーバー五輪からもうすぐ1年。
1月16日、スキージャンプW杯を見るため、札幌に行ってきました。
どうしてもお会いしたかった選手がいたのです。
それが、葛西紀明選手。
6大会の五輪出場は史上最多。日本を代表するジャンパーです。

バンクーバー五輪では個人ラージヒルで8位に入賞。
その直後に現地でインタビューをさせていただきました。
「今までのオリンピックの中で、一番すっきりしました!」と語る
達成感と充実感に満ちた明るい笑顔・・・今もよく覚えています。

現在38歳。
五輪から一年経った今、何を思っているのか、
直接、葛西選手に伺いたかったのです。

スキージャンプ。
そう聞いて、長野五輪・団体の金メダルを思い出す人は多いでしょう。
でも葛西選手は、あの頃も世界屈指の選手でありながら、
直前の故障の影響もあり、長野五輪団体メンバーには入れませんでした。
当然、金メダルは持っていません。
その悔しさは、言葉に表せないほど。
自分だけが持っていない「金」が欲しい・・・
その想いで、ここまでジャンプを続けてきたのだそうです。

挑戦にピリオドはあるのだろうか??
たくさんのお話を伺う中、大変な失礼を承知で尋ねました。
「どんな状況になったら引退を考えますか?」
すると、「今は、その心境すら想像できない」との答え。
それより、「自分がどこまでできるのか挑戦して、
その姿を自分自身が見てみたい」というのです。

自分の限界を決めない。可能性を信じる。
「挑む自分」を、時に楽しむ。
行きづまることや、投げ出しそうなこともあるけれど、
でも、「人生の道」っていうのは、自分で作っていくものだから。

そんなお話を伺っていると、
多くの現役選手が葛西選手を慕う理由が、
少し分かったような気がしました。

オリンピックから1年。
葛西選手は今も、「てっぺん」を目指しています。

2011年01月12日

2011年

2011年、今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
みなさんは新年のスタート、どのように過ごされましたか?
私は今年も「箱根駅伝」で始まりました。

箱根の中継には、入社以来毎年携わり、今年で5回目です。
取材をしていると、1年生の頃はどこかあどけなさが残っていた表情も、
最上級生の4年生ともなると、とてもりりしく感じられて・・・。
言葉や行動に、自覚や責任感・自信が、時折キラっと光る瞬間を見たとき、
「成長しているなあ~」と、まるで姉のように(?)嬉しく思ってしまいます。
(一方で、「私は成長できているのかなあ?」と猛省し、奮起する瞬間でもあるのですが。)

そんな箱根駅伝、取材中、毎年、選手がよく口にする言葉があります。
それが「感謝」「恩返し」「ありがとう」。
家族や先生、仲間に
「ここまで陸上をさせてもらった感謝を伝えたい」
「いい走りで恩返しがしたい」
「ありがとうという気持ちで走りたい」というのです。
特に、学年が上がれば上がるほど、その言葉が増えるように感じます。
ある大学の4年生・A選手に聞くと、
「きれい事言って~って思われるかもしれないですけど、
 本当に、心の底から、ありがとうって感謝の気持ちが湧いてくるんですよ。」
箱根直前の12月、穏やかな表情で、そう話していました。

感謝の気持ち。普段、何気なくしてもらっていることに対しての、ありがとうの気持ち。
松下幸之助さんの著書に
「感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく」とありました。
もしかしたら、感謝の気持ちを持つだけで、
いつもの景色もちょっと変わって見えるのかもしれません。

箱根ランナーたちに、また改めて教えられたことを胸に、
今年も頑張ろうと、決意を新たにした2011年1月です。

ちなみに、前述のAくん。
箱根駅伝が終わったら、実家に帰って、家族に手料理を振舞いながら、
感謝を伝えたいと話していました。
今、どんな時間を過ごしているでしょうか・・・。

2010年12月06日

コラム、はじめました。

この度、コラム、始めました。
ZEROメンバーとなってから、はや1年の松尾英里子です。
「今さらスタート!?」という感じかもしれませんが、ふと思ったことなどを、気取らずに、背伸びせずに、書き連ねていけたらと思っています。
どうぞ宜しくお願いいたします。


早いもので、今年も12月になりました。
クリスマスのイルミネーションが、冬の夜の、寒さと暗さを和らげてくれています。

お気付きの方もいらっしゃると思いますが、実は、金曜日のZEROの番組は、冒頭で東京・渋谷の街を映しています。
そして、20秒ほど、お天気についてお話させていただいています。

私は、お天気をお伝えするのは、本当に好き。
お天気は、老若男女・世界各国、万人が興味を持つ話題。
それだけに、どんなふうな言葉でお伝えするか、アナウンサーとして、工夫のし甲斐もあります。

四季のある日本には、季節を表す言葉もたくさんあります。

最近、ステキだなと思ったのは「波の花」。
これは、特に冬、北よりの季節風が吹いて、海の波が岩場にぶつかり、白波になる様子のこと。
荒々しい季節風が吹きすさぶ中、砕け散ったようにも見える波。
それを「花」と形容するなんて!
古人に感服するばかりです。

次の金曜日は、どんなふうにお天気お伝えできるかな・・・?