FROM ZERO

2017年12月22日

♯81 青山学院大学 田村和希
はじまりは...「駅伝が団体競技と知った日」

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今シーズンの学生駅伝には「絶対王者」はいない...。
昨シーズン無敵を誇った青山学院は、
勝利を手に出来ないでいる。
箱根駅伝3連覇を支えてきた選手たちが、
卒業した青山学院。
抜けた穴を埋められないチームの中で、
もがいている選手がいる。
最後の箱根駅伝に挑む4年生・田村カズキ。

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田村の名が世間に知れ渡ったのは、1年生の箱根駅伝。
初出場で区間記録を更新。
チームの箱根駅伝初優勝に大きく貢献した
2年生の箱根駅伝でも区間賞の走りを見せた田村。
青山学院に欠かせない存在になっていった

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しかし、3年生で迎えた今年の箱根。
脱水症状を起こした田村。結果は、区間11位。
走り終えた後は倒れこみ病院へ運ばれた。
田村が必死に繋いだ襷を、その後仲間たちが懸命に
ゴールまで繋ぎ、見事チームは箱根駅伝3連覇を達成。
しかし、歓喜の輪の中に、田村の姿は無かった。

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レースから2日後。チームメートの前で田村は...。
「何とか襷を繋げることができたんですけど
良かったと思っています。自分の中でも少しホッとしている
部分があってイマイチ言葉にまとまらないんですけど...
本当にこの一年間今の4年生についていって良かったなと
思っています」「立派な4年生になって」
「高いレベルで安定感のある走りができるように
この一年間さらに成長していきたいと思っています」

頼もしい仲間たちへの思いがあふれた。
田村は、駅伝が団体競技ということを改めて感じていた...
「駅伝というのは楽しいイメージが
ほとんどだったんですけど」
「楽しいというだけじゃなくて団体の競技というか
チーム全員で取り組んでいるというのを感じていて」

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仲間と共に、箱根駅伝4連覇へ。4年生となり、
チームを引っ張る立場になった田村だったが...。
右ひざ、そして左足スネと2度の怪我に悩まされた。
その影響から一人別メニューでの調整が続く。

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練習に合流しても、仲間のスピードについていけない。
焦りだけが募っていく。
走りで貢献できないもどかしさを感じつつ、
試合では、裏方に徹した。
後輩に、伝えられることは全て伝えた。

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それでも、走ることで仲間に貢献したい...。
全体練習が終わっても、田村の練習は続いた。
それは、日が落ちた夜になっても。

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復活を目指すエースの姿に原監督は...
「何度も挫折して這い上がってこそ本当の力がつく」

秋の駅伝シーズン直前。
ようやく田村に以前のような走りが戻ってくる。
仲間のスピードについていけるようになった。

そして先月。全日本大学駅伝。
そこには、挫折から這い上がってきた田村の姿が。
しかし、優勝候補のチームは1区でまさかの出遅れ。
2区を任された田村は10位で襷を受け取る。
  
仲間に助けられた箱根駅伝...
今度は、自分が仲間を助ける番。
実況「今かわしました。10位で襷をもらった
青山学院大学駅伝男の田村和希が9位に順位を上げました」
快走を見せた田村は区間賞の走りで、
6位まで順位を押し上げた。

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次は、4連覇に挑む箱根駅伝。
田村が再び仲間のために走る。
「チームみんなでこの一年間一度も味わえなかった
勝利の味っていうのを、うれしさっていうのを
分かち合いながら本当喜びを爆発させたいなと。」

2017年12月15日

♯80 俳優 大泉洋
はじまりは...「30歳で抱えた不安」

「"面白さの奴隷"なんでしょうね。
面白いって言われたらやっちゃうもん。
だったら芸人さんになれば良かったのに
っていう話なんだけど」

そう語るのは俳優・大泉 洋さん。
俳優なのに、なぜ"面白さ"を求めているのか。

11月中旬、バラエティー番組の収録のため
地元・北海道へ。北海道で3本のレギュラー番組を
持つ大泉さんは、俳優として活躍する今も
忙しい合間をぬい北海道へ帰る。

北海道で生まれた大泉さんは、幼い頃から
周囲の人を笑わせることが大好き。
大学の時に演劇ユニット『TEAM NACS』を結成。
大学生の頃から出演するバラエティー番組
『水曜どうでしょう』で人気タレントとなった。

この日は18年続くバラエティー番組
『1×8いこうよ!』の収録。
北海道警察学校の職業体験で"大泉節"を
さく裂させていた。

「捜査会議出ていいですか?」
「この間にも事件は進行しているんですよ!!」

"面白さ"に対して貪欲な大泉さんは
ルールを持っている。

「怒られるギリギリまでふざける!(笑)」 

東京でも活躍している彼が、
なぜそこまで地元にこだわるのか。

「北海道のスタッフと作るゆるい感じの笑い
っていうのは北海道であの人たちとしか作れないから。 
出会った人たちとなるべく別れたくない...。
定期的にお仕事で会って、くだらない話で
笑っているのが一番幸せなんですよね。」

北海道は"一番幸せでいられる場所"
しかしある時、地元にいるだけでは
いけないと気づいた。

「30歳くらいの時に、多分みなさん
そうだと思うけど、本当にこれでいいのかな?
みたいな。勢いでここまで来ているけど...例えば
将来家族を持って養っていけるんだろうか?とかって
不安をみんな抱えると思うんですね。
やっぱり僕もそれはあって。北海道のみんなは
俺が40歳、50歳ってなった時に
応援してくれるのかしら、見てくれるのかしら、
北海道でテレビ出来るのかしらっていう
その不安はある。」

多くの人が抱える"将来への不安"を
大泉さんも抱えていた。
そんな大泉さんは30歳の頃、活動の幅を
より広げるため東京でも仕事をすることを決断。

"俳優"と"タレント"と2つの顔を持ちながら
全力で30代を走り続け、次第に"俳優"としても
注目を浴びるようになった。
2011年公開の映画『探偵はBARにいる』は
自身の代表作となる。シリーズ最新作では
"面白さ"を追求しパンツ一丁で極寒の海へ挑み、
2000人のエキストラが集まる撮影では
全力の土下座で現場を温めた。
映画の舞台挨拶でも、感謝の気持ちを込めて
笑いを誘い観客を笑顔にする。

"出会う人すべてを笑顔にしたい"
大泉洋という俳優はいつもそんなことばかり考えている。

「人に笑って欲しいという思いが子供の頃から
強い人だから"持って生まれた性"としか
言いようがないというか、すべったらどうしようとか
思う訳じゃない?だったらやらなきゃいいじゃん!
って話なんだけど、笑いを取りに行ったっていう姿勢が
大泉にはあったんだっていうのはなぜか残したいな(笑)」

2017年12月 8日

♯79 イラストレーターChocomoo
はじまりは...「昼下がりのセントラルパーク」

イラストレーターのChocomoo。
可愛らしくてポップなその作品で、今国内外からオファーが殺到。今人気のイラストレーターだ。

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長年の友人でもある歌手のAIさんは...
『ペン一本で人を感動させたり楽しませてくれたり
本当に"ハッピーな気持ち"させてくれる』と言う。

彼女は絵に関しては全て独学。
さらに黒いペンしか使っていない。
自身の作品に色を塗らず、絵を見た人が元気になるようにと
前向きなメッセージを作品の中に入れ、可愛らしい作品を生み出していく。

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そんな彼女がイラストレーターの道へ進んだのは、
ニューヨークにあるセントラルパークでの
「ある偶然」がキッカケだった。
その出来事が彼女の人生を大きく変えた。

幼少の頃から犬が好きだったChocomoo。
高校を卒業後、資格を取得しトリマーとして働いていた。
しかし...

『猫アレルギーやったんですよ』

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20代前半、働き始めてすぐに判明したアレルギー。
この影響でトリマーを辞め、アルバイトで日々を過ごしていた。そんな時自分の人生を見つめ直すために向かったのが
ニューヨーク。

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幼い頃からいつでもどこでも描いていたという趣味の絵。
セントラルパークでも描いていたChocomooさんに
"ひとつの奇跡"が起こった。

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『たまたま男の人が通りかかって時に
ショップ持ってるから展示する?って』

通りがかりのショップオーナーが絵を気に入りお店に展示。
翌日には 3000円で買い手がついた。

『これまで体験したことのなかった衝撃。絵で稼げるというよりも絵をもっと描きたいと思わせてもらった。』

これがキッカケとなり、本格的に絵の道へ進むことを決めた。
その後、彼女の描く独特な世界観で世界から注目されるイラストレーターになった。
そして今でも描く喜びを忘れず、絵を見る人にハッピーを伝えるため黒いペン1本でメッセージを発信し続けている。

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イラストレーターとなって10年。
これまでの集大成として開いた個展には
多くの友人たちが駆けつけていた。

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『絵って言葉と一緒で形にした時に見てくれる人に
気持ちが伝わると思う。何気なく見た時に元気に
なるような作品をこれからも作れたらなと思います』

ペン1本で世界が変わったChocomooにとって
黒いペンとは何なのだろうか?

『親友、相棒かな』

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2017年12月 1日

♯78 スケートボード 瀬尻稜
はじまりは...「日本になかった世界の景色」

11月、神戸。
日本で25年ぶりにスケートボード
世界大会が行われた。

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実はこの世界大会をプロデュースしたのは...
瀬尻稜、20歳。
これまでスケートボード界の歴史を次々と
塗り替えてきた現役のプロスケーターだ。

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5歳からスケートボードを始めると、
最年少11歳にして日本の
年間チャンピオンの座に。
次はいよいよ世界の舞台へ。
しかし...

「日本に世界大会は全くなかった」
「世界大会なら海外に行くという選択肢しかなかった」

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回りのサポートを受け、世界に渡った瀬尻。
日本人初のW杯優勝、日本人初の
世界最高峰リーグ出場。快進撃は続いた。

そんな世界での戦いの中で感じたのは、
会場の盛り上がり・海外選手たちと
切磋琢磨できる環境、日本とはひと味違う
"大会の面白さ"だった。
それは「日本になかった世界の景色」
次は日本でも開催したいと
大会プロデュースに乗り出した。

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瀬尻の仕事は、大会を資金面でサポート
してくれるスポンサーへの挨拶回り
選手集め、ルール作り、大会演出など
多岐にわたる。

中でもこだわったのは、パークと呼ばれる
選手達が滑るコースの設計だった。

「パークのコンセプトは"回れるパーク"
選手達がずっと流せるようなパークが作りたい」

大会開催まであと4か月、新潟。
ここにある組み立て式の移動可能な
スケートパークに訪れ
大会で使用できないか検討することに。

すると瀬尻はスケートボードを取り出し、
選手目線として改善点がないか探り始めた。

2つの点を改善することに。
1、レールの長さ
2、バンクの角度

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大会開催まであと3か月、都内。
自らデザインしたパークの構想を具体化していく。
徐々に準備も熱を帯びる。

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大会開催まであと2か月、神戸。
資金面でサポートしてくれる
スポンサーへの挨拶。
大会への熱い思いをまっすぐに伝える。

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"プロデューサー" "選手"
まさに二足のわらじ。
多忙な中、大会成功のため、
ひたむきに取り組んだ瀬尻。

そして迎えた11月上旬。
特設としては日本最大級の舞台に、
ブラジル、カナダ、ロシア、スペイン、
世界中のトップライダーが集結。
さらに日本からも28人の選手達が
華麗な技を見せた。

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まさに大会は大成功。
日本にはなかった
"あの世界の景色"が
そこには広がっていた。

2020年の東京五輪、
その前にスケートボード界に
新たな歴史が作られた。

2017年11月24日

♯77 KAT-TUN 亀梨和也
はじまりは...「果たせていない思い」

KAT-TUN 亀梨和也さん31歳。
誰もが認める"人気アイドル"
しかしこんな発言を...

「デビューしてから今年まで
本当に色々なことがあって、
『どうしてこうなっちゃうんだろう。
思い通りに行かないんだろう。』って
悔しい思いが自分の中であった。」

一体なぜなのか?
ZEROは9か月間、
亀梨さんを密着取材した。

デビュー10周年を迎えた去年、
東京ドームでライブが開催された。
直前にメンバーが1人脱退した
KAT-TUNはこの日を最後に
グループとしての活動を休止。
メンバーは再始動に向けてそれぞれ
ソロで活動を行うことが決まっていた。

ライブ終了後、亀梨さんは
自分に言い聞かせるように語った。
「時に弱っていくKAT-TUNって
いうのも感じたこともあるし、
(充電は)もっともっと強く
大きくなるための決断なので...」

模索しながら個人での活動が
スタートした。

今年2月、31歳の誕生日を迎えた
亀梨さんが口にしたのは
意外な言葉だった。

「自分のジャニーズ史上一番
濃い年にしたい。」

その言葉通り、今年に入って
出演した映画が続けて2本公開。
4月から放送された連続ドラマでは
主演をつとめた。そして同時期に、
全国19か所・43公演行われる
自身初のソロコンサート開催が発表された。

5月、亀梨さんは会議室でソロライブの
ミーティングを行っていた。
自分が考えるイメージを、身振り手振りを
交えてスタッフと共有していく。
時には厳しい言葉も...

「ちょっと芸なさすぎる。
これだけで飛ぶんだったら
ちょっとうーんって感じがする。」
この日、深夜0時を過ぎても
会議は続けられた。

今回のライブではリボンを使った
アクロバティックな技など
数種類に及ぶフライング、殺陣、
ダンス、バンドを従えての歌唱など
亀梨さんがこれまでに培った
エンターテインメント全てが
盛り込まれる構成に。

時間が全くたりない。
しかし、ステージ演出について細かい指示が
「もうちょっと布を広げる手の位置
とか合わせて。もう0.5寄ってみて。」
自分が納得するまで妥協は一切しない。

そして迎えたライブ前日。
実はこの日まで、全てを通しての
ライブリハーサルができていない。
しかし、フライングで使うリボンの
調整がうまくいかず、安全を考え、
この日はリボンを使用せずに
最終リハーサルを行うことに。

リハーサルが始まりフライングの
パートにさしかかると、
急に腕立て伏せを始めた亀梨さん。
さらに、反復横跳びまで。
実は、これ、自分の限界を知るため
本来ならアクロバティックな
フライングで体力が消耗するはず。
そこで本番を想定し、あえて激しい
運動を行ったのだという。

一体なぜ、ここまで自分を追い込むのか?

「グループを結成してデビューさせて
もらって、『どういうチームになりたいんだ』
って思っていたあの頃の自分の思いって
いうものを、まだ全然果たせてないので。
そこは、諦めたくない。」

亀梨さんには"KAT-TUN"として
果たしたい思いがあった。
だからこそひたむきになれる。

しかしそんな思いとは裏腹に、
相次ぐ脱退により、結成当時は6人で
活動していたメンバーが現在は3人に。

亀梨さんにとってKAT-TUNは
どんな存在なのか?
「一生続けていたい甲子園メンバー
みたいなもの。高校3年生は、甲子園に
負けたらもう終わりじゃないですか。
でも、戦うチームとして、いかに
どれだけ長く続けていけるかだから
より大切にしなければならない。」

亀梨さんが今回のソロライブで
本編最後の曲に選んだのが、
自身か作詞した曲「♪絆」だった

♪ボロボロになるまで 引きさかれていても
あの時のあの場所 消えないこの絆

個人での活動を1年半終えた今
"再始動"への思いは...

「すごくうずうずしてる所なので...。
踏み出す作業には入ってきているのかな
って感じてますね。」

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