FROM ZERO

2017年8月 4日

#74 声優・歌手 水樹奈々
はじまりは...「殻を破った自分」

声優・歌手の水樹奈々さん 37歳。

声優ながら初めて、
東京ドームでワンマンライブを行うなど
"声優アーティスト"として活躍している。

声優・歌手の水樹奈々

その水樹さんが初めてミュージカルに出演。
声だけではなく体を使った演技に挑んだ。

「危機感が常にあって。
もっと出来るでしょ? 何か新しい可能性あるでしょ?って
止まったら終わるって思うから」

口にしたのは"危機感"...
その理由は生い立ちにあった。

実は子どもの頃の夢は「演歌歌手」。
のど自慢大会にも数多く出場し
"大会荒らし"の異名で、全国大会でも優勝した。

デビューは17歳の時。
演歌歌手の夢を追いながら、
もう一つ興味のあった
声優オーディションを受けて合格。


その時、気づいた事が...

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「何で私"演歌"だけって
こだわっていたんだろうって。
自分の作った枠の中に入っていた
ということに気づいたときに
『パン』ってひとつ殻がやぶれて。
チャレンジしてみないと
 分からないことがあるんじゃなかって思ったんですよね」

"やりたいこと"に一歩踏み出したことが
見る世界を大きく広げていた。


今年はデビュー20周年。
再び"殻を破る"ため挑むのが..."ミュージカル"。
初出演で主演という大役に挑戦する。

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これまでやってきたのは"声だけ"を使った演技。
しかし、ミュージカルは
体全体で演じなければならない。

稽古中、演出家から細かいダメ出しが入る

しかし水樹さんは...

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どんな時も
常に"笑顔"を絶やさず受け入れていた。

 

声優や歌手では踏み込めなかった新たな世界。

でも、自分の力でその殻を破っていける。
             それが嬉しい。

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迎えた公演初日。
満員の観客からはスタンディングオベーションが...

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水樹さんは
また新たな世界へ一歩踏み出した。

「まだ自分のなかでは
わからないことがいっぱいですけど
確実にこの舞台で得られたものが
今後の声優としての演技
歌手としての歌唱にも、影響が
あるのは間違いないと思っています」

2017年6月 2日

#73 知英/JY
はじまりは...「支えてくれた手紙」

ある映画の撮影現場。

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主演女優として撮影を重ねる、1人の女性がいた。

実はこの女性、K-POPブームの火付け役となった
KARAの元メンバー・知英(ジヨン)さん、23歳。
母国・韓国を離れ、今は日本を拠点に活動している。

しかし、関係が緊迫することが多い日本と韓国。
知英さんの活動には、厳しい声も...。

「韓国では『日本にずっといるのか』『日本人になったのか』、
 日本では『なんで韓国人が日本でやっているのか』とか...」

拠点を移して初めて挑戦したのは人気マンガが原作のドラマ。片言のセリフに、当時は批判も少なくなかったと語る。

「イントネーションが直すのにも本当に時間がかかるし、
 『こうでしょ?』と発音しても『違う、こっち』と
何回も言われて...。毎日死ぬ気で練習しました」

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その後も日本語の猛特訓を続け、14本のドラマや映画に出演。
今では日本人役に抜てきされるほどの実力を身につけた。

そして、女優業と並行して行っているのが
JYという名義で去年デビューしたアーティスト活動。
たった1年で連続ドラマの主題歌に4曲が起用され
若者を中心に人気を集めている。

そんな中、知英さんは1人で1曲全て、日本語で歌詞を書く
という初挑戦をした。

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何日も悩み続けた1曲の歌詞。
思いついた言葉をメモするために持ち歩いているノートは
日本語と韓国語で埋め尽くされていた。

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「ファンの皆さんからもらった手紙に『いつまでも知英の

味方だからね』とか『日本に来てくれてありがとう』とか
たくさん書いてあるんですけど、
逆に『皆さんからもらった手紙ですごく勇気をもらったよ』
『手紙ひとつが支えてくれてるよ』という感謝の気持ちを
伝えたかったです」

そんな思いを伝えるため、
知英さんは日本に来て初めてのソロツアーを開催した。
会場には約2000人のファン。
歌の途中で声を詰まらせ涙を見せた場面も...。

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日本に拠点を移して3年。
心ない言葉をかけられたこともあった。
それでもファンの支えがあったから、頑張ってこられた。

「私が韓国人でも日本のファンがこんなに私のことを
好きになってくれるのが、
そんなに簡単なことではないと思うんですよ。
国とかもちろん政治とか...色々あるんですけど、
でも心が通じていれば伝わると思う。
周りに支えてくれる人もたくさんいるし、
まだ登るところはいっぱいあると思います」

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2017年5月19日

#72 シンガー・ソングライター 秦基博
はじまりは...「恩師がくれた言葉」

5月4日、デビュー10周年の節目に
行った横浜スタジアムライブで
彼の歌声に2万5000人の観客が
耳を傾けていた。

秦さんがこだわり続けているのが"弾き語り"。
彼はなぜ"弾き語り"にこだわるのか?

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秦さんは2006年にメジャーデビュー。
繊細な歌声で数々のヒット曲を発表してきた。

幼少期から横浜で過ごしてきた秦さんには下積み時代、
横浜スタジアムの見える並木道を歩きながら
「いつかあの場所でライブがしたい」と
夢を抱きながら通っていた場所がある。
それが、ライブハウス「F.A.D YOKOHAMA」

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アマチュア時代について...
「多くて10人とかその内ほとんど友達とか
純粋なお客さんが0人の時もありましたよ」

プロを目指しおよそ7年・・・。
数え切れないほどライブを重ねてきたが
フロアを埋めることはできなかった。

歌手を諦めかけていた中、
背中を押し続けてくれた人がいる。
それがライブハウスのオーナー・橋本勝男さん。
「繊細な声が魅力的だったっていうか、
すごくいい詩も書くし、あんまり
褒めたくないんですけど」と当時を振り返る。

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秦さんには橋本さんから言われた今も
心に刻んでいる大切な言葉がある。
「『歌はお前が歌った瞬間に人のものになる。
聴いてくれた人のものだ』と言われた」

"歌は歌った瞬間に聴いた人のものになる"
「自分が楽しくなるために歌ってるのになって
いうのがあったんですけど、聴いてくれる
人がいて、その人と何かを共有できたときの喜びとか、
徐々に知っていくにつれてその言葉が
重みを持って自分の中でも響いてきた」

どれだけ自分の歌声を聴く人に届けられるのか?
それを考えながらこだわり続けてきたのが
"弾き語り"だった。

「歌とギターの響きしかないので。
聴いてくれる方の中に音の響きとか、
景色とか、たくさんイメージしながら
聴いてもらえると思うんですよね」

そして今年、下積み時代に夢見ていた場所で
"弾き語り"に挑む。

本番直前、メンバーたちとリラックスした表情で
会話をする秦さん。しかし会場に
自分の曲が流れ出すと・・・表情が引き締まる。

ライブの前半はバンド編成で曲を披露。
そして後半・・・ステージは秦さんひとりだけに。
こだわり続けてきた"弾き語り"が始まった

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"歌は歌った瞬間に聴いた人のものになる"
その言葉を胸に歌い続けてきた10年。

「シンガー・ソングライターとして
ずっと歌い続けていたい。
聴いてくれる人に楽しんでもらえる音楽を
作れるかということを追求していきたい」

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2017年5月 5日

#71 サンバダンサー 工藤めぐみ
はじまりは...「失った笑顔を取り戻すこと」

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2月、ブラジル・リオデジャネイロ。 全世界から、100万人が集まる世界最大のサンバのコンテスト。 衣装やダンスなどを競い合うブラジル人の中に、工藤さんの姿があった。

強豪のサンバチーム「サウゲイロ」に所属し、4000人を越えるメンバーの中で約40人しか選ばれないチームのトップダンサー「パシスタ」に選ばれた唯一の日本人だ。
去年のリオオリンピックでは、オーディションでサンバを披露し、開会式のセレモニーにも選抜された。

今年で日本とリオを往復する生活は13年になる。
生活の拠点は日本におき、
毎年カーニバルに出場するために、
リオに3か月間滞在している。

本場で認められた工藤さんのサンバ。
そのすごさとは何なのか?

ブラジル人のサンバダンサーと比べると
体形に違いがあると工藤さんは言う。

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工藤「彼女たちがちょっと動くと、おしりもブーンと大きく動くので、私は日本人だから線が細いので、その分本当に大きく努力しないと彼女たちみたいに大きく踊れないんで」

工藤さんは体形の違いをカバーするためにある工夫をした。
腰を入れて、踊りを大きく見せることを考えた。
さらにその状態から小刻みにステップをふむ。

Q「疲れますか?」

工藤「疲れます、疲れます。雑とか乱暴じゃなくて、エレガントに踊らないといけないし、注意すべきことが山ほどあります」

工藤さんが生まれたのは、兵庫県・神戸市。
サンバと出会ったのは22年前のある出来事だった。

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工藤「9歳のときに阪神・淡路大震災っていう大きな地震があったんですけど、いつも見ていたおばあちゃんの家が焼け野原でなくなったりとか、とにかく衝撃を受けた震災でしたね」

落ち込んでいた時、
母親が見つけたのが、サンバ教室の新聞広告だった。
親子で通い始めると、その魅力に引き込まれたという。

震災をきっかけに始まった工藤さんのサンバ。
18歳で地元の神戸にサンバ教室を立ち上げ、
今も子どもたちに教え続けている。

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すると、こんな思いがわいてきた。
"リオのカーニバルに出場したい"
19歳の時、アルバイトでお金をためブラジルへ。
つてもなく、言葉も話せず、信じたのは自分の可能性。

そして、再びブラジルへ渡った22歳、
強豪のサンバチームに入ることができた。

当時、住んでいた場所を訪れた。
工藤さんはチームに受け入れてもらうために
拠点とするこの地域に住み始めたが、
そこは、スラム街だった。

3年前、工藤さんは、
サンバの練習帰りに強盗に遭い、頭を打ち意識を失ったという。

工藤「やられた時は、こわくて震えてパニックだったし、病院の中でもいっぱい注射とかうたれて、本当怖い思いしかなくて」

踊り続けることが怖くなったサンバ。
しかし、"ある思い"が工藤さんを支えた。

工藤「こどもの頃、震災を経験して、落ち込んだ暗い気持ちを明るくなりたいと親子で始めて、実際私もサンバに元気をもらって(サンバを)続けて、私が笑顔で踊ることによって皆さんが笑顔になってくれる、めぐちゃん見てたら『元気もらえるよ』、『パワーもらえるよ』って言ってもらえるのが、私のパワーの源」

震災で出会ったサンバは、踊ると自然と笑顔になれた。

サンバがもつ"笑顔にする力"が原動力となり、
工藤さんは、今年もカーニバルの優勝を目指した。

そして、始まった本番。

そこには...華やかな衣装に負けないほどの工藤さんの笑顔があふれていた。

チームの結果は3位。
それでも、晴れやかな表情だった。

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工藤「私も元気になって、(サンバは)本当に笑顔と笑顔の交換、私がサンバで元気にというか、パワーをもらったので、それをどんどん次は私から皆さんにパワーを伝えたいなと思っています」

だから工藤さんは踊り続ける。

2017年3月24日

♯70 エンターテイナー 三浦大和
はじまりは...「"自分にしかできないこと"」

エンタテイナー・三浦大知29歳。

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今年、デビュー以来 初めて音楽ランキングで1位を獲得。
ライブのチケットは1分で完売するほどの人気ぶり。

人気の理由は...圧倒的なダンスから
生まれるパフォーマンス。

そのスゴさはどのように生まれたのか?

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ライブのために訪れた地元・沖縄
音楽に触れたきっかけを聞くと...

「じいちゃん ばあちゃんから
『沖縄は戦争があった時、音楽があったことが、すごく希望になっていた』
という話を聞いたことがあって、音楽との結びつきが文化的にも深いのかなと。

"島の血"があるんじゃないんですかね。音楽に近い感じというか」


1997年、9歳の時、
「Folder」のメインボーカルとしてデビュー。

子供ばなれした歌唱力とリズム感で
"和製マイケル・ジャクソン"とも呼ばれた。

しかし12歳の時に活動休止。
理由は"変声期"。

喉が使えなくても、体はいつでも動かせる。
そう考えた三浦さんは、ダンスに打ち込んだ。

その時に涌いてきた1つの思い。

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「何をやっても三浦大知で
オリジナルなものが生み出せたらいいのかなって」

4年前、
三浦さんが生み出した"ダンス"が世間を驚かせた

音楽がない中踊る「無音ダンス」
聞こえるのは足音と息づかいだけ

通常、ダンスは音でリズムを取るため
音がないとバラバラになってしまう。
しかし、体にリズムを覚え込ませることで
寸分の狂いもない「無音ダンス」を生み出した。

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さらに去年、「無音ダンス」の激しい踊りに
歌を歌うことを加え披露した「アカペラダンス」。
リズムの代わりになるのは自分の声だけ。
わずかなズレもなく、正確に歌いながら
激しいダンスを披露する圧巻のパフォーマンス。

ようやく自分にしか出来ないパフォーマンスを手に入れた。

 

9歳でデビューしてから20年。
初めて故郷・沖縄での単独ライブ。

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島で生まれ、ダンスに出会った男の子は
自分ならではのパフォーマンスを武器に、故郷に戻ってきた。


"男の子"は今年30歳を迎える。
「自分の中では30歳がスタートライン。
積み重ねてきた時間を糧に進んで
歌い続けて踊り続けていけたらいいなと思います。」

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