FROM ZERO

2017年5月 5日

#71 サンバダンサー 工藤めぐみ
はじまりは...「失った笑顔を取り戻すこと」

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2月、ブラジル・リオデジャネイロ。 全世界から、100万人が集まる世界最大のサンバのコンテスト。 衣装やダンスなどを競い合うブラジル人の中に、工藤さんの姿があった。

強豪のサンバチーム「サウゲイロ」に所属し、4000人を越えるメンバーの中で約40人しか選ばれないチームのトップダンサー「パシスタ」に選ばれた唯一の日本人だ。
去年のリオオリンピックでは、オーディションでサンバを披露し、開会式のセレモニーにも選抜された。

今年で日本とリオを往復する生活は13年になる。
生活の拠点は日本におき、
毎年カーニバルに出場するために、
リオに3か月間滞在している。

本場で認められた工藤さんのサンバ。
そのすごさとは何なのか?

ブラジル人のサンバダンサーと比べると
体形に違いがあると工藤さんは言う。

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工藤「彼女たちがちょっと動くと、おしりもブーンと大きく動くので、私は日本人だから線が細いので、その分本当に大きく努力しないと彼女たちみたいに大きく踊れないんで」

工藤さんは体形の違いをカバーするためにある工夫をした。
腰を入れて、踊りを大きく見せることを考えた。
さらにその状態から小刻みにステップをふむ。

Q「疲れますか?」

工藤「疲れます、疲れます。雑とか乱暴じゃなくて、エレガントに踊らないといけないし、注意すべきことが山ほどあります」

工藤さんが生まれたのは、兵庫県・神戸市。
サンバと出会ったのは22年前のある出来事だった。

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工藤「9歳のときに阪神・淡路大震災っていう大きな地震があったんですけど、いつも見ていたおばあちゃんの家が焼け野原でなくなったりとか、とにかく衝撃を受けた震災でしたね」

落ち込んでいた時、
母親が見つけたのが、サンバ教室の新聞広告だった。
親子で通い始めると、その魅力に引き込まれたという。

震災をきっかけに始まった工藤さんのサンバ。
18歳で地元の神戸にサンバ教室を立ち上げ、
今も子どもたちに教え続けている。

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すると、こんな思いがわいてきた。
"リオのカーニバルに出場したい"
19歳の時、アルバイトでお金をためブラジルへ。
つてもなく、言葉も話せず、信じたのは自分の可能性。

そして、再びブラジルへ渡った22歳、
強豪のサンバチームに入ることができた。

当時、住んでいた場所を訪れた。
工藤さんはチームに受け入れてもらうために
拠点とするこの地域に住み始めたが、
そこは、スラム街だった。

3年前、工藤さんは、
サンバの練習帰りに強盗に遭い、頭を打ち意識を失ったという。

工藤「やられた時は、こわくて震えてパニックだったし、病院の中でもいっぱい注射とかうたれて、本当怖い思いしかなくて」

踊り続けることが怖くなったサンバ。
しかし、"ある思い"が工藤さんを支えた。

工藤「こどもの頃、震災を経験して、落ち込んだ暗い気持ちを明るくなりたいと親子で始めて、実際私もサンバに元気をもらって(サンバを)続けて、私が笑顔で踊ることによって皆さんが笑顔になってくれる、めぐちゃん見てたら『元気もらえるよ』、『パワーもらえるよ』って言ってもらえるのが、私のパワーの源」

震災で出会ったサンバは、踊ると自然と笑顔になれた。

サンバがもつ"笑顔にする力"が原動力となり、
工藤さんは、今年もカーニバルの優勝を目指した。

そして、始まった本番。

そこには...華やかな衣装に負けないほどの工藤さんの笑顔があふれていた。

チームの結果は3位。
それでも、晴れやかな表情だった。

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工藤「私も元気になって、(サンバは)本当に笑顔と笑顔の交換、私がサンバで元気にというか、パワーをもらったので、それをどんどん次は私から皆さんにパワーを伝えたいなと思っています」

だから工藤さんは踊り続ける。

2017年3月24日

♯70 エンターテイナー 三浦大和
はじまりは...「"自分にしかできないこと"」

エンタテイナー・三浦大知29歳。

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今年、デビュー以来 初めて音楽ランキングで1位を獲得。
ライブのチケットは1分で完売するほどの人気ぶり。

人気の理由は...圧倒的なダンスから
生まれるパフォーマンス。

そのスゴさはどのように生まれたのか?

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ライブのために訪れた地元・沖縄
音楽に触れたきっかけを聞くと...

「じいちゃん ばあちゃんから
『沖縄は戦争があった時、音楽があったことが、すごく希望になっていた』
という話を聞いたことがあって、音楽との結びつきが文化的にも深いのかなと。

"島の血"があるんじゃないんですかね。音楽に近い感じというか」


1997年、9歳の時、
「Folder」のメインボーカルとしてデビュー。

子供ばなれした歌唱力とリズム感で
"和製マイケル・ジャクソン"とも呼ばれた。

しかし12歳の時に活動休止。
理由は"変声期"。

喉が使えなくても、体はいつでも動かせる。
そう考えた三浦さんは、ダンスに打ち込んだ。

その時に涌いてきた1つの思い。

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「何をやっても三浦大知で
オリジナルなものが生み出せたらいいのかなって」

4年前、
三浦さんが生み出した"ダンス"が世間を驚かせた

音楽がない中踊る「無音ダンス」
聞こえるのは足音と息づかいだけ

通常、ダンスは音でリズムを取るため
音がないとバラバラになってしまう。
しかし、体にリズムを覚え込ませることで
寸分の狂いもない「無音ダンス」を生み出した。

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さらに去年、「無音ダンス」の激しい踊りに
歌を歌うことを加え披露した「アカペラダンス」。
リズムの代わりになるのは自分の声だけ。
わずかなズレもなく、正確に歌いながら
激しいダンスを披露する圧巻のパフォーマンス。

ようやく自分にしか出来ないパフォーマンスを手に入れた。

 

9歳でデビューしてから20年。
初めて故郷・沖縄での単独ライブ。

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島で生まれ、ダンスに出会った男の子は
自分ならではのパフォーマンスを武器に、故郷に戻ってきた。


"男の子"は今年30歳を迎える。
「自分の中では30歳がスタートライン。
積み重ねてきた時間を糧に進んで
歌い続けて踊り続けていけたらいいなと思います。」

2017年3月17日

♯69 プロスノーボーダー 平岡卓
はじまりは...「栄光の後に待っていた初めての挫折」

プロスノーボーダー、平岡卓21歳。

2014年ソチ五輪スノーボードハーフパイプで
銅メダルを獲得。
来年の平昌オリンピックでもメダルが期待される。

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しかし彼は今、思うような結果が残せず悩んでいた...

「何もかもうまくいかない」

そう語る平岡。
ZEROはアメリカでのオリンピック前哨戦に密着し、
再起をかける彼に迫った。

平岡が生まれたのは雪がほとんど降らない奈良県。
6歳でスノーボードを始め、プロとなったのは12歳。
その後は海外を主戦場に、世界を相手に技術を磨いた。
1年のおよそ半分は海外に身を置き、
スノーボード漬けの毎日。
そんな日々が平岡にとって楽しかった。

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そして2014年のソチオリンピック。
日本スノーボード界初のメダルを獲得し、
名実共に世界トップ選手の仲間入り。
18歳にして一躍、注目の的に。
来年の平昌五輪でもメダルが期待されていた。

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しかし昨シーズン。
優勝は一度もなく思うような結果が残せなかった平岡は

「大会も全部ダメで、何もかもうまくいかなくて
 自分の人生の中では一番の挫折でした」

栄光の後に"初めての挫折"が待っていた。

怪我をしたわけでもない、でも結果が伴わない。
昨シーズンを振り返ると、原因は自分の心にあった。

「大会に向けて練習をして...というのに飽きていた。
 もっと楽しいことがあるだろうと」

だが挫折の中で気づいたのは"勝つからこそ楽しい"
そんなシンプルな思い。

だからこそ今シーズンは結果にこだわった。
スノーボードに集中できる海外に身を置き
全ての時間を練習に費やした。
プロとしてどん欲に結果を追い求めた。

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今回の取材中には、
何度も何度も自分の滑りの映像を見返す平岡。
勝つための練習に取り組む姿勢は、
1年前の彼とは違った。

そしてオリンピック前哨戦となるUS OPEN。

持ち味の高さを見せるも... 
転倒もあり結果は12位。
それでも結果を真摯に受け止めた。

「やる気ももっと出た。この結果を糧にして」

敗戦の翌日。
そこには悔しさを胸に再び練習に励む平岡の姿が。

来年の平昌オリンピックでは、再びあの栄光を。

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2017年3月 3日

♯68 音楽プロデューサー starRo
はじまりは...「好きなことを続ける」

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※この動画の公開は終了しました

今年のグラミー賞で脚光を浴びた41歳の新人アーティスト。実は1年半前まで、普通のサラリーマンでした。

2017年1月 6日

#67 女優・高畑充希(25)
はじまりは...「知ってもらうこと」

女優、高畑充希25歳。

彼女の環境は、この1年で大きく変わった。

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」をはじめ数多くの作品に出演し
CMにもひっぱりだこ。
とにかく忙しかった彼女は2016年、最もブレイクした女優に輝いた。
自分の想像を遙かに超える飛躍。
この場所にたどり着くまでに、どんな道のりを歩んできたのか。

2016年12月。この日、テレビの収録を終えた高畑さんは、すぐに別の仕事へ。
多忙な彼女、移動中のわずかな時間に話を聞いた。

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ディ)"忙しい"ことに対してはどうですか?
高畑)いいところも悪いところもあるな~。
忙しすぎるのはよくないと思います。
ディ)何でですか?
高畑)ひとつひとつに心が動かなくなるから。
   感受性が敏感なときって結構、余裕をもって動けている気がする。

「どんな時も、感受性を大切に生きていたい。」
そう語りながら、次の現場、雑誌の撮影へ向かった。

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彼女が女優を目指すきっかけとなったのは...

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「舞台の客席です。ずっとちっちゃい時からお芝居を観るのが好きだったので、
小学生のときはミュージカルを見ることが多くて、音楽だけで物語がつむがれていくので、
単純にメロディーとかその音楽をマネして家で歌ったりとかして、
みんながJポップにはまるように
私はミュージカルのサウンドトラックにはまったりしていました。」

自分もいつか、舞台に立ちたい。
大きな夢を持った少女は、たくさんのオーディションを受けた。しかし...
「さんざん落ちましたね。
でもこんなに舞台好きなんだからそのうち受かると思っていた。」

そしてついに、13歳の時。
山口百恵さんのトリビュートミュージカルで、初めて主役の座をつかむ。
15歳のときには、「ピーターパン」にも抜擢。実に6年に渡って主役を務めた。

舞台女優として順調にキャリアを詰んでいった高畑さん。
しかし彼女は、ドラマや映画など、舞台ではない映像の世界に向かう。なぜなのか?

「やっぱり舞台は観てもらわないと始まらないので
(自分のことを)知ってもらっていた方がいいだろうなっていうのはあって
踏み込んだ映像の世界」

映像の世界に踏み込んだのは、自分を知ってもらうため。
そして何より、舞台の魅力を知ってもらうため。
朝ドラの主役も務め、映像の世界で高畑充希の名は一気に広まった。

2016年10月。
高畑さんは1年ぶりにミュージカルの舞台に戻ってきた。
稽古場に入ると高畑さんの目つきが変わる。

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「お客さんが面白かったって帰ってくれるのが一番うれしい。
私達は体と心を削って一生懸命やるって感じ」

この1年、自分のことは大勢に知ってもらえた。
だから次は、舞台の楽しさを多くの人に知って欲しい。

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「(自分が)きっかけで舞台を見に行って、舞台意外と面白いんだとか思ってもらえたら、
それきっかけで別の作品も見に行ったりするかもしれないじゃないですか。
これで演劇を観る人が増えたら最高ですよね。」

現在25歳。いま目標にしていることは...
「全編音楽の舞台に出たい。それが自分にあうと思うし大好き。チャレンジしたいですね。」

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