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NEWS ZEROは、放送開始から10周年。

2016年10月3日

櫻井翔、10年ぶりの軍事境界線。

ソウルから、車で1時間半。
私はある場所を目指しました。
車を降りると、駆け寄ってきたのは韓国軍の女性兵士。

『結構山道ですね、これ』

軍が管理する高台。その先には…。

櫻井
『見えてきました。あちら側が北朝鮮ですね。
山が立ち並んでいるのがよく見えます。近い…』

川の向こうは、私が10年ぶりに見た北朝鮮。

櫻井
『人かな…あれ』
『何してるんだろう。たぶん人だな、あれ。』
そこにいる人の姿は、初めて目にしました。

櫻井
『ここから向こう行くともうあの場所は北朝鮮ですか?』

10年前。
私は、韓国と北朝鮮の「軍事境界線」を取材。
当時は、北朝鮮を監視する韓国軍の施設にも入ることが許されました。

今回、韓国軍から取材が許可された高台は、
北朝鮮まで、わずか2キロほど。

『人歩いてますね。袋みたいなのを担いで歩いてますね。
農家の方なのかな』

『山の麓に、建物が並んでいます。
同じ形したマンションのようなのが見えますね』

通称「宣伝村」。
韓国側に暮らしぶりをアピールするための、仮の街です。

『これ同じように向こう側にも兵士が入るような小屋ありますよね? 
人影は見えないけど、奥で銃かまえてこっちに向いていたら怖いな』

いくつも立ち並ぶ、監視施設のような建物。
すぐそばに、北朝鮮の兵士とみられる人の姿も確認できました。

さらに、超望遠レンズで見てみると…。

櫻井
『あ、ハングルで文字が書いてあります。
見てもらってもいいですか?』

通訳
『「先軍朝鮮の太陽、金正恩将軍万歳」と書いてあります』

櫻井
『キムジョンウン?じゃあ最近のものなんですね』

しかし今回、最前線の兵士の取材などは、許されませんでした。
厳しい規制のワケ。
それは、10年前と違う状況にありました。

今年だけで20発以上の弾道ミサイルを発射。
先月も核実験を行い、暴走を続ける北朝鮮。

韓国も、迎撃ミサイル・サードの配備を決めるなど、
今は、10年前とは違う緊張感に満ちているのです。

北朝鮮を見た高台近くの村。

櫻井
『兵士が。韓国軍の兵士の方が。銃かまえてます』

"緊張する南北"の象徴がありました。

櫻井
『なんか音聞こえる…曲?音楽が聞こえますね。
あっちの方から聞こえますよね』
『あ、なんかしゃべってるな今度は』

スピーカーから出ているような声。

宣伝放送
『敬愛する金正恩同志は…』

鉄条網のそばの川。その向こう岸は北朝鮮。
村に響く声の正体は、北朝鮮からの放送でした。
さらに…

『あ、2つ聞こえるな。北朝鮮側、軍歌みたいな印象の音楽が流れている。
韓国側かな?』

音楽は北朝鮮側から、
女性の声は韓国側から聞こえてきました。
実はこれ「宣伝放送」とよばれるもの。

北朝鮮は韓国に、韓国は北朝鮮に向けて、
お互いを批判する放送をしているのです。

櫻井
『本当に放送で戦い合っているような印象ですね、声で』

2つの国を飛び交う音。
実は、宣伝放送は、去年までの11年間中断されていました。

なぜ、再開されたのか。
そのきっかけを知る人物に会いにいきました。

櫻井
『まさに、軍の病院という感じ』

多くの兵士が詰めかけたロビー。
ここは、韓国軍の病院です。
ハ・ジェホンさん22歳。
その両足は、膝から下がありませんでした。

2015年8月、軍事境界線近くで起きた爆発。
地雷を踏んだ韓国軍兵士2人が、足を失いました。
宣伝放送は、この事件をきっかけに再開されたのです。

兵士の1人が、彼でした。

ハ・ジェホン兵士
『足を踏み出した瞬間、
爆音が聞こえて一瞬で意識を失いました。
意識を取り戻したとき、足が焼かれているような気がしたので、
見たら、血まみれになっていて、足なのかも分からないくらいひどかったです』

櫻井
『以前私が取材した時より、
より緊迫感が高まっていると感じたんですが』

ハ・ジェホン兵士
『10年前よりは一層緊張が高まっていると思います。
だから、韓国軍は北朝鮮に強い姿勢で臨めるよう日々努力しているんです』

常に、命の危険と隣り合わせの、軍事境界線。

その厳しさを知る人物をもう1人取材しました。

キム・ソンウンさん。30歳。

櫻井
『僕がお会いしたときはこういう(目を合わせることができない)状態でしか
お会いしていないから』

私が10年前に取材した軍事境界線の監視施設。

櫻井
『最前線のこの場所に立っていて怖いですか?』

キム・ソンウンさん
『私が守っているから家族や友人が安心して暮らせると思います。
自分が守っているからこそ国が守られていると思います』

この兵士が、キムさんでした。当時、20歳。
視線はずっと、私ではなく北朝鮮に向けたまま。

櫻井
『除隊した後の夢、将来の夢は何ですか?』

キム・ソンウンさん
『私は、すばらしい"声楽家"になりたいです』

同じ世代の彼が、
私と同じ音楽の道を目指していたことが印象に残っていました。
軍事境界線で、およそ2年間兵役についていたキムさん。
10年経った今、本音を話してくれました。

キム・ソンウンさん
『望遠鏡で目の前にある北朝鮮を覗くと、
北朝鮮の兵士が警戒している姿が見えました
誰がみても怖かったと思います。
私だけじゃないと思う。
あそこにいた韓国軍兵士全員が自分と同じ考えだったと思います。』

櫻井
『「私がここにいることで家族だったり友人だったり守れると思う」
とおっしゃっていましたが』

キム・ソンウンさん
『(その考えは)自分に言い聞かせてたんだと思います。
決意のようなものでもありました。
とてもつらかったし、正直に言うと二度と(軍隊に)戻りたくないと思っています』

兵役のあと、夢だった声楽家への道を歩んでいました。

卒業後、ドイツに留学するための資金をためていました。
しかし、そのころ父親のガンが発覚。

治療費を工面するため、
音楽の道を 諦めざるを得なかったのです。
今、キムさんは長距離トラックの運転手として家族を支えています。

10年前、取材をうけたときの映像を初めて見てもらいました。

櫻井
『初めてみていかがですか?』

キム・ソンウンさん
『実は今も夢は声楽家ですが、
その夢が叶えられなかったので映像を見ると胸が痛みます。
夢をかなえられなかったことに悔いが残ります。』

言葉が出ませんでした。

結婚し5歳の子どももいるキムさん。

兵役を終えた今も、
戦争になれば、後方支援にあたることが義務づけられています。

櫻井
『万が一の時に自分が(軍隊に)行かなきゃなっていう気持ちでいるんですか?』

キム・ソンウンさん
『当然行かなければならないと思っています。
軍隊から除隊しましたが、もし北朝鮮と戦争をするような状況になったなら
自分たちが守るしかないと思っています』

戦争が起きれば、自分たちで守るしかない。
彼の覚悟に、今の南北の緊迫感を強く感じました。

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