髙橋大輔 SPOTLIGHT

2017年1月27日

乱れぬ隊列...大規模パレード舞台裏

写真

世界が注目したアメリカ大統領の就任式。4年に1度行われる大規模な就任パレードの舞台裏を取材しました。

2016年12月 1日

映画監督・山崎貴さん

日本映画界を代表するヒットメーカー、山崎貴監督。
「永遠の0」と「ALWAYS 三丁目の夕日」で
日本アカデミー賞の最優秀監督賞を受賞しました。


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■髙橋
「監督にとって映画とは?」

■山崎監督
「文化祭ですね
 自分の好きなものをやりたいし
 人を驚かせたいし」

今年6月。
私は、山崎監督を訪ねました。

見せていただいたのはミニチュア作り。
スタッフが一つ一つ手作り、細かい作業です。

■山崎監督
「これね国岡商店という
国岡鐵造さんが
最初に仕事を始めるシーンが
あるんですけど・・」

主人公・国岡の商店のミニチュア。
実際に、映画で使ったといいます。


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■山崎監督
「ミニチュアを作ってこれを撮影して
上を合成する」

商店のセットは1階部分だけ。
2階は、「ミニチュア」を合成しているのです。

山崎監督は、
映画業界におけるVFX、
つまり「視覚効果」の第一人者なのです。

終戦直後、
東京の町が一面のガレキとなったシーンも、
実際のセットは、
出演者の周りの「ごく一部」しか、
作っていません。
最先端のVFXが、
まるで本物のような風景を、可能にしました。

■山崎監督
「時代をちゃんと的確に表現するための
 VFXは今回欠かせなかった
よりこういう映画ほどバレちゃまずい
 これCGだろって言われちゃったら
映画自体が終わる」

明治から昭和という様々な時代を
セットだけで再現するのは、ほぼ不可能。
だからこそ、
監督のVFX技術が武器になったのです。

常に最先端のVFXを追求してきた、山崎監督。
そのルーツはどこにあるのでしょうか。

■山崎監督
「僕の中で一番でかいのは『未知との遭遇』
現代的なVFXの一番最初の衝撃だった」

スティーブン・スピルバーグ監督の映画
『未知との遭遇』。
巨大な宇宙船が現れるクライマックスは
映画史に残る名シーンとして知られています。

■髙橋
「『未知との遭遇』のどこに魅せられたんですか?」

■山崎監督
「でかかったんですよ 宇宙船が
『本物来ちゃった』って
『本物だ』って言ってたんです」

当時、山崎監督は中学生。
VFXの道を志す、キッカケになったといいます。
また、山崎監督は、
ほぼ全ての作品で脚本も手がけています。


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今回の映画は、
実に1年かけて
プロットを13回書き直したといいます。

原作は、上下巻の長編小説。
一方で映画は2時間25分、
内容を大幅に削ることが必要でした。

■髙橋
「シーンを選ぶ上でどこに重点を?」

■山崎監督
「心がどう動いたかっていう部分
 原作の持っているエネルギーを
どうやったらそがないでいられるを
大事にしている」

主人公・国岡の心の動き。
演じた岡田准一さんと、
キャラクターを徹底的に作り込んだといいます。

こだわったのは
主人公の「人間的な部分」の描写。

■山崎監督
「原作の中の国岡鐵造さんはすごい立派な人
 その立派さの裏に隠れている何か人間的な部分
 弱さとか切なさみたいなものを
 どうやって織り込んでいくか」

強さだけでなく、弱さも描く事が
国岡の人物像にリアリティを与えると
考えたのです。

映画は、
名もない青年だった主人公の国岡が、
大事業を成し遂げていく、
サクセス・ストーリー。
成功の裏で
国岡が苦しむ姿も描かれています。
その人間ドラマを支えるのが最先端のVFX。
国岡が生きた時代を当時のまま映し出します。

■髙橋
「今後どのような映画を?」

■山崎監督
「自分に無茶振りしていきたい
これどうすんだこれっていう
自分でも途方にくれるような企画を
 やっていきたい」

■髙橋
「途方に暮れる?」

■山崎
「何かルーチーンワークになってはいけない
無理なことを
そこ行きましたかみたいなことを
何本やっていけるかって事が大事」

2016年10月26日

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン

ハリウッド映画を軸にアトラクションを展開する
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン。

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映画「ジュラシック・パーク」シリーズで
主人公たちを恐怖に陥れた恐竜、
ヴェロキラプトルが
パーク内を練り歩き人々を襲います。

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ハリー・ポッターの世界観を再現したエリアでは
魔法使いになった気分も味わえるといいます。

そのUSJが今、力を入れているのが、
ハロウィーン。

日が暮れ、夜になると現れるのが、
人々を襲う、ゾンビたち。

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先月、髙橋はゾンビのリハーサルを取材。
最終チェックが行われていました。

ゾンビには、
ハリウッド映画の特殊メイクの技術を駆使。
クオリティにこだわったといいます。
ゾンビに扮するのはプロのエンターテイナー。
リアルな演技に髙橋も足がすくみます。
実はUSJ、
1年のうち最も客を集めるのが
ハロウィーンの時期だというのです。

ハロウィーンのホラー演出の仕掛け人を訪ねました。
津野庄一郎さん。

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■ハロウィーン・ホラー・ナイト
 総合プロデューサー
 津野庄一郎さん
「究極の恐怖を多数用意しているので
やりすぎという体験をしていただいて」

現在、恐怖にこだわった
「ハロウィーン・ホラー・ナイト」と名付けた
イベントを開催中。
パーク各地で過去最多となる
10のホラーコンテンツを展開しています。
今年6年目を迎えるゾンビには
新たな演出を加えました。

■ハロウィーン・ホラー・ナイト
 総合プロデューサー
 津野庄一郎さん
「隔離された空間の中でゾンビに襲われる」

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何が違うのか。髙橋も実際に体験。
バスに乗るよう誘導されました。
ゾンビがバスを襲うが、
バスは閉鎖されているため入ってこられません。
しかし、バスの後ろからゾンビが進入。
逃げ場のない状況で
ゾンビに襲われるという、
映画にもよくあるシチュエーションです。

■ハロウィーン・ホラー・ナイト
 総合プロデューサー
 津野庄一郎さん
「ただゲストが見ているだけじゃなくて
自分もゾンビの演出に巻き込まれたような
体感をしていただきたい」

元々ハロウィーンといえば
仮装というイメージだが
なぜホラーなにこだわったのでしょうか。
そこにはある戦略が。

■ハロウィーン・ホラー・ナイト
 総合プロデューサー
 津野庄一郎さん
「ゲストがどういうものを求めているか
徹底的にリサーチかけて戦略を練る」

オープン後しばらくしてUSJは集客が低迷。
6年前、マーケティングを重視する戦略に方針転換し、
消費者のニーズを徹底的に分析したといいます。
その結果・・・。

■髙橋
「ファミリー層を取り込むために
子ども向けのエリアを作りました」

映画以外にもテーマを広げ、
子ども向けのアトラクションを作り、
世界最長のフライングコースターを導入して
絶叫系ライドが好きな客層を獲得しました。

そして、ハロウィーンが
主なターゲットにした客層とは・・。


■ハロウィーン・ホラー・ナイト
 総合プロデューサー
 津野庄一郎さん
「我々がターゲットにしているのは
シングルフィーメル、独身女性の方々」

ターゲットの独身女性を
取り込むための戦略が・・・

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ハロウィーンにホラー、だったのです。

独身女性は、
ストレスが溜まる環境にあるものの、
発散出来る機会が少ないという調査結果から
ニーズがあると考えたといいます。

■ハロウィーン・ホラー・ナイト
 総合プロデューサー
 津野庄一郎さん
「日常生活でストレスがある
日常の生活を忘れて
思いっきり絶叫して
思いっきりすっきりしていただく」

ターゲットの女性客は・・・。

■独身女性はー 
「めっちゃ怖かったです
めっちゃ叫びました
(ストレス)発散出来ました」

また、
客のハロウィーン気分を盛り上げる
工夫はこんな所にも。

■髙橋
「こちらのお店では
ゾンビのメークが出来るんです」

こちらは客向けのゾンビのメーク。
ハリウッドの特殊メークの技術を駆使した
本格的なものだといいます。

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消費者視点を重視するようになった
2011年度以降、
USJの入場者数は右肩上がり。
昨年度はおよそ1390万人、
過去最高を記録しました。

USJの分析によりますと、
ハロウィーンのイベントが行われた
去年10月の月間入場者数は
初めて国内1位になったと考えられるといいます。

■髙橋
「今後どのような取り組みをしたいですか?」

■ハロウィーン・ホラー・ナイト
 総合プロデューサー
 津野庄一郎さん
「ハロウィーンと言えばUSJ
USJのホラーナイトと
多くの方々に言っていただけるような
イベントに成長していきたい」

2016年9月28日

狂言師・野村萬斎さん

今年7月。
狂言師・野村萬斎さんの稽古場を訪ねました。
16歳の息子、裕基さんの姿も。


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この日は、弟子でもある裕基さんに、
「三番叟」という曲の稽古をつけていました。

萬斎さんが手取り足取り、
動きの手本を見せます。
狂言の動きには、
すべて決められた「型」があるのです。

厳しい指導に、緊張感が増します。
完璧な動きを身につけるのには
時間がかかるのです。

髙橋:「裕基さんに教えるにあたって
    気をつけている事はありますか?」

萬斎:「子どものうちは理屈で教えても
    仕方ないので 体にたたき込む
    まだちょっと意識が
    届いてなかったようで
    ずいぶんワーワーやりましたけど」


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狂言は、室町時代から続く伝統芸能。
5.5メートル四方の能舞台で行われます。

狂言はせりふとしぐさを中心とした対話劇。
ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。

萬斎さんはその狂言の名門一家に生まれました。
舞台デビューは3歳のとき。
お面をつけた「小猿」の役でした。

師匠は人間国宝の父・万作さん。
稽古は、とても厳しかったといいます。

髙橋:「裕基さんくらいの年頃の時、萬斎さんは
    狂言についてどう思っていましたか?

萬斎:「苦しいし つまらないし
    なんでこんなにやられないと
    いけないんだって
    いつか(父に)仕返ししてやろうと
    心の中で思うような日々でしたね」

高校時代は、
ギターやバスケットボールに
夢中だったという萬斎さん。

現在は、日本を代表する狂言師です。
数多くの公演に出演し、
狂言の普及に大きく貢献。
海外でも毎年公演を続けています。

髙橋:「萬斎さんにとって
    狂言とは改めてどういうものですか?

萬斎:「アイデンティティですよね
    狂言が元になっているし
    狂言という座標軸から色々発想している」

さらに俳優としても活躍。
日本アカデミー賞も受賞しています。

今年話題となった映画「シン・ゴジラ」では
萬斎さんがゴジラの役に。
狂言の動きを取り入れた萬斎さんの歩く姿を
モーションキャプチャーで
CGのゴジラに反映したのです。

また、
クラシックの名曲「ボレロ」に
狂言の動きを合わせるなど、
伝統芸能と西洋の融合にも
積極的に取り組んでいます。

演出を手がけた
シェークスピアの名作、「マクベス」でも、
狂言の手法を盛り込みました。

髙橋:「なぜ狂言と西洋の融合する活動をされているんですか?」

萬斎:「今なぜ狂言なのかっていうことを
    どこかで証明したい
    世界の芸術と肩をならべていくためには
    バレエのレベルや
    シェイクスピアのレベルを肌で感じ
    学んだりしないといけないという事が
    やっぱり重要でしょうね」

そうした中で今、父から教えられた伝統を
息子に受け継いでいます。

息子・裕基さんも
萬斎さんと同じ3歳のとき、
小猿の役でデビューしました。

髙橋:「当時、萬斎さんはどう感じたんですか?」

萬斎:「この子の長い狂言師としての道のりが
    始まっちゃうんだというか
    始めさせちゃうんだっていう
    親の責任を非常に感じました
    親として心を鬼にしなくては
    いけない部分でした」

髙橋:「父親としての立場 師匠としての立場
    区別はあるんですか?」

萬斎:「まあ...師匠としてしかないですけど」

600年以上の伝統。
それは厳しい世界です。

先月末、再び稽古場を訪ねました。
「三番叟」の通し稽古が行われました。


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緩急のついた動き。

1か月半前に取材したときよりも
裕基さんの迫力が増したように感じました。


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それでも。
萬斎さんは、厳しい表情を崩しませんでした。

裕基さんに話しを聞きました。


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髙橋:「すごく厳しい稽古だと思ったんですが、
    いつもああいう感じ?」

裕基:「そうですね
    練習中はそれこそずっと
   『もうやめたい もう帰ろう』って
    思いながらやったりもするんですけど
    本番が終わった後に拍手をもらったり   
    そういうのがあると
    やっぱり僕やってて良かったなと」

そして、こんな決意を明かしてくれました。

裕基:「伝えていかないといけない家に
    生まれた者として
    命にかえてでもつないでいかないと
    いけないんだなって」

その思いを、
萬斎さんに伝えました。

萬斎:「へーそうですか
    へーたいしたもんですね 
    俺より大した覚悟がある
    頼もしい事ですね」

思わず笑みがこぼれました。

代々受け継いできた狂言の世界で
新たな試みを続けてきた萬斎さん。
未来をになう裕基さんへは。

髙橋:「アドバイスありますか?」

萬斎:「時代時代の若い人が(狂言の)賞味期限を
    どんどん伸ばしていくことになる
    我々は伝統芸なので守るべき所
    これをなくしたら狂言で
    なくなってしまうということを
    犯してはいけない
    気概を持ちながらも
    遊びと自由な精神というか、開拓する
    時代を見ていく精神が必要だと思う」

2016年8月31日

写真家・蜷川実花さん

■髙橋
「失礼します
 どうもこんにちは初めまして髙橋です」
「すごいですね」

写真家・蜷川実花の事務所を訪ねた髙橋キャスター。
壁一面には、蜷川自身が撮った写真が。


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玄関から蜷川ワールド全開。
さらに進むと・・・。

■髙橋
「すごいです 真っ赤」

蜷川の書斎は真っ赤な部屋。
仮面など、気に入った雑貨が
所狭しと置かれている。
壁一面には、天井まで大量の本がぎっしり。
ジャンルを問わず読書をするという。

■蜷川さん
「どんな写真集にしようかなとか
 割と1人で考える時に
 この部屋でやっています
 なるべくインプットの量を多くしないと
 どんどん出て行くばっかりだから
 蓄積して蓄積して
 その中から経験から出していく感じ」


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蜷川は1994年、
大学時代に写真家としてデビュー。
以来、精力的に活動を続けている。
写真集や個展の開催など、その勢いは止まらない。

鮮やかな色合いが特徴的な写真。
一目見て蜷川作品と分かる作風を確立した。
さらに、
2007年には土屋アンナ主演の「さくらん」で
映画監督としてデビュー。

最近では、
商業施設ともコラボレーションするなど
さらに活動の幅を広げている

東京・渋谷の地下街で、
女性専用のパウダールームをプロデュース。

愛媛の名湯・道後温泉では、
ホテルの客室をプロデュース。


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対照的に、夜桜を見ているかのような
シックな色調の部屋もある。


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カフェでは、デザートもプロデュースした。
上越新幹線ともコラボ。
一部の区間では、
車体に蜷川の花火の写真が使われている。

■髙橋
「幅広く活動しているが
 その原動力はどこから来るんですか?」

■蜷川さん
「欲張りなんじゃないですかね
 もっと次はこれしたいとか
 それが出来たらもっとこうしてみたい
 全ての事において120%力を出し切る」

■髙橋
「どうやって奮い立たせるんですか?」

■蜷川さん
「手を抜いたらダサイから
 かっこわりぃって思うから
 自分がかっこ悪いと思う自分になりたくない」


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そんな蜷川は二児の母親。
ハードスケジュールをこなしながら子育て、
毎朝5時半に起きるという。

■髙橋
「お子さんの存在は?」

■蜷川さん
「やっぱり面白いですよね かわいいし
 子供達に助けられていると思う
 一緒にいると幸せだし
 両立するのは本当に大変なんですけど
 血ヘドはく思いで両立しています
 今一番気がかりなのは息子の漢字テスト」

そして、蜷川の父は、
世界的な演出家だった幸雄さん。
数々の舞台作品を生み出し、
文化勲章など多くの賞を受賞した。
偉大な父の存在は
蜷川にどんな影響を与えたのか。

■蜷川さん
「何をやっても
 『親の七光りでしょ』っていう人はいる
 そこに対してどう蜷川実花であることを
 認識してもらえるかっていうのは
 かなり早い時期から
 自覚せざるをえなかった
 小学生くらいから焦っていた」

自らの世界を追求してきた蜷川。
一方で、父から大きな影響を受けていた。

■髙橋
「蜷川幸雄さんから言われて
 印象的な言葉はありますか?」

■蜷川さん
「全員が右に行っても
 自分1人でも左だと思ったら
 左に行ける人間になって欲しいと
 結構小さい時に言われていて
 大人になるとなるほどなって思うよね」

例えば、映画を監督したときのこと。
大勢のスタッフの中で、
自身の信念を貫き続けるのは大変な事もあった。
その時、父の言葉が響いたという。

父の教えを胸に、
自ら道を切り開いてきた蜷川は今、
マレーシアで開く個展に向けて
準備の真っ最中。
秋に開催される予定の個展のテーマは京都。
その活動は、海外にも広がっている。


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■髙橋
「今後どういう事をされていきたい?」

■蜷川さん
「一番の目標は
 ずっと現役でこのまま作り続けたい
 世界中の人に見てもらえるように
 頑張ろうって思っている」


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