2011年07月26日

イチメン 2011年7月25日 わたしに、できること。

きょうは「わたしに、できること。」
これまで、被災地のボランティアはがれきの撤去などが中心でしたが、
仮設住宅で新たなニーズも生まれてきています。
まずは、こちらをご覧下さい。

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宮城県・気仙沼市の仮設住宅にある青空カフェです。
(シャンティ国際公益ボランティア会)

住民同士の交流の場としてボランティアがつくったものですが、
実は、重要な役割を果たしています。
 
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宮城県ではおよそ2万戸の仮設住宅を建設する予定で、(6/24現在)
その半分にあたるおよそ1万戸の入居がようやく完了しています。(7/14現在)

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その仮設住宅では、それぞれ違う場所に住んでいた住民が
入居してくる場合があります。

住民同士が初めて顔を合わせる場合、
近所のつながりが薄くなりがちなため、心配なことがあります。

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例えば、周りに話し相手がいないことで、
避難生活のストレスがたまりやすくなる可能性があります。

さらに深刻なのが“孤独死”です。
阪神・淡路大震災のとき、仮設住宅で一人暮らしの高齢者が
誰にも知られずに亡くなるケースが問題となりました。

これらの問題をさけるためには、仮設住宅の住民同士が
新たなつながりをもつ必要があります。
 
そのきっかけをつくるボランティアの活動を取材しました。

<VTR>

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宮城県・気仙沼市の仮設住宅。
その1室に十数人の人たちが集まっていました。

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ボランティア「ここを合わせて縫ってください隠すように」

ボランティアの人たちが教えているのはタオルで象を作ること。

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「まけないぞう」といいます。

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ボランティア「お母さん職人ですからね、ゾウさんの」

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活動の目的は一緒に作業をしながら友達を作ろうというものです。
 
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Q 2人がここでお話しするのは?
「今、今(初めて)!」

ここで今日初めて出会ったという2人。
作業を通していつのまにか仲良くなっていました。

   参加者「ちょっといい?見て」
ボランティア「いいと思う」
   参加者「どのようにそんなにシュとなるの?私全然入っていかない(笑)」

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いまボランティアに求められているもののひとつは、
こうした仮設住宅に住む人同士の交流の場を提供することだといいます。

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参加者「同じ目的を持てば仲よくね。知らなくても」

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とちぎボランティアネットワーク 滝口奈緒美さん
「最初は私たち(ボランティア)がきっかけを作らせてもらって何回かやるうちに
ゾウ作ろうとかお茶のもうよとか定期的に集まれたらいいなってすごく思うので」

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避難生活が長引くなか、人と人との繋がりを築くことが重要になってきています。

こうした仮設住宅でのボランティアはまだ一般募集が行われていませんが、
今後、ニーズが増える可能性があり、各ボランティアセンターは
募集を検討しているということです。

以上イチメンでした。

投稿者:櫻井翔

2011年07月21日

LIFE~被災地の今~


宮城県・気仙沼市。


板谷
「八百屋さんやってる」

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復興にむけ、町は少しずつ、動きだしていました。
しかし今も、1700人もの方が避難生活を続けています。


避難所のひとつ、気仙沼小学校。


長引く避難生活を、
どう過ごされているのでしょうか。

板谷
「こんにちわ、ZEROからきた板谷と申します。
よろしくおねがいします。」


1日、取材させて頂きました。

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この避難所で生活をするのは、40世帯・64人。(7月9日時点)
日中は多くの方がでかけ、ひっそりとしています。


午後3時。
男性が戻ってきました。


板谷
「こんにちは、板谷です」


家族4人で避難している、森川純一さん。
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2人の子どもは小学校。
奥様はパートに出ているといいます。


板谷
「いま、お仕事は?」


森川さん
「理容業、床屋をやってました。
津波で自宅と店舗を流されて、
たまたま床屋仲間の人が、仕事ないんだったら
夕方からお店かしてもいいよって言ってくれて。」


仮の場所ですが、6月から仕事を再開できました。


森川さん
「おっ、おかえり~」


長男・颯太くんが帰ってきました。

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颯太くん
「手、洗ってくる」
森川さん
「手をあらってうがいしてね。
お茶のんで、あと冷蔵庫にアイス入っているからね、
お姉ちゃんにも言ってね。」


子どもと入れ替わりで仕事場へ。
友人の理容室に向いました。


森川さん
「おはようございます」
友人の瀬戸さん
「おねがいします」


営業時間は4時から7時の、森川さんの理容室。

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限られた時間のため、お客さんは1日、1人か2人。
先月の収入は8万7千円でした。


森川さん
「やっぱり自分の城がほしいですね。
どこかゆったりできるところが早く欲しいです。」



午後4時半。

板谷
「みんな帰ってきたのかな」


出かけていた方が避難所にもどってきました。

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こどもたちは集まって、宿題。


館内アナウンス
「夕食の準備を始めますので、お手伝いいただける方は前へ」


午後5時半。
夕食の配膳がはじまりました。


板谷
「おじゃまします。お手伝いさせてください」

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毎日、自衛隊から届けられるご飯。
配りやすいようにわけていきます。


板谷
「こうやって毎日(手が)あいているひとが
やるかんじですか?」
避難所の方
「そうですね」


この日のおかずはあじの開き。
配膳を終えた直後・・・


「ハエがくるから何か
かぶせておいたほうがいい」

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夏場を迎え、避難所にハエが大量発生。
食事中も、はえたたきが欠かせません。

  

午後8時。
1人の高校生が帰ってきました。


子どもたち
「おかえり~」


藤沢大也さん。
軽音楽部に所属する、高校2年生です。


板谷
「板谷です、こんにちわ。
毎日帰ってくるのは、この時間なの?」

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藤沢さん
「そうですね。部活をやってからだと
大体平日はこの時間になります」


9時の消灯まで毎日、時間に追われています。


藤沢さん
「食事は正直、消灯までに間に合うことほとんどない。
暗い中で(配給の)ご飯たべている。


忙しさに追われるという面では、
震災のことを考えるひまもない。」


まもなく、お父さんも帰ってきました。
藤沢さん父「どうも、ただいま」

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父親と2人で避難生活を続ける藤沢さん。
母・優子さんは、津波で亡くなりました。


藤沢さん親子
「(銭湯に)いってきます」

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夜、避難所で入浴できるのは、1日おき。
入れない日は車で、閉店間際の銭湯にむかいます。



午後9時。
消灯の時間です。

板谷
「暗くなりました」


みんなが寝静まった午前1時。
藤沢さんが机に向かっていました。

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藤沢さん
「国公立の大学がよくて、
あと親とはなるべく近い距離にいたいので
県内の大学かなって。」



翌朝・・・。

板谷
「おはようございます」


西條さん
「暑くなりそうだな」


板谷
「う~ん、暑そう」

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避難所の朝です。
「おはようございます」
「おはようございます」

きょうも、それぞれの一日が始まります。

午前8時半。掃除がはじまりました。

板谷
「ちょっと動くだけでこの中すっごく暑い」

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この日、最高気温は31度。
体育館にクーラーはありません。


その片隅で、新たな生活への準備がはじまっていました。

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7人で避難する齋藤さん一家。
ようやくアパートがみつかったといいます。


板谷
「早速、引っ越しの準備?」
母・みさ子さん
「ほとんどいただいたものなんですけど」
板谷
「支援物資ということですか?」
母・みさ子さん
「そうですね、支援物資で
頂いたものがほとんどなんです。」


自宅は津波で流されました。


祖母・末子さん
「泥の中から発見して・・」

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おじいさんの手には、ゲートボールでもらったメダル。


祖父・文人さん
「唯一の思い出です。
これ持って、引っ越しします」


きょうは荷物を運ぶ日。
引っ越し先の家賃は、県が2年間負担します。
私も、おじゃまさせて頂きました。


避難所をあとにし、ようやくはじまる、新たな生活。

ガスもとおり、4か月ぶりに、家族でコーヒーをいれました。

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齋藤さん一家
「かんぱい。これからも、仲良くね」


祖母・末子さん
「おいしいね。
 だんだんだんだん、普通の生活に戻れる。
 普通じゃないですから、あの(避難所の)状態はね。
 こうやって、自立して、ふつうの生活ですからね。」


板谷
「どんな毎日にしたいですか」


長女・光里ちゃん
「テレビみたい」


板谷「ゆっくりね」


父・典雄さん「机にむかってほしいんだけどなあ」


避難所では、七夕の短冊が飾られていました。
そこには、ひとりひとりの願いが込められています。

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投稿者:板谷由夏

2011年07月18日

イチメン 2011年7月18日 なでしこJAPAN

イチメンは「なでしこJAPAN」
決して平坦ではなかった女子サッカーの歴史に迫ります。

まずは、こちらをご覧下さい。

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こちらは今からちょうど30年前、
初めて招集された女子日本代表の選手たちです。

写真は、初の国際大会に向かう空港で撮られました。

このメンバーがいわば「初代なでしこJAPAN」とも言えます

彼女たちが集められた1981年は今とはだいぶ違っていました。

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現在の女子サッカーは
・男子と同じ大きさのピッチ
・試合時間は前後半45分ずつ
・1チーム11人

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しかし当時、国内の女子の試合では
・ピッチの広さは今の3分の2
・試合時間は前後半25分ずつで今の半分くらい
・1チームの人数は「選手が集まりにくい」という理由から11人ではなく、8人

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「初代なでしこ」のひとりで、女子の代表として初めてゴールを決めた
半田悦子さんにお話をうかがいました。

元日本代表
静岡・常葉橘学園高校女子サッカー部
半田悦子監督(46)

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「当時、日本国内の試合だと応援してくれる人は家族や知り合いしかいなかった」

「初めて行った(アジア)大会、とりあえず相手が強いというイメージの記憶しかなくて、
自分が(代表として初めての)点を取ったことさえも薄い記憶」

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「予算がすごく厳しかった。
遠征行ったり大会に行ったりして必ず3万円(自分で)払っていた。」

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「日本代表でもお金を払いながらそれで遠征に行っていた」
 
次に、女子サッカーの人気の移り変わりを示すこんな数字があります。

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代表チームが発足した1981年度に
女子チームに所属する選手はおよそ2400人。

そこから選手数は着実に増え、
15年後には2万4000人に迫り、一時ピークに達します。
その96年は初めてオリンピックに出場した年でした。

ところがそのアトランタでは結果が残せず、選手数も減少。
次のシドニーオリンピックの出場も逃しました。
 
ここから再び巻き返したのは、「なでしこJAPAN」を名乗って挑んだ
2004年のアテネオリンピックでの健闘、
そして3年前の北京オリンピックでの「ベスト4入り」だと言われています。

徐々に選手数も増え始め、女子サッカーの普及には 
代表チームの活躍が欠かせないことが分かります。

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現在はおよそ2万5000人いる女子のサッカー人口。

それでも決勝で対戦したアメリカの女子サッカー人口は
504万4000人で、日本の200倍とも言われているのです。

日本サッカー協会は4年後の2015年までに
女子選手を30万人にまで増やす目標をたてています。

キャプテン澤選手は
「これから先の日本女子サッカーのために戦う」とたびたび発言しています。
 
以上、イチメンでした。

投稿者:櫻井翔

2011年07月05日

イチメン 2011年7月4日 放射性物質が含まれた廃棄物の処理問題

福島第一原発の事故で
 放出された放射性物質。

各地の上下水処理施設の
廃棄物から
 検出される例が相次いでいます。

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ブルーシートで覆われているのは
神奈川県・横浜市の
  下水処理施設から出た廃棄物です。

放射性物質が検出されたため、
 現在、敷地内の駐車場に
      保管されています。

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このような廃棄物の量は、
原発のある
 福島県で少なくとも3167トン。

関東地方の一都六県では、
少なくとも合計2万8千トンに
         のぼっています。


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このほか廃棄物から
 放射性物質が検出された例は、
現在、東日本を中心に
   16都県に広がっています。


進まない処理の現状を
          取材しました。


*****VTR******

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神奈川県横浜市。
住宅街にほど近い駐車場に、
  廃棄物の山が出来ていました。

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私たちが訪ねたのは、
下水処理の際に出る
「汚泥」を処理し、
        資源化する施設。

(神奈川・横浜
  南部汚泥資源化センター)


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「1日どのくらいの量(の汚泥)が?」

A(横浜市環境創造局  高橋義吉 氏)
 「1日8000トンが送られてくる」


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この施設で処理される
         「汚泥」から、
放射性物質が
    検出されたというのです。


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計測器を使って
      放射線量を測ると…。

「およそ(毎時)0.07マイクロシーベルト」

極めて低いレベルですが
    放射線が検出されました。


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施設では、この「汚泥」を
セメントの原材料などにするため
        焼却処理をしています。

すると体積は400分の1に。
ところが
   そこに問題が発生しました。


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「1.8から1.9マイクロシーベルトですね」


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「汚泥」を焼却した「焼却灰」は
 水分が無くなった分
      濃度が高くなるため、
検出される放射線量は
        高くなるのです。


「焼却灰」から
  放射性物質が検出されて以降、
施設の外に持ち出すことが
      出来なくなったため、
保管スペースには
  限界が迫っているといいます。


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(横浜市環境創造局  高橋義吉 氏)
「あと1か月ちょっとで
 大変になると思います」



「1か月後、他の所に置くめどは立っているのですか?」

A(横浜市環境創造局  高橋義吉 氏)
「めどは立っていません
 努力はしているんですが」


*********

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VTRにあったように
下水処理施設では、
 汚泥や焼却灰から放射性物質が
 検出されています。

一方、川などの水を
 浄化して水道水にする浄水場でも
 処理過程で出る土から
 放射性物質が検出されています。

ただ、厚生労働省によると
 浄化された水道水からは
 現在、放射性物質は検出されておらず
      飲んでも影響がないということです。

では、放射性物質が
 検出された廃棄物は
 どうやって
 処理すればいいのでしょうか。


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ひとつは再利用です。

汚泥の多くは
 セメントなどに混ぜられ、
   建設材料として再利用されています。

セメントに加工すると
 放射性物質の濃度は
 およそ10分の1に、
     うすめられるといいます。

しかし、加工する業者の多くは、
放射性物質が検出された汚泥の引き取りを
            拒否しているのが現状です。

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もうひとつの処理方法は
         埋め立てです。

政府は、放射性物質の濃度が
 1キログラムあたり10万ベクレル以下であれば、
 埋め立てが可能だとしています。

これには、埋め立てた場所を
 居住地に使わないこと。


また、周辺住民の
 被ばく線量が年間10マイクロシーベルト以下になると
 確認することなどを条件としました。

しかし国の基準だけでは、
 実際の処理は
 なかなか進まないという声もあがっています。

******VTR*****


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(横浜市環境創造局  高橋義吉 氏)
「実際に(国に指針を)出していただいたんですが
(焼却灰を)受け入れる側が なかなか受け入れて
 くれない現実がありまして(処分が)進まない現状があります」

***************

廃棄物の処理については、
現状に対して
 国の対策が追いついていないことが
 うかがえます。
 
廃棄物の保管場所が
 満杯になる前に
 早急な対策が求められます。

投稿者:櫻井翔

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