2011年09月15日
LIFE 2011年9月15日 ~震災から半年 家族への思い~
今週日曜。
気仙沼市で慰霊祭が行われました。
「黙祷」

午後2時46分。
気仙沼市で亡くなった方は1015人。
いまも391人の方々が行方不明のままです。
(9月13日現在)
会場に、以前取材したご家族の姿がありました。
藤沢秀文さんと、息子の大也さん。

妻・優子さんを亡くしました。
7月。
親子2人で、避難所生活を送っていました。
入浴や食事など決められた時間に追われ、
消灯後、だいやさんはひっそりと勉強していました。

板谷「3月11日から半年たちましたけど、
きょう、どういった気持ちで
迎えたのか聞いてもいいですか」
藤沢さん 「本当に半年たったのかと思う
アッという間な半年間でしたね。
避難所で5か月いましたけど、
なかなか悲しんでいる暇もなかったし、
人前で悲しんで泣く場所でもなかったしね」
避難所に居る間。
週に1度の休みになると、必ず向かう場所がありました。

藤沢さん「なんか不思議とね、妻のところに行くと、
我が家に帰ってきた思いがするんですよ」
妻・優子さんが土葬されている墓地。
唯一、心が安まるという場所です。
奥様に、語りかけました。
藤沢さん「そういえば、大也の三者面談が
来週あるんだよね。
なんだかさ、すごく気が重いんだけどさ。
一生懸命勉強しているから、
まあ結果はわからないけど
頑張っているから心配しないで」

藤沢さん「いろいろこうやってね、
会話していくんですよ。
いろんな話をしたりしてね。
まあ、会話といいながらも、
全然一方通行で返ってはきませんけどね」
藤沢さんは先月から息子と2人、
アパートでの新生活を始めています。
藤沢さん「あとは、なんとか本当にね、
妻が本当の意味で安らぐ場所にね、
移動して、火葬して、埋葬したい。」

大也さん「ただ、生きているだけの
半年だったような気がするので
中身をもったこれからにして
自分の母も含めて、なくなった人の分も
しっかり生きていきたい。」
藤沢さんたちが生活していた避難所です。
板谷「ずいぶん減りましたね」
7月に取材した時、避難していた方は、64人。

仮設住宅などへの入居が進み、現在は17人となりました。
(9月14日現在)

町の様子も、少しずつ変わっています。
板谷「船もなくなって・・
道ができましたね」

4月に取材した鹿折地区。
この場所には船が乗り上げ、道はガレキでふさがれていました。

震災から半年たったいま。
町は復興に向け、少しずつ、動きだしています。
一方で、半年たったいまも、家族を捜し続ける方がいます。
板谷「こんにちは」

家族4人で暮らす、小野寺栄子さん。
自宅は海にほど近い場所。
小野寺さん「玄関は残ったんだけど、
ここまでですね、(水が)入ったのは」
天井付近まで水に浸かった1階。
いまも津波の爪痕が残る自宅で生活を続けています。

小野寺さんは市内に住む親族8人を亡くしました。
父親(松之進さん・80歳)はまだ、みつかっていません。
小野寺さん「死亡届けは、出しました。
いくら死亡届けだしても、
やっぱり・・・」
板谷「見つけてあげたい」

小野寺さん「見つけなければ、
私の仕事だから。見つけるのが。
自分の仕事として、
やっぱり見つけないとね。」
小野寺さんは、毎日父親を捜しに出かけます。
小野寺さん「今日見つかるか、
手がかりがあるかと思えばね。
親だもんね。」
情報を得るため、向かうのは、市内の遺体安置所。
小野寺さん「じゃ、ここで。いってきます。」

しかし、この日も手がかりはありませんでした。
板谷「また、毎日が始まりますけど・・」
小野寺さん「区切りのつかない、区切りをつけて。
行ったり来たりで・・・
進んでいかないとね・・・
本当にみんなから応援もらってるから。
物資なり、言葉なり、
本当にありがたいですよね。
だから、がんばらなくては。」

投稿者:板谷由夏