3月23日 俺は抽象が解らねぇって奴が解らねぇ

建て替えられた国立競技場の一角に、1964年の東京オリンピックの時に描かれた数枚の壁画が保存されている、という報道を見て、壁画の制作画家のひとりである大沢昌助さんの思い出がよみがえった。

 

1980年代半ば、私が、美術番組「美の世界」を担当して間もない頃、抽象画家として知られる大沢昌助さんのアトリエにお邪魔した。

当時の私は美術の知識もほとんどなく、「抽象画なんて、難しいなァ。インタビューで何を聞けばいいんだろう?」と、困惑していた。

アトリエから、のっそり、という感じで現れた大沢さん。当時、すでに80歳を超えていらしたはずだが、おじいさんという印象はなく、何だか面白い、べらんめえ口調のおじさんであった。

ご挨拶の後の雑談で、「素人ですみません。抽象画は何も解らなくて…」と、私が言うと、

大沢さんはニヤリと笑って、

「俺は、『抽象が解らねぇ』って奴が、解らねぇ」

パレットに赤の絵の具をたっぷりと出し、そのままカンバスに向かって、赤い大きな四角を2つ描き、私を振り返って、

「きれいじゃねえか、なあ。どうだい?」

絵の具は原色そのままが、いちばんきれいなんだ、という大沢さん。

赤い四角の意味するところは解らないけれど、たしかに力強くて、きれいだ。

このべらんめえのおじさんが、こんなに楽しそうに描いているものだとしたら、抽象画は、そんなに難しく面倒なものではないのかもしれない…。

大沢昌助さんは、私の抽象の世界への扉を開いてくださった方である。

 

2023年、春先のある日の午後、国立競技場を訪ねた。外側の一角に、ひっそりと、という感じで据えられている、錚々たる画家たちの壁画。大沢昌助さん、脇田和さん、宮本三郎さん、寺田竹雄さん…スポーツと芸術、アスリートとアーティスト。人間に生きる力を与えてくれる道を追究し続けた人々が、年月を超えて集う舞台。もっと華やかに、誇らしく展示してほしいな、と思った。