銀座の画廊で小さな個展を見た。
子供のあどけない表情を描いて注目されてきた若手画家が、母となり、
わが子をモデルにしたとおぼしき作品や、母子像が並んでいる。
「線が、より柔和になったでしょ。母の目なのかなァ」と画廊主がほほ笑む。
子育て真っただ中の画家自身は、画廊に来る時間のゆとりがないらしい。
春の陽射しのような作品の温もりに、幸せをもらった気分で礼を言ったら、画廊主は、
「でも、ウクライナのニュースを見ていると、こんな呑気な仕事をしていていいのかな、と思ってしまいますよ」とため息をついた。
「いえ、こういうものが足りないから、世界が切羽詰まってくるんです」
その少し前、ラジオ日本の仕事で、詩人の谷川俊太郎さんにお目にかかる機会があった。
90歳の現在も、新たな詩を生み出されている。
事前に、これまで作られた詩を、といっても厖大な数なので、ほんの一部だが読んでみた。
子供の頃に触れた懐かしい詩、言葉遊びのリズミカルな詩、ユーモアあふれる詩。
しかし、大人になって読むと、奥底に流れる、鋭さ、厳しさも感じる。
詩人が自分自身に向けた問いが、私の心にも向かってくる。
優しいばかりではない、みずみずしさ。忘れていた感覚。
私の生活は、いつの間にか、詩から遠いものになっていたようだ。
芸術は、自由な心、自由を求める心から生まれる。
論理ではすくい切れない、しかし大切なものを、探し求めている。
それが、ぎりぎりのところで人間を支えることもあるのではないか。
暮らしの中で、さまざまな意味での「詩」に触れることは、
遠回りのようでいて、望ましい世界につながる、一本の道なのかもしれない。
今、政治や経済に大きな影響力を持つ人々に、あまりにも、詩が足りない。