芝居のチケットの値段が高い!
それでも観たい!と思って、ネットで申し込むと、抽選だという。これが、なかなか当たらない!抽選する前から、クレジットカードの番号を教えろ、と指示されることもある。そうしないと抽選の対象にならないというのだ。何だか、詐欺みたいで、気持ちが悪い。長年の演劇ファンに対して、こんな失礼なことってあるだろうか?と腹を立て、申し込むのをやめる。街に出かけたついでに、劇場窓口に行ってみると、チケットは取り扱っていない、という返答。劇場にもよるのだろうが、この場で上演する芝居の券も売らずに、何のための窓口か?と、また新たな怒りを覚える。
最近、こんなことの繰り返しである…。
生身の人間が、日々、稽古を積み重ね、舞台で演じ、劇場に足を運んだ観客と、感動を分かち合う。芝居は、きわめて効率の悪い芸術である。昨今流行りのコスパ、タイパの対極にあり、チケットを高くしても、儲かる仕事ではない。しかし、その手間暇こそが、観客にとっても、いとおしく、かけがえのない魅力の源泉となっている。
去年、戦後80年にあたり、「今を戦前にしないために、できることは?」と会社のロビーの寄せ書きに記す企画で問われた。
私の頭に浮かんだのは、「芝居を観ること、落語を聴くこと」。
これは、字数を使って説明しないと、分かってもらえないだろうなァ、と思い、記すのを控えた。しかし、今も私の答えは変わらない。
「芝居が終わり、劇場から出てくる観客の顔がみんな優しく、穏やかな表情に変わっていること。それこそが劇作家の果たすべき役割」と述べていたのは、井上ひさしさん。
総理官邸で週に一度、映画を上映し、与野党の議員が観ることを、著書の中で提案していたのは池波正太郎さん。「映画でいろいろな人生を垣間見て、理解力が育ち、神経のまわり方が良くなる。礼儀をわきまえ、灰汁(あく)抜けた人間になる」ことを政治家に求めた。
そして、私の好きな古典落語が描き出す、人間の怖さと優しさ。もめごとを治める知恵。
損得を超えた文化こそが、実は人類に得(=徳)を、もたらすのだ、と強く思う。
そのためにも、芝居のチケットは高価であってはならない。若い人たちに、もっともっと気軽に演劇を楽しんでほしい。気に入りのカフェに行く、くらいの金額で、芝居が観られる国になりますように。
